母と子
三人称視点です。
於大は自らの心に戸惑っていた。
妹のように可愛がっていたお方様、於広がついに、長広と結ばれた。
それは喜ばしい事であるし、そうなるように自分も協力して来たのだが、その日が近づくにつれ、心は沈み、その事実を知ると胸が痛んだ。
それが嫉妬であると気付かない程、於大は未熟でも世間知らずでもなかった。
於大が戸惑っていたのは、自らが於広に嫉妬していると気付いたからだ。
於広は長広に抱かれた後も、変わらず於大をお姉様、と慕ってくれている。
侍女達も、本当の意味で夫婦になった二人を重視して、於大を蔑ろにするような事はなかった。
先日、水野家時代からの自分の侍女、はなが嫁に行ったが、その時は嬉しさと、微かな寂しさこそあれ、相手に嫉妬をするような事は無かった。
「それはお姉様が殿を慕っている証拠です!」
このまま一人で考え込んで、心を病んだ挙句に、我が子獅子丸や、於広に害を与えてはならない、と於大は意を決して於広に相談した。
彼女がよく読む、昔の書物では、恋に敗れた女が嫉妬から狂い、果てて、怨霊になるものが多かったからだ。
於広は、いつもと変わらない、太陽のような眩しい笑顔と元気さで、そう答えた。
「殿を愛しているからこそ、想いを自分に向けて欲しい、自分だけを想って欲しい、とそう願ってしまうのですよ!」
もし於広の言葉が本当なのだとしたら、自分は側室としてそぐわないのではないか。
「だって於広もそう思ってしまう時がありますから!」
於広の言葉に衝撃を受けていると、更なる言葉が彼女から飛び出した。
「うふふ、お姉様、私達、似た者同士ですね!」
於大の手を取り、そう言って笑う於広に、於大はようやっと、救われた気がした。
「ふふ、きっとそうですね」
自分より年下の少女が、自分を励まそうとしている。
正室である彼女がその立場を使えば、於大など簡単に追い出せる。
本当に長広を独り占めしたいと思うなら、それができる立場にあるのが彼女だ。
しかし彼女はそれをしない。
それは、於広が、長広を想っているのと同じように、於大の事も想っているからだと理解した。
そして於大も、自らの心を理解する。
於大とて、男児を産んだ立場を使えば、於広を追い出す事は可能だ。
長広を独り占めしたいと思えば、それができる立場に居るのは於大も同じだった。
けれど、於大は嫉妬する自分の心に悩んだ。
それはつまり、自分も於広を想っているという事だからだ。
それを理解した時、於大は自らの中にあった戸惑いが消えている事に気付いた。
一月も終わりにさしかかった頃、於大は於広と共に、長広に連れられて尾張に来ていた。
新年の挨拶はしたが、改めて、於広と長広が夫婦になった事を報告に行くのだと言う。
折角なので、と於大も同行するよう長広に言われた。
長広と於広と共に旅をするのは楽しかったので、それ自体に文句は無かった。
尾張に着くと、於大は古渡城下の屋敷に入り、長広と於広だけで城に向かった。
これは正室と側室の立場の違いがあるので気にしなかった。
同じように扱って貰える、安祥家が特殊なのだという事は、於大もわかっている。
暫くすると、三郎信長の使いという武士が現れた。
信長が会って話したいと言うので、護送するよう命じられたそうだ。
いくら宗家の嫡男とは言え、夫のある女性と、夫抜きで会うなど、あまり褒められた行為ではない。
しかし、既に長広の許可は取っているらしく、花押の入った書状まで渡されては、否とは言えない。
三十人という護衛の数に加え、於大の周囲は女性で固めるという気の遣い振りに、於大が逆に恐縮してしまった程だ。
竹林の入口で、護衛の武士と女性とは別れた。竹に囲まれた道を真っすぐに行くと庵があり、そこで待っているという。
そして於大は、そこで出会った。
身なりは良く、背筋も伸びているが、腰には何も差していない。
丸い顔に、細く、垂れた目。口元は笑っているように微かに吊り上がっているが、逆に太い眉は八の字を描いている。
初めて会った筈の幼い少年。
於大はその少年の正体に気付いた。
初めて会った筈、だが、初めて見るのではない。
およそ七年振りだが、於大は自らの中にある本能で気付いた。
「たけ……ちよ……?」
確証はないが、その名前が自然と口を突いて出た。
産まれてすぐに引き離された、於大の初めての子供。
敵対する武家に再嫁した事で、忘れる事に務めた子供。
愛しさが込み上げて来る。
本能的に駆け寄ろうとするが、理性がそれを押し止めた。
竹千代が誘拐され、弾正忠家に居る事を於大は聞かされていなかったが、彼がここに居る理由を、彼女は察した。
同時に、自分と竹千代の立場の違いも理解する。
それに何より。
覚えている筈がないではないか……。
「ははうえ……?」
しかし、呆けたようにこちらを見つめていた少年の口から、その言葉が漏れた瞬間、於大の理性は吹き飛んだ。
駆け寄り、抱きしめる。
竹千代も、しっかりと於大を抱きしめ返した。
「ああ、ああ、竹千代、竹千代! ごめんなさい、ごめんなさい!」
「よいのです、よいのです母上! 母上のせいではないのです!」
戦国の流れに引き離された親子は、同じように涙を流しながら、いつまでも、いつまでも抱き合うのだった。
於大の事だけを切り取ったらちょっと短くなりました。
史実でも於大は竹千代と文のやり取りは許されていたそうです(独立前に会っていたかは不明)。
次回は、(予想できているとは思いますが)今回の再会劇の舞台裏を披露します。




