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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第五章:三河統一【天文十六年(1547年)~天文二十年(1551年)】
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第三次安城合戦 捌

三人称視点です。


「撤退だと!?」


大久保忠俊から伝えられた、今川軍の命令に、本多忠高は激昂しつつ聞き返した。


「撤退ではない。後退だ」


「同じ事ではないですか!? 城門はすぐそこ! このまま攻撃を続ければ、必ず突破できるというのに……!」


確かに安祥城の抵抗は激しい。

矢は尽きる事が無いかのように、一日中、今川軍に向けて降り注いでいた。

しかし、その持続時間はともかく、厚みに関してはそれほどではないと忠高は感じていた。


恐らく、安祥城に籠っているのは二千程度。多くても三千程だろうと予想ができた。


ならば、今川軍全軍で押せば、落とせない道理は無い。


「太原雪斎の本陣が、後方から出現した安祥軍によって強襲され、一時的に安祥城攻囲から離れた。それを追って戦線の維持に回った部隊が、先程逃げ帰って来たらしい」


「逃げ帰って? すると雪斎は……」


「そこまではわからぬ。あの怪物宰相がそうやすやすと討たれるとは思わんが。ともかく、三千を超える大軍が、こちらへ向かっているというのだ」


「伏兵……!」


主力を城壁に張り付かせたうえで、用意しておいた部隊で背後を強襲、挟撃する。

よくある手だが、それ故に有効であるし、何より手際が良い。


しかも、主力に柔軟な対応をさせないために、事前に本陣を遠ざけておく程の念の入れよう。


「これが、安祥長広の策か……!」


それに思い至って忠高は愕然とする。

長広の籠る拠点は鉄壁だというのが三河とその周辺の武士の認識だ。

だが、それは単純に、防御の指揮が巧い、という程度の認識でしかなかった。


守るべき城の守りを敢えて薄くして敵を呼び込み、これを挟撃、撃退するなど、常人に考えられるものではない。


籠城戦に強い武将を讃える、鉄壁の名称。しかし、最早そんなものでは語れる相手ではないと悟る。


「どのみち今川軍が一時後退し、こちらに寄せて来る安祥軍の別動隊を迎え撃つ以上、我らもそれに従わねばならぬ」


「……そうですね。我らだけでは、城内への突入は不可能でしょうから。悔しいですが……」


だが、まだ逆転の目はある。

長広が尋常ならざる戦の才能の持ち主だったとしても、それでも人だ。失敗も見落としもある。

現に、奇襲によって背後から襲撃する手はずの別動隊の存在が割れているではないか。


「その別動隊を蹴散らしてしまえば、安祥城城兵の士気も大きく下がるでしょう。そのまま降伏、落城となるやもしれません」


「うむ、気張り所であるな!」


すぐに動くと、混乱が生じるうえに、城兵から背後を脅かされかねない。

ゆっくりと、しかし確実に今川軍は城壁から離れ始める。


そして城壁から一町半ほど離れて、城からの攻撃範囲外に逃れたところで陣を敷き直した。


寄せ手大将は三浦義就という事になっているが、その指示は絶対的ではなく、特に、遠江衆との連携の悪さが露呈してしまっている。

それ故に、彼らの指示は非常に簡潔なものにならざるを得なくなっていた。


今川軍の正面に現れた安祥軍が、そのまま近付いて来る。

数は確かに多い。しかし、今川軍と比べると半分程しかいない。


自分達も攻城で損耗しているが、これならなんとかなる。

そんな空気が漂い始めた時、城から轟音が響き渡った。


「な、なんだ!?」


「雷でも落ちたか!?」


にわかに騒然とし始める今川軍。

そして、その音と共に兵の一部が吹き飛ばされているという情報が伝わり始めると、領民兵から順に隊列が崩れていく。


「お、落ち着け! 城兵が出て来ないのは数が少ないからだ! 故にあのような兵器を使ってこちらを混乱させようとしているに違いない! 落ち着いて前に出よ! 距離が離れれば被害は減る」


