小学生の頃、私は転生を繰り返す桜餅(おじさん)を拾いました。
今日はとっても悪い日だ。
ひとつ、学活の授業で来月の遠足の班決めをしたら、ものの見事にハブられた。
担任に頼まれて渋々私を班のメンバーに加えてくれたあの子たちと、いったい何をどうやって仲良くすれば良いって言うのか。完全に私はお邪魔虫だった。
ひとつ、傘を持たずに登校したら、帰りにどしゃぶりの雨に降られた。
こんなに大雨になるなんて聞いてない。靴の中がべしょべしょで、気持ち悪いったらありゃしない。
学校から家まで十五分間の距離が、今日はいつも以上に長く感じられた。
走っていたら躓いて、思い切り水たまりに顔面ダイブする。膝も痛いのできっと擦りむけている。控えめに言って最悪だ。
あれもこれも全部、春休み明け直前に風邪をひいたせい。免疫力の弱々な自分を呪いたい。
始業式の日から三日間学校を休んだ。今日初めて新クラスに登校したら、もうクラス内のグループはとっくに完成して、カーストもなんとなく成立し始めているように感じた。
完全に、出遅れた。
別に、もう小学五年生だし。あと二年で中学生になるんだから、ちょっとぐらい我慢すればいいだけだし。別に平気だし。
――なんて言い訳をしても、やっぱり小学生にとっての二年間はまぁまぁ長い。つらい、無理。もう学校行きたくない。免疫力だけじゃなくメンタルまで弱々だった。
顔面をすでに雨で濡れた袖で拭って、よいしょと地面から起き上がる。膝からは血が出ていた。
「あーあ、最っ悪」
もしこのとき転ばなかったら、私は気づいていなかっただろう。雑草が生い茂ってモサモサしているところに、ひとつの段ボール箱が置いてあったことに。
捨て猫か、犬。それを見て、とっさにそう推測した。ひりひりと痛む膝に障らないようにゆっくりと歩き、箱の中を見る。
目の前に見えたのは、なんだかおかしな光景だった。
濡れてしわしわになった箱の中には、薄汚い白い毛布が敷かれている。雨でインクが滲んだのだろうルーズリーフに、細いボールペンらしき字で、『ご親切な方、この子を拾ってください』と書いてあった。
これでもし中身が犬や猫だったら、別段変なことではない。私は、捨てられて可哀想になぁ、と思うだけで素通りできただろう。
しかしそこにいたのは犬猫ではなかった。動物や生き物と言っても良いのかすら分からないようなものだった。
半殺しのピンク色の塊――と言うとややグロいような気がしないでもないが、それはおそらく桜餅だ。
米の粒感が残る桜色が、少し潰れたような球状になっている。しなしなの葉っぱの塩漬けにおくるみのように包まれて、それは段ボール箱に直入れされていた。
そばに落ちていた小枝を拾うと、それを突っついてみる。
食べ物にしても生き物にしても地面に落ちていたもので突くなんて非道かもしれないが、素手で触る気にはなれなかったし、こんな変なものを素通りすることもできなかった。
『痛っ』
ん? 今こいつ喋ったような気がする。気のせいかな?
