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織田家の長男に生まれました  作者: いせひこ/大沼田伊勢彦
第五章:三河統一【天文十六年(1547年)~天文二十年(1551年)】
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第二次小豆坂の戦い

三人称視点です。


太原雪斎は、自らの慧眼を、その先見性の高さを、今ほど呪った事は無かった。

今川家に仕えて、それを自慢と誇りとしていただけに、その衝撃は他人には計り知れない程大きかった。


織田弾正忠家の外で、否、弾正忠家内を含めても、彼ほど安祥長広を早くに、そして、高く評価した人物はいないだろう。


長広がまだ弾正忠家の一門でしか無かった頃、安祥城の増改築と周辺の開発を行っている情報を得、その詳細を知り、太原雪斎は、長広を敵に回すべきではないと考えた。

理屈は勿論色々あったが、何よりも、言いようの無い恐怖感のようなものを覚えたためだ。


安祥長広は、間違いなく異質だ。

太原雪斎はその直感に従い、安祥家と直接今川家がぶつからないよう、慎重に三河の支配を進めて来た。


相手を過小評価し、侮る悪癖のある主君に対しても、三河の重要度が北条や武田に比べて低いとし、長広を力で降すのではなく、調略によって取り込むべき、と諭してきた。


しかし事ここに至って、いよいよ長広との全面対決が避けられなくなってきた。

ならば、と雪斎は一国さえ支配していない相手に対しては、異例とも言える戦略を立てた。

それが一年をかけての偽装工作であり、そういう意味では、渥美半島攻略失敗による、安祥家との停戦は丁度良かった。


むしろ、この戦略を立てるうえでの一番の障害は、戦に負けるどころか、簡単に降って捕虜になる家臣など見捨ててしまえ、と憤る主君だったのは皮肉なものだ。


入念な準備を重ねた結果、浜名湖の北西で一万の兵を合流させた時点では、吉田城の防衛戦力はそれほど多くなかった。

そのまま戦をしても落とせるのではないかとも思われたが、それでも雪斎は、当初の作戦通り、一部の戦力を残してこれを素通りした。


雪斎は、物見を大量に放ち、安祥家の動向をつぶさに、逐一報告させていた。

その情報を基に、敢えて速度を落とし、長広にきちんと対応させるためだ。


浜名湖の北西に今川軍が出現した段階で、長広は素早く援軍を送っている。

吉田城を素通りし、西進した事を受け、海上輸送を中止し、東条城を目指して進軍を開始した。

そして今川軍が上ノ郷城で鵜殿家と合流し、山中城を目指し始めると、長広はすぐさま北上を始めた。


どれもが雪斎が想定しているより素早い対応で、自分と同じく情報を重視し、これを素早く、正確に得る手段を持っているのだと知れた。


そして山中城へ向かい始めると、突然雪斎の下へ情報が流れて来なくなった。

それは、今川家の物見が、安祥家によって排除されたという証でもあった。

言い知れぬ不安は相変わらず胸中に渦巻いていたが、ここまで来て作戦を中止する訳にもいかない。


全ては安祥家を打倒するための戦略であり、安祥長広を倒すための戦術だった。


安祥長広の篭る拠点は鉄壁だと言う。

城や砦は勿論、急遽構築した野戦陣地でさえ、これを落とすのは容易では無いと言う。


ゆえに雪斎は、長広を野戦に釣り出すために、一年もの時間を掛けたのだ。

全ては安祥家を討ち滅ぼすために。

安祥長広を、確実に殺すために。


情報が途切れた事で、自分達が長広の仕掛けた罠にかかろうとしているのではないかとも思った。

冷静に考えれば、そのような事は有り得ないのだが、もしかしたら、と思わせる異質さが、長広にはあった。


だが、それだけを理由に一年がかりの計画を中止する訳にもいかない。

雪斎は不安を抱えたまま、山中城を一時的に包囲する。


その時、再び情報が流れて来た。


