第三次安城合戦 伍
前半が長広の一人称、後半が三人称視点です。
今川軍による安祥城攻めが開始されて五日が経った。
空堀地帯は三日目に突破され、以降は城壁沿いでの攻防が続いている。
「この辺りが限界だろうな」
激しい城攻めの音を聞きながら、俺は呟く。
空堀地帯は突破される事をある意味前提としているので、これは別にいい。
敵を一時的に押し止める事で、突破された際に敵に勢いを与える事が一番の目的だったからな。
勿論、敵軍が寄せてくる勢いに乗って、本陣も前に出て来る事を期待したんだが、そこは流石雪斎だ。
こちらの狙いを見抜いたのか、慎重策を取っただけなのかは知らないけれど、雪斎がいるだろう本陣は、空堀地帯の外側から、更に二百メートル程後方だ。
城壁に取りつかれてからも今川軍の殆どは空堀地帯に入り込んでいるのに、本陣だけは微動だにしない。
せめて空堀地帯にまででも引っ張りこみたかったけれど、これ以上は無理だな。
城門をわざと突破させても、多分雪斎は前に出て来ないだろう。
個人の手柄がいらないなら、本陣を前に出す必要はないもんな。
ちなみに俺が前に出たがるのは、手柄が欲しいというよりも、本陣の奥で構えていると不安で仕方ないからだ。
最前衛とは言わないが、今回で言えば、城門に一番近い、敵から見て最奥の空堀付近で指揮を執っていたい感じだ。
「勇ましいのは良いが、少々家が大きくなり過ぎたな」
とは、今は吉田城にいる広虎の談。
古居も福池も於大までも、これに同意してたからな。
さておき、これ以上は待っても雪斎は前に出ないだろうし、城壁を突破されたら目も当てられない。
今川軍を、というか雪斎を確実に安祥城まで呼び込むために、城兵は最低限にまで減らしたからな。
空堀地帯に二千。城内には千。現在は城壁に取りつかれたので、正面以外の空堀地帯からも殆どの兵を城内に入れて守っているはずだ。
敵を押し止めつつ、城壁まで呼び込むのにも、少なくない損害が出たからな。
「南の部隊はどうだ?」
「万端整っております」
今回副将を務めている榊原長政に尋ねると、頼もしい答えが返って来た。
「今回の戦は儂の我儘だ。本来なら、矢作川の渡河点で迎撃するのが最も損害が少なかった。そういう意味では、討死した者達は、儂が殺したようなものだ」
「今川軍を撃退するだけでなく、雪斎を討たねばこれ以上安祥家が先に進めないという殿の言葉に、全ての家臣が感銘を受け申した。安祥家躍進の礎となるなら、本望でございます」
「そうか。……其方らの忠誠を有り難く思う」
罪悪感から、ちょっと自虐してみたが、それを責められた思いだ。
そこは流石年の功。広虎と言い、松平利長と言い、基本的に俺って爺さん方に負けっぱなしなんだよね。
ああ、雪斎もそうか。
なら、せめて雪斎だけでもここらで昨年の負け分を返しておかないとな。
「では行こう。ここからがこの作戦の本番だ!」
「「「おおおおおおおおおお!!」」」
俺の号令一下、蛮声と共に騎馬隊が飛び出いて行った。
「「「おおおおおおおおおお!!」」」
突然聞こえて来た蛮声と、馬の蹄の音に、雪斎は思わず床几から腰を浮かした。
「何があった!?」
「申し上げます!」
雪斎が叫ぶのと、伝令が陣幕に飛び込んで来るのはほぼ同時だった。
「突如地面から安祥軍が出現! 騎馬のみの少数ですが、こちらへ向かっております!」
「これが狙いか!」
やはり、安祥軍は自分を直接狙って来た。
敵が空堀地帯で粘っていた事から、ただの思い過ごしかとも思ったが、どうやら自分の直感は正しかったらしい。
もとより本陣を動かす気は無かったが、本陣への強襲への備えは怠っていなかった。
回り込まれや、正面突破での突撃を想定していたので、坑道か、空堀かはわからないが、地面から出現するのは想定外だったが、対応できない程ではない。
正面突破なら受け止める自信はあったし、奇襲なら少数だろうから、これも問題無いと考えていた。
「慌てるな! 想定通りに対応させよ! 攻城の部隊を一部呼び戻し……」
言いかけたところで、外から乾いた音が響く。
「なんだ!?」
「申し上げます! 本陣の右翼を守る部隊が壊滅! 敵軍はそのまま背後へと回り込もうとしております!」
「壊滅!? この短時間で!? 相手は少数なのだろう!?」