もう一度強めに突いてみる。桜餅が跳ねた。
『おい、痛いって馬鹿っ!』
「しゃ、喋ったぁーっ!?」
もし誰かが今の私の姿を見ていたら、きっとヤバい子だと思っただろう。そのくらいのバカでかい声を上げた。
桜餅が喋った衝撃をなんとか受け入れた後、発言の内容について考え始める。
「……てか、桜餅に馬鹿って言われたの私? は? 生意気な桜餅」
『いや、初対面の相手に問答無用で木の枝ぶっ刺すお前も生意気だろ』
「うわー、可愛らしいピンクのビジュアルのくせに喋り方可愛くない。声も可愛くない」
『お前も顔は可愛いのに性格可愛くないな』
「顔をお褒めいただき感謝ですー」
まさか人生で初めて家族以外の人――こいつを人にカウントしていいのか分からないが――に言われる『可愛い』が、こんな場面でこんなのに言われるとは思ってもみなかった。
桜餅界の美醜の概念がどうなっているのかなんて知らないし、あまり喜ばない方がいいかもしれない。
喋る桜餅なんて気味悪いし、このまま雨に打たれていたら風邪がぶり返すだろうし、もう話すこともないので家に帰ろう。
私はすっくと立って段ボール箱に背を向けた。途端に桜餅が喚き始める。
『おいおいおいおいおい! 俺を置いてくのか!?』
「そうだけど?」
そのままずんずん歩いていくと、諦めの悪い桜餅がさらに大声を上げた。
『ひでぇ! お前字読めねぇのか?』
「読めるに決まってんじゃん馬鹿」
『じゃ、見てないんだな。ほら見ろ。「ご親切な方、この子を拾ってください」って書いてあんだろう』
「私はご親切じゃないから良いの」
『ああそうか。思いやりの心がないからお前には友だちができないんだ』
「……は?」
突然に、ピキリとなにかが音を立てた。ぐるんと勢いよく振り返って、段ボール箱を睨みつける。
普段よりもうんと低い声が出た。ザーザーと降る雨の音が、嫌に耳につく。
「あんた、今、なんて言った?」
『てめぇに優しさがないからぼっちなんだなーって言ったんだ。なんだ、図星か?』
「……ぼっち、ねぇ」
普段の――春休み前の私だったら、こんなことで心乱されたりしない。だって四年生のときはフツーに友だちいたし。『来年も仲良くしよーね』って、言った子いたし。
ただ、仲良かった子がみんな違うクラスになっちゃっただけなのに。ただ、春休み明け前に風邪ひいただけなのに。
なんでいきなりこんな惨めな状況になってるんだ。なんで一気にクラスの最下層の〝ぼっち〟なんてのになってるんだ。……現実を認めたくない。
「……取り消してよ」
『は?』
「ぼっち。って、言ったの。取り消して」
『嫌だね。あんた図星なんだろう。やーい、友だちいないぼっちめー。べろべろばー――ごぉっふ』
「ああ、粒餡かぁ」
あんまりにもムカついたので、こいつを拳で一度殴ってしまった。中身がちょっと出てくる。
完全に八つ当たりだ。サイテーだ。
『まあまあ落ち着けって菜々ちゃん。な? おじさん今ちょっとグロ注意になってるって』
「へぇ、あんたおじさんだったんだ。でも自業自得でしょ――って、なんで私の名前知ってんの?」
『まあ細かいことは置いといて、俺を拾ってくれよ。食べ物がこんなところで雨ざらしじゃあ、そのうち腐っちまうぜ。そしたら死んじゃう』
「食べ物なのか生き物なのかどっちよ」
『菜々ちゃんが風邪ひいたらお母さんも悲しむでしょ? はい、あとは菜々ちゃんのお家で話そう』
「うちはペット禁止だよ、おじさん」
『おじさんは食べ物だから大丈夫。ほら行くぜ』
人の話をまともに聞かない変な桜餅は、ぴょんぴょんと私の靴に飛び乗ってきた。
「いや、キモいんだけど。歩けるなら自分で歩いてよ」
『やだぁ。ぴょんぴょんするの疲れるも〜ん』
「うわ、キモい。箱に戻れ」
こんなにキモい桜餅は初めてだ。動いて喋るだけでキモいのに、さらにキャラがうざくてキモい。
『ひどい。おじさん泣いちゃう』
「泣けるなら泣いてみてよ。目があるようには見えないけど」
『うっ。そうだな。実は俺は、悲しくても泣くことすらできないんだ……可哀想だろう?』
「……」
