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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第五章:三河統一【天文十六年(1547年)~天文二十年(1551年)】
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不運な武将、今川義元 伍

三人称視点です。


天文18年11月。駿河国今川館。

今川義元は激怒した。


「なんだこの要求はぁぁぁあ!?」


九月に今川軍は、遠江の兵を中心としていたとは言え、一万もの大軍を率いて三河へと攻め込んだ。

目標は、先年から今川家による三河支配を邪魔する憎き安祥家の本拠地、安祥城。


岩略寺城、長沢城に昨年から残されていた兵や三河の今川方国人の兵を合わせて、最終的に一万五千にまで膨れ上がったが、安祥城の攻略には失敗。

総大将の太原雪斎を始め、多くの武将が討たれ、攻め込んだ軍も壊滅的打撃を受けた。


山中城に千、岩略寺城に二千、そして長沢城にも二千の兵を残し、駿河へと帰国した軍は、三千にも満たなかったという。

脱走や、帰国途中での落ち武者狩りなどがあったとは言え、昨年から安祥家攻略に用いた兵の実に半分を失ったと言える。


それだけでも憤慨ものであるのに、安祥家から一通の書状が届いた。

それは、太原雪斎の首を返還するための条件を記した書状だった。


太原雪斎は義元の父である氏親に請われて、義元の教育係となった、譜代家臣出身の僧だ。

随分と厳しく育てられたものだが、そのお陰で今の自分がある事は、義元も理解している。


父と兄の死により家督を継いだ義元は、その当時に頼るべき味方はあまりにも少なかった。

そんな彼を還俗して陰に日向に支えて来たのは雪斎だ。


母親である寿桂尼と並んで、義元が最も信頼している人物の一人である。


その雪斎が討たれた。


義元が家督を継いだのちは、今川家の最高顧問として、軍事、外交、政治と頼りにしてきた相手。

三河攻めも、雪斎に任せておけば問題無いと思っていた。

先年の失態も、安祥家という新興の敵の力を図り損ねただけであり、二度目はないだろうと考えていた。


その雪斎の首を返還するための条件を義元は突き付けられた。

未だ一国すら有していないにも関わらず、駿河、遠江の二国を有し、三河にも進出する大大名である自分に。


首をお返しいたしますので、どうか自分達をその傘下に入れて下さい、と頭を下げて来るのが道理であろうに。


憤りながらも書状を広げる。

そして、そのあまりにあまりな内容に、彼は激怒したのだった。


「岡崎城に入っている今川家の家臣の引き揚げ要求!? 岩略寺城とその領地の引き渡し要求!? 一年間の停戦だと……!?」


今川家が誇る、稀代の名臣とは言え、首一つにどれだけの要求をしてくるのか。

ばかばかしい、と突っ撥ねたいところだが、現状それは許されない事は、義元にもわかっていた。


今回多くの損害を出したのは遠江の国人衆だ。


大沢基相に飯尾乗連といった、遠江の実力者が討たれたのは良い。何かと反抗的だった、井伊家も当主の直宗が討死。その息子の直盛も怪我をしたというから、暫くはおとなしく従うだろう。

しかしそれ故に、遠江の支配力が弱まってしまっている。


安祥家を攻めるために再び兵を出そうとすれば、遠江だけでなく駿河からも多くの兵を出す事になり、敵対している北条家がその隙を見逃すとは思えない。

一応は同盟関係にある武田も、信濃では苦戦しているという話だから、弱った駿河に欲を出さないとも限らない。


遠江にも、今川家直属の家臣は多くいるが、彼らを動かせば、遠江で反乱が起きるのは目に見えている。


だから、一年間の停戦は別に構わない。むしろ、その間に今川家が行動する事自体が難しいのだから、遠江を煽られて反乱が起きている間に、安祥家が遠江に侵攻して来る事を防げるのならば、安いものだ。

そのような状況に追い込まれた事自体が耐え難い屈辱であるが、それは甘んじて受け入れなければならない。


感情的になって大局を見失うようでは大大名に相応しくない。

三好に京を追い出され、細川の傀儡に落ちぶれた足利家や、安祥家に与してやっと独立を保てている吉良家の代わりになるのは今川家しかないのだから。


「また憎たらしいのは、この返事には特に期限を設けていない点だ……!」


一見すると、今川家に配慮しているように見えるが、それが違う事くらいはわかる。

何せ、それぞれの条件が履行されなくなるごとに、首を返還するために銭を要求すると書いてある。

三つの条件のうち、全てが履行されたなら銭の要求は行われないが、三つのうち二つしか履行されたなら一千貫文。一つしか履行されないなら三千貫文。そして、どれも履行されないなら五千貫文を追加で要求すると書かれていた。


