田原城救援 前日譚
天文16年7月。
今日は非常に目出度い日だった。
山崎城に入っていた俺の同母弟、信時が結婚したからだ。
福釜城攻略の武功のお陰か、元々関係無かったのかはわからないが、とりあえず祝いの書状と品を贈っておく。
相手は水野信元の娘、於水。
弾正忠家との更なる結びつきを求めたい緒川水野家と、知多、三河の安定を図りたい弾正忠家の思惑が一致した結果だった。
男子が居ない信元は、信時の次男を養子に貰い受ける約束もしたそうだ。
完全な政略結婚ではあるが、まぁ目出度い事に変わりはない。
弾正忠家と水野家の変わらぬ絆は、安祥家の安全にも繋がるからな。
ともかく信時、幸せにな。
信元さんは、安城包囲網に巻き込まれて手痛い打撃を受けたせいで、武力による知多半島統一事業が頓挫してしまったようで、婚姻同盟などの外交努力によって勢力を広げる、融和政策に切り替えたらしい。
信元さんと於大の異母妹を常滑水野家の現当主の息子に嫁がせる。
同じく異母妹を大高水野家の嫡男に嫁がせる、などをしている。
長年争っていた佐治家が改めて弾正忠家と同盟を結んだので、地盤固めをしつつ、南下を狙っているんだろう。
更に東西吉良家惣領、吉良義安の娘と、深溝松平家の嫡男が婚約を発表。
義安は形原松平の説得にも成功していて、名門吉良家の面目躍如といったところだろうか。
さて、年の初めに京へ行っていた義昭が戻って来た。
改名は問題無く行え、幕府と朝廷から感謝の言葉まで賜って来た。
更に朝廷からは従六位下の階位まで与えられたという。
「流石に三河治罰のお言葉まではいただけませんでしたが、帝からは、三河守様の下で治まるよう望んでいるとのお言葉を戴きました!」
昇殿は許されなかったので、あくまで伝聞だそうだ。
まぁ、百貫の献金で貰える言葉なんてそんなもんだよな。
三河治罰の言葉なら、三河の国人、豪族にかなりの影響を与える事ができるだけに、朝廷としても軽々に与える事はできないもんな。
期待してるぞ、程度なら安祥家が負けたとしても大して朝廷の不利益にはならない。
義昭の名前は、西尾新三郎吉明となった。
西尾は元々言っていた通り、地名に因んだものとして選んだそうだ。近いうちに義次が養子に入り、西条城も西尾城へと改名させる予定だ。
義次の『義』も、東条吉良家一門であるので、足利家の通字を戴いたもの。後々問題にならないように、早いうちに変えさせた方が良い、というのが古居達の意見だ。
最初は義次を吉明の養子にするつもりは無かったんだが、吉明の養子になる事で、「父に倣って吉次へと改めました」という言い訳を使えるようになる。
輩行名は元々の三郎が、義昭が仕えている安祥家の主筋、弾正忠家の跡取りが代々名乗るものなので、変えた方がいいだろう、と判断したらしい。
新しくした名前、という意味で『新』をつけたそうだ。
安祥と合わせて、吉祥という事で、義を吉に変え、未来が明るいという事で、昭を明に変えたそうだ。
自称である左兵衛佐は、荒川義弘と被るという事もあって名乗らないそうだ。
ともすれば卑屈と思われそうな改名由来だが、本人至ってノリノリなので、まぁ、何も言わないでおく。
何か言うとブーメランになるし。
職人の引き抜きもうまくいき、吉明、広虎と共に十人以上が安祥へとやって来た。
特別な技術を持った職人こそ居ないそうだが、人が増えるのは単純に良い事だ。
更に、準備が間に合わなかった職人が、後日到着するらしい。
孤児も何人か連れて帰って来た。
畿内の寺社は断られた場所の方が多かったらしいが、それでも幾つかの寺に孤児院を設置する事を約束させられたようで、まぁ、この辺りは駄目で元々だから良い。
「新三郎、これは、本当か?」
孤児院について吉明から渡された書状を読んだ俺は、思わずそう尋ねていた。
「事実でございます。本人から直接手渡されたものでありますれば」
