雑賀と根来
天文18年五月。松平広忠死亡の報が流れる。
俺達はスパイとして松平家に仕えて貰っている、鳥居忠吉によって、翌日のうちにその情報を得ていたけれど、周辺領地や松平家分家にはこの時初めて伝えられた訳だ。
事前に準備できていたので、素早く動く。
まずは能見、青野両松平家に調略をかける。
青野松平家の協力を得られたので、二千の兵を率いて出陣。上和田城を再奪取する事に成功した。
元々西側の防御が弱かった事もあるが、城主になっていた大久保忠俊が、広忠死亡の混乱で岡崎城に詰めていたのが大きいな。
能見松平家は態度を保留にしたままだ。
分立から宗家を支える忠臣だが、現当主、能見松平三代目、松平重吉は、宗家に従軍した戦で三人の息子を失っているので、乗って来るかと思ったんだけどな。
滝脇松平家に付き合わされて嫌気が差しているんじゃないかとも思ったんだけど、そんな事も無かった。
また、かつて西三河で連合をつくり、松平家に抵抗していた寺部城の鈴木家がこちらの調略に応じた。
開発が始まるまでは城も領地もそのままだが、矢作川東岸の北部にも進出できた形だ。
義父である佐久間さんも東へ東へと少しずつではあるけれど支配領域を広げている。
山間部であるためか、強力な豪族が存在せず、松平と繋がっている勢力も、さっさと城や領地を捨てて松平家へ庇護を求める事が多いので、戦らしい戦が無くて楽だそうだ。
佐久間家はうちからの技術供与で段々畑や果樹園、桑の生育による養蚕などで収入増加が見込めるから、山間部でも領地を広げる旨味が十分にあるんだ。
林業は小勢力だと維持が難しいからな。
しかし、そうか、広忠死んだか……。
割と一方的にライバル視されていた気がするけど、於大との関係もあって、俺も少なからず意識していたからな。
多分、降す事は不可能だっただろうし、仮に家としては降っても、広忠自身は自害か逃走していたはずだろう。
俺としても、下手に出てまで登用する気は無かったしな。
嫌っていたり、憎んでいたりしていた訳じゃない。
俺が嫌われる理由も、憎まれる理由もわかっているから、広忠からの感情を理不尽だと感じた事も無い。
それでもやっぱり、人から嫌われるってのは、心に負担がかかるよな。
殺害したのは義父さんの家臣だって話だけど、義父さんはそんな指示を出していないそうだ。
広忠殺害の二ヶ月前に、松平家宗家を出奔、佐久間家への仕官を願い出ていたらしい。
間者の可能性が高いから、義父さんは登用に難色を示していたところで起きた事件だ。
広忠の首を土産にしようとしたんだろうか?
お家騒動の可能性もあるけど、新しい当主は就任せず、暫くは当主不在でいくらしいから、その辺りもわからんな。
松平家を完全に支配しようとした今川家の指示か?
義父さんに仕える気は無く、先にそう願い出ておけば、松平家家臣による殺害でも、今川家の指示を受けた暗殺でもなく、佐久間家による敵対行動だと言えるからな。
広忠を失った悲しみも怒りも、全部外へ向けられる。
分解しそうなほど危うい状況に追い込まれている松平家宗家を纏めるには、良い手かもしれない。
……広忠自身の指示とかじゃないだろうな。
三河を二百年にわたって支配してきた武家の名門、その末裔だけあって、広忠も武略とか、戦に勝つための戦略には長けていたからなぁ。
敵の敵を使う手段とか、流石と言えたよな。
俺ができる敵の敵への働きかけなんて、敵と戦ってる間邪魔しないで貰うようにするくらいしか考えてなかったのに。
元々の同盟相手ならともかく、敵の敵に援軍を頼んだら、その後の謝礼で揉めそうじゃない?
