第三次安城合戦 壱
三人称視点です。
天文18年九月。
収穫を終え、物資を整えた太原雪斎は、遠江の兵を中心に一万を率いて三河へと入った。
吉田城には安祥家の兵五千が入っているという事で、慎重に進みながら、長沢城の兵と合流。
長沢城と岩略寺城にそれぞれ二千を残し、山中城経由で安祥城へと向かう。
情報の入手と漏洩の防止には殊更気を遣った。今のところ、おかしなことは無いように思えた。
今川軍と入れ替わるように東三河の勢力も、長沢城と岩略寺城に入るが、その数は合計で二千ほどと少ない。
昨年の安祥攻めの際、東三河の領地では一向宗による一揆が起きた。
これを起こしたのは安祥家と結んだ本證寺だと言われており、彼らはこれを警戒したためだ。
東三河では曹洞宗の影響力が強いので、それほどの被害にはならなかったとは言え、領地を空にする事はできなかったのだ。
二連木城が既に田原戸田家と織田弾正忠家によって落とされていたため、三河と遠江の国境を守るためにも、東三河の勢力は頼りにしたかった雪斎であったが、こればかりはどうしようもなかった。
今川も、駿河、遠江の支配過程で寺社勢力とは争っている。彼らの厄介さはよく知っていたからだ。
大軍の渡河は時間も人手も物資もかかるため、雪斎は少しでも安祥城攻めに余力を残そうと、矢作大橋を使っての渡河を考えていた。
今年のはじめ、広忠の死亡に連動して、安祥城によって上和田城が落とされている。
しかし、今川軍に再び奪取される事を警戒したのか、あまり手を入れていないと聞いていた。
それでも援軍が上和田城へ入ってしまわないよう、二千の兵を岡崎城から南西の地点で渡河の準備をさせておき、その隙に上和田城を強襲した。
二刻ほど抵抗した上和田城城兵は、今川軍の隙を突いて脱出し、撤退。上和田城は陥落した。
その動きの速さと、城に残された物資の少なさから、元々碌に抵抗する気が無かった事が予想された。
嫌がらせ程度の時間稼ぎとは言え、今川軍は大軍だ。
一度動きを止めてしまえば、進軍の再開には時間がかかる。
そして、大軍ゆえに、消費する食料の量も多い。
現地徴発をしようにも、安祥軍は予想される今川軍の進軍経路上の村から人々を避難させており、井戸から水を補充するくらいしかできていない。
それも、略奪のために軍を止めていては、消費と補充の差が殆どなく、むしろ、食料が余分に減るだけ損をしていた。
安祥家の支配下にない領地は、今回今川軍に協力している勢力の領地だ。
そんなところで現地徴発などしては、遠征自体が不可能になってしまいかねない。
勿論、銭を払って三河から物資をかき集めているが、やはり足元を見られているようで、思ったより集まらない。
一万人が半年は戦えるだけの物資を持って来ているが、そのせいで非戦闘員の割合が多くなっているのも確かだ。
安祥城攻略に時間がかかれば、知多の水野家や三河南部の吉良家、そして、織田弾正忠家の援軍がやって来る事は想像に難くない。
やはり、渥美半島、吉良家、と時間をかけても順番に潰していった方が良かったのではないか、という思いが雪斎の中にはある。
義元の説得が厳しいが、できない事はないだろうとは思っている。
しかし、そのためには北条家をなんとかする必要があった。
西尾湊からの交易船が伊豆に入っていて、北条家と交易を始めたという話が聞こえて来ていた。
北条家に備えるためには、駿河にまとまった兵力を残さなければならない。
やはり、三河を攻めるなら、北条家との外交関係を良くしてからだ、と雪斎は改めて思った。
この遠征に失敗したなら、その辺りを義元に提案してみよう、と考えていた。
遠征の失敗の叱責は受けるだろうが、自分と義元が築いて来た信頼関係は、この程度では揺らがないと考えている。
もしも義元が自分を捨てるというなら、それは間違いなく、自分が老いてしまったが故の力不足だ。
潔く、腹を切ろう。
その際に北条との関係改善を言い残せば、義元と言えど聞き入れてくれるだろう。
東橋元町に入る。管理しているのは松平家宗家家臣の鳥居家の者だが、あまり協力的ではない。
とは言え、ここであがる税収の一部が直接ではないが今川家にも流れてくるため、悪印象を持たれる事は避けなければならない。
留まれば兵らの規律が緩むのは目に見えていたので、素早く抜けて、橋へと向かわせる。
矢作・緒川の戦いでは、矢作大橋を焼き落とされたと聞く。