「そうか……」
内容は単純。自分達の領地でも孤児院を設置するから、支援をお願いしたい、というものだ。
問題は書状の差出人。
山科言継。
朝廷の財務を司る最高責任者である内蔵頭であり、最終的には権大納言にまで上り詰める大物だ。
確か天文二年に尾張を訪れて、親爺達に蹴鞠や和歌を教えたはず。
孤児を引き取り育てるだけでなく、教育を行い、吏官として武家に貸し出すなどするそうだ。
正直、孤児院の構想を聞いただけで、これに思い至った事に、俺は素直に感心していた。
献金だけでなく、孤児を引き取って育てるという事で、わかりやすく畿内の人々から尊敬されるだろうし、しがらみのない家臣を得る事もできる。
これならわかりやすい。多くの者が思いつく、孤児院を経営するメリットだ。
しかし、誰にも言われず人材派遣の有用性に気付く事は中々できない。
優秀な人材に育て上げて、繋がりのある大名に貸し出すなどすれば、彼の名声は更に高まるだろう。
伊賀や甲賀など、傭兵業を営む集団は存在していたが、内政官の貸し出し事業というのは史上初ではないだろうか。
この時代の武士は、戦場での活躍を第一としている。武家を運営するうえで、内政官は非常に重要な存在なんだが、多くの武士が、書類仕事を軽視しているし、槍働きより書類仕事が得意な武士を軽んじる傾向にある。
安祥家でもまだその意識が蔓延っているのに、他の家でこれを変えようとするのはかなり難しいだろう。
けれど、武家の当主なら、内政官の重要さも理解しているから、そうした部下は喉から手が出る程欲しい筈。そこへ、手柄を立てる必要のない内政官が貸し出されて来るんだ。
平民から教育して取り立てる事は勿論可能だが、身分社会である武家で、そのような人間が財務政務に携わっていたら、不満も出るだろう。特に財務官は戦を止める事の方が多いだろうし、戦に注文をつける事も多いだろう。
平民の出身で戦場に出た事も無い人間にそれを言われたら、武士は果たしてどう思うだろうか?
だが、その相手が山科卿から紹介された人物であったら?
不満を抱く武士もいるかもしれないが、山科卿の家臣が言うなら、と納得する武士も出るかもしれない。
山科卿の思惑はさておき、俺としてもこの繋がりは嬉しかった。
公卿の大物との繋がりができたという単純なものは勿論だけど、彼の持つ知識が重要だ。
蹴鞠、和歌、法令や習慣を研究する有職故実、楽器などの文化的な知識。
そして何より、漢方。
製薬の知識があり、現存する日本で最古の診療録である『言継卿記』を記した程の人物だからな。
安祥領内でも医者の育成は始めている。
信長の初陣後、史実で信長が初陣を果たす筈だった大浜城がうちに降った。
大浜城を居城にしていたのは長田一族だったが、当主広政の弟は医者であった。
降伏当時は甲斐にいたが、信虎時代の広虎の侍医だった事もあり、その伝手で三河に連れて来て貰った。
彼を中心に医術を医学に昇華するべく研究を進めているが、ここに山科卿の知識が加われば、研究は大きく進むだろう。
史実において親爺の死因は病死だと言う。
詳しい記述はなく、流行り病という説が濃厚だが、それだって種類がある。
風邪やインフルエンザなら俺の知識でも対処できるが、それだって手遅れになる可能性は十分にあるし、結核や天然痘だとどうしようもない。
間に合うかどうかはわからないし、対処可能な病気かもわからないが、やれる事はやっておきたい。
「それでは殿、畿内、近畿から連れ帰った彼らの紹介をさせていただきます」
「うむ、頼む」
吉明、広虎の後ろには、四人の武士が平伏していた。
安祥家に引き抜けそうな人材がいたら連れて来て欲しいとも頼んでいたからな。
勿論、元の家との間に禍根を残すようならやめろとは言ってあったが。
「お初お目にかかります。北近江は京極家に仕えておりました、磯野丹波守員昌と申します」
え? 磯野?