「騎馬隊が通り過ぎた際に轟音が発せられ、その度にお味方が倒されて……」
「雪斎殿!」
今度は兵士を引き連れて泰能が飛び込んで来る。
「すぐに本陣を移動させる! このままではまずい!」
「何が起きておる!?」
「鉄砲だ! 騎馬隊が鉄砲を撃ちかけてきております!」
「鉄砲……だと!?」
実物を見た事は無かったが、雪斎もその存在は知っていた。
西国の一部で用いられているという、南蛮由来の武器だ。
矢作・緒川の戦いでは、矢作河原の戦いに援軍に来た弾正忠家が少数ながら用いていたという話を聞いている。
「だが、あれは命中率が悪く、馬に乗りながら運用できるものではなかったはず……。それに……」
雪斎の言葉を遮るように、再び銃声が響いた。
「……連射はできないはず……」
馬上で装填できるようなものでもなかった筈だ。
「撤退までは必要無いでしょうが、今本陣の兵を一ヶ所に集めております! 外に逃げると孤立いたしますので、空堀地帯へ入る事になりますが……」
「否、本陣だけを撤退させる。城攻めの部隊の一部を迎撃に呼び戻せ」
安祥軍の、安祥長広の目的は、間違いなく自分。ならば、間違いなく罠がある空堀地帯へ追い込まれるよりは、この場から離れた方が良い、と雪斎は判断した。
「我らがおらずとも、城攻めを続けられるだけの実力はあろう。総大将は三浦義就として、攻勢を緩めさせるな」
「わかり申した。伝令、行け! 松井隊を迎撃に回せ!」
「は!」
泰能に命じられて伝令が陣幕を出る。武士団に守られて、泰能と雪斎も続いて外へ出た。
本陣の部隊と、奇襲に備えた部隊が集結しつつある。
その後方一町程の場所を、十騎程度の騎馬隊が走っている。
少数とは聞いていたが、想像より更に少ない。
馬体が大きい。弓隊が矢を射かけるものの、その機動力についていけていないのがわかった。
銃声が響く。騎馬隊から煙が立ち上ると同時に、数名の兵士が倒れた。
「鉄砲撃ちを別に乗せているのか……!」
それを見た雪斎が、相手の戦法を看破する。
馬体が大きいのは二人乗りを考慮してだろう。見れば、騎手も射手もかなりの軽装だ。
「……! このまま南東へ逃れる! 姫城を包囲している部隊と合流する!」
一瞬、どうするべきか迷うが、雪斎はすぐに決断する。
「確かに、多少距離を離したところで、あれからは逃れられないでしょうからな」
「手管はわからぬが、相手は騎乗しながら鉄砲を続けて放てるようだ。開けた場所で追い込まれれば、それこそ皆殺しとなるだろう!」
弓矢を放ち、相手を牽制しつつ、矢盾を構えさせて雪斎は本陣の移動を命じる。
銃弾は矢盾を貫くが、無いよりはましだった。
その道中で、雪斎は騎馬射撃が、ただの機動力を重視した戦法ではない事に気付かされる。
馬上弓術と同じだ。移動しながら撃てるのは勿論だが、何より、側面への射撃が可能なのが大きい。
正面で待ち構えるどころか、正面に回り込む必要もない。
横を通り過ぎながら、相手を攻撃できる。
敵の矢による反撃を受けにくいのだ。
勿論、あのまま留まっているよりは被害が少ないが、それでも、このままでは、姫城包囲の部隊との合流は不可能かもしれない。
そう思い始めていたところで、騎馬隊が雪斎たちから大きく距離を取り始め、散って行く。
「弾切れか……?」
理由はわからないが一先ず助かった。
「せ、雪斎様! 前方に土煙と旗差し物が……!」
ほっとしたのも束の間。雑兵の報告に、軍配を握る雪斎の手に力が籠る。
「と、止まれ……!」
そして飛び込んで来た光景に、雪斎は思わず声を震わせた。
伏兵がいる。それ自体は驚くべきことではない。
敵が雪斎を討つ事を目的としているなら、雪斎を空堀地帯へ追い込めなかった場合に備えて、伏兵を用意しておくのは当然だ。
だから雪斎は、本陣の部隊だけでなく、その護衛の部隊も連れて撤退を開始したのだ。
数は六百名ほど。鉄砲でいくらか削られたとは言え、そもそもの絶対数が少ないので、損害自体は微々たるものだった。
むしろ、騎馬隊に追いかけられながら、鉄砲を射かけられるという、恐怖による精神的疲労の方が大きかったくらいだ。
多少の伏兵なら強引に突破できる。
雪斎にはその目論見があった。
だが、目の前に現れた伏兵に愕然とする。
人影と旗指物だけでも千は超える数が見て取れる。
伏兵は、先鋒だけで千名。
では全体では……?
