清洲攻め
三人称視点です。
天文17年十月、尾張国古渡城の評定の間にて、信秀は家老の寺沢又八、叔父の織田秀敏、弟の信正、そして信長家老の林秀貞、内藤勝介を集めた。
「さて、既に長広敗北の報は知っておると思う」
信秀の言葉に、全員が頷く。
「損害こそ大きかったが、失った城、領地はなし。相手にも損害を与え、うまく追い返した。まぁ、双方の被害こそ大きいが、引き分けだな」
信秀は特に長広の敗北を大事だと思っていなかった。
渥美半島の根元を抑える、吉田城は保持したままだし、矢作川の西岸は相変わらず安祥家の領地だ。
今川軍が無事なら問題だったが、大きな損害を受けて、岩略寺城まで撤退。
更に、率いていた太原雪斎は義元に呼び戻され、三河を後にしているという。
「また何かあるにしても来年であろうから、長広ならそれまでに建て直すであろう」
「ですな」
又八が追従の言葉を口にした。
「とは言え、これを好機と見る者もいる」
信秀の領地から、長広の領地まで、邪魔者の入る隙間が無く、しっかりと繋がっていた事もあり、斎藤家と戦を続ける信秀の後背を狙う者は居なかった。
しかし、安祥家が大きな損害を受けて、暫く動けないとなれば、この機会に弾正忠家を倒す事は難しくても、その力を削いでおこうとする者は出る。
「長広によって齎された知識と技術によって、弾正忠家は、三河に進出を始めた頃より何倍も裕福になった。お陰で、清洲織田、岩倉織田家に銭による戦争を仕掛ける事ができるようになった」
特に、清州は尾張の交通の要衝であり、津島や熱田に劣らないほど繁栄している。
しかし、当主、織田信友も、その上役の斯波義統も、経済を発展させる方法を知らない。
彼らにしてみれば、交通の要衝を抑えれば、勝手に人が集まり、税収が上がるという程度の認識だった。
故に、商人の数が増え、経済活動が活発化すれば、栄えていると錯覚する。
特に、商人が清洲織田家に支払う税は、銭によって支払われるため、余計に気付かない。
信秀は、安祥家から伝わり、弾正忠家で確立された技術によって得た商品の一部を清洲にも流している。
しかし、それらは蒸留酒の一種である凝命酒、澄んだ酒である清酒、干し椎茸、液体石鹸、算盤といった、嗜好品、日用品ばかりだ。
米や燻製といった、軍事物資としての価値があるものは、何一つ流していない。
反対に、信秀は、これらの特産品を売って得た収入で、清洲周辺の米を買い占めている。
勿論、全て買いあげてしまっては、流石に経済に疎い織田大和守家でも気付いてしまうので、ある程度は残していた。
それでも、弾正忠家が気前良く米を買うため、織田大和守家の領地では、米の値段が上がってしまっていた。
倍以上もの値段になれば、流石におかしいと気付いて調べる事もあるだろうが、一割、二割程度の相場の上下は、その年のできによって普通にある事なので、彼らは気にしていない。
商人が多く、商売が栄えている尾張で、買い占め工作は難しい。
しかし、相場を吊り上げる程度であれば、これが可能だった。
米や武具が手に入らなければ、弾正忠家による買い占め工作に気付けるが、相場が上がる程度では難しい。
特に、戦をしようと米や武具を買い集めようとした時に、商人が足元を見て値を吊り上げるのは当たり前の話であったので余計だ。
彼らは気付かないうちに信秀に銭による戦争を仕掛けられ、その結果、気付かない間に国力を落としている。
商人の街として栄えている清洲織田家の方が、岩倉織田家より影響が強いのは皮肉な話だった。
「なまじ清洲城下が栄えている分、我らが隙を見せれば、食いついてくるだろうな」
くっくっく、と笑う信秀を見て、又八らは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「美濃の斎藤家とは既に話がついておる。年末に蝮の娘を、信長の嫁として貰い受ける」
「よいのか?」
尋ねたのは秀敏だった。彼は、信秀に何かあった時、信長の後見人となる事を命じられているため、信長の正体を知っていた。
今この場には、知らない者もいるので、曖昧な聞き方になった。
「問題無い」
信秀も端的に答えた。
「しかし、斎藤利政は簒奪者です。美濃国内でも彼奴の支配を望まない者も多いと聞きます。そのような家と結んでよろしいので?」
「美濃殿の心証も悪くなるでしょうし」
秀貞と勝介がそれぞれ異論を唱えた。
「だから良いのだ。必要が無くなれば、美濃を煽ってやれば向こうで始末してくれる。美濃殿には、いずれ美濃を取り戻すための布石とでも言っておけば良い」
「なるほど」