員昌ってあの『姉川十段崩し』の?
「主君、北近江にて浅井の勢力が増して来たため、これに屈する形で磯野家は浅井亮政に降りました。父、員宗は磯野分家筋の人間でしたが、本家の員吉の養子となり、家督を継ぎました。しかし父の死後、拙者がまだ幼かった事もあり、叔父が一旦家督を継いだのです。叔父には男子がおりますので、このままでは家督争いに繋がるのではないか? と案じておりましたところ、新三郎殿の誘いがあり、これに応じたのでございます」
「そ、そうか。それは大変であったな」
そう言えば、磯野員昌の家は元々浅井と敵対していて、佐和山城の陥落にはこの過去が影響しているって話もあったな。
まだこの時期だと、浅井家側との間に信頼関係が築けていなかったのかもしれない。
「磯野殿の父が本家の家督を継ぐにあたり、元々の本家筋の人間は本領である佐和山を追い出されておるそうで、それもあって不安だったのでしょう」
「若輩者ではありますが、よろしくお引き立て願いたい」
「うむ、励めよ」
俺の言葉に、員昌は深く頭を下げた。
「お初お目にかかります。伊丹権大夫雅勝と申します」
員昌の隣に座っていた青年が自己紹介をする。
うーん、知らない名前だ。
「父は摂津国の国人であり、伊丹城の城主でありました。しかし畿内の政争に巻き込まれ、城は三好元長に攻め落とされ、父は翌年、柳本賢治によって討たれてしまいました。まだ八つだった私は家臣と共に伊勢に逃れ、身を隠しておりました」
あー、この時期、細川一族の内輪もめに、大内、三好、そして将軍家が入り混じって、畿内は大混乱してたもんなぁ。
「伊勢国の水軍衆、向井氏の下で世話になっておりましたので、そちらの方面でお役に立てるかと思います」
「うむ、安祥家は湊を整備したばかり、水軍衆の配備もままならぬ状況。知識と技術を持つ者は歓迎である」
「ありがとうございます」
今は交易、渡航用にしか使っていない西尾湊だけど、その安全を考えるなら、水軍の編成は必須だ。
伊勢や遠江から人材を呼ぶ事も考えていたけど、向こうから来てくれたのは嬉しいな。
雅勝の家臣はまだ伊勢にいるらしく、仕官が叶ったら呼ぶつもりだったらしい。
幼い、主君の次男を連れて逃げるくらいだから、忠誠心は高いだろう。是非とも登用したい人材だ。
「お初お目にかかります。畠山家に仕えておりました、柳生美作守家厳と申します」
え? やぎゅう……!?
「息子の、新次郎宗厳と申します」
そして、員昌たちの後ろに座っていた、二人の武士が前に出て、そう挨拶をした。
石舟斎も来ちゃってるじゃねぇか! いいの!? これ、いいの?
なんか、無課金でコツコツ戦力を整えてたところに、詫び石でガチャ回したら最高レア出たみたいな気分なんだが……。
嬉しいけれど、申し訳なさもある。
まぁ、広虎や保長みたいな前世における有名どころも居るには居るけどさ。
「柳生家は畠山家臣の木沢長政に仕えておりましたが、天文十一年に主君長政が討死。筒井順昭に居城を攻められ降伏しました。当然、そのような経緯でしたから、筒井家に忠義も恩義もありませぬ」
わぁ、はっきりと言い切ったね。
まぁ、史実でも、大和に松永弾正が進出すると、筒井を裏切って松永に寝返ってるからなぁ。
うちも気を付けよう……。
「筒井家でも持て余していたようで」
吉明が補則する。
既に剣豪としても有名だった家厳だから、召し抱えてみたものの、面従腹背が透けて見えるから、筒井順昭としても扱いに困っていたんだろうな。
「俺はここにあの中条流の末裔が居ると聞いてな!」
「これ、新次郎!」
年齢通りに落ち着いた様子の家厳とは違い、若い宗厳は横柄な態度だった。家厳に諫められ、俺の家臣から睨まれる。
武者修行気分かよ。
けど宗厳って、結構負けてるんだよな。柳生一族の惣領ってだけで、剣の腕は実はそれほどでもなかったりするんだろうか?