目も鼻もないようなくせに、桜餅からすんすんと鼻をすするような音が聞こえ始める。ほんのちょっとだけ、1ナノメートルくらいだけ、可哀想かもしれないと思い始めた。
『お願いだ菜々ちゃん。この哀れな桜餅の願いを聞いておくれ』
「願いって何」
『とりあえず菜々ちゃんちに運んでください』
「おじさんロリコンなの?」
『違う。菜々ちゃんには別に興味ない』
「あっそ、じゃあさようなら」
『待ってぇえええ、菜々ちゃぁああんっ!!?』
よくここまで大きな声を出せるものだと思うくらいの声で、桜餅は叫んだ。耳がキーンと痛くなる。
本当にうざい。面倒くさい。こんなやつ置いて帰りたい。
でもお母さんに『みんなに優しくするのよ』と言われていることを思い出すと、この変なのの願いも叶えてやった方が良いのではないかという気になった。
こいつには『思いやりの心がない』だの『優しさがない』だの言われたが、私はそんな人間じゃない。
「うぜぇ。運ばれたいならとっとと箱に詰まれ」
『へいへい――って、運んでくれるの?!』
「三秒以内に移動しろ」
『ラジャ!』
だから私は超絶渋々仕方なく、うるさくて失礼でしつこくてキモい桜餅を家に連れて帰ることにした。段ボール箱を抱えて、水たまりの水をはね散らかしながら家へと急ぐ。
びしょ濡れで帰宅して、猛ダッシュで階段を上がって自分の部屋に段ボール箱を隠した。さすがにこの奇妙な桜餅を家族に見られるのはよろしくない気がしたからだ。
「菜々ー? どうしたのー?」というお母さんの声が下から聞こえた後に、階段を下りて「ただいま」と言う。
全身びちょびちょで膝から血が出た私の姿を見たお母さんは目を丸くして、怒るような呆れたような顔でため息をついた後、「とりあえずお風呂入っちゃいなさい」と言った。
「てか、おじさんって本当に何者なの?」
お風呂から上がった私は、自分の部屋に置いていった桜餅に話しかける。なぜか桜餅は段ボール箱のなかから出て、私の部屋の本棚のあたりをぴょんぴょんとしていた。
桜餅はこちらにやってくると、跳ねるのをやめて床の上で静止する。改めて考えると、今の絵面は相当シュールだ。
『おじさんはね、もともとは人間だったんだ。でもトラックに撥ねられて死んじゃって、気づいたら豆になってた。そんで食べられてはまた転生してーってのを繰り返すうちに喋れるようになったり動けるようになったりして、今に至る』
「なるほど、まったく信じられない説明をどうもありがとう」
『本当なんだよ!!? 俺ほんとに転生してるの!』
転生の話が嘘にしろ本当にしろ、この桜餅の前世なんかにはてんで興味がないので、そのまま流すことにする。
「そう。で、あんたの願いってなんなの? とりあえずってことは、家来てそれで満足じゃないんでしょ? 面倒くさいことは早く終わらせたいからさっさとして」
『由美ちゃんに告白したい!』
「……ゆみちゃん?」
『イェス!』
「まさかとは思うけど、私のお母さんのことじゃないよね?」
『菜々ちゃんのお母さんに告白したい!!』
「はぁ?」
なにをふざけているんだろう、この桜餅は。私のお母さんはお父さんと結婚してるんだから既婚者だし、こんな桜餅なんかの分際では、不倫なんかもできないと思うのだけれど。
『俺は人間だった頃、由美ちゃんのことが好きだった!』
「はぁ」
『でも告白する前に死んだ!』
「ほぉ」
『だからこの無念を晴らせたら、この意味分からん転生の輪廻から逃れて成仏できるんじゃね!? と』
「へぇ」
『おじさんのために協力してくれ菜々ちゃん!』
「さすがに娘が親の不倫に協力するのはなー……」
『不倫じゃないし! 告白するだけだし! 菜々ちゃんはちょっとお手伝いしてくれれば良いから! そしたらおじさん、天国で「ぼっちの菜々ちゃんにお友だちができますよーに」って願ってあげるから』
「ぼっち言うなし。また潰すぞ」
『さーせんっした』
床で静止していた桜餅は、私がドスの利いた声を出して睨みつけると、小刻みにぶるぶると震え始めた。
常にハイテンションでいてくれればいいのに、中途半端に怯えられると面倒くさい。うざい。
