津島との交渉
天文19年六月。
吉良家とその周辺とのいざこざがひと段落し、じゃあこれから東三河を、と思ったけれど、思わぬ停滞を強いられていた。
有体に言うと、米が無い。
勿論、完全に無い訳じゃない。吉田城と老津城合わせて三千の兵が常駐していて、彼らを食わせるだけの量はある。
改めて三千ほどを出して、鵜殿、牧野を攻める事も可能だ。
けれど、あまり長くかかると兵糧が切れる可能性が出て来た。
二年連続の大戦に加えて、吉田城での戦力保持。更に、吉良家の騒動で、安祥家が誇る兵站能力が揺らいだ感じだ。
勿論、銭で買う事はできる。
けれど、夏場は日ノ本で一番米が無くなる時期だ。
当然、値段も高くなる。
ただでさえ常備兵を主力にしているし、武将を銭で雇っている安祥家だからこそ、銭の無駄遣いはできない。
この辺りは常備兵と俸禄中心の安祥家の弱点ってところだな。
今まで問題無かったせいで、この問題が顕在化しなかったのは良かったのか悪かったのか。
米以外でも作物は育てているし、海の幸、山の幸も収穫量を増やしているけれど、それでも米と比べると量が少ないからな。
米の補佐的な役割なら可能だけど、米の代わりにする事は流石にできない。
とう訳で、少しずつ兵糧を蓄えつつ、鵜殿家、牧野家に調略をかける事にする。
吉良家の取り込みにも力を入れられるし、まぁ、その点では丁度良かったと思おう。
なんだかんだ言っても、東条城とその周辺は、やっぱり情勢が不安定だからな。
これを機会にきちんと統治をしよう。
大草城と竹谷城は破却予定だから、領民を雇って大草城を破却させる事で領民の慰撫を行う。
当然銭も食料も消費するけれど、戦に比べれば全然マシだ。
流石に田畑の開発は、今年の収穫には間に合わないので、秋以降になるけれど。
竹谷城は鵜殿家の上ノ郷城に近いので、これを攻略する前に破却するのはまずい。
勿論、大草、竹谷両松平家に、城の破却の許可は取ってある。
城は維持するのにも経費がかかるから、数が多過ぎても管理が面倒だからな。
不要な城はどんどん潰すべきだ。
とりあえず収穫後の進軍を通達しておいて、それを目指して準備させる。
その間に、俺は親爺に許可を取って津島に向かった。
「これは三河守様。ようこそお越しくださいました」
俺を出迎えたのは、信時と同じくらいの年齢の青年、大橋重長だ。
津島神社神官であり、津島衆をまとめる大橋重一の嫡男。
重一は東海地方の名門、大河内家の出身であり、嫁いできた母の生家である大橋家の養子に入った人物だ。
言ってしまえば、東海地方の名門のサラブレッドであり、血筋で言えば、織田弾正忠家より余程高貴であると言える。
「清兵衛、出迎えすまんな。だが様はいらぬ。儂らは義理とは言え、兄弟でもあるのだからな」
重長には俺の姉、というか親爺の長女、お蔵が嫁いでいる。確か俺より二つ年上。重長から見れば七つ年上のはずだ。
ちなみに俺とも信長とも母親が違う。
「しかし、三河守様を義兄上と呼ぶならともかく、弟として扱うのは……」
「ではせめて、五郎太夫と呼んで欲しい。敬称も必要ないが、どうしてもと言うなら『殿』で頼む」
「かしこまりました、五郎太夫殿」
むしろ、俺こそが重長を義理の兄として敬わなければならないんだけどな。
「それで、堺と商いをして欲しい商品があるとか?」
「うむ。堺でなくとも良いのだが、恐らく堺が一番良いだろうと思ってな。鉄砲とその材料で取引のある雑賀にも頼んでいるのだが、中々成果が上がらなくてな」
「となると、西国、それも九州か四国との商いという事でしょうか?」
「そこを中継点として、最近日ノ本と取引を行っている勢力があるだろう?」
「まさか南蛮……ですか?」
南蛮はこの時期日ノ本と取引を行っていて、日ノ本全土の港に出没していると思われがちだけど、実際は違うんだよな。
