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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第五章:三河統一【天文十六年(1547年)~天文二十年(1551年)】
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信長の輿入れ

三人称視点です。

サブタイトルは誤字ではありません。


織田弾正忠家の直属の上役である織田大和守家を倒し、尾張下四郡を信秀は支配する事に成功した。

更に、織田大和守家前当主、織田信友に殺害された、尾張守護、斯波義統の息子、岩竜丸を保護し、尾張支配の正当性を確立。

残る守護代、織田伊勢守家に対する圧迫を強めた。


美濃国を治める斎藤利政は、この信秀の鮮やかな勢力拡大に、弾正忠家との同盟を決めた自分の決断は間違ってはいなかったと確信に至った。


「いよいよ明日、其方は尾張の織田弾正忠家に嫁ぐ。最後の確認だが、異論無いな?」


自室にて、利政は娘の帰蝶姫と話をしていた。

彼の目の前にいるのは、歳の頃、13~14程の少女だった。

美濃一の美姫と謳われるだけあり、整った顔立ちに、妖艶な雰囲気を纏った美少女だった。


「もとよりこの身は斎藤家のもの、父上に命じられたならば、如何様にも従う所存でございます」


はっきりとしたよく通る声でそう言うと、流麗な仕草で頭を下げた。


「相手はうつけと噂の弾正忠家の嫡男。何か思う所は無いのか?」


「はい。父上のご命令とあらば」


一見すると自主性が無いかのような返答だが、笑みを浮かべながらも、しっかりと利政の目を見つめて来るその姿に、利政は溜息を吐いた。

帰蝶はわかっているのだ。国主としての利政は、この婚姻を進める事が大事だと考えている事を。

これで男子であったなら、と思わなくもない。

間違いなく、子供達の中で最も利政に似ているのは帰蝶だった。


「これを持っていけ」


そう言って、利政は一振りの脇差を差し出す。


「もしも嫡男が噂通りのうつけであったなら、これで刺すが良い」


そして、父親としての利政は、世間にうつけなどと噂が流れる男に、娘をやりたくないとも思っていた。

二十年前、否、守護代の頃の利政であったなら、このような事は思わなかっただろう。


自分が年老いた事を思い知らされるが、同時に、それを悪くないと思っている自分もいる。


「承知いたしました父上。しかしご注意ください」


脇差を受け取った帰蝶は、一層笑顔で言った。


「私も蝮の娘。この牙が、親の腹を突き破る事もございますれば」


「くっ、ふふ、はっはっは! よい、それでこそだ!」


その言葉を聞いて利政は本当に楽しそうに笑った。

やはり自分に一番似ているのはこの娘だ。これほど笑ったのは久しぶり、否、ひょっとすると初めてかもしれない。


「帰蝶よ、これは国主ではなく父親として、恐らく儂が一生で一度だけ言う言葉だ」


「はい」


「家より、人より、自らの幸せを優先せよ」


「しかと心に刻みました、父上」


こうして帰蝶は、織田弾正忠家に輿入れする事となった。




「若殿、そろそろ古渡城へ向かいませんと、婚姻に間に合いませんよ」


輿入れの日、信長は変わらず着崩した湯帷子を身に纏った格好で、尾張領内の散策に出ていた。

ただ違っていたのは、いつもはあちこちを巡るのだが、那古野城近くの河原の土手に寝ころび、そのまま動かなくなってしまった事だ。


信長の子分達も、最初はそんな信長に倣って土手に寝ころんでいたが、すぐに飽きてしまったようで、河原で槍の鍛錬や、相撲、水練に興じていた。


信長に話しかけたのは、一人の青年武士だった。


「どうせ城に到着したのち、準備で時間がかかるのだから、少し遅れるくらいで丁度よいのだ」


「若殿も準備をしなければならないでしょう? まさかそのまま出るおつもりですか? 聞けば元服の儀もその姿のまま出ようとしたところを、平手様や安祥様に止められたとか?」


