6.魔物が出た
血溜まりに横たわっている女の子は両手が縛られ、口も塞がれている。その側に膝を地面についている男は一度血に漬けたかのよな血まみれの両手で何やら細い棒のようなものを握りしめ、今も振り落とさんばかりの気迫で高くあげた。
この光景を見れば男が殺人犯であることは明白だが、男はツワトたちに気づいていないのか、それとも他人に見られても気にしないのか、男は手を素早く振落し、握りしめたそれを女の子にぶっ刺した。
もう何度も刺したのか、女の子の胴体の正面部分はもうずたずたになっている。
こんな犯人の恨みを感じずにはいられない殺人現場を目撃したシハトは戦慄いて声も息もままならなくなった。やがて過呼吸になり息苦しい声を出した。
その間に何回も繰り返して女の子を刺した犯人はそれを聞いて、ツワトたちの方に見た。
さすが人殺しの目つきというべきか、シハトは犯人と目が合うと過呼吸に拍車がかかってたちまち気絶した。
「おい! 大丈夫!?」
ツワトは後ろに倒れそうになったシハトを抱き支えたが、安心できなかった。
「お前らも死ね!」
犯人は鬼の形相で2人を襲いかかった。
血で赤く染まった細い棒が頭部の高さに上げられ、シハトの胸部に目掛けて振り落とされた。
訓練の成果か、ツワトはシハトを守ろうと抱きかかえてそのまま回れ右をしてシハトを庇う体制を取った。
凶器はそのままツワトの背中に入り込むと思いきや、一吹の風が上から来たと感じた直後に重々しい低音が鳴り響いた。そして続いて砂塵が舞い上がり視界も空気も悪くなった。
噎せながら自分の無事と異変に気づいたツワトは振り返って犯人がいた方向を見た。
そこに悍ましい犯人の姿はあったが、さっきと違う意味の悍ましさになった。
犯人はさっきと変わらい恨みのこもった眼差しでツワトを睨んでいる。しかし、さっきと違って自分から犯人に近づかない限り、襲われる心配はない。
なぜなら、犯人は地面にうつ伏せになって背中から太ももまで壁のようなブロックが乗っかっているからだ。今の犯人はいわゆる下敷き状態になった。
(こんなもの一体どこから……)
ツワトはこのブロックの出所を探そうと辺を見渡した。
(ん?)
この路地裏を挟んだ建物のパラペットの辺りに視線を巡らせたら、ツワトは視界に何かが動いた気がした。
(何だ?)
気になったツワトは暫しそこを見つめていたが、特に何の変化もなかった。あるのはパランペットとそれと繋がっている外壁の一部が欠如している光景だけ、多分その欠落した部分がブロックの正体なんだろう。
(気のせいか。さて、シハトの安全も確保できたし、これからどうするか)
ブロックの謎を納得したツワトは息を引き取った犯人の下に徐々に広がっていく血溜まりを見ながら悩んでいると、後ろから誰かに呼びかけられた。
「おい! さっきの音はなんだ……ひっ! 誰か早く守備隊を呼んできて」
ブロックの落下した音に誘い出されたか、知らない3人がこの路地裏に入ってきた。ツワトに呼びかけたであろう一番前にいるおっさんは目の前の光景に驚いて腰が抜けたようでその場に座り込んだ。
後続の2人は先行のおっさんが座り込んだことで殺人現場をくっきり見ることができた。そして女性は叫びだし、男性は明らかに動揺しているもののわりと冷静に大通りの通行人たちに「魔物が出た! 早く守備隊に知らせろ」と呼びかけに行った。
男の呼びかけで大通りにいる大人たちは一瞬で顔つきが変わった。そして、ある人は守備隊を呼びに駆け出した、ある人は子供を魔物から遠ざけようと家に帰らそうとしている。
「魔物!?」
そしてあるウェーブヘアの女の子は魔物を見たいとばかりの顔で呼びかけにきた男が出てきた路地に駆け込んだ。
「おい! そこに入っちゃだめだ!」
呼びかけの男はジェンの行動に気づいたが、すぐに止められる距離じゃないため、呼び止めようとした。しかし、ジェンはそれを気にも留めずに走っていった。
「そこの君早くこっちに来て」
座り込んでいたおっさんは多少冷静になったようで起き上がってツワトたちを殺人現場から遠ざけようとしたが、気絶しているシハトの存在に気づき、背負ってツワトと叫んでいた女性を路地裏の入り口の連れていった。
シハトを壁に凭れらせるとおっさんは心配そうにツワトに訊いた。
「君は大丈夫? この子はどうした?」
「俺は大丈夫。でもシハト、弟があれを見ていきなり倒れた」
「そうか……しかし君は本当に大丈夫? 手が震えているよ」
「え?」
おっさんに指摘され、ツワトは驚きながら俯いて自分の手を目の前にあげて確認する。
「どうして?」
ツワトは痙攣のように震える自分の手を見て困惑の音を上げた。犯人の所為を目撃した時から今に至って恐怖の気持ちを何一つも感じなかったのに手が言うことを聞かずに震えてしまった。ツワトにとって何故こうなったかは理解できなかった。
しかしそれは無理もない、いくら恐怖を感じないように支配されたとはいえ、その感情はないわけじゃなかった。その証明にツワトは無意識に手が震えた。
「君に『早く弟さんを連れて家に帰って休め』と言いたいところだが、そうはいかない」
ツワトが頭を上げて何か疑問を言うよりも早くおっさんが続いて話した。
「なぜなら君たちは……」
「あっ! ツワトさん」
おっさんは何かを言おうとしたが、タッタッタッタとした足音とともに出現したジェンが話の腰を折った。
「どうした? こんなに慌てて」
「実はさっき魔物が出たと聞いたんです! これで先生がどうして魔物について教えてくれないのかを解明できる機会かもと思って、魔物を見に来たんです!」
ジェンは興奮気味に説明したら、目を輝かせて周辺を見回しながらツワトやおっさんに「魔物をみませんでしたか?」と訊いた。
そしてあの路地裏を覗こうとしたら、おっさんがジェンの前に出て視線を遮った。
「こら! 魔物が出たら子供は速やかに避難するようにと親や先生に教わっていないのか!? お嬢ちゃん」
おっさんはジェンに怒鳴ってそのまま説教し始めた。よくお母さんに怒られるジェンだが、流石に知らないおっさんに怒られると恐怖でじっとすることしかできなかった。
説教は守備隊の人が駆けつけてくるまでの短い間しかなかったが、ジェンにとって人生で最も長く感じた一時になった。