対岸には安祥軍が布陣しているようだが、それでも通らない訳にはいかない。
勿論、橋だけを使うのではなく、矢作川東の勢力にあらかじめ用意させておいた船や筏も使用しての渡河だ。
多少の攻撃は受けたが、反撃すると安祥軍はすぐに逃げ去ってしまった。
追撃隊を編成し、深追いはさせないようにと念押しさせて追わせる。
退路を確保するため、橋の守りに五百の兵を残して本隊も進軍する。
西橋元町は安祥家の管理下にあるせいか、略奪を恐れて人々は居なくなっていた。
一刻ほど略奪を許可したが、碌な成果が上がらなかったので、すぐに進軍を再開させる。
矢作大橋と安祥城の間には姫城がある。
追撃部隊は結局逃げた安祥軍に追いつく事はできず、相手は姫城に入ったという。
姫城は、矢作・緒川の戦い以降、その防衛力が強化されていると聞いていた。
付近の村人も、多くが姫城城内へ逃げ込んだという。
籠城戦で彼らは単純な戦力になる。
安祥城を攻める前に、姫城を相手に苦戦させられる訳にはいかない。
三千の兵を使って姫城を慎重に包囲する。
相手から反撃もあったが、特に問題なく包囲に成功した。
一度試しに攻城を試みたが、城の規模に相応しくない強烈な迎撃を受け、失敗してしまった。
これに拘るのはまずいと考え、雪斎は姫城を包囲したまま素通りし、安祥城へと向かう。
小さな戦はあったが、これまでの道程は、はっきり言って肩透かしばかりだった。
雪斎こそ、安祥長広の策を警戒し、慎重な態度を崩していないものの、他の将兵、特に、松平家宗家から与力された武将達は、焦れていた。
雪斎はこれまでの進軍が順調過ぎだと思っていた。
更に言えば、相手の手際が良過ぎる。
上和田城城兵や、矢作大橋の防衛隊もそうだが、安祥家の支配下にある村や町の人々が、皆いなくなっているのが不気味だった。
今川軍が来たので慌てて逃げたにしては、残されているものが少なかった。
敵軍による略奪の被害を抑えるため、領民をあらかじめ避難させておくのはよくある手だが、しかし、徹底され過ぎている。
まるで最初から、安祥城での決戦を望んでいるかのようだ。
有り得ない、とは思う。
本領である安祥城は、それこそ、安祥家が最も守るべき場所だ。
ここを危険に晒さないために、支城は築かれる。
前線の城は攻撃の拠点としてだけでなく、敵の攻撃を受け止める壁でもある。
いくら最も強化が進んでいるからと言って、最初から本拠地で敵を迎え撃とうとする者はいない。
だが、そんな誰もが考えなかった事を成すのが安祥長広ではなかったか。
野戦では引き分けに近い結果だとは言え、敗れた。
ならば、得意の籠城戦で今川軍を叩き潰そうと考えても不思議ではない。
少しずつ城や領地を削られて、民心を失うくらいなら、最初から最も防御力の高い城に敵を引き込んで、これを撃破する。
悪くはない考え方だ。だが、これまでの武士には無かった考え方でもある。
普通の武士なら、敵が本拠地へ来るまでに、その間にある領地が荒らされてしまうと考える。
撃退に成功しても、領民の支持を失う事を恐れる。
それこそ、敵にその領地を支配されしまい、本拠地が攻略される事無く、降伏を余儀なくされることだって考えられる。
そうだ。どれほど革新的な考えの持ち主だとて、これは考えられない。
敵に自らの領地を差し出す意味しかない。
敵が、本拠地を攻略する事だけを考えて、他の領地を無視するとわかっていない限り……。
その考えに至り、雪斎の背筋が震えた。
今川軍の三河侵攻、それ自体は動きを掴まれていたとしても、果たして、安祥城を直接攻める事まで読めるだろうか。
常識的に考えれば、渥美半島の支配権を確立させようとしているとみるのではないだろうか。
数年をかけて、渥美半島、三河南部、と順番に支配していく事を、予想するのではないだろうか。
吉田城を素通りしたのを知って対応したのだとしても、動きが素早過ぎる。そもそも、道中の村や町に領民がいない事は報告にあっても、逃げ出した事、逃げている途中という情報は入って来なかった。
最初から、今川軍の狙いが安祥城である、と確信していなければできない動きだ。
仮に、安祥城を直接攻撃する事を予想できたとしても、果たしてその確率はどのくらいだろう。
その一点のみに賭けて、ここまで準備をできる者がいるだろうか。
今からでも目標を変えるべきか?