遠江や三河の普請や治水開墾に投資するならともかく、ただ敵国に支払うだけでこの金額は大き過ぎる。


「しかも段階的な履行は許さないだと……!?」


一年間の停戦をとりあえず受けて、その間に策を練る道は塞がれていた。


期限を設けない事と、この条件を満たせない場合の罰則が設定されている事を合わせて考えると、答えは一つ。


安祥家は、今川家の返事を待つことなく、岡崎城や岩略寺城へ戦を仕掛けるという事だろう。


雪斎の首を諦める、という選択肢は存在しない。

遠江の支配が不安定になった以上、駿河の結束は高めなければならない。

雪斎程の重臣の首を諦めるとなると、家臣達の間に決して小さくない動揺が走るのは、火を見るより明らかだ。


要求をのまない訳にはいかない。しかし、飲むには今川家にとって不利になり過ぎる条件だ。


だからこそ、腹が立つ。

今川家に対して、ここまで強気に出るのが我慢がならない。


そして、強気に出られる事をわかっている安祥長広に腹が立つ。

余程頭が切れるのか、それとも今川家の内情を深く理解しているのか。


どちらにしても、生意気だった。


「折角先月の地震で北条が身動きできない好機が巡ってきておるというに……!」


十月半ば、関東を中心に大きな地震が起こり、北条家を含めた関東の勢力だけでなく、武田の支配する甲斐にまでその影響は及んでいた。

雪斎が安祥城を落としたら、なにがしかの軍事行動を北条家に対して起こそうと思っていただけに、この時機での敗戦は痛い。


「上杉憲政あたりになにがしかの支援を行って関東で行動を起こさせようか……」


しかし、その上杉は自領で大人しくしていれば良いのに、武田と信濃勢との戦いに介入し、大敗を喫していた。

北条の拡大と、敗戦続きによって、山内上杉家から家臣が次々と離反、北条家に鞍替えしてしまう事態になっている。


「松平も上杉も役に立たぬわ……!」


まさに腹の底からひねり出したようなその呻きと共に、義元は手にしていた扇を握り潰した。


「治部大輔様、お気持ちお察ししますが、受け入れるにせよ拒絶するにせよ、返事は早ういたしませんと……」


「わかっておる!」


家臣からそう進言されて、思わず義元は怒鳴り返してしまった。

こういう時に最悪なのは、態度をいつまでも定められず、立場をふらふらさせてしまう事だ。


拒絶するなら素早くすっぱりと。

でなければ、現地の将兵がどのように動くべきか迷ってしまう。


「一年間の停戦を受け入れる。銭はそのうち用意すると伝えろ」


「それで雪斎様の首が戻りますでしょうか?」


「一先ずは要求を飲もうとしたという事実があれば良い。それで駿河の国人は抑えられる。東部の北条寄りの奴らも、安房守の死で大人しくなるだろうからな」


雪斎に従軍し、安祥城攻略中に討死した葛山元清は、かつて今川家に仕えており、後北条家の礎を築いた、伊勢盛時の一族だ。

北条家による河東侵攻に端を発する、河東一乱では、北条家について今川家に反抗した。


その後は、富士浅間神社大宮司の大宮葛山氏を始め、葛山一族は今川家に仕えているが、やはりその支配は不安定だ。


「それよりも、今岡崎や岩略寺城を失う方が痛いわえ」


松平家宗家には最早期待はしていない。しかし、ここで見捨てれば、現在中立の立場を取っている松平家分家は勿論、今川寄りの分家や、今川家に与する分家まで離反してしまう可能性が高い。

岩略寺城を失う訳にもいかない。それは東三河に対する安祥家の影響力の増大を招き、結局松平家分家や三河の国人領主の離反に繋がる。


「ほんとうに、面倒な事をしてくれたわ、異形の虎め……!」


こうして今川家から安祥家への返事は、一年間の停戦だけとなり、それ以外に関しては交渉していくというものになった。

当然、段階的な履行を認めない安祥家は雪斎の首を返還する事を拒絶。交渉も難航する。


それはつまり、今川家が安祥家を攻める事になんの問題も無いという事であり。

逆もまた、然り、であった。


雪斎の首を手札に義元に無理難題を要求。駄目で元々、義元とその周辺の行動を縛れれば御の字程度のものでした。

いよいよ本格的な三河獲りが始まります。多分。


この時代に関東で地震があったそうですが、いつ頃あったのかは調べられなかったので、拙作の都合に合わさせていただきました。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
[一言] 首の返還が遅れるということは、どんどん腐敗が進むということ。吐きそうorz
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