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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第五章:三河統一【天文十六年(1547年)~天文二十年(1551年)】
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第三次安城合戦 肆

三人称視点です。


「ようやっと今川軍が動いたか……」


空堀の連弩兵から十分に距離を取ったところで、本多忠高は、近付いて来る今川軍主力を見て忌々し気に呟いた。

やっとか、という思いと同時に、何故今なのか、という疑問もあった。


先鋒隊だけとは言え、壊滅的な打撃を受けたのだから、部隊を後退させて、再編と共に次の作戦を練る。

それが普通ではないだろうか、と思ったからだ。


物資に余裕が無いというならわかるが、今川軍はたっぷりと用意してきている。

勿論、使い切ってしまって良いものではないが、それでも、一日、二日で無くなるものではない。


「何か、急がなくてはならない理由があるのか?」


忠高は、雪斎が義元から年明けまでの決着を言い渡されている事を知らない。

それを抜きにしても、あの雪斎が、長広を必要以上に警戒している事を理解していなかった。

実際に何度も戦った忠高たちは、長広の脅威とその異常さを理解しているが、雪斎がそこまで警戒しているとは思っていなかったのだ。


これは、岡崎城にて、松平家宗家の監視を行う、山田景隆らが常々松平家を見下すような態度を取っていた事にも原因がある。

今川家にとって、松平家と安祥家など、取るに足らない地方豪族に過ぎないのだ、というのが、松平家宗家の認識であった。


「阿部様と林様が討死なされた。兵も半数以上が損害を受けた。どうする? 本多殿」


そんな忠高に話しかけて来たのは、石川清兼の次男、石川一政だった。

彦五郎とその母だけでなく、既に広忠に仕えていた長男の康正とその息子の数正が安祥へ寝返った事で、岡崎城内での立場が危うくなった武将だ。

清兼を通して、安祥との繋がりを疑われている事もあって、今回の今川軍の与力に志願した。


「大蔵殿が……」


しかし、どこかほっとしている自分がいる事に、忠高は気付いた。

奸臣だったとは思わない。間違いなく、広忠を支えた功績は重臣の中では一番だろう。

だが、少々今川家に寄りすぎていたとも思っていた。


広忠の岡崎帰参に貢献してくれた事から、多少は仕方ないと思うが、松平家という名前さえ残れば、三河での独立が叶わなくても良い、くらいに思っていた節がある。

現実的に考えれば、それが松平家を残すための有効な手段だとは忠高も思う。

しかしそれで良いなら、安祥家や織田弾正忠家に降った者達と何が違うのか、という想いもある。


松平家宗家の三河での独立。

それは、忠高にとって譲れないものだった。


「今川軍の主力が投入された今が好機だ。これで、安祥軍の攻撃が散る。なぁ平八郎?」


「そうですね。むしろ、ここからが我らの本領でしょう」


大久保忠俊の言葉に、忠高は頷いた。


「今川軍の先鋒もまだやる気だ。先代氏親の頃から今川家に反抗していただけはある」


「後詰の軍も健在です。率いる三郎右衛門殿も、兄が討たれた事で、むしろ義憤に駆られておりますれば」


「ならば参りましょう。せめて一槍つけてやらねば、三河武士の名が廃るというもの!」





「太鼓の音……今川軍が本格的に寄せて来たのか……」


暗い空堀の中で、米津よねきづ政信は呟いた。

多少の光は入ってくるが、草を被せた網で空堀は覆われているため、その中は真っ暗だった。


クロスボウを放てる状態にしたまま、彼らは息を殺してそこに潜んでいる。


「しかし、この連弩は良いものだな。威力はともかく、射程や連射性能は通常の弓に及ばぬが、こうして矢を番えたまま状態を保持できるのは良い」


「訓練も簡単ですしね」


政信の言葉に、部下が同意した。


「雑賀や根来から来た奴らが訓練してる鉄砲は、弾が殆ど見えないせいで、訓練していてもあまり実感が無いからなぁ」


「そもそも連弩に比べれば訓練できる回数が限られてますからね」


弾込めならともかく、実際に弾を撃たない事には訓練成果は上がらない。

実弾での訓練ができても、火薬も弾も貴重品なので、一日に一発撃てれば良い方だった。