敵の領地の分断統治とか言い出されるかもだし。
ある種、先の事を考えていない、目の前の事態にだけ対処する、戦国武将らしい発想ではある。
けれど、それが思いきりの良さに繋がって、こちらにとっては非常に嫌らしい一手を打ってこれる訳だ。
ともあれ、三河支配のための一番の障害は取り除かれた。
背後にいる今川を警戒していたせいもあるとは言え、俺が安祥城城主になって約九年か。
忙しくしていたからあっという間だったけど、改めて長かったな。
さて、あとは今川家とそれに従属する勢力をどうするかだけど、できれば早いうちに太原雪斎を討っておきたいんだよな。
桶狭間も、雪斎がいれば負けなかったとか言われてるくらいだけど、甲相駿三国同盟の締結も、雪斎の尽力によるものだって話だから、これをなんとしてでも阻止したい。
同じ全力でこちらと戦うとしても、背後を気にしないでいいかどうかは、やっぱり大きいからな。
親爺と北条は文でやり取りをしているそうだから、そっちから働きかけて貰うのはありだ。
商用の船を北条へ向かわせて、多少あちら有利でもいいから交易を始めるのもいいな。
これからしっかりと考えていこう。
さて、この月、待ちに待った人材が安祥城を訪れた。
安祥城の評定の間で、俺の前に数人の若者が座っている。
みな日に焼けた肌に、整えられていない髭とボサボサの頭。
顔の右半分には、火傷にも似たそばかすが散っている者が多い。
「よくぞ参られた。儂が安祥家当主、安祥三河守五郎太夫長広である」
「鈴木家惣領、雑賀党党首、鈴木佐太夫重意の弟、鈴木孫市重兼でございます。お招きに応じ、参上いたしました」
先頭に座った中年武士が頭を下げると、後ろに座る若武者も頭を下げる。
「佐太夫重意の三男、鈴木孫一重秀と申します」
「雑賀衆、的場源四郎昌長と申します」
「雑賀衆、土橋若太夫守重と申します」
「雑賀衆、岡太郎次郎吉正と申します」
「雑賀衆、佐武源左衛門義昌と申します」
「根来衆、津田算長が三男、津田太郎三郎有直と申します」
「根来衆、芝辻清右衛門と申します」
なんか『まごいち』二人いるんですけど……。
ゲームとかだと、所謂雑賀孫一って、重秀の方だよな。重意もなんか聞いたことある。
雑賀孫一は、雑賀党党首が代々受け継ぐ名前、とか前世で聞いたり見たりした記憶があるから、重意の血筋になる重秀が本物の孫一で、重兼の方はただの輩行名なのかな?
でも、三男とは言え、孫一名乗ってる息子を送り出すか?
土橋守重は根来衆とも繋がりのある雑賀衆。
こちらが声をかけたのは根来衆が先で、雑賀衆はこの守重の繋がりで連れて来て貰った訳だ。
雑賀衆は紀伊半島北部を横断するように流れる、紀ノ川の下流域の平野に興った土豪の一族だ。
複数の技能集団の寄り合いが雑賀衆であるから、雑賀衆の中でも複数の勢力が存在している。
前世において、織田家と雑賀衆が敵対する事になった時も、織田家についた雑賀衆もいたからな。
津田有直は俺と同い年くらいの青年だ。彼の父親が、紀伊半島に鉄砲を持ち帰ったらしい。
雑賀衆をはじめ、紀伊の豪族は、加太の港を使って西国との貿易も行っていたらしく、琉球との交流も一時はあったそうだ。
その繋がりで、津田算長は種子島から鉄砲を譲り受けて、持ち込んだ訳だな。
そして俺より少し年上くらいの青年の芝辻清右衛門が、この鉄砲の試作に成功し、紀州一号を完成させた鍛冶師だ。
うん、欲しかった人材はきちんと確保できたみたいだな。
「新三郎殿の話によると、我らを傭兵としてではなく、家臣として雇いいれたいという事でしたが……」