最早、長広によって情報が操作されているのは疑いようがなかったが、それでもその動きが、自分達の想定通りである以上、こちらも作戦通りに動かない訳にはいかなかった。


そして今、小豆坂の頂上に布陣した雪斎は、自らの慧眼を呪っていたのだ。


眼下に見下ろせば、林の木々の間に、安祥家の家紋である、『織田木瓜に影星』を掲げた旗が見える。

坂の上という有利な地形に陣取っているのは確かだが、予定では、相手は坂を上っている途中であり、そこを今川軍が強襲するはずだった。


だと言うのに、安祥軍は、坂の下の平地に、陣地を拵えて(・・・・・・)こちらを待ち構えている(・・・・・・・)


作戦が失敗したとは思わない。しかし、成功したとも言い難い。

野戦に引き摺り出す事には成功したが、待ち伏せされてしまっている。


一年間、国力を消費して、入念に準備して、それでここまでしか通用しないのか。

これ程恐ろしい相手だとわかっていたなら、分家として独立するより前に、本腰を入れて調略していたものを……。


「なるほど、雪斎殿が恐れる訳だ」


同じように坂の下に布陣した安祥家を見下ろし、今回の安祥攻めの副将、朝比奈泰能は、苦笑いを浮かべてそう呟いた。


「それで、どうされるので? このまま長広恐ろし、と駿河へ帰りますか?」


「そのような事、許される筈がない」


「ならばやる事は一つでしょう。こうしている間に、奴らが何かよからぬ事を企んでいるかもしれない」


それは泰能の言う通りだった。そもそもそういう相手だからこそ、これほどの作戦を立てたのだから。


「是非もなし。虎が産んだ異形の怪物をこれより討ち取る! 総掛かりである!」


そして雪斎が采配を振るうと、陣太鼓が打ち鳴らされ、蛮声と共に今川軍が坂を下り始めた。




実際に戦を指揮してみて、長広は気付いた事があった。

それは、結局後世に名将だと讃えられている彼らは、それほど大した事ないのではないか? という事だ。


兵を手足のごとく動かす、と言っても、自分の声が届くのはせいぜい数十人。多くても百人前後。

それ以上になると、自分が指示を出したのち、陣太鼓やほら貝などで部隊に通知し、その後に兵が動き始めるのだ。


そこまでになると、どれほどの名将であっても、部隊を素早く動かす事は難しい。

将軍の能力よりも、部下の練度が重要になるからだ。


ゆえに長広は、後世に名将と呼ばれる者達は、そもそも戦になる前に、勝てる要素を積み上げた者達だと考えていた。

あるいは、運を味方につけ、相手が積み上げた勝てる要素を、打ち崩す者の事だと思っていた。


だが、それは思い違いだったと、理解の浅さに己を呪っていた。


攻め寄せて来る今川軍に対し、弓や投石、焙烙玉の投擲で対抗。

簡素ではあるが、陣地も構築し、暫くは敵の勢いを押し止める事ができた。


開発に成功し、ある程度量産の目途が立ったクロスボウも、戦力の均質化に役立ち、それ故に、部隊としての総合力が向上していた。

本来は、撤退時に敵に奪われてしまう可能性があるため、自領での防衛戦以外では使用するつもりは無かったのだが、今回はそのような贅沢を言っていられないと考え、大量に持ち込んでいた。


しかし、徐々に押され始める。

相手の方が数が上であるから、最初は仕方がないと思っていたのだが、その認識が間違っていた事に気付かされる。


ついに接敵し、白兵戦に移ると、それは顕著になった。


相手がどのように動き、何を狙っているかが、長広にはわかった。

この世に生まれ変わり、知識を蓄え、実戦を経験した事で、長広は卓越した戦術眼を身に着けるに至った。


だが、それに対応する前に今川軍が動く。


自分の狙いが読まれているのではない事は、相手の動きを見ていればわかる。

むしろ、相手の動きを読んでいるのは自分であり、相手が動く前に、その動きを察知する事もできている。


(だってのに、対応が間に合わない!)