そもそも鉄砲の数が足りないので、訓練の機会が回って来ないのだが。


「雑賀の連中も、訓練では弾を使いまわしているせいで、真っ直ぐ飛ばないって愚痴ってましたね」


「その前に、研修で散々走らされて文句言ってましたけどね」


空堀の中に含み笑いが満ちる。流石に、大声で笑うような者はいない。


そこで、政信の膝がてしてしと叩かれた。

見ると、一匹の犬が空堀の外に鼻と耳を向けて、政信を前足で叩いている。


「! か、構え!」


一瞬、その愛らしさになごみそうになったが、その行動の意味を思い出し、政信は部下に命じた。

慌てて部下達もクロスボウを構えて立ち上がる。

その直前に、雑兵が網をひっぱって取り除いた。


「!?」


突然近くの地面から草が取り除かれ、空堀が出現したかと思うと、そこには複数の兵士がいた。

驚き、動きが止まる今川軍。


「撃てぇっ!」


その距離は十間(約18メートル)も無い。

政信の号令と共に矢が放たれ、今川軍の兵士に命中する。


「距離が近い! 二射目急げ! 合図を待つ必要は無い! 準備が出た者から続けて撃て!」


命じながら、政信は周囲を確認する。

どうやら今川軍は、部隊を幾つもの小部隊に分けて進軍させているらしく、近くにいるのは五十人程だ。

それでも、この空堀に籠っているのは三十人程度。しかも、その三分の二は、クロスボウの受渡しとクロスボウの準備係だ。

勿論、接近戦に備えて、全員脇差と長槍を準備させているが。


突然の事態にも冷静な対応に、弱冠二十歳の若武者とは思えない頼もしさを、部下達は感じていた。


今川軍も、すぐに反撃を開始する。

弓では距離が近過ぎると考えたのか、槍隊が前に出て来た。

政信は部隊の半分に射撃を続けさせながら、もう半分には近接戦闘を命じる。

槍の穂先を空堀から突き出すだけで十分効果があると長広から聞いていたが、実際その通りだった。


「ぐっ!」


「小大夫様!?」


どこからか飛んで来た矢が、政信の肩に刺さる。


見れば、三十間ほど先に、五十人ばかりの今川軍が彼らに向かって来ているのが見えた。


「あれは持ち堪えられません! 小大夫様、後退しましょう!」


「やむおえんな……。ジロ、案内を頼む」


傍らの犬にそう話しかけると、犬は一度鳴いたのち、坑道へと入った。


「ジロに続いて逃れよ! この坑道は潰すゆえ!」


犬のあとに続いて、あらかじめ決められていた順番で、兵達が空堀から坑道へと逃れる。最後に政信が身を投じたところで、今川軍が空堀へと入って来た。

しかし、入口を潰すための火薬包の爆発で、彼らは吹き飛ばされる事になる。




「爆発する堀と、伏兵の二段構えか」


寄せ手を指揮する今川軍の鵜殿長持は、平原のあちこちで起こっている、伏兵による奇襲を見て、感心したように呟いた。

今川義元の妹婿であり、三河における今川方の武将の筆頭とも言える存在だ。

矢作・緒川の戦い以降、不手際が続いていた事もあり、元服した嫡男に居城を任せて今回の戦に従軍していた。


「よくも考えたものだ」


安祥長広の発想力に感心すると共に、それを見抜いた雪斎にも感心していた。

先鋒隊が突如現れた伏兵によって壊滅的な被害を受けたのを見て、雪斎は、主力を投入するにあたり、部隊を幾つかの小部隊に分けて、平原内を走査するよう命じた。

その結果、少数が近付いて来たのに反応して、空堀に隠れていた安祥軍の兵が顔を出し、その存在が次々に暴かれている。


もしも大軍を密集させて特に考えなしに進軍させていたなら、伏兵に側面を突かれて、壊乱していたかもしれない。

実際、自分が大軍を任されたなら、そのような策を取っただろう。

被害を最小限に抑えようと思えば、各個撃破の憂き目に遭うのを警戒してしまうものだからだ。


結果的に部隊に被害は出ているものの、空堀の場所が判明し、安全が確保された地帯が確保されつつある。

今日一日で、安祥城を囲む平原が丸裸にされようとしている。


「恐らく今日は城壁に辿り着く程度で終わりだろうが、明日からの安祥軍がどのような抵抗を見せてくれるか楽しみだ」


あれだけ松平家を苦しめた安祥家も、今川家が本気になればこの程度か。

氏親の代から今川家に仕えている鵜殿家だが、西条城が安祥家に降ったのち、吉良家から内応の使者があった。

それに乗らない自分の判断は間違いではなかった、と長持は考えていた。




「今日中に城壁まで辿り着く事は可能か?」


「難しいですね」