彼らの一番の目的は日本の銀。あるいは灰吹きを利用して金銀を得るための銅塊だ。
一緒くたにされがちだけど、布教を目的とした宣教師とは違うため、関西より東に来る理由が無いんだよな。
宣教師だって、日ノ本での布教の許可を貰うために京へ赴き、推薦のために堺の商人を利用したのであって、主な活動の場はやっぱり九州だったからな。
その宣教師も一枚岩じゃないんだけど、今回はあまり関係ないので割愛する。
まぁ、そんな訳で、東国全体は勿論として、伊勢湾周辺の港町ですら、南蛮人と直接取引はしていない。
だからこの時期南蛮人と商売をするなら、博多か、せめて堺まで行かないといけないんだ。
上洛して京都とその周辺に強い影響力を持つようになれば、向こうから勝手にやってくるとは思うけど、まだそんな状況じゃないしな。
「硝石、あるいは上質の鉄でしょうか?」
「いや、欲しいのは南蛮の作物よ」
「作物、でございますか……」
「書物によると、南蛮の国の多くの土地は、あまり作物の栽培には適しておらぬらしい。日ノ本で言う米に当たる作物が、向こうでは麦な訳だが、それだけでは民が飢えてしまうような土地なのだそうだ」
「それは初耳ですな」
「うむ。それ故に他者から奪うために、軍が強くなっているわけだ。甲斐や越後の兵が精強なのと同じ理屈だな」
「なるほど」
「しかし、精強な兵であっても食わねばならぬ。それ故、麦以外の多くの作物も栽培されているわけだ。特に、日ノ本へ来るような南蛮の国は、本国から日ノ本までの間にある土地とも取引をしておるから、様々な作物を取り扱っているはずだ」
植民地とかの話は、今してもしょうがないから、表現はかなり控えめにしておく。
「日ノ本の季候に合って、かつ、貧弱な土地でもよく育つ作物があるのではないかと思ってな」
「なるほど、道理ですな」
さて、ここまでの理論立てはうまくいった。
あとは、特定の作物の名前を出した時、どうやれば怪しまれないで済むかだけど……。
「清兵衛、これから話す事は、其方が弾正忠家の一門であるから話す」
「決して、他者に漏らす事はないと誓いましょう」
俺の言葉だけで、意図を汲んでくれた重長。
津島衆を束ねる一族というだけじゃなくて、商人でもあるからな。
頭の回転はやっぱり早い。
「欲しいのは芋だ」
「芋、でございますか? それは日ノ本の芋とは違うので?」
「うむ。一つは南蛮が日ノ本の南側の海に領地を持つ島々で獲れる芋だ。琉球や明には既に伝わっている可能性がある。クマラやヤムと呼ばれる芋だ」
「聞いた事がございませんな」
まぁ、当然だろうな。前世の史実では日本に入って来るのはまだ五十年近く先だ。
痩せた土地でもよく育ち、苗を増やすだけなら葉のついたツルを切り取って土に挿すだけで良いという救荒作物の代表選手。
所謂サツマイモだ。
当然、まだ日本に入って来てないのに、サツマイモなんて言っても通じるわけがないからな。
必死にこの時代の呼び名を調べたさ。
「一つは、南蛮の国では悪魔の植物とされている芋だ」
「あ、悪魔の植物でございますか……!?」
「なに、単純に南蛮の国に元々あったものではなく、軽く毒があるのでそのように言われているだけだ」
あんまり怖がられても困るから、先に種明かしをしておく。
「南蛮の国では、この世界を南蛮で信じられている宗教の神が創ったものだと言われていてな、その神の言葉を記した書物に、件の作物の記載が無かっただけだ」
「神が創ったものではなく、しかも毒があるので悪魔の植物と……」
「それだけの話だ。毒があるのも芽だけであるので、食べる時に取り除けばいい」
変色した皮にもあったはずだけど、ようは状態の悪いものは食べないって事にしとけば問題無いだろう。
「これも痩せた土地でも育ち、米が育ちにくい寒い場所でも育つ。保存も効くので急な不作の備えにできるだろう。収穫量も多く、米には及ばぬが、小麦の三倍程にもなるとか」