「うるさい、三左。あまりゴチャゴチャ言うようだと、もうつれてこぬぞ」


「それは困りますね。犬千代に槍の指南を頼まれていますし、平手様や勝三郎からは若殿の護衛を任されておりますからな」


「ならば黙っていろ」


青年の名前は森三左衛門可成。元は土岐頼芸の家臣だったが、頼芸が利政に追放されたのち、斎藤家に仕えずに美濃で牢人となっていた。

先年、信秀に招かれて一族ごと弾正忠家に仕え、可成は信長の家臣となっている。


「しかし、元服の儀ならば家内の評判が悪くなるだけで済みますが、婚姻となると他国の評判も絡みますからね。それがわからぬ若殿でもないでしょう?」


「ふん……」


勿論、信長にもそのくらいはわかっている。

わからないのは信秀の胸中だった。


嫡男の嫁に他国の姫を連れて来て婚姻同盟を成す。

それはよくある事だし理解できる。

だが、信長に普通の姫をあてがうとはどういう事だ。


家臣の娘や、国内から姫を連れて来るならともかく、他国、それも謀略を得意とする斎藤家の娘だ。

そんな姫を妻にせよなどとどういうつもりだ。


よもや、美濃獲りの口実に自分を生贄にするつもりじゃあるまいな。


織田大和守家を滅ぼし、尾張の半分を支配した織田弾正忠家。

織田伊勢守家が尾張上四郡を支配しているとは言え、その国力は削られ、求心力は低下。

更に、尾張守護、斯波義統の遺児を弾正忠家は保護しているため、大義名分も弾正忠家にある。


ならば次の戦略として、美濃守護、土岐頼芸を抱える弾正忠家としては美濃侵攻が考えられる。

土岐頼芸の美濃復帰を助ける事に加え、娶った娘が嫡男を害したとあれば、尾張国内だけでなく、美濃国内でも反斎藤家の勢力が挙兵する可能性はかなり高い。


「…………」


婚姻が決まった事を伝えられた時、信秀に真意を尋ねたがはぐらかされてしまった。


「そうだな。親父の思惑などどうでもよい」


もしも信秀が自分を生贄にするつもりだったとしても、簡単に利用されてなるものか。


「運命は自らの手で切り拓く。おれの行く道はおれが決める。三左! 城へ戻るぞ!」


「はは!」


可成に呼び掛け、信長は勢い良く立ち上がった。そして、河原で遊ぶ子分達にも呼び掛ける。


「おれは先に城に戻る! 貴様らは好きにせよ! いつもの団子屋にはツケがきくゆえ!」


「「「うーす!!」」」




那古野城へと戻った信長は、平手政秀からの小言を聞き流し、正装に着替える。


「輿を用意いたせ!」


「ええ!?」


「斎藤家に多少は配慮してやる。馬で古渡城へ向かっては、折角の婚礼衣装が汚れるかもしれんからな!」


「しかし急に申されましても……」


那古野城には現在嫁に行く可能性のある者もおらず、嫁が来た事もないので、輿など存在していなかった。


「板に持ち手をつけた程度のもので構わん。すぐに用意せよ!」


「……拝承いたしました!」


そして信長は、急遽用意させた輿に乗って古渡城へ向かう。

武装した兵が護衛についたその姿は、まるでやんごとなきお方が戦に向かうようだった、とその様子を見た人々は語った。



「三郎! 其方、どういうつもりだ!?」


「どうもこうもない、親父殿。斎藤家からわざわざきてくれた姫に敬意を払い、婚礼衣装を汚さぬように参ったまでの話よ」


「ぬぅ……!」


屁理屈だとはわかっていても、叱る理由が思い至らなかった。

他の家臣も、うつけの行動だとは思っていても、何故そう思うのかと訊かれたら、答えに窮しただろう。


だが、信長の正体を知る政秀や信秀からすれば、輿入れにやって来たようにしか見えない。

あてつけ以外の何物でもなかった。


「よいではありませんか、弾正忠様」