「一体、どこから……!?」
泰能が呆然として呟く。
「決まっている……」
誰に言うともなく、雪斎も呟いていた。
「吉田城への援軍が、虚報だったのだ……」
「はは! 殿は凄ぇ事を考えるもんだ!」
長広の号令と共に飛び出した騎馬隊。その馬の背に乗った鈴木重秀は、馬上で鉄砲を構えつつ、楽しそうに叫んだ。
安祥家に仕えてからこれまで、研修と言う名の過酷な訓練の他に、雑賀、根来から来た者達は、鉄砲の射撃訓練も行っていた。
その中でも重視されたのが、騎乗しながらの射撃であった。
勿論、馬を操るのは別の者で、射手は射撃に集中できるようにはなっているが、それでも、揺れる馬上では狙いは定まらず、素早く的の傍を駆け抜けるため、命中させる事は至難の業だった。
しかも、実戦では一町以上離れた位置から当てろと言う。
無茶な、と思うと同時に、面白い、とも思っていた。
そもそもが、南蛮から齎された得体の知れない兵器に飛びつくような連中だ。
未知への挑戦は望むところ、という者が多かった。
馬上での弾込めは射撃以上に難しかったが、玉薬を和紙で包んで簡略化させた早合によって解決した。
しかし、この戦には開発が間に合わなかったため、弾込めを終えた鉄砲を複数持つ事で疑似的な連射を可能とした。
騎馬鉄砲隊は、元雑賀、根来衆のうち、鈴木重秀、的場昌長、土橋守重、岡吉正の四名だけが実戦に投入された。
これは騎馬射撃での命中率の関係もあったが、鉄砲の数がそもそも用意できなかったせいもあった。
護衛とカモフラージュも兼ねて、二人乗りの騎馬を他にも用意。
長広自身が率いると聞いた時は正気を疑ったが、少数で表に出たのちは、戦況の変化に合わせて柔軟に行動しなければならないため、他に適当な者がいなかったのでこれが通った。
敵陣へ突撃はせず、離れた位置から射撃するだけである事と、いざとなれば単騎で逃げられる事も説得材料になった。
相手の側面を通り過ぎる際、先頭を行く長広の騎馬から合図が出る。
それに合わせて射撃。
カモフラージュ部隊も、射手を乗せており、彼らはクロスボウを装備していた。
数名の兵士が倒れるのが見える。
撃ったばかりの鉄砲を素早く左の腰に差し込み、右の腰に差してある、別の鉄砲を構える。
「当たったかどうかがわかりにくいのだけが難点だな。けど、この風を切りながら撃つ感じは、面白ぇ!」
騎馬はそのまま敵陣の後方へ回り込み、再び射撃を行う。
陣幕から数名の兵士が出て来て、数百の塊となって移動を開始した。
「外へ逃げるか……! ち、内側へ入ってくれりゃぁ、もっとできたんだがな……」
空堀地帯へ向かうのではなく、安祥城から離れていく動きに、重秀は舌打ちした。
空堀地帯へ向かうなら、背後から鉄砲を撃つだけで良い。それなら、騎馬を止めての射撃が可能だ。
弾込めも普通に行える。
しかし、安祥城から離れていくなら、追いかけながらの射撃となるため、あらかじめ弾込めをしてある予備の鉄砲、三本分しか射撃が行えない。
その後、鉄砲を撃ち尽くした騎馬鉄砲隊は雪斎の部隊から距離を取る。
「よし、弾込めを終えたら再び襲撃するぞ」
「え!?」
「「はい!」」
稲刈りを終えた田んぼに降りて周囲を警戒しながら長広がそう言うと、副将の長政が初耳だ、とばかりに声を上げた。
逆に、重秀ら鉄砲隊は、歓喜の色を滲ませて、力強く返事をする。
「と、殿、もう十分では? 恐らく今頃は伏兵と接触して壊滅しているでしょうし……」
「雪斎の首はこの目で確認せねばならん。それに、決着がついているなら安全であろう」
「そうですぜ、七郎右衛門様。それに俺達が出て来た坑道は潰してねぇんですから、敵軍に抑えられてるかもしれません」
「この数でそこから帰るのは無理ですね。かと言って、他の場所から城へ入るのも難しいでしょう」
長広の言葉に重秀が追従し、守重が同調した。
「うぬらは……」
このあまりにも武士らしくない若武者たちが、ただ自分の手柄を立てたいだけだという事に、長政は気付いている。
だが、一見筋が通っているだけに反論ができない。
「ともかく、雪斎の部隊を主力から引き離す事には成功した。後はこれを殲滅するだけだ。皆の者、行くぞ!」
「「「おおおお!!」」」
本陣を釣り出すのは、引き込むだけが手ではないという作戦。
伏兵の演出は、ドラの音とともに、広虎を登場させても良かったかもしれませんね。
彼らは元からそこにいたのではなく、安祥南方に小分けにして配置されていた部隊と、吉田城から引き返して来た部隊が合流して出現した形ですね。ある意味、昨年の意趣返しです。