「うむ。領地などはなく、俸禄での雇用となるが良いだろうか?」
わざわざ田原城奉行の任を解いて、西尾吉明に紀伊に赴いて貰った価値はあったな。
「俸禄は、拙者が年に二十貫文(約二百万円)、若い者らは十五貫文という話だが、本当だろうか?」
「その条件には少々誤りがあるな」
俺が訂正しようとすると、重兼はやはり、という顔をする。
「それは研修期間中での俸禄であり、おおよそ三ヶ月ののちには、それぞれ五貫文ずつの加増が行われる。鉄砲衆として部隊を率いるようになれば、更に加増がある」
「は……?」
みんなこういう反応をするな。
ある程度の銭勘定ができる領主や城主は勿論だけど、彼らは傭兵業も営んでいるからな。
銭の価値というものがわかっているせいもあるだろうな。
「い、いくらなんでも気前が良過ぎる! 我らに一体何をさせるつもりか!?」
「其方らの持つ技術にはそれだけの価値があると判断したまで。戦には出て貰うから、命の値段と考えればむしろ安いのではないかな?」
「あ、う……む……」
「あのう……」
あまりの好待遇に、何かの罠ではないかと逆に疑ってしまった重兼が口を噤むと、清右衛門がおずおずと声を上げた。
「うむ、発言を許す」
「ええっと、そうなるとオラの五十貫っちゅーのは何かの間違いではないでしょうか? 武士ではなく、職人として招かれたんだが……」
清右衛門の言葉に、一斉に振り返る雑賀の若者たち。
「其方の技術にはそれだけの価値があると判断したまでのこと」
「し、しかし……」
「これからの戦は鉄砲が重要になると儂は考えておる。雑賀の者達が使用する鉄砲を作るのは其方だ。つまり、其方の技術が無ければ、彼らの価値も減ってしまう」
「か、過分なご評価をいただき、ありがとうごぜぇます……」
重兼や有直はともかく、雑賀の若い奴らは不満そうだな。
まぁ、ある意味、清右衛門がいなかったら、お前らは役立たずだと言われたようなもんだからな。
「先程も申した通り、其方らには将来的に鉄砲衆を率いて貰う事になる。そのためには、大量の鉄砲が必要だ」
「そ、それをオラが造るんですね?」
「それだけではない。其方には、鉄砲鍛冶の育成にも携わって貰う」
「鉄砲鍛冶を育てるって事ですか?」
「そうだ。一人で造れる分には限界があるし、其方に何かあった時、鉄砲の生産が止まってしまう。これは雇用してからの話にもなるが、其方に無理をさせないためにも、定期的に休みの日を設けるつもりであるからな」
「そ、そこまでしていただけるとは……! わかりました。この芝辻清右衛門、全身全霊を懸けてお仕えさせていただきます!」
「うむ、よろしく頼む。其方が望むなら武士として取り立てても良い。勿論、戦に出る必要は無い。名前も好きに名乗って良いぞ。いずれは官位の推挙も行おう」
「い、今はこれで十分です!」
並べられるだけの飴玉を並べたら、逆に恐縮させてしまった。
「そうか。まぁ、覚えておくだけでも良い。さて、孫市重兼」
「はは」
改めて、雑賀衆に向き直る。
「其の方らは如何いたす?」
「我々の持つ技術を高く評価していただき、恐悦至極に存じます。鈴木孫市重兼、三河守様に忠誠を誓わせていただきます」
「津田太郎三郎有直、三河守様に忠誠を誓わせていただきます」
重兼に続いて、有直が即座に頭を下げる。
雑賀衆の若者らも次々に頭を下げ、そして、
「鈴木孫一重秀、三河守様に忠誠を誓わせていただきます」
若き八咫烏が頭を下げたことで、彼らは全員、安祥家の家臣となった。
雑賀孫一と鈴木家に関しては諸説ありますが、拙作では本文のように設定させていただきます。ご了承ください。