憤る信秀を宥めたのは意外な人物だった。

角隠しこそつけていないものの、白色の掛下着に赤地に鶴が刺繍された色打掛を纏った帰蝶が姿を現した。


婚礼の儀を執り行うまでは顔を合わせないのが慣習だが、最早誰もそこに突っ込む者は居なかった。


「婿様のお心遣い、帰蝶は大変嬉しく感じましたよ。うつけだと聞いていたのですが、女性の扱いは上手なようですね」


袖で口元を隠して笑う姿は、少女としての爛漫さに、艶やかさが混じって見る者を釘付けにする美しさだった。


「きっとお義父上に似たのでしょうね」


そう言ってコロコロと笑うと、周囲も家臣もつられて笑った。

側室と子供の多さを揶揄された信秀も、苦笑いをこぼす。


空気が緩んだ事を確認すると、そのまま帰蝶は控室へ戻って行った。


険悪だった空気が一変し、政秀は安堵の溜息を吐く。

信長は、帰蝶の手腕に感心すると同時に、その態度に驚かされた。


姿こそ見せたが、帰蝶は信長に話しかけるどころか、目線さえ寄越さなかった。

場を和ませながらも、婚礼の慣習は破らないという、絶妙の対応だったと感心したのだ。


天然なのか計算なのか。

蝮の娘である事を考えると、後者である可能性が高いと信長は考えた。



その後は何も問題無く婚礼の儀は進行し、恙なく終了した。


そして夜、信長と帰蝶は、古渡城の居館で、充てがわれた部屋にいた。

当然、初夜を目的としている。


「尾張の布団は凄いですね。柔らかく、弾力もある。寝転ぶと気持ち良さそうです」


緊張した面持ちで座る信長とは対照的に、安祥家で開発され、弾正忠家に技術提供がなされた、綿入りの敷き布団と綿入り枕、羽毛布団が珍しいらしく、帰蝶は触って感触を楽しんでいた。


「帰蝶よ、今日からおれたちは夫婦となる。つまり、一蓮托生というわけだ」


「そうですね」


声が硬い信長に対して、帰蝶の口調は軽い。


「おれには一人でも多くの味方が必要だし、近しい者にこそ、味方でいてもらわねばならぬ」


「ご安心ください。弾正忠家内(・・・・・)において(・・・・)、私は婿様の味方ですよ」


「うむ、婚礼の儀の前の貴様の態度から、おれの擬態を見抜いたことはわかっておる。それゆえに、おれはこれから、貴様に更なる秘密を明かす」


「よろしいのですか? その内容によっては、私は婿様の敵になるかもしれませんよ?」


「そうであったなら、見抜けなかったおれが間抜けなだけよ」


「わかりました。それほどのお覚悟ならば、茶化すのは可哀想ですね」


「さきほどから、なにかしらひっかかるが、まぁ、いい。帰蝶よ、折角嫁にきてもらってすまないが、おれは女なのだ」


「……は?」


帰蝶の顔から笑顔が消えた。

なにを馬鹿な、という表情だと信長は思った。

ある意味自分の想定通りの反応に、信長は満足気に一つ頷く。


「いや、信じられないかもしれん。だが事実だ。なんなら証拠を見せよう。今下帯を……」


「今更何を仰っているのですか?」


「……は?」


今度は信長の顔から表情が消えた。


「婿様、そのような事を知らずに、父上が縁談を承諾するとお思いですか?」


そして帰蝶からは、更なる爆弾発言が飛び出す。


「え? ……は!?」


信長は混乱の中にあった。帰蝶の言葉をそのまま受け取れば、まるで利政が、信長を女と知りながら、娘を嫁に出したと言ってるようだったから、当然の話ではある。


「そう言っています。我が父、斎藤利政は、婿様が女性であると知りながら、弾正忠家から申し入れのあった縁談を承諾したのです。勿論、私もそれを聞かされてなお、承諾して嫁いで参りました。あ、弾正忠家の使者や、平手様が漏らした訳ではありませんよ、独自に父が入手した情報を、父から聞かされただけです」


