嵐の前の静けさの後
天文17年は最初こそ、於大と竹千代の対面などがあり慌ただしかったが、その後はのんびりと過ぎて行った。
流石に今川家は停戦条約を自分達から破る気はないらしく、うちに対して戦を仕掛けたり、挑発行為をするような事は無かった。
松平家と、吉良家及びそれに同調した勢力の小競り合いはあったものの、互いに勢力がそれほど大きくないためか、どこかの家が滅ぶなどの変化は無かった。
大給松平と滝脇松平がやたらとぶつかってた印象だけど、なんかあったのかな?
滝脇松平家に付き合わされる能見松平家が可哀想だったな。
しまいには、松平家宗家から停戦を命じられる始末だったし。
渥美半島では開発は順調。
弾正忠家は尾張から援軍を受け、田原戸田家と共に二連木城を攻めたりしていた。
流石に今川家が援軍を出す気配があったので、なし崩し的に停戦が破られてしまうとまずいと考え、飯尾定宗さんに頼んで兵を退いて貰ったけどな。
吉良家、形原松平を通じて、竹谷松平の調略を行ったら、あっさりとこちらに降る事を了承してくれた。
まぁ、形原、大草、深溝の近い位置に存在する松平家分家が軒並み吉良方につき、挙句頼るべき今川方の鵜殿家は、ある意味で父親の仇だからな。
しかも吉良家は三木郷を自領に組み込み、青野松平を圧迫している最中だ。
降らざるを得ないというか、降った方が得だと思うのは仕方ないと思う。
うちに居る、清宗の姉の清姫を返す事を伝えると、忠誠の証にそちらの人質にしておいてくれという返事。
俺は特にそういう気は無かったんだが、古居から、
「分家の血筋も取り込んでおいた方がいいかもしれませんな」
と言われて、暗に側室にしてくれ、と言われたのだと気付いた。
ただ、前世の感覚が残っている身としては、正室と側室を一人ずつ持っていれば、それ以上は別に必要無いと思ってしまうんだよな。
側室をどんどん持って、子供をばんばん産ませて、安祥家を安定させて欲しい、という家臣の想いはわからないでもないけれど。
今なら間違いなく、愛していると言えるけれど、於大も於広も、他から言われて娶った形だから、俺から政略結婚を言い出すのはなんか違和感があるんだよな。
傍に置いておいて交流を深め、いい感じになったら婚姻を申し込む、なんてのも、俺の立場からすれば、立場を盾に強要しているようで気が引ける。
そう言えば、転生してから俺、異性を好きになるって感覚が薄れていた気がするな。
於大や於広は言ってしまえばお見合い結婚みたいなもので、愛情は後からついてきたもんだし、俺から好きになって、アプローチ、みたいな事はなかったし。
今世に順応してるのか、前世も恋愛には淡泊だったのか。
それとも、前世が一穴主義者で、於大と於広で満足している可能性もあるか。
うーん、保留。
於広と同衾を始めたばかりだし、今は新しい奥さんは考えられないよ。
いっそ、三河を支配したあとに、宗家を含む、松平家分家から一人ずつ側室を差し出させた方が、開き直れる気がするな。
さておき、うちが戦らしい戦をせずに内政に励んでいる間、松平家や三河の今川勢力、今川家全体も、同じように内政に励んで力を蓄えていると思ったんだけど、どうも違ったようだ。
ていうか、流石戦国時代と言わざるを得ないよ。
ちょっと大人しくしてたら戦をしたくてしょうがなくなるとか、血の気が多いってレベルじゃないからね。
大給松平と滝脇松平の小競り合いだけじゃなく、吉良家勢力と、松平宗家、今川方の勢力の小競り合い。
田原戸田と弾正忠家が、二連木戸田に対する、今川が出て来ないラインを探るチキンレースとかな。
今川も遠江で独立勢力を潰したりしてたみたいだし、駿河では、北条家と和解したはずなのに、伊豆に対してちくちくと嫌がらせのような出兵を繰り返していた。
なんとか領地全体に食料が行き渡るようになってきた安祥家と違い、他所の土地は基本的に足りてないからな。
弾正忠家は随分とマシだし、吉良家や田原戸田はうちから買えるからいいけど、多くの勢力は、戦にかかる費用<略奪で得る物資、になるよう勢力圏ぎりぎりの村で略奪を行っているんだよな。
勿論、大きな敗北をして、略奪で得られるものが費用を下回ったり、そもそも何も得られなかったりしている事もある訳だけどさ。
うちに降った武将達と話してもわかったけど、どうも彼らは、領民兵は領地から勝手に湧いて来るものだと思っている節がある。
勿論、人は生まれても、戦えるようになるまで時間がかかる事は理解しているらしいんだが、戦でかかる費用、失われる物資、資源の計算の中に、『人』が含まれてないっぽいんだよな。
大きな戦をして大きな敗北をして、その後に兵が集まらないのは、人そのものが減ったから、ではなく、求心力や資金の低下が原因だと本気で思ってるっぽい。
戦で死ねば人は減る。これは理解している。だから、戦を行う前にできるだけ調略を行い、被害を減らす、あるいは、戦をせずに屈服させるようにしている。
けれど、その『人が減る』という事象を、漠然としか捉えてないようなんだよな。
この辺りは感覚的なものだから、俺も上手く説明できない。
そして七月下旬。
約束の一年が過ぎた事で、安祥家もにわかに騒がしくなってきた。
当然、今川の侵攻に備えるために防衛の強化に力を入れるようになったからだ。
吉田城と老津城に詰める人員を増やすだけでなく、作事衆も多く派遣して、防衛施設の増築も行わせる。
しかし駿河でも遠江でも、東三河でも、特別大きな動きはなかった。
相も変わらず小規模な出陣を繰り返しているそうだ。
今川家が動く気が無いのなら、いっそこちらから動いてみるか?