まさしくそれは、長広と雪斎の能力の差であると言えた。


これまで長広が戦って来た相手、降して来た相手にも、名将と言える者は居ただろう。

だが、彼らはあくまで武士であった。

本当の意味で武将、軍を統率し、動かす事のできた者は居なかった。


長広は今初めて、『本物』と戦っているのだ。


(これが太原雪斎か!? これは、敵わないな……!)


ひょっとしたら、雪斎は何も特別ではなく、雪斎のように、経験を重ねれば、長広も同じ高みへ登れるかもしれない。

しかし、そんな仮定は無意味だ。


戦で重要なのは将来性ではなく、今の実力なのだから。


(相手の動きがわかる。狙いも読める。対策も思いつく。なのに、間に合わない!)


所詮、碁や将棋は戦を模しただけの遊戯でしかないと思い知らされる。

相手の狙いが読めれば、碁や将棋では無類の強さを発揮できる。

しかし実戦では、交互に差すというルールは存在しない。

こちらが一手を打つ間に、相手に二手、三手を打たれているのが現状だ。

そして、相手には、こちらが三手先を読んだ一手を打った時、軌道修正できるだけの実力がある。


これでは勝てる道理が無い。


悔しいと感じる思いと同時に、安堵もしていた。

長広は今回、大隊長以上には、武功の公平性や人間関係を度外視し、エース級を揃えている。


(間違いなく、俺が太原雪斎と渡り合えているのは、彼らの奮戦のお陰だろうな)


これがいつものように、能力以外の要素を考慮して編成していたら、今頃総崩れになっていたかもしれない。

そう考えると、まだ自分は『史実』に飲み込まれていないと思える。


(このまま粘りつつ、夜を迎えられれば、相手も退くだろう。態勢を立て直し、野戦陣地の構築に力を注げれば……)