「息子は態度こそこのような礼儀のれの字も知らぬ無作法者でございますが、幼少より戸田一刀斎、神取新十郎などに学び、剣の腕を磨いております」
「畿内一との評判だぜ!」
自分で言うな。
「自分で言うでないわ! まぁ、評判は事実でございます」
「うむ、よかろう。二人共、励むが良い」
「ありがたき幸せ」
「なぁ、殿様、中条流と試合させてくれねぇ?」
家厳が頭を下げる横で、多少は頭を下げつつもそんな事をのたまう宗厳。
「いずれ機を見て場を設けよう。それまでは軍事衆にて訓練に励め」
「おお! 約束だぜ! よろしくな、お殿さが!?」
そう言って下げた宗厳の頭を広虎が踏みつけた。
鼻からいったな。
「殿、この場で斬る事もできるが?」
「良い、若者は多少無礼なくらい元気な方が頼もしい」
俺より若いもんなぁ。柳生惣領としてのイメージがあるから、どうしても違和感がある。
どっちかってーと、家厳の方が、俺の中にある石舟斎っぽいんだよな。
「軍事衆で一月も訓練させれば、態度も自然と改まろう」
「「「ああー」」」
吉明と広虎をはじめ、軍事衆での研修経験者が納得したような声を上げる。
軍事衆の訓練そのものは、きついものは当然あるが、いざ戦で使い物にならないとまずいので、そこまでひどいものじゃない。
けど、軍事衆での研修は、軍隊として集団行動が可能になるよう、個人の尊厳や価値観を叩き壊すようになっている。
フルメタルなジャケット並の鬼訓練が待っているわけだ。
しかも、俺の中途半端な前世の知識に基づいているので、人の限界などが厳密に計算されている訳ではない大雑把さが恐ろしい。
「失礼いたします」
話がひと段落するところを見計らっていたのか、それともたまたま今になったのか、丁度良いところで小姓が声をかける。
「どうした?」
「弾正忠家より書状が届いております」
「わかった」
俺が手を差し出すと、小姓が近付いて来て、お盆の上に乗せていた書状を俺に手渡す。
しかし、このタイミングで親爺から? ああ、信長からの可能性もあるのか。
それは親爺からの書状だった。
内容は、竹千代を誘拐した事に始まり、それを盾に松平家宗家に臣従を迫ったが断られた事、そして、実行した田原戸田家が援軍を求めているので、これに応じるように、との命令だった。
竹千代の誘拐に関しては、うちでも情報を掴んでいた。
そりゃ、不自然に渥美半島で渡航の準備をしているのを知れば、前世の知識と合わせて、竹千代の護送が始まるのだとわかる。
十中八九そうだとわかっていても、まだ竹千代の誘拐が起きていない以上、その事を弾正忠家に忠告する事はできなかった。
太原雪斎に安祥城を攻められた時、俺の保険になるから、竹千代の誘拐自体はいいんだが、もう史実とは大分違っちゃってるし、負けるつもりもない。
第三次安城合戦が起きる事は想定して動いているけど、負ける事を前提にはしていないんだよな。
勿論、太原雪斎が史実以上のチートだったりして、俺が敗北する可能性はある訳だから、そういう意味では竹千代を弾正忠家に誘拐して貰う事は悪い事じゃない。
けれど同時に、それは今川による西三河への本格的な介入を招く事にもなる。
野戦ならともかく、籠城戦では負ける可能性は低いと思っているが、可能であるなら、今川の参戦を遅らせる努力をするべきだ。
