42.脳の過労
再度転生してデツィになったツワトは戸惑った。さっきまで女神に懇願していたのになぜか次の瞬間は赤ちゃんになっていた。起き上がれない体を精一杯に首を動かして辺りを見回す。しかし目に入る景色のすべてはぼんやりしてよく見えない。
脳も赤ちゃんになったせいか、未発達の頭で状況を分析するところか自分を落ち着かせることさえもできない。その上に知らない記憶が次々と頭にをねじ込まれて頭痛に襲われた。過剰な情報を処理しきれずにデツィの意識は遠のいていって気絶した。
デツィはツワトになる前の記憶なのかそれとも全くの他人の記憶なのかもわからない追体験を強いられる日々を送ることになった、毎日の殆どの時間は気絶しているか追体験しているかのどっちだ。
追体験する最中は傍目から見て眠っているしか見えないが、気絶は過負荷した脳を休ませるようなものなのでやはり眠っているしか見えない。そのうえ脳を酷使したせいで発熱は伴う。女神の配慮か食事とかオムツを換える必要がある時はデツィの肉体は自動で泣き出すが、しかしそれらの処理している最中にも意識はない。故にデツィの両親からみればデツィはよく熱を出して寝込んでしまう病弱な子と思われている。
実際、デツィは死産するはずの赤子だ。女神の都合で不全な部分が修復されて蘇生しなければ産声をあげることもなく死んでいた。
そんな自分を見失いそうな追体験が1年ぐらい続いて脳が成長したおかげかやっと追体験でも気絶でもない時間ができて周りを感知することができるようになった。けれどやはり考える余裕はないうえ、その時間も少ない、その時間はまるで追体験という名の番組に挟んだコマーシャルのようだ。
「デツィ、ほらママよ。 わかる? マ・マ。 あなた早く来て!」
デツィが目が醒めている状態に気づいたデツィの母はこのせっかくの機会を逃さまいとデツィに話しかけている。
しかし脳が過労しているデツィはそれをぼーっと眺めることしかできない。
「パパだよ」
いくら話しかけても無気力な表情のままただ目を開いているだけのデツィの姿に両親は改めてこの子が病弱だと認識した。途端、母親は自分の口を塞いて走り去る。それを訝しむ父親はしばし我が子と母親を交互に見て追いかけた。
子供部屋を出た父親は物音を辿って夫婦の寝室に近づくと物音が止んだ代わりすすり泣く声が聞こた。寝室を覗き込むとベッドに向かって跪く母親が布団に顔を埋めて声を殺しながら泣いている。
「どうした? せっかくデツィが起きているんだぞ、話しかけないのか」
「でぉじであぬぉこっの?」
顔を埋めたまま返事する母親の言葉がよく聞き取れない、それなのに父親にはその言葉が自動的に補完し修復されて意味が伝わるのは父親も母親と同じ思いがあるからなのだろう。
どうしてあの子なの?
普通ならもう言葉がわかるようになる頃なのに、あの子は未だに覚える気配どころか寝込むばかり。同年代の子はもう歩けるのにあの子は座ることすらできない。
隣人の、同僚の、はたまた偶然聞いた赤の他人の子育て話でも思わず我が子と比較してしまい、憤怒に似た感情を覚える。
他の子は皆健やかに育っていくのにあの子だけが取り残されるみたいに病魔と戦っている。不公平に思えてもどうしようもできない自分に怒っているかもしれない。
かれこれ考えてしまう父親だが、このままネガティブ思考が続いてもしかたないと悟って、悲しむ母親が前向きになる方法はないのかと頭を捻りながらとりあえず励ましの言葉をかけておくことにした。
「他所の子と比べても仕方ない、今日のデツィを見たのだろう。寝込む毎日を送った以前と違って今日は起きている。元気じゃないだろうけど前では考えられない嬉しい変化じゃないか」
「嬉しい…変化」
埋めていた頭が上がって赤くなった目で自分を見つめる母親の反応に父親は手応えを感じてこのまま励まそうと決めた。母親の手を握ってさらに激励の言葉を送る。
「そうだ、嬉しいんだ。きっとこのまま元気になっていって普通の子と変わらない健康な体になるだろう」
「そんなにうまくいくの?」
「いくとも、デツィが頑張っているからうまくいくに決まっている」
「でも……」
押し問答になる気配を感じた父親は有無を言わさずに母親の手を引いて寝室を出た。
「どこ行くの?」
「せっかくデツィが起きているんだ、こうしていては勿体ない。デツィが少しでも早く言葉を覚えるようにいっぱい話しかけよう」
子供部屋に戻った夫婦が目にしたのは追体験の最中である寝込んでいるデツィの姿。
首吊りの感覚を最後に5年に渡る追体験が終わった。
気絶する時間が少なくなって考える余裕ができた時からデツィは思っていたことがある。追体験が終わり、時間を置いてじっくり考えてもその思いは変わらなかった。
追体験の内容はツワトたちの国を攻撃した敵国の人間の人生だった。
その人はそれなりの地位にいた軍人のようで追体験を通して敵国の訓練内容、戦術、軍事機密などありとあらゆる情報が手に取るようにわかるようになった。しかしそれは軍事に限ったものではなかった。
お気入りの喫茶店で好きな紅茶を飲みながら優雅な休日を過ごす習慣、友達に仕掛けたしょうもないイタズラ、子供の頃でやっていた遊び。
そういった防衛において重要ではない記憶も追体験させられたデツィは思った。
「女神って大雑把?」
実際に追体験の内容の5分の3ぐらいはその軍人の代わり映えのない日常生活だった。女神も「向こうの情報を与えておけば負けることはないだろう」と思いつきでデツィに追体験をさせた。
更に転生前の自分であるツワトが鍛錬のことしか考えなくなっているのをみてデツィはますます女神に不信感を抱く。しかし悲惨な未来を回避するために女神を信じて思いつく限りの準備をする他に道はない。
ところで準備といっても今は一般市民の幼女でしかない自分にできることがあるのかと気付いたデツィは考えるに考えた末、事件に巻き込まれて魔物の真実を知った子供は特別な教育を受けることになっていることを思い出した。
そこで力をつけてもらえるかもしれないと思ったデツィはいつどこかで魔物が出没するのかを思い返す。
うまく思い出したところで他の関係ない記憶まで思い出した。好奇心が旺盛な幼馴染であるジェンがある日、前触れもなく失踪したことを。
今思えばそれは政府に消されたとしか思えない。せっかくこうして過去に戻れたから、救えるものなら全てを救いたい。
そう思ったデツィはみんながいっしょに特別な教育を受ければ、四六時中に行動を共にすることになればジェンが無茶をする時は止められるし、シハトもツワトも目の届くところにいるなら安心できる。
色々願望や思惑をこめてデツィはその日に鬼ごっこすると提案してみんなを魔物が出るであろう場所に誘導した。