あるいは、夜陰に乗じて逃げる事も検討するべきかもしれない。

山中城を見捨てる事になるが、それでも、一度は援軍に赴き、刃を交えたという事実があれば、裏切りは防げるだろう。

矢作川を渡り、安祥城で待ち構える事ができれば、まだ勝機はある。


「殿!」


辛抱強く今川軍の猛攻に耐えている長広の傍に、安楽あらくが姿を現し、声をかけた。


「どこだ!?」


安楽を見もせず、長広はそれだけを尋ねる。そして安楽も、その質問の意味を誤解しなかった。


「右翼です!」


「家厳、宗厳を充てろ!」


「は!」


そして安楽が姿を消すと同時に、長広の本陣近くに配置されていた、柳生家厳の部隊が動き始める。

その時、安祥軍の右翼から、蛮声が聞こえ来た。

それは今川軍の伏兵だった。


長広の前世において、第二次小豆坂の戦いにおける、織田軍の決定的な敗因は、伏兵による横やりだったと言われている。

史実と違って織田信秀こそ参戦していないが、もしもこれが歴史の大きな流れによって引き起こされた戦なのだとしたら、今川軍は伏兵戦術を使って来る可能性は高かった。


そうでなくとも、起伏のある地形と、松林で見通しの効かない戦場だ。

敵の動きは全て把握しておかなければ危険だった。


長広が放った物見により、今川軍の別動隊はその動きを完全に掴まれていた。

安祥軍の中腹に、横合いから襲い掛かろうとした、岡部信綱率いる別動隊は、その直前、自分達がその横腹を突かれ、混乱し、動きが止まってしまった。


「親父殿! うちの殿様はすげぇな!」


敵陣に飛び込み、次々と手にした刀で敵兵を切り捨てながら、柳生宗厳が楽しそうに叫んだ。


「うむ、太原雪斎と言えば畿内にまでその名が轟く名将よ。それを相手にこの戦い振り。いやはや、もう一年後に戦って貰いたかったわ」


「なんだ、親父殿、まるで殿が負けたみてぇに」


「うむ、仕方あるまい。此度は負け戦よ」


「まだわかんねぇだろ? ほら、殿の兵はまだ戦うつもりだぜ?」


「儂とてそれは同じよ。しかし、そろそろ認めねばなるまい。でなければ、一年後が存在せんよってな」


「ああ、ちょっと安心したぜ」


「何がだ?」


「親父殿、殿を見捨てる気はねぇんだ?」


「当たり前であろうが。これほど頼り甲斐があり、支え甲斐があり、そして、見守り甲斐のある主君は中々おらん」


「いやいやそうかそうか、なら良かったぜ」


そして宗厳は敵兵を切り捨てた一連の動きで、切先を家厳に向けた。


「親父殿を斬るのは、流石に忍びねぇからな」


「はっ、言いよるわ!」


そして二人は、笑いながら敵兵を撫で切りにしていく。

後方から追いかける部下達は、皆一様に恐怖にひきつった表情を浮かべて、必死にその後に続くのだった。




「別動隊による奇襲は失敗! 部隊は壊滅、岡部信綱様は討死なされました!」


伝令の報告に、雪斎は眉根を寄せて天を仰いだ。


「一旦兵を退く。退き太鼓鳴らせ」


そして陣太鼓が打ち鳴らされ、今川軍が退き始める。


「やられましたな」


本陣に戻って来た泰能が、どこか晴れ晴れとした表情を浮かべて雪斎に言う。


「あの程度の防御陣地でさえこの粘りよう、よもやこれほどとは思わなんだ」


「過小評価していたのは殿だけではないようですな。恐らく、今川軍全体、拙者達だけでなく、末端の兵に至るまで、みな侮っていたことでしょう」


「その通りだな。陣を敷け。夜襲に備えよ」




「損害は?」


「死者脱走者、戦えない程の重傷者合わせて千を超えます。伊奈政貞様、長田広政様、岩手晴彦様が討死なされました。それと……」


坂からやや離れた位置に陣を敷いた長広が小物に尋ねると、そのような答えがあった。言い淀む小物に、長広も沈痛な表情を浮かべる。


「忠尚か……」


多くの者が討死し、その中には安祥家に早くから従っていた、酒井忠尚も含まれていた。


「今川軍の損害は?」


「おそらく同じくらいかと。討ち取った武将で名のある者は、岡部信綱、葛山頼秀あたりでしょうか」


「様子は?」


「本陣を坂の上に敷き、その周囲に部隊を展開しております」


「やはり、野戦では厳しいな……」


長広の呟きに、諸将が無言で頷く。

しかし、彼らは誤解している。長広は戦そのものではなく、太原雪斎をこの戦で討つ事の難しさを語っていた。


「可能であれば、一度退いて態勢を立て直したいところですな」


そう提案したのは石川清兼だ。


「しかし、それは山中城を見捨てる事になるのでは?」


「援軍を出したという言い訳はできます。このまま退いても問題無いでしょう。安楽殿にでも頼んで、城主と主だった家臣だけでも脱出させられればなおよろしいかと思いますが」