淡々と説明する帰蝶。フォローする場所が、少々ずれている。


「ば、ばかな、この秘密は誰にも知られておらぬはず! 他人、それも、他国の者が知っているなど……」


ようやっと再起動を果たした信長が、帰蝶の言葉を否定した。


「その知られていない筈の秘密、本当に誰にも知られていないと断言できますか?」


「勿論だ! 敢えて知らせた者以外では、兄上くらいしか漏れておらぬのだぞ!」


「漏れているではないですか」


「ぬ、だが……」


「知られてはならぬ筈の秘密を、知ってはならない者が一人でも知っているなら、その程度の秘密はどこからでも、どこにでも漏れるものですよ」


「むぅ……。だが、それならば何故、蝮殿は今回の縁談を承諾した? 何故、貴様は嫁いできた!?」


「これは異なことを仰る」


本気で驚いたような表情と口調で帰蝶は言う。


「武家の婚姻は政略結婚。家と家が結びつく事ができれば、性別が同じであるかどうかなど、些細な問題ではないですか」


「…………」


信長は開いた口が塞がらなかった。

武家の婚姻は政略結婚。それはその通りだ。

愛情などなく、ただ家と家を繋ぐ事を目的としている。それは間違いではない。

だが、性別など関係無いとまで割り切れる者が、果たしてどれだけいるだろう。


衆道とは、わけが違うというのに。


「だ、だが、それでは子が成せないではないか!」


「普通の男女でも子ができない事など珍しくはありませぬ。子ができても女子ばかりの事もあるでしょう。その時、婿様なら如何なさいます?」


「…………養子をとる」


「何も問題ありませんね」


にっこりと微笑まれて、信長は反論できなかった。

何かが間違っている筈だが、しかし、何も問題無いように思えてしまう。


そもそも、女子である信長の性別を隠して後継者に指名している状況がおかしいのだ。

今更、同性の婚姻に関して正論を言ったところで、何の説得力も無かった。


「婿様、貴方ははかりごとに向いておりませぬ」


「ぬ……?」


帰蝶の評価に、信長の眉根が寄る。


「武芸には秀でていると聞きました。初陣での武功も素晴らしいものでした。政治に関しても、それなりの知識を有しているのでしょう」


帰蝶は信長ににじり寄り、両手で頬を包む。


「ですが、人を騙すのは不得手なご様子」


「……そ、そんな事はない。おれは武略の達人、『尾張の虎』織田信秀の嫡男であるぞ」


自分の内側を覗き込むような帰蝶の黒い瞳から、信長は目を逸らしてしまう。


「得意であれば、父や私に正体が知れている筈がありません」


「…………」


ぐぅの音も出なかった。


「父からは、婿様が本物のうつけであれば、刺し殺せという言葉と共に、脇差を賜りました。しかし、私には元々そのようなつもりはございませんでした」


「ふ、蝮の娘も甘いようだな……」


「本物のうつけなら、傀儡とし、弾正忠家を乗っ取れば良いと考えておりましたので」


信長は、無言で帰蝶を見た。


「しかし、お会いした婿様は決してうつけではなく、それどころか、主君として大変素晴らしい素質を持った方だと感じました」


「そ、そうか……」


褒められて、素直に信長は喜んでしまう。


「しかし、一見完璧に見えた婿様は、人を簡単に信じてしまう、良く言えば素直で純粋。悪く言えば間抜けなお方でした」


「まぬけ……」


あまりの評価に、愕然とする信長。


「だから私は思ったのです。この方の不得手なところを、私が補おうと。婿様、謀は私にお任せ下され。必ずや、婿様に尾張と美濃を獲らせてさしあげましょう」


「…………そうだな。おれたちは一蓮托生。ならば、お互いの得意分野はお互いに任せた方が合理的だ」


「んふふ、その通りでございます」


言いながら、帰蝶は信長の頬を撫で、首筋に指を這わせ、襟から手を滑り込ませる。


「き、きちょうっ!?」


「ご安心ください。初物おぼこではありますが、夜伽の作法は学んでおります」


「そうではなく、おれも貴様も女子おなごであろうが!」


太腿を撫でさすりながら、裾の下に入り込もうとする細い指を阻止する信長。


「しかし夫婦です。それに……」


「それに……?」


「美しいものを、嫌いな人がいて?」


その時に帰蝶が浮かべた、妖艶な微笑みに一瞬心を奪われた隙に、信長は唇までも奪われた。

実はその手の知識が殆ど無かった信長は、この一撃によって抵抗する気力を奪われた。

布団に押し倒された後は帰蝶の独壇場であり、されるがままになってしまうのだった。


という訳で、信長と帰蝶が結婚しました。

帰蝶、所謂お濃の方はその本名が謎とされています。帰蝶はあくまで説の一つ。

この時代の女性に関する記述は非常に少なく、帰蝶もその例に漏れません。そのため、創作物などでは様々な性格、外見の帰蝶が生まれています。

拙作では名前を帰蝶とし、性格は本文のようにさせていただきます。ご了承ください。

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― 新着の感想 ―
あらぁ~と書きに来たらもう有ったw これは賛否両論なのか。
[一言] 「美しいものを、嫌いな人がいて?」 濃姫さまのビジュアルがおでこに赤ホクロの褐色美少女で固定されてしまった・・・ 後に信長さまが『お濃よ・・・私を導いてくれ・・・』とか呟きそうな・・・
[一言] あら~^^
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