「それは素晴らしいですな」
連作障害とかの話は、実際に物が入ってきてからでいいだろう。
ただ、ひょっとしたらまだスペインやオランダにも伝わってない可能性があるんだよな。
「こちらは残念ながら名前までは判明していない。手の平に納まるくらいの大きさで、土色をしていて割と固い」
南蛮と取引のある商人と取引のある商人と取引のある商人、なんて遠い伝手しかないせいで、ジャガイモのこの時代でのヨーロッパでの呼び名がわからなかったんだよな。
前世の二十一世紀ですら、スペイン語でなんて言うかわからなかったし。
まぁ、これだけ特徴言っておけば向こうでピンとくるだろう。
「そして最後はビートだ」
「びいと、でございますか」
「うむ。既に明には入っているはずだ。甜菜という。家畜の飼料として栽培されている作物だ」
「家畜の飼料をわざわざ南蛮から取り寄せるのでございますか?」
「うむ」
勿論、本当の狙いは別だ。
ビートはテンサイ。つまり、砂糖の原料になる。
日ノ本では砂糖を自家製造している場所は存在しない。
長宗我部家が、信長に三トンだかの砂糖を献上したそうだけど、それが自領で作ったものなのか、琉球あたりと取引をして買い取ったものなのかはわからない。
少なくとも、関西より東の国では砂糖の原料となる作物を栽培していないのは確かだし、高級品であったのも確かだ。
これをうちで生産できるようになれば、かなりの利益を上げる事ができるだろう。
まだヨーロッパでは、テンサイから砂糖を採る方法は確立されてない、というか砂糖が採れる事が知られてないはずだし。
問題は、テンサイから砂糖を採る方法を、俺がよく知らない事だろうか。
確か実、というか根を煮詰めるんだっけ?
「南蛮の家畜は体も大きく、よく働くという。餌の問題だけではないだろうが、せめても同じ餌にしてみようと思ってな」
「そう言えば、安祥家では多くの家畜を育てられていましたね」
坂東の馬や、西国の牛に比べれば、どちらも全然だけど、牛、馬、鶏を安祥家では飼育している。
馬は荷馬、軍馬。牛は農作業の手伝いと牛乳。鶏は卵。そして共通して糞を目的として育てている。
流石にまだ、食べるために飼育する段階までは至っていない。
年を取ったり、怪我をしたりして働けなくなった家畜を食う事には領民も抵抗が無くなってきたみたいだけどな。
猪や鹿はそもそも定期的に狩って食べてるし、農業で使っている鴨もよく食べられている。雉を始めとした野鳥も同じだ。
「うむ。これらを強く、大きく育てる事は勿論、数を増やすうえでも必要になると思ってな。大豆は人も食べるゆえ、家畜専用の作物を育てるべきだと考えたのだ」
「なるほど、よくわかりました。クマラかヤム。悪魔の植物、そしてビートですな」
「うむ。他にも南蛮の作物の苗や種があれば良いが、とりあえずはそれらを優先してくれ」
成果がいつ挙がるかわからないから、気長に待つ事になるだろうな。
そう言えば、宣教師がそろそろ日ノ本にやって来た頃か。
キリスト教対策も勿論やるべきなんだろうけど、正直畿内より東はあんまり関係無いんだよな。
親爺なり信長なりが京やその周辺を支配するようになったら、それとなく危険性を説いてみるか。
という訳で内政チートの基本の三大作物登場フラグが立ちました。
キャベツやトウモロコシも考えましたが、わかりやすさ優先でとりあえずイモとテンサイで。
大橋重長は重一の弟という説もあります(むしろこちらの方が主流でしょうか?)。重一が大橋定安の養子に入ったのち、定安の子として産まれたのが重長、という事らしいです。
拙作ではわかりやすさ重視のため、重一の息子説を採用しています。ご了承ください。
2018/2/5追記
テンサイは高温多湿の気候で育てると、育ちにくく病気にかかりやすく砂糖が採れなくなる可能性がある作物です。長広の目論見通りにいくのでしょうか。