四椋よんりょうは、山中城を見捨てる事で、他の城や勢力が今川方に靡いてしまう事を危惧していた。

しかし、そのような事は起こらないと清兼は言う。


「このまま野戦で戦っても損害が増すばかりです。今川方の勢力は、東三河をはじめ、多く残っております。ここで壊滅的な打撃を受けるのは避けたいですね」


富永忠元の意見はもっともだった。


「陣地の構築は進めております。明日はもう少し防戦が楽になるかと」


「うむ、では安楽に命じ、山中城城兵を脱出させるとしよう。救援叶わぬと知れば、素直に従うであろう」


「はは!」


「連弩の回収は?」


「可能な限り行わせました。ただ、日が落ちてからの捜索でしたので……」


「構わん。大量に保有されなければいいのだ。こちら程研究に時間がかからなくなるとは言え、新しいものを導入するのは大国だからこそ難しい」


量産が必要となると特にな、と長広は続けた。


「さて、みな今日はよく戦ってくれた。明日一日、山中城兵を脱出させるためにもうひと踏ん張りしてくれ」


「「「はは!」」」


こうして、のちに『第二次小豆坂の戦い』と呼ばれる戦いの一日目は過ぎて行った。




翌日は今川軍、安祥軍ともにゆっくりとした動きになった。


今川軍は強化された防御陣地を警戒し、大きく広がるように展開し、安祥軍を包み込むように迫る。

安祥軍は、多くの物見を放ち、その動きを掴み損ねないよう慎重に動く。


前方に比べ、両翼は防御陣地が弱い。

そのため、長広はあえて迎撃を前方に集中させる事で、少しでも敵が側面へ広がらないように努めた。


大きなぶつかりはなく、日が落ちて、この日の戦は終了となった。




状況が動いたのは翌日だった。


「岡崎城にて出陣の兆し」


物見の報告に、長広はついに来たか、という思いだった。


「大給と西広瀬城からの援軍は?」


「能見と滝脇にて防がれている模様」


それはある意味で朗報だった。つまり、岡崎城単独で兵を出そうとしている事になる。

北部方面留守居の部隊で十分対応できるだろうと考えられた。


「岡崎城の動きを見逃すな。北部留守居部隊に迎撃を要請。抑えきれないようなら教えろ」


「は!」


「殿、安城あんじょう的栄てきえい様より書状を預かっております」


別の伝令が長広の前に姿を現し、一通の書状を差し出す。

中を改めると、一向宗の協力を取り付ける事に成功したと書かれていた。


「岡崎城城兵の迎撃に向かわせるよう伝えろ。それと、可能ならば、上ノ郷城、東三河付近での蜂起も」


「は!」


これで少しは楽になるかもしれない。長広は安堵の溜息を吐いたが、彼が望む報告は上がらなかった。

山中城の城兵、少なくとも、城主、松平三光(かずみつ)の脱出だけでも成れば、兵を退かせる事もできるのだが……。




四日目は雨が降った。

火薬兵器の殆どは初日に使い切っていたのでそれ自体は良かったが、敵の動きを掴みにくくなるというリスクがあった。

しかしそれは敵も同じであるようで、正面は昼前に数回寄せてきただけだった。

側面への攻撃は昼を過ぎてから、明らかに昨日までより激しかったが、それでも防御線を破られる程ではなかった。


「敵は何かを待っているのでしょうか?」


その消極的な動きに、清兼が首をひねった。


「山中城攻囲までは、相手の狙いを確かめるために、敢えてこちらの動きを流していた。しかし、目的が山中城だと知れた段階で、情報を封鎖したからな。相手はこちらの戦力を正確に把握していないのかもしれない」


長広の言葉通り、林の中で戦っていた事と、敵の動きを細大漏らさず把握するために物見を大量に放ち、相手の物見を排除していた事が相まって、今川軍は安祥軍の全容を掴めないでいた。

作事衆による、素早く、大規模な陣地の構築も、今川軍に誤解させる要因となっており、クロスボウによる正確性の高い射撃も、相手に安祥軍が精鋭であると勘違いさせていた。


初日に別動隊が壊滅させられた事もあって、視界の悪い雨の日に、積極的に戦おうとは思わなかったのだ。




五日目。物見の報告を基に戦況図を描いていた長広は、自らの考え違いに気付いた。

今川軍は強固な防衛線が作られた正面を避け、側面から攻撃を仕掛けるために部隊を展開させているものだと思っていた。


それはある意味その通りであるし、既に今川軍は、鶴翼から大きく両翼を内側に曲げ、包囲を完了させつつあった。

これを妨害するため、長広は敵を前方に釘付けにするべく、射撃を集中していたのだが、それでも側面からの攻撃が激しくなると、これを破られる訳にはいかないので、徐々に部隊を両翼へ移動させざるを得なくなった。