今川軍本陣にて、雪斎と泰能が齎される戦況をもとに、今後の方策を話し合っていた。


「小部隊による空堀潰しはうまくいっていますが、向こうも数が多いです。潰したはずの空堀に、いつの間にか兵が戻っていて、再び消えたという話もあります」


坑道を潰したと言っても、火薬の爆発で天井の一部を崩して入口を塞いだだけだ。

スコップを始めとした工作道具が標準装備されている作事衆を使えば、短時間での坑道の修復は可能だった。


平原内のあちこちに空堀が出現し、その中に隠れていた兵から攻撃を受ける。

反撃しつつ、近くの部隊が援軍に向かうと、安祥軍はさっさと空堀から姿を消す。


空堀内を調査し終え、安全だと考えて部隊を通過させていると、いつの間にかそこに敵兵が入り込んでいた。

再びそれを除くために部隊を派遣するが、やはり再び安祥軍は逃げ去り、坑道の入口は塞がれる。

これが繰り返された事で、今川軍の進軍は非常に遅くなっていた。


更に、坑道はあちこちで繋がっているらしく、正面の一際長い空堀は次々と防御の兵が増えているという報告がある。


迂回させて側面は後方を突こうにも、そちらにも空堀があり、伏兵が待ち構えている。

あまり部隊を左右に展開させ過ぎると、今度は各個撃破の危険性が高まる。


しかも、左右に敵の意識を向けさせて正面を薄くさせた後、本陣を強襲するのは、一年前に雪斎が長広を討つために使った手だ。

相手がそれを狙っていないとも限らない。


「正面の空堀を突破できれば、城門までは二十間程度です。しかし、これが中々強固で」


最初は百人程度だったのが、現在は確認できるだけで三百人はそこに備えているという。

野戦で正面衝突するなら何の障害にもならない数だが、体の半分以上を空堀に隠して、連弩による連続射撃を続けている相手は、非常に堅牢だった。


「これでまだ城壁にすら辿り着いていないのだ。拠点に籠る安祥長広の恐ろしさを実感させられるな」


「城壁に辿り着くのに、長く見積もって三日でしょうか。その後の城壁を攻略するのに、また三日?」


「水堀と石垣の組み合わせは、正直今の装備では相当な損害を覚悟しなければ攻略できぬであろうな。城門を攻略する事になるであろうから、もっと時間がかかる可能性がある」


「そして曲輪ごとの攻略にも時間がかかる訳ですか。やれやれ、これは骨ですな」


「城内に一度に突入できる数が知れておる以上は仕方あるまい。大軍で城を攻める場合、囲んで迎撃の手を足らなくするか、連続で突入させて押し込むかという事になる」


「しかし、雪斎殿は城を囲む手をお取りにならなかった」


「……嫌な予感がしたのでな」


泰能の言葉に雪斎は言葉を濁した。

実際、直感以上の理屈は無かった。

左右に広げて城を囲めば、確実に負けるという、妙な直感が雪斎を襲ったのだ。


それは昨年の戦いで雪斎が長広を討とうとした策への意趣返しを警戒したのかもしれない。

城を囲むために部隊を広げることで、各軍の厚みが失われる事を恐れたのかもしれない。


攻撃を一点に集中すれば、こちらが一度に攻められる数に限りがあるのと同時に、相手もそこを守るために配置できる兵には限りがあるのだ。


勿論、どちらが良いかは一概には言えない。それは敵の対応によって変化する。

だから雪斎は、自らの直感に従った。

それはきっと、これまで生きて来て培われて来た経験から導き出されたものであると思ったからだ。


言うなれば彼は、自分の五十年を信じ、これに賭けたのだった。


個々で見れば今川軍が勝っているし、徐々に確保した地帯も増えている。

しかし、全体で見ると、その動きは非常にゆっくりとしたもので、攻勢にも支障が出ている。

しかも確保した地点が再び危険地帯となったりする。

ゲリラ戦ってやっぱ凶悪ですよね。

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― 新着の感想 ―
[一言] >やむおえんな…… 已むを得ないですので、を、が正しいかと思います。
[一言] いやー本当に戦国じゃなくて世界大戦の塹壕戦みたくなってますな 全く無い、訳ではないですが中々に珍しい展開と言えるんじゃないでしょうか
[良い点] ない [気になる点] 歴史知っててこれはないな [一言] 歴史に戻そうとするのに無理があるのと展開遅くて飽きます。
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