だから俺は、安楽に命じて、護送船団の中で、尾張に向かう船を見張らせ、その船に乗っている人間を監視させた。
案の定、津島に着いた船の中に、竹千代が居たという報告があった。
すぐに俺は親爺に書状を送り、先に述べた理由を書いて、竹千代を使って松平家を臣従させるのではなく、身代金を貰うか、重臣を人質交換で預かるかした方が良いと伝えた。
そして今、その返事があった訳だが……。
「……皆の者、弾正忠家より、今川に攻められている、渥美の田原城の援軍に向かうよう命令があった」
俺がそう伝えると、評定の間はにわかに騒がしくなる。
そそくさと、員昌と雅勝が端に寄り、家厳が宗厳を引き摺って端へと移動した。
広虎と吉明も、それぞれの序列の場所に座る。
「田原戸田と協力し、松平家宗家の嫡男、竹千代を誘拐したそうだ。それを盾に臣従を迫ったが、松平家はこれを拒絶したらしい」
「となると、その嫡男は処刑されたので?」
尋ねたのは松原福池だった。
「いや、今後に備えて手元に置いて育てるそうだ」
「大殿の下で元服させれば、我らが松平家を攻める時の大義名分になるかもしれませんからな」
古居が親爺の行動目的を推測する。
「あるいは殿に気を遣われての事でしょうか?」
義次がそう意見を述べる。
竹千代の生母が、俺の側室である於大である事を思い出したのだろう。
「理由はどうあれ、弾正忠家は竹千代を生かしておくつもりだし、誘拐の手伝いをした田原戸田を救うつもりだ。しかし、我ら安祥家は、弾正忠家の分家とは言え、独立した一つの武家である。命令にただ唯々諾々と従う必要は無い」
そして俺は家臣達を見回す。
みな、どうするつもりなのか? と不安と期待がないまぜになったような表情をしていた。
広虎はなんかニヤニヤ笑っている。
「断れば関係は悪くなるだろうが、すぐに絶縁という事はないだろう。皆の意見を募りたい」
「田原城のある渥美半島は少々遠いです。松平方、今川方の勢力圏を幾つか通らねばなりません。援軍は難しくあります」
最初に意見を出したのは古居だった。
こいつが積極的だというよりも、この中では最も古く、最も発言力がある家臣だから、自分が何か言わなければ、他の人間が躊躇してしまうと考えての事だろう。
「しかし、田原城を見捨てては、今川に渥美半島をくれてやるようなもの。そうすると、今川の勢力が、知多半島を伝わり、尾張にまで及ぶやもしれません」
反対意見を出したのは四椋だった。
「そのような場所で裏切ったのだ。多少は今川への対抗手段があったのではないか? ここはお手並み拝見も悪くない気がするな」
様子見を提案するのは広虎だ。
「西尾湊から海路ではどうだろうか?」
援軍を出す場合の進軍経路に関して、西尾住吉が意見する。
「戦船に使える数が足りていません。今川も海路は塞ぐでしょうから。海を行くなら、直接田原城ではなく、渥美半島の西端に上陸し、そこから陸路ですね」
「いっそ戸田殿にそこまで逃げて来て貰っては? 田原城の援軍が成功したとしても、今後の事を考えれば守るのが難しい場所です。渥美半島の西端なら、こちらも救援しやすい」
義次が住吉の意見を否定し、吉明がそれを補強する。
恐らく今川は、新しく東三河に築いた岩略寺城を中心に、陸路での交通の要である今橋城改め、吉田城を拠点に田原戸田を攻めるだろう。
それならいっそ、海路から豊川に入って、吉田城を強襲するのも手か?