しかし、改めて戦況図を見て長広は戦慄した。

こちらの防御陣形は、確実に中央が薄くなっているのに対し、相手は二日目以降、正面の厚みが変わっていないのだ。


背筋が凍る。

敵の狙いはこれだったのかと、恐ろしくなる。


敵の目標は最初から変わっていない。一貫して一つの目標に向けて動いていた。


長広を討つ。


そのためだけに動いていた事に気付いた時、長広の耳に今川軍の雄叫びが聞こえて来た。




「五太夫、ここまでだ!」


「なにがだ、三郎兵衛!?」


米津よねづ四椋よんりょうが長広に近付き、そう声をかけた。

朝から何度となく攻撃を受け、昼を過ぎた頃、防御陣地を突破され、乱戦となっていた。

正面の部隊に兵を回そうにも、側面からの攻撃が激しく、そんな余裕は無かった。

ついに長広は、本陣の部隊まで迎撃に投入するはめになり、四椋は堀内ほりうち公円こうえんと共にそれを指揮していたはずだった。


「撤退の指示を出せ。殿軍は俺が務める」


四椋の言葉の意味するところを理解し、長広は慌てて彼を止めようとする。


「待て! 早まるな! あと半刻もすれば日が暮れる。それまで……」


既に長広も撤退を決意していた。しかし、ここまで食いつかれた状況では、まともな撤退など望めない。

日没まで待って、夜陰に乗じて兵を退かせるつもりだった。

山中城の城兵脱出の報告はまだない。見捨てる事になるが、仕方がないとの判断だ。


「半刻は保たねぇよ!」


しかし、長広の言葉を四椋が遮った。


「仮に保ったとしても、今度は撤退が不可能になっているでしょうな」


四椋に同意しつつ、公円も近付いて来た。


「与四郎! お前(・・)まで……!」


長広は、口調が前世のそれに戻っていたが、そんな事は気にしていられなかった。

兵を預かる身としては、命に貴賤は無いなど、綺麗ごとでしかないと割り切っている。

一兵卒と指揮官格では重要度が違うのは当たり前だ。


そして、ただの家臣と、親友とも言える乳兄弟とでも当然、重要度が違う。


「三郎兵衛、いいんだな?」


「ああ、これは俺の役目だ。むしろ、他の誰かに渡せるもんかよ」


「待て、三郎兵衛! 駄目だ! お前は駄目だ! だってお前は昨年……」


「子供ができたそうなんで、俺の代わりは大丈夫だろ」


「余計に駄目だ! たわけ!」


四椋は昨年、長広の側室、於大の侍女、はな(・・)と結婚した。

子供ができたとは初耳だったが、ならば尚更、殿軍を任せる訳にはいかない、と長広は憤る。


しかし、暴れる長広を、数名の家臣が羽交い絞めにする。


「そ、其方ら……!?」


「お連れしろ! 退き太鼓鳴らせ!」


後方へと引き摺られていく長広に代わって、公円が指示を出すと、太鼓の音が戦場に響いた。


「三郎兵衛! さぶろべえええぇぇぇぇぇええ!!」


「慕われてるな」


「これが乳兄弟の絆よ」


そして四椋と公円は笑い合った。槍の穂先を合わせる。


「殿は任せろ」


「殿は任せるが、はなには手を出すなよ」


「気の強い女子おなごは好みだが、弱った心につけこむのは趣味ではない」


「なんかひっかかるが、まぁいい。頼んだぜ」


そして四椋は自分の部隊の許へと駆けていく。彼らはそのまま殿軍となり、逃げる安祥軍の盾となるつもりだ。


「伝令、誰かおるか!?」


「安楽です」


本陣に残った公円が問いかけると、背後から返答があった。


「安楽……殿、山中城へ向かっていたのでは?」


「脱出の準備が整いましたので、部下に任せて来ました」


「……殿についていかなくて良かったのか?」


わざわざ部下に仕事を押し付けて戻って来たのは、そのためではないのか? と公円は考えた。