「まずは斎藤家に大垣城を攻めて貰う。当然、美濃殿の救援に儂は向かわねばならぬ。今の情勢で古渡城を留守にすれば、清洲はどう出ると思う?」
「好機と、思うでしょうな」
信正の言葉に、信秀が頷く。
「そうだ。儂らは斎藤家とすぐに和睦し、これを撃退する。恐らく、向こうは和睦を申し出て来るだろうが、居城を狙われたのだ。そう簡単に許す事はできんな」
「そのまま清洲城を攻めるのですね?」
「その通りだ。既に佐治家、水野家の協力も約束させている」
「守護殿はどうされますか?」
信友の居城の清洲城には、尾張守護の斯波義統も入っている。
「長広が敗北する前に、贅沢品の献上で、お褒めの言葉をいただいておる。その際、守護殿ははっきりとこう仰られた『古渡城へ移るのも、悪くない』とな」
勿論、それは大量に嗜好品を貰った義統が、信秀の機嫌を取るために言っただけの、言わばリップサービスに過ぎない。
「これは守護殿が、清洲城から出る事を望んでおられるという事よ」
拡大解釈も過ぎるが、勝てばこれが罷り通るのが戦国時代だ。
「なるほど、守護殿の救出という名目も立つ訳ですな」
信正が膝を打つ。
「まぁ、戦になればどのような事が起きるかわからぬ。疑心暗鬼に駆られた清洲の兵が、守護殿を殺してしまうかもしれんな」
「恐ろしい話ですな。しかし戦場の話です、十分に起こり得るかと」
「そのような事が起こらぬよう、用心すべきでしょうが、戦場は混乱しており、不可解な事も起きるでしょうから」
秀貞と勝介がわざとらしくのたまうと、評定の間に笑いが起きた。
それから半月ほど経った頃、斎藤家から、三千の兵が美濃国、大垣城へ向けて出陣した。
これを受けて、信秀は四千の兵を率いて出陣。大垣城の救援へ向かう。
信秀の予想通りに、清洲城の尾張守護代、織田信友が挙兵。二千の兵で古渡城へ攻めかかった。
しかし、清洲織田勢が古渡城へ辿り着いたと同時に、弾正忠家の領内のあちこちから兵が集まり、五千もの大軍となって、清洲織田勢に襲い掛かった。
攻城軍の総大将は、織田大和守家四家老の一人、坂井甚助であり、彼は織田大和守家随一の猛将と言われていたが、数の差は如何ともし難く敗北してしまう。
甚助本人は、柴田勝家によって討ち取られる程の大敗北だったうえ、斎藤家と和睦した信秀が尾張へと戻って来たため、信友は和議を申し入れる。
しかし信秀はこれを拒否。
攻城軍を打ち破った部隊と合流し、清洲城へと攻め寄せた。
この時、尾張のあちこちに、織田信友が尾張の支配者となるために信秀の居城を攻めた事と、斯波義統が清洲城を出たがっている事を記した立札がたった。
この立札と、先の敗北もあって、清洲城に残された兵は三百程度であり、逆に、清洲城を囲んだのは、一万を超える大兵力となった。
信秀の経済攻撃によって、攻城軍に持たせた以外の武具、兵糧は不足しており、清洲城では籠城戦が難しくなっていた。
更に、清洲城内には、信友が尾張支配の実権を握るために織田信秀の領地を我が物にしようとした、という噂が流れており、士気が著しく低下していた。
そのような野心を抱いていた事は事実だが、都合良く城内に流れるのはおかしいと疑念を抱いた信友に、斯波義統が清洲城を出たがっている、という別の噂が流れて来る。
あまりにも素早すぎる信秀の行動、都合の良い噂、そして、講和の使者をどれだけ送っても一切聞き入れられない信秀の強気の姿勢から、信友は、信秀と義統が結んで自分を排除しようとしていると誤解する。
当然、そのような結論に至れば、城内に不穏分子を抱えている訳にはいかず、信友は斯波義統を殺害。まだ九歳だった息子の岩竜丸を人質に、信秀に和睦を迫った。
しかし信秀はこれを拒否し、城攻めを続行。
持ち堪える事はできないと考えた信友は城からの脱出を図るが、その前に信秀軍が城内に突入。逃げる事さえできないと悟った信友は自害して果てる事を信秀軍に伝える。
だが、大義名分も無く守護を討った大罪人として信友を処理したかった信秀は、そのまま家臣に信友を殺させた。
主だった織田大和守家の家臣は軒並み討たれ、信友には子もいなかったため、織田大和守家はここに滅亡する事になる。
かつての信秀の正室だった信友の姉を、側室として迎え入れ、弟信正を、信友の養子にしてあった事にして、清洲支配の正当化を図った。
信秀は尾張下四郡を支配するに至り、守護、義統の息子を保護し、その代理として、尾張支配を推し進めていく。
斯波義統、織田大和守家の面々、史実より大分早く退場です。
長広が三河で色々やっていた間、信秀が何もしていない訳がなく。滅ぼせる算段が立ったら、わざと攻めさせてのカウンターは、下剋上の基本ですね。