素早く動けば、今川方の三河勢が海上を封鎖する前に入れるかもしれない。
うぅむ、見捨てると今川が渥美半島を抑えてしまい、知多、西三河が脅威に晒される。
かと言って、救援は難しい。
水軍が整っているなら、敢えて見捨てて、海上で今川を削る事も考えられたんだが……。
とりあえず、竜骨船はまだできていないが、試作品の木製大筒を乗せるための巨大な船は用意できている。
ただ、船乗り曰く、波が少しでも高いとひっくり返るから、海上で敵の船と戦うには向かないそうだ。
つまり海上で船を固定し、陸上に対する艦砲射撃にしか使えないという事。おまけに、まともな砲弾がまだできていないし、飛距離は百メートル程で、数発撃つと砲身が壊れる。
火薬の量を増やして、最大三百メートルまで射程が伸びたが、そうなると完全に使い捨てになるそうだ。
つまりまだまだ研究が足りない。
海上での戦で優位を得るのは当分先だな。
「完全に見捨てるという選択はなさそうだな。小座衛門、海路で田原城の救援へ向かう。五千の兵を運べるよう手配しておけ」
「はは!」
「吉明は伊丹と共に先行し、海上の様子を探れ。直接田原城へ向かえるようならそのまま進むが、今川の海上封鎖の方が早そうなら、立馬崎付近からの上陸を試みる。主力船団は佐久島にて待機」
「はは!」
「惣兵衛、安祥の軍事衆の他、荒川城、西条城、牟呂城、大浜城の警邏衆を動員する。鴛鴨城、桜井城の警邏衆を半分、安祥の防衛に回せ」
「はは!」
「大隊長以下、各指揮官は追って指示する。援軍の総大将は儂が務める。留守居の城代は碧海古居。補佐に無人斎広虎と富永忠元」
「良いのか?」
これは自分を信用していいのか? という問いと、自分を連れていかなくて良いのか? という二つの問いが含まれているんだろうな。
「長旅で疲れているだろうからな。老体に無茶はさせられん」
「気遣い無用。しかし心遣いに感謝を」
確か史実では、田原戸田氏は田原城に籠るが、衆寡敵せず滅んだ、くらいしか記述が無かったな。
今川家が大軍を動員したというより、戸田家が碌に兵を集められなかったんだろう。
渥美半島は一部の山地を除けば、海水を含んだ湿地帯であるため、作物を育てる土地としての価値はほぼ無い。
それ故に、領地の面積と比べて、人口は非常に少ない場所でもあるからな。
戸田家も、あくまで知多半島と繋がるための場所、としか思っていない節があり、渥美半島に築かれたまともな城は、付け根付近の田原城と、突端部付近の和名城くらいだ。
ただ、平地はほぼ湿地帯という立地であるため、非常に守り易い場所であるとも言える。
今後を考えれば、義次の言う通り、和名城まで退いて貰った方が救援が楽になるな。
あるいはいっそ、渥美半島から西周りに、三河を攻めるのも手か?
岩略寺城は難しくても、吉田城を落とせれば、その後の渥美半島防衛が楽になるのは間違いないからな。
義昭の改名は、当然の話で拙作オリジナルです。ご了承ください。
義昭が連れて帰って来る人材を探していたら、中々の大物が引っかかりました。
雅勝は史実だと、伊勢での牢人後、上野へと流れていくそうです。いつ頃関東へ流れたのかは不明だったので、この時期にはまだ伊勢にいたとさせていただきます。ご了承ください。
信時のお嫁さんは、資料には無かったので、このような形に。
ちなみに、名前こそオリジナルですが、本来は常滑水野の家に嫁ぐはずだった女子です。常滑水野の所へは忠政さんの娘に嫁いでいただきました。この忠政さんの娘が本来嫁ぐはずだった、水野豊信なる人物が、どこのどなたであるかが、作者では調べられなかったため、説明がしやすいように変更させていただきました。ご了承ください。