「――で、告白すんならどうやって告白するつもり?」
『あ、そうそう。じゃあまず、この家にさ、由美ちゃんのアルバムってあるかな?』
「分かんない。結婚した頃とかのはこっちにあるかもだけど、お母さんがちっちゃい頃のならおばあちゃんちだと思う」
『そっか、そうだよなー。じゃあさ、いま家にあるアルバム全部見せて』
「うわ、面倒くさ」
『優しくて親切じゃなきゃ友だちはできないぞー』
「てことはおじさんこそ人間だった頃はぼっちだったんだろうね。私は優しくて親切だから持ってきたげるよ」
『ありがとう菜々ちゃん!!!!』
お母さんにアルバムの場所を聞いて、五冊もあったまぁまぁ重いそれらを部屋へと運ぶ。
「はい、持ってきた」
『ありがとぉ! じゃ、新しいのから遡って、おじさんの転生生活を振り返ってみようぜ!』
「え、超どうでもいいんだけど。ひとりで振り返れば?」
『でも俺アルバムのページめくれない……』
「ああー、面倒くさい。ページめくるのはやるけど、私はおじさんの話聞かないからね。スマホで漫画読むから」
『オッケーありがと菜々ちゃん!』
「うん」
私はスマホの漫画アプリを開いて、それを読みながら桜餅のためにアルバムのページをめくっていく。
ところどころ頭に入ってきた桜餅の言葉によれば、桜餅はこの町でずっと転生し続けていたらしい。ときどき私ら家族の食卓の食べ物のなかにも転生していたらしく、そのときを振り返る桜餅はめちゃくちゃうるさかった。
ストーカーみたいでちょっとキモいと思うところもあったけど、桜餅はお母さんが結婚して幸せになっていく姿を、転生生活のなかで見守っていたようだ。
『読み終わったよ、菜々ちゃん』
アルバムを五冊とも全部見終わった桜餅は、なんだかしんみりとした声を出した。
わざわざこいつのために漫画を読むのを中断する気にはなれないので、画面をスクロールする手を止めずに会話する。
「そう。それで告白はどうすんの?」
『菜々ちゃんが今の俺と同じように、お母さんと一緒にアルバムを遡ってくれればいいよ』
「それが告白になるの?」
『うん。それが良い』
「じゃ、そうしたげる。私は優しいから」
『うん、菜々ちゃんは優しい子だよ。お母さんに似て可愛いし、お友だちも絶対できるよ』
「うわ、突然のキャラ変だ。なに、最後に好感度上げとこうって魂胆?」
『違うし。じゃあ最後、この桜餅を食べてください。俺、食べられないと死ねないの』
「……は?」
私は思わずスマホの画面から顔を上げて、桜餅を凝視した。潰れかけて、雨でべちょべちょで、ちょっと土が付いていそうな桜餅を。
「私にその、外に放置されて雨ざらしだった桜餅を食べろって? ま??」
『うん。お願い♡』
「やだキモい。そんなん食べたら絶対お腹壊すし」
『えぇ! 俺、成仏できなくなっちゃうよ!?』
「豆に転生したときは犬に食べられたんでしょ? 今回もそれでいいじゃん」
『犬に桜餅食べさせるってあんま良くなくない……?』
「傷みまくった桜餅を小学生に食べさせようとしてるのもどうかと思うけど」
『えええ、じゃあどうすればいいんだよ!?』
「知らん。とりまお母さんとアルバム見てくるわ。ちゃんとフラれてから死んでね」
『ひどい!』
「じゃ、またあとでー」
この桜餅を誰かが食べないといけないという問題からは目を逸らして、私はアルバムを抱えてリビングへと下りていった。
録画したドラマを見ていたお母さんの隣に座って、あと五分くらいで終わりそうなそれを一緒に見てみる。
「ね、お母さん。ドラマ見終わったら一緒にアルバム見ようよ」
「うん、いいわよ」
「うん、ありがと」
なにが面白いのかよく分からないドラマが終わり、お母さんと一緒にアルバムを開く。
運動会のときの私、遠足のときの私、夏休みの旅行、小学校の入学式、幼稚園……――と遡って、私が生まれたときの写真、そしてお母さんとお父さんの結婚式の写真がやってきた。
「結婚式のときのお母さん、めっちゃ綺麗……」
「あら、お父さんだってかっこいいと思うけど?」
「まあ今よりはかっこいいかもね」