姫城を全力で攻めれば、安祥城から兵が出て来るのではないか?
だがそれこそが敵の目的で、姫城の攻略に手間取っている間に、尾張から援軍が来たら?
吉良家の別動隊に矢作大橋を落とされたら?
今川軍一万が、まるごと殲滅されてしまう。
それを考えるなら、三河に入った時に考えるべきだった。
ここまで来てしまった以上、今川軍には安祥城を攻略する以外に道が無い。
姫城から安祥城までの途中にある村や町も、閑散としていて人っ子一人いなかった。
略奪をさせようにも、これまでと同じく、碌なものが残されていない。
多くの建物や、整った田畑が安祥家の発展ぶりを教えているが、それ故に、何の成果も挙げられていない事に、兵達は苛立っていた。
そして安祥城に辿り着く。
背の低い木製の柵に囲われた平地。
三町(約三百メートル)ほどが城まで続く、贅沢な土地の使い方。
その先には水堀と、石垣が組まれた高い城壁。
櫓の数も多く、いかにも難攻不落だと見えた。
この城を落とすのに、果たしてどれだけの損害を覚悟しなければならないのか。
これまでの人生で幾つもの城を落としてきた雪斎だったが、全く予想がつかないのは初めてだった。
進軍経路と、その周辺の情報が流れていたから今まで気にしていなかったが、事ここにいたって、雪斎は今更ながら、安祥城の情報が何もない事に気付く。
どのような縄張りなのか。どれだけの兵が詰めているのか。どんな防御施設があるのか。
迂闊だった。
どうやら、冷静さを保っているというのは思い込みで、雪斎自身も、気が急いていたのだと思い知らされた。
だからと言って、ここまで来て止める訳にはいかない。
流石に、一万を受け止める程の力はないだろう。
そんな希望的観測に縋って攻撃命令を出さなければならない事に、雪斎は頭痛を覚えた。
安祥城を陥落させれば、安祥家の領内はこちらの味方となるだろう。
だが、それは今川軍が無事であった場合の話だ。
弾正忠家や水野家の援軍に囲まれて絶体絶命、となれば、領民も今川軍の味方をしないに違いない。
そう考えると、松平家の与力武将が熱っぽく語っていた、長広捕縛こそが最良の手に思えて来る。
安祥城を落とし、長広を捕らえ、彼を人質に、安全に駿河まで帰る。
本来、城攻めで城主を捕らえるというのは有り得ないほど確率が低い。
だが、安祥長広は民に優しいと聞く。
領民の安全を保障すれば、城が落ちるとなった時には自害ではなく、捕虜となる可能性はあった。
更に長広と竹千代の人質交換でも提案すれば、松平家を臣従させるという点においても、一石二鳥だ。
ならば、それを目標とするしかない。
そしていよいよ、安祥城への攻撃が命じられる。
安祥城側は不気味なほど静かだ。
ここまで来て、空っぽという事はないだろうが、そうだと言われても納得してしまうくらい、反応が無い。
松平家与力勢を中心にした先鋒が平地へと侵入する。
カラボリ アリ
などと書かれた立札があったが、見渡す限りの草原だ。
本当にあるのかどうかもわからないし、あったとしても場所がわからない以上、考える意味は薄い。
蛮声と共に先鋒二千が突撃していく。
そこへ、安祥城から一本の矢が放たれた。
城壁の櫓からとは言え、三町近い射程に雪斎は驚愕すると共に感心した。
源平合戦の頃には、それくらいの射程距離を誇る長弓を使う武士も居たと聞くから、それ自体はおかしくない。
だが、この時代の戦においては、既に廃れた技術だ。
その矢は火矢だった。
矢盾を掲げさせて防がせようとするが、どうも軌道的に、先方の前方に落ちそうだ。
そして火矢が地面に刺さったと思ったら、そのまま地面の中へと吸い込まれていった。
空堀がそこにあるんだ、と理解する前に、目を灼く程の光と、耳を劈く轟音。そして、大人を軽々と吹き飛ばす衝撃が、先鋒隊を襲った。
台詞の全くない造りになってしまいましたね。
どこかで雪斎を喋らせようとも思ったのですが、逆にチープになりそうだったので演出優先としました。ご了承ください。
敵地を抜けて本拠地を強襲。奇襲としてならかなりの効果が望めますが、待ち構えられていては無謀も無謀。後詰の本隊が別にいないなら尚更。
率いているのが義元なら途中での目標変更もありだったのでしょうが、安祥城攻略を命じられてしまっていますからね。難しいところでしょう。