「殿を安全に逃がすために、私が残る必要があると判断しましたので」


「そうか、助かる。大隊長で生存しておられるのは?」


「恩大寺様、富永様、荒川様、石川様です」


全員生き残っているとは僥倖だった。指揮系統が乱れていないなら、撤退は十分に可能だ。


「石川様は米津様と同じく、殿軍に残られるそうです」


「いかん! あの方は三河の一向宗を抑えるのに必要なお方だ!」


「その役目は息子の彦五郎様と、豊今庵ほうこんあん様で務まると仰られていました」


「……わかった。指揮権を恩大寺隼人正様に譲渡。撤退の指揮を任せるとお伝えいただきたい」


「かしこまりました」


そう応えると、安楽の気配が消えるのが、公円にもわかった。


「さて、俺も自分の役目を果たさねばな」


本来長広が率いていた本陣の部隊を指揮し、できる限り多くの兵を撤退させなければならない。

それはある意味で、殿軍を務める以上に難しい役目だった。


「ただ戦えば良い四椋が羨ましい、などと言ったら、怒られてしまうな……」


心から慕う主君のために死ねる同僚を、羨ましく思いながら、公円は撤退の指揮を執るのだった。




「安祥長広は撤退。追撃も殿軍によって防がれ、ほぼ不可能……」


その日の夜、陣幕にて太原雪斎は溜息と共に呟いた。


「こちらも死者多数。脱走者、負傷者合も含めますと、損害は三千を超えます。飯尾善六郎為清様の討死が確認されました」


泰能の報告に、雪斎は更に深い溜息を吐いた。

それだけの犠牲を払わなければ、安祥軍が構築した防御陣は突破できなかった。

それだけの犠牲を払ったのに、長広を討つ事叶わなかった。

とてもではないが、勝ったなどとは言えない。


「相手はどうであろうか?」


「残された遺体だけだと千にもなりません。動けない者は生死問わず連れて逃げたという報告がありますので、実際にはもっと多いでしょう。脱走者まではわかりませんし」


「討ち取った武将は?」


「名のある者では酒井忠尚、石川清兼。伊奈貞政、長田広政、岩手晴彦。そして……」


「米津四椋、か……」


「凄まじい気迫でしたな。兵の強さより、その形相に、みな恐れ戦いてしまった」


日中の戦いも激戦だったが、何より殿軍との戦いが一番苛烈だった。

間違いなく、最も損害が出たのはそこだ。


「このまま帰る訳にはいかぬ。夜明けを待って追撃を続行する」


「既に矢作川を渡っているのでは?」


「それならこちらも渡るまでだ。岡崎城の兵が足止めでもしてくれていれば良いのだが……」


「岡崎奉行が何人か入っていますし、数日前に出陣の兆候があったと報告されています」


しかし翌日、太原雪斎の元に彼らにとって不都合な情報が齎される。


「撤退途中の敗残兵に蹴散らされたと……?」


雪斎からその事実を伝えられた泰能は額に鈍痛を覚えた。


「正確には、撤退途中の安祥軍は岡崎城の兵と戦わずに矢作川を越える事に成功した。矢作川の西岸に残されていた安祥家の部隊と、安祥家に味方した一向宗の門徒兵によって撃退されたそうだ」


泰能は言葉が無かった。あれだけの大軍を動員してなお、留守居にまともな部隊を残している安祥長広にも驚かされたが、一向宗が味方した事は凶報でしかなかった。


「となると、安祥軍は既に安祥城へ入りましたか。長広の篭る城の攻略は、骨が折れそうですな」


「それがそれも不可能になった」


「……何故でしょう?」


聞きたくなかったが、訊かない訳にはいかない。


「まず上ノ郷城近くの一向宗の寺で門徒兵が蜂起。これにより、鵜殿の留守居と五井松平が動けなくなった。そのため、南部に釘付けにできていた、深溝、形原、竹谷松平が安祥軍の援軍に出たようだ」