昔のお父さんの方が、まだ痩せてたし髪もちゃんと生えてたから、今よりましな見た目だ。
そうして若い頃のふたりの熱々なデートの写真とお母さんののろけ話に、私が胸焼けを起こしかけたところで四冊目のアルバムが終わった。
「次で最後か。このちっちゃい黒いアルバムは――お母さんが子どものときの?」
「そうね。私がお嫁に行くときに、おばあちゃんが何枚か選んで用意してくれたの。『結婚生活が辛くなったら、これ見てこっちでのこと思い出して、たまには帰ってきなさい』ってね」
「ふーん……」
お母さんと一緒に、パラパラとアルバムをめくっていく。高校生や中学生のときのお母さんは美人ですごく可愛くて、もっとイケメンと結婚してくれたら私ももっと可愛かったかもしれないのに、なんて思う。
中学校の入学式の写真の次のページをめくったとき、お母さんが訝しげな顔をした。
「あら、なんか汚れてるわね……菜々、なんか食べながらアルバム見てたの?」
「え? ……あっ」
お母さんの指差す先には、ピンク色のベタベタしたものが付いていた。言わずもがな、あの桜餅の仕業だ。
「菜々、本読むときにお菓子なんて食べてたら駄目よ」
「うん、ごめん。すぐ拭く」
棚の上からティッシュを取って、ベタベタを拭き取っていく。私が悪いわけじゃない気がするけど、桜餅のせいだと言うこともできなかった。
だってあいつの姿をお母さんに万が一でも見られてらヤバそうだし。お母さんのことを好きな桜餅を会わせるなんて、ちょっとお父さんに悪いし。あいつキモいし。
水で少し濡らした方が良いかもと思い始めたとき、桜餅が汚したページにあった写真の後ろに、何かが重なっていることに気づいた。
「お母さん、うまく取れないからティッシュ濡らしてみるね。写真濡れちゃうといけないから、一旦出しちゃっていい?」
「ええ、いいわよ。お母さんちょっとトイレ行ってくるわ」
「うん」
お母さんがトイレに立ち、私はアルバムから写真を取り出す。その写真は小学校の卒業式のときのもので、小学生の頃のお母さんとひとりの男の子が一緒に写っていた。
写真を裏返してみると、白い封筒が貼られている。封筒の口は糊付けされたままで、どうやら開けられていないようだった。
時間が経っていたせいなのか、ちょっとの力で封筒は簡単に開けた。なにか面白いものだったら良いのになと期待しながら、中のものを取り出す。
やや汚い字で綴られたそれは、きっとラブレターというものだった。
――――――
由美ちゃんへ。
この前は悪口言ってごめん。本当はあんなこと思ってない。ごめん。あいつらにからかわれたのが恥ずかしくて、思ってもないこと言った。
俺、本当はずっと前から由美ちゃんのこと好きだった。ただの幼馴染みとしてじゃなくて、女の子として。
別に今すぐ付き合いたいなんて言わない。由美ちゃんが俺のこと好きじゃないなら、これまでと同じ幼馴染みで良い。だから、仲直りしよう?
俺、由美ちゃんと中学校でも仲良くしたい。俺はいつでも待ってるから、話す気になったら話しかけてください。お願いします。
――――――
「菜々、固まっちゃってどうしたの?」
「あ……なんか、写真の裏に手紙みたいなのあって。お母さん、これ知ってた?」
「手紙……?」
きょとんとしているお母さんに手紙を渡して、私は水道でティッシュを濡らす。桜餅の粗相を拭いた後、またアルバムを眺めていった。
小学校の卒業式で一緒に写真を撮っていた男の子は、中学校以降の写真ではまったく出てこなかった。
でも小学校や幼稚園、もっと幼いよちよち歩きの頃の写真は、その男の子と撮ったものばかりだった。
きっと彼とお母さんは幼馴染みで、でも何かがあって喧嘩しちゃって、そのまま仲直りできなかったんだ。
「ふふふっ、懐かしいわねぇ」
「お母さん、この人……」
「お母さんの幼馴染みだった京太郎くん。ちっちゃい頃は、本当に仲良しだったの」
「うん」
「でも小学校の卒業式のときに、『お前ら付き合ってんのか』って男子にからかわれて、そのとき京太郎くんに『こんなブスのことなんて大嫌いだ』って言われちゃってね。そのまま喧嘩したままになっちゃった」