能見松平、青野松平を攻め、いよいよ岡崎城に迫ろうか。
「殿、急ぎの報告がございます」
なんて自室で考えていると、安楽から声がかけられた。
「どうした?」
「遠江と駿河のあちこちに散っていた今川軍が、浜名湖の北西で合流、西進を開始いたしました。数は一万程」
「なにっ!?」
しまった! やられた!
今川家が安祥家に対し、本格的に戦を仕掛けるつもりなら、当然、まとまった兵力を用意するはずだ。
大軍が動くという事は、兵糧をはじめ、物資も多く必要だし、駿河から三河まで来るとなると、その量も膨大になる。
だから、必ず前兆を掴めると思っていた。
この一年、領内のあちこちで小競り合いを起こしていたのはこのためか!
兵を動かし、物資を集めてもこちらに不審がらせないため。
戦の準備は整っているのだから、合流してしまえば、即座に軍事行動を起こせる。
勿論、合流する時点でその動きをこちらに掴まれれば、その意図を見抜かれ、対応されてしまっただろう。
けれど、こちらが相手の動きを掴んでいたとしても、準備に充てられる時間はそう多くない。
意図を読まれようが読まれまいが、どちらでも問題無い訳か。
それこそ、停戦の約定を結んで、すぐの動きから、この事態を予想できなければ、相手の策は成る訳だ。
いや、普通に無理だろ、そんなの。
広虎だって気付いてなかったみたいだしな!
俺は悪くない。
あ、いかん、空気が悪いと安楽がどこかへ行ってしまうフラグだ。
「すぐに吉田城へ援軍を送る! 義次と古居を評定の間へ呼べ! 安祥城城下に居る足軽大将以上の武将も全て集めろ! 尾張の古渡城と渥美の田原城へ書状を送れ! 二連木城を攻めて落とし、後顧の憂いを断つよう! 吉良家には鵜殿家、五井松平家を牽制! 西広瀬城へも援軍を依頼し、大給松平と協力して、能見、岡崎松平を牽制させよ!」
「はは!」
短く答えて、安楽はすぐに動いた。
まったく、なんて策を講じてくれるんだ。
停戦を結んだあとの一年を、国力の増強に使うんじゃなくて、こちらを騙すために使うなんて!
義元っぽくないな、発案者は太原雪斎か?
突然敵が湧いたようなもんだ。前世のゲームだと、CPUインチキだと言われてしまうぞ!
しかし、敵は一万か。
吉田城と老津城に配置している戦力は、軍事衆、警邏衆、それに作事衆を加えても四千程。
籠城すればなんとか、援軍の到着までは保つかな?
東三河の勢力はどう出る? 弾正忠家も一緒にいるから、田原戸田家が裏切る事はないと思うが……。
あとは敵の軍事目標だな。
吉田城を落とすためだけなのか、渥美半島を奪いたいのか。
本気度の確認も重要だ。
落とす事が難しいと判断したら退いて貰える程度なのか。
それとも、どれだけの損害を受けても、落城させるまで戦うつもりなのか。
一年間を、俺達を騙すためだけに費やした事を考えると、決して楽観視はできないな。
史実でも大給松平家と滝脇松平家は戦をしています。今川家による松平家分裂策、宗家による分家消耗策など、色々説があるようです。
そしてついに今川家が行動を開始。敵に準備をされないように、いきなり敵の城を目指すのではなく、まずは国境付近を指定して出撃するのは、某野望ゲームでは基本となるテクニックですね。