叫んで兵を落ち着かせようとしていた鵜殿長持が、ふと空を見上げると、自分に向かって落ちて来る、大量の石を見つけた。


「な……」


それが何かを理解する前に、彼は投石機により射出された岩石をその頭部に受けた。

一つが人の頭ほどもある大きさの岩が、莫大な運動エネルギーを得て直撃した長持の頭部はひしゃげてしまった。その凄惨な光景に、周囲の兵の混乱が大きくなる。


轟音と共に鉄の球が城から飛び、兵の一部を吹き飛ばす。

それと同時に城壁の向こうから石が飛来し、兵士を押し潰す。


更に、鉄砲の音が聞こえると、三河出身の兵がにわかに怯え始めた。


「せ、雪斎様が討たれている!」


混乱し、統制が崩れ始めた今川軍の中でそんな声が上がった。


「敵の旗差を見ろ! 一際高くあげられた旗だ!」


言われて、叫ぶ兵の近くにいた者が見ると、確かに旗には人の首が掲げられているようだった。

流石に、その判別まではできないが……。


「雪斎様だ!」


「雪斎様の首だ!」


そんな声が軍のあちこちで上がり始めると、確かにそうだと思えてきてしまう。


「た、大将が討たれてるじゃねーか!」


「この戦、俺達の負けだ!」


言って逃げ始める者が出ると、多くの兵がそれに倣い始める。


「お、俺は嫌だ! 死にたくねぇ!」


「安祥軍は逃げる兵は討たないって話だ!」


「逃げろ! 逃げれば助かるぞ!」


騒ぎ始めたのは、長広の命令によって今川軍に潜んでいた服部保長の部下達なのだが、その恐怖はすぐに全軍に伝播し、最早彼らとは関係無く、逃げ始める兵が出始めていた。

中には、その動きを止めようと、兵を見せしめに切り殺す武士も現れる。更には、逆襲されて領民兵に討ち取られる武士まで出た。


そんな混乱の最中に、正面からとは言え、安祥軍が突撃して来る。

戦列は簡単に崩れ、迎え撃とうとする兵は、安祥軍だけでなく、逃げる兵までも攻撃し始めた。

当然、今川軍の被害は拡大するし、迎撃の手がすぐに足りなくなる。


「ぐはっ!」


「ふ、伏兵だ!」


更に、統制の取れている一部の部隊も、坑道を通って再び空堀に出現したクロスボウ部隊によって至近距離からの射撃に晒される事になった。


前衛、後衛、本陣という区別がほぼなくなり、本来なら安全な位置にいるはずの将が次々に討たれていく。

指揮官がいなくなれば、精強な今川軍でも烏合の衆と化す。

逃げる領民兵を抑えられず、碌に連携が取れないまま、各個撃破されていく。


「敵の士気を挫くのは兵道の基本。指揮官を狙い、統制を執れなくするのもまた同じ。それ故に、敵もそこを一番に警戒する。それをこうも鮮やかにな……」


部隊の後方で指揮を執りつつ、広虎は感心したように呟いた。

巧みに部隊を動かし、少数で混乱した多数を包囲し、殲滅していく手腕は流石と言えた。

その広虎をして、ここまで見事に敵軍を崩せた戦の経験は皆無だった。


「おっと、いかんいかん」


ある一団の動きに気付いて、広虎はすぐに部隊の一部に指示を出す。

混乱する今川軍の中で、一際強い結束力を誇る部隊が、長広の本隊を目指して突き進んでいるのが見えたからだ。


「この先に安祥長広がいる! 奴を捕らえろ! 生きてさえいれば状態はどうでもいい! 捕らえさえすれば我らの勝ちだ!」


松平勢をまとめあげ、長広目指して突撃するのは本多忠高だった。


「あの旗だ! 太原雪斎を自慢げに掲げるあの旗を目指せ! そこに長広がいる!!」


「諦めよ! 最早今川に勝ち目なし!」


安祥軍の部隊が立ち塞がり、指揮官がそのように叫ぶ。


「今川なぞどうでもよいわ! 長広を捕らえる事ができれば、松平宗家が勝つのだ!」


自らも槍を振るい、安祥軍を蹴散らし、忠高も叫ぶ。


「その安祥長広の奥方は竹千代様の母親。善政を敷く安祥長広が、その竹千代様を、そのご実家を無下に扱うと思うのか!?」


「ぬぅっ!?」


そのように問いかけられて、初めて忠高はその指揮官を見た。