「……その、京太郎さん、は今どうしてるの?」
「何年か前に、トラックで撥ねられて死んじゃったみたいよ。地元にずっといたみたいだけど、遠いしお葬式とかも行かなかったわ。ボール追っかけてた見知らぬ子どもを助けてぽっくり死ぬなんて、やっぱり馬鹿なやつだったってことね」
「……そっか」
何年か前にトラックで撥ねられて死んだ、お母さんの幼馴染みの男の子。アルバムのこのページに桜餅がベタベタを付けたのも、アルバムを遡れば良いって言ったのも、きっとあいつがこの男の子だったからなんだ。
告白する前に死んじゃったって言ったけど、ちゃんとラブレター書いて告白してたじゃん。お母さんは今日まで読んでくれなかったけど。
うざくてキモいだけの桜餅だと思ってたのに、子ども助けて死ぬって意味分かんない。あいつにも多少は優しいところあったってことじゃん。
「お母さんは、喧嘩する前、京太郎さんのことどう思ってたの?」
「お父さんにはナイショよ。でも、幼馴染みのこと好きになるって、あるあるよね」
「うん。私もそういう漫画よく読むよ。……もし京太郎さんに何か言えるとしたら、言いたいこととかある?」
「そうねぇ。なんだろう。『仲直りできなくてごめんね』とか『来世は幸せになれよバカ野郎』とかかしらね」
「お母さんも、『バカ野郎』とか言うんだ」
「子どもの頃はお母さんもかなり口悪かったわよ。京太郎くんが菜々のこと見たら、『由美ちゃんとそっくりだ』とか言いそうね」
「うん、そうなんだ。時間取ってくれてありがとう。私、自分の部屋戻るね」
「ええ。夜ご飯できたら声掛けるわね」
「うん」
悔しい。あんな桜餅に同情して、泣きそうになってしまったことがめちゃくちゃ悔しい。
お母さんの前では、どうにか笑っていられた。でも部屋で桜餅を前にしたら、涙が出てきた。
だって喧嘩しても仲直りしてハッピーエンドになる漫画しか、読んだことないし。そのまま疎遠になって死んじゃって、転生してもずっと好きなんて、意味分かんない。
すれ違ったまま終わった恋なんて、まだ知らなかった。
『どうした菜々ちゃん!?』
「あんた、どんだけ長い片思いしてんのよバカ!」
『え、えぇ?』
「なにが『話しかけてください』だ! 自分から話しかけろよ! それに告白すんなら直接言えよバカ! 日和るんじゃねぇ!!」
『は、はい!』
今となっては桜餅のこいつに、こんな喚き散らしても意味はない。でもどうしても、中途半端に怖気づいて、仲直りできなかったこいつにムカついた。
そんなにずっと好きでいるなら、生きている間にもっと頑張れば良かったじゃん。って思う。でもそうやってうまくできないのが、勇気が出なくてなかなか動けないのが、恋の現実なのかもしれない。
「……お母さんが、『仲直りできなくてごめんね』って。『来世は幸せになれよバカ野郎』って」
『……そうか』
「あと、『幼馴染みのこと好きになるって、あるある』だって」
『……そっか』
「私は別に、あんたの恋が叶って欲しかったなんて思わないし、むしろお父さんとお母さんが結婚してくれてなかったら私は生まれてないからめちゃ困るんだけど。でも、もしあんたがまた人間に生まれることがあったら、今度は後悔しない恋して欲しいって、思うよ」
『ありがとう。菜々ちゃん。やっぱり優しいね』
「……私とお母さんって、似てる?」
『うん、めっちゃそっくり』
「ふーん。そう。……仕方ないから、あんたが人助けして死んだとこだけは尊敬してあげるから、あんたが成仏するのに食べられなきゃいけないって言うなら、食べても良いよ。でも痛いとか騒がないでね」
『うん。ありがとう菜々ちゃん。もう食べちゃって良いよ』
「なにもやり残したことない? ちゃんと成仏できる?」
『うん。俺、今めっちゃ幸せだ』
「じゃあ、いただきます」
私は泣きながら、桜餅をひとくちで食べた。べちょべちょで汚い、キモくてうざくてうるさかった桜餅は、食べられるときはただただ静かだった。
そうして転生を繰り返した桜餅はまた、もう何度目になるか分からないような死を迎えたんだ。