「まず……?」


それだけでも厳しい状況に追い込まれるが、泰能が気になったのはその言葉だった。


「奥三河の領地でも、一向宗による蜂起が起こっている。吉田城の抑えに投入した東三河の者共が、これの鎮圧に向かいたいと嘆願書を送ってきおった」


「そうなると退路が断たれますね」


「それだけではない。今この時にも、一向衆が我らに向かって来ておるかもしれぬ」


最早泰能は溜息を吐く事しかできなくなっていた。

それでも、それ以上は耐えた。恐らく、今一番気落ちしているのは、目の前の雪斎である事が理解できたからだ。


一年をかけて準備していながら、安祥家を討ち滅ぼすどころか、長広を討ち取る事さえできなかった。

挙句、自分達の損害も大きく、多くの武将を失ってしまっている。


戦術的に見れば、小豆坂での戦いは今川軍の勝ちだと言えるだろう。

しかし、作戦全体では、果たして勝ったと言えるのか。


「せめて山中城だけでも落としていきましょう」


「……いや、それだけでは駄目だ。治部大輔様に書状を送る。山中城を落としたのちは、千を山中城に残し、残りを長沢城へ入れる」


「なにをなさるおつもりで?」


「せめて吉田城は返して貰わねばな」


こうして今川軍は安祥軍の追撃を諦め、山中城の攻略に取り掛かる。

三日後、城主三光(かずみつ)が主だった武将と共に山中城を脱出した事で落城。太原雪斎は、変更した作戦の通りに、大村綱次を城代に指名し、千の部隊を残して長沢城へ向かった。


入れ替わるように東三河の勢力が、それぞれの領地へ戻り、一向一揆の鎮圧に乗り出す。

雪斎は吉田城に降伏を促す書状を送るが、城代、松原まつばら福池ふくちはこれを拒否。

拒絶される事がわかっていた雪斎は、今度は安祥城に、兵を退く条件として、吉田城の譲渡を迫った。


しかし安祥家から返事はなく、睨み合ったまま一月が経過した頃、雪斎と泰能には帰国命令が出されたため、兵はそのままに、三浦義就を城代、鈴木重勝を奉行に任命し、二人は三河を後にしたのだった。


安祥軍は撤退しましたが、今川軍も侵攻叶いませんでした。引き分け、もしくは僅差でも判定敗北といったところでしょうか。

サッカーなどの、刻一刻と状況が変わるような戦いで、味方を指揮した事のある人間だと、状況に合わせて人を動かす事の難しさが理解できるでしょう。

朝倉宗滴曰く「名将というのは一度たいへんな敗北にあった人物を言うべきである」

果たしてこの敗北によって、長広は本物の名将に成長できるでしょうか。



某野望ゲーム創造PK準拠、オリ武将


米津よねづ四椋よんりょう

大永4年生~天文17年没(1524~1548)

通称:三郎兵衛

安祥長広家臣。長広の乳兄弟であり、平時では護衛を、戦場では長広麾下部隊の指揮を任される。

第二次小豆坂の戦いにおいて、撤退する安祥軍のため殿軍となり討死。


統率61

武勇63

知略51

政治55

戦法:足止め

特性:武勇型

士道:名 主義:創造 必要忠誠2 格付けB


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― 新着の感想 ―
無理やり苦戦させてる感があって残念。 ・坂の下に陣を張るなら罠張らん?落とし穴、紐で転ばせて将棋倒しとか。 ・釣り野伏とかもやってないし。 ご都合臭がしてきたぞ。
[気になる点] もっと時代に合わせたやりとりをさせればいいのに。 すごく安っぽい。
[一言] ・・・・・・・・・(涙)
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