「七郎右衛門殿か! 松平の家臣でありながら、どの面下げて我らの前に現れた!」


忠高の前に立ちはだかった部隊を指揮していたのは、榊原長政だった。

副将である彼がこのような場所にいるという事は、相当長広の近くまで来ているという事だった。

忠高はそこまでは気付ていないようだが、その執念には長政も舌を巻く。


「三河の民のためには、松平家宗家ではなく、安祥家を上に戴いた方が良いと、我が殿が判断されたまでの事!」


「酒井忠尚、あの裏切り者か! 裏切り者には相応しい無残な最期だったそうだな!」


「それが答えなどというのは悲しいものがあるが仕方なし。汝らに罪はない。抱いた幻想を消させぬようにしておる者がいるだろうからな」


「ほざけ!」


長政に向けて槍を振るおうとする忠高の前に、数人の武士が割り込む。

六尺を超える大柄な者ばかりだった。その体格に見合った長い槍を振るわれ、忠高は思わず距離を取った。

領内で体格の良い者を集めて作った力士衆だ。


兵力を均質化するのなら、使いにくい部隊だが、長広直属の親衛隊としてはかなり有用だった。


「がはっ……!」


いかな歴戦の勇将であっても、体格の差と数の差はいかんともしがたく。

力士衆の一人を突き殺し、二人目の攻撃を防いだところで、左右から繰り出された槍が鎧を貫き、脇腹に突き刺さった。


「殿……申し訳、ありません……。忠高は、殿との約束を果たせず……」


「竹千代様は必ず三河に戻られる。安心して逝け」


長政の言葉が聞こえたのか、忠高はそのまま息を引き取った。


「降るなら安祥は其方らを悪いようにはせぬ! 降るか死ぬか選べ!」


忠高が討ち取られた事で、士気が大いに下がった松平勢に長政がそう言葉をかける。


「降ろう、これ以上の戦いは無意味だ」


槍を地面に捨て、前に出たのは大久保忠俊だった。


「五郎右衛門殿、生き残ったか」


「本来あのような若者をこそ生かさねばならぬが、死に損なってしまった」


「其方が死に、平八郎が生き残ったなら、最後の一兵になるまで戦ったであろうから、ある意味で三河の民を救ったのだと思うべきだ」


「……そうは割り切れぬから、我らは松平に仕えたままでいるのだ」


「そうか……」


安祥城前における、今川軍と安祥軍の戦いは二刻にも及ぶ激戦となった。

城攻めで消耗していたとは言え、半分程度の安祥軍によって今川軍が散々に打ち破られたのは、異例の事態である。


損害は両軍合わせて三千にものぼり、累々と死体が横たわる、凄惨な光景が産み出された。


逃げた今川軍兵士は、一部はそのまま帰国したが、多くは山賊や農民の落ち武者狩りにあって、故郷の地を踏む事は叶わなかった。

中には、徒党を組んで安祥領内の村を襲い、警邏衆によって返り討ちにあった者も出た。

更にはその場所が、今川家の領地であったり、今川方の三河国人衆の領地であったりした場合もあり、三河での今川軍の評判は一気に地に落ちた。


こうして、のちに第三次安城合戦と呼ばれる戦いは幕を閉じた。


今川軍は、大将の太原雪斎と、副将の朝比奈泰能を始め、多くの将兵が討死。

特に、岡崎松平から今川へ人質へ出されていた若武者たちで構成された部隊は、その悉くが討たれる結果となった。


安祥軍は兵こそ失ったものの、主だった将は健在。

大国今川の侵攻を退けただけでなく、壊滅させた事で、三河での求心力は急激に増す事になった。


そしてそれは、三河の外へも波及していく事になる。


という訳で第三次安城合戦、終結です。

やはり大規模戦闘になると長くなりますね。AとBがある地点まで進んで真正面からぶつかり合うだけでも、描写に凝ると凄い事になりそうです。これから大変だ……。


姫城包囲部隊は忘れている訳ではありませんので、後日ちゃんと描写いたします。

安祥城北方の矢作川沿岸に置かれた、囮部隊もいますし……。

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