案の定、私は翌日お腹を壊した。また学校を休んだので、不登校街道まっしぐらかもしれない。
――なんて思っていたら、ひとりのクラスメイトが、プリントを届けにやってきた。渋々私を遠足の班に入れてくれた子だ。
「山本さんって、不登校なの?」
「ただ体調崩してるだけ。こないだは風邪。今は腹痛」
「体弱いの?」
「弱いつもりないけど、今年は運が悪いのかもね。お正月のおみくじ、大凶だったから」
不機嫌を隠しもせずにだるそうに言った私の言葉に、彼女は笑った。「私も実は大凶だったんだ」と言った彼女と私は結局親友になったので、おみくじなんて大して当てにならないのかもしれない。
それなりに楽しく五年生も六年生を過ごして、私は中学生になった。特になんてことない、ほどよく楽しい生活をしていた。いつしか変な桜餅のことなんて忘れてしまうような、充実した人生だったと思う。
でもやっぱり人生オールハッピーってのもないわけで、私は三十歳を過ぎても結婚できずにいた。彼氏はいたことあるけど、結婚するまでには至らなかった。
そんななか、最近高卒で就職してきた後輩がいる。私の部下になった若いイケメンは、やけに絡んでくる、うざくてうるさいやつだった。
後輩とふたりで居酒屋に行く。私は後輩に、なんだか妙な既視感を覚えていた。
「高田くん」
「はい。なんですか菜々さん」
「つかぬことを伺うようだけれど……君、前に私と会ったことはないかい?」
「ありますよ」
「やっぱりね。いつ?」
「菜々さんが小学五年生の頃に」
「小学五年生の頃……けっこう昔だね。ん? あんたその頃もう生まれてるっけ?」
「菜々さん。俺、菜々さんのこと好きですよ」
「三十路女をからかっちゃいけないよ高田くん。結婚だ出産だという単語を聞くだけでピリピリしちゃうお年頃なんだから」
小学五年生で親友になったあの子は、つい先日ふたりめの子どもを生んでいた。おめでたいとは思うし、出産祝いも贈ったけど、やっぱり全力で喜ぶことはできない。
彼氏もいない自分と比べると、焦って頭おかしくなりそうになる。
まだ酒を飲めないのでグレープフルーツジュースを飲んでいる後輩くんが、グラスのなかのストローをくるくると回して、氷をカランカランと言わせながら囁いた。
「でも俺、『告白すんなら直接言え』って言われたんです。『来世は幸せになれよバカ野郎』とも、『もしあんたがまた人間に生まれることがあったら、今度は後悔しない恋して欲しい』とも。ね、菜々さん?」
「は……?」
いったいこいつは何を言っているんだ、とぽかんとしてから数十秒後、私は思い出す。かつてこの言葉を、変な桜餅に言ったことがあることを。
「あんた、まさかあのときの……!」
「はい。かつて桜餅だったおじさんです」
どうしてか今度はものすごいイケメンに転生してしまった桜餅は、あっさりと衝撃的な事実を告げ、めちゃくちゃ眩しい笑顔を私に見せた。
「……お母さんのことが好きだったあんたに、私が惚れるなんてあり得ないからね」
「今度は後悔したくないので、落とすまで全力で口説きますよ」
「うざい。その顔の良さがまたムカつく」
「顔をお褒めいただき感謝です。菜々さんも美人ですよ」
「おばさんにお世辞はやめて」
「お世辞じゃないですよ。由美ちゃんへの恋は過去の恋。今は菜々さんに惚れてます。……愛してますよ」
「うぜぇ。やめろ」
四十年以上前、こいつはお母さんの幼馴染みだった。お母さんに恋をして、何度も転生してもお母さんのことが好きだった。
そんなやつに好きだなんだと言われても、どうしたってお母さん目当てだとしか考えられない。ムカついて仕方がなくて、私はビールをがぶ飲みした。
まんまと酔い潰れた私は、結局、元桜餅の現後輩にお持ち帰りされてしまったらしい。
「菜々さん、付き合いましょうよ」
「やだ。あんたのことなんて絶対好きにならない」
かつて桜餅だったイケメンは、アルバムに付けたピンク色のベタベタのように、転生しても粘着質な男だった。
かつて母に恋をして転生を繰り返したイケメンと、婚期を逃した三十路女の私。
ふたりの恋はここから始まる――……かも、しれない。




