36.気が付いたら
剣戟により生じる金属のぶつかり合う音が城壁外の禿げた畑で鳴り響く。地面には負傷者、死者が転がっている、それらから溢れた血が己の存在証明を刻まんばかりにジリジリ広がっていく。
「おのれ、邪魔だ!」
「どうしよう!このままじゃ糧食が…」
守備隊員たちは敵を殺したいほど憎たらしく感じる、けど今はそれよりも燃やさている糧食が燃え尽きる前にできるだけ救出しようと焦っている。
それ故に普段の実力が出せない上、敵も守備隊が焦っているのを知っているかのように守りを強化している。そのせいで経験が劣るはずの相手と一進一退の膠着状態に陥った。
互いの兵を摩耗して死傷者を出すだけの不毛な作業のうちにツワトたち訓練生の仕事は負傷者の回収であり、潮の満ち引きのように変動する戦場で守備隊が押し進む間になんとかして地面に転がる息のある者をシハトたち医療人員がいる後方に運搬すること。
タイミングを見誤ると丸腰で最前線に立つことになるけど、今のところそんなことは起っていない。
あんなに激しく立ち昇る黒煙が今や細々でよく見ないとわからないほど消えかかっている。
敵を撃滅するという任務はいつの間にか糧食の救出にすり替えられた守備隊は最初の戦意旺盛ぶりが嘘のように今は士気低迷しつつある。この現状を見たある小隊の小隊長は態勢を立て直そうと撤退要請を表す信号をラッパ手に送ってもらった、その直後に反響のように他の小隊からも同じ合図が聞こえてくる。
程なくして許可の返信であるラッパの音を聞くと殿の部隊を残して一斉に後退を始めた。
この時を待っていたのかように敵の方からもラッパの音が鳴り響くと思いきや前線にいる敵が突撃して殿の部隊を両側にかき分けて中央に道ができると全力疾走で駆け抜ける部隊が現れた。前線の者と比べて汚れなどが少ないことから繰り返していた進退に参加せず、ずっと後方に待機していたことが窺える。
疲弊している守備隊よりも明らかに早く移動するその部隊はみるみるうちに後退している守備隊との距離が縮んで追いついた。
追いつかれた守備隊はやむを得ず、迎え撃つべく足を止め再び踵を返すことになった。
敵の勢いが強く防戦一方を強いられる守備隊に追い打ちをかけるように敵の残りの部隊も総突撃する。
逃げることができず、追い払うことができるかどうかも怪しい状態に守備隊はなされるがままに横長の陣形が貫かれるように突破された。
背後に回り込まれて挟み撃ちされると危惧したが、しがし敵はその懸念よりも恐ろしい狙いがあった。確かに心配した通りに突破した敵は左右に広がり、守備隊の背後を取った。但しその数は予想よりも少なくその上ほとんどは盾に片手剣を装備していて少数の槍兵と弓兵だけが後方に配置されている。
挟み撃ちという攻める構えよりも誰も通さない守りの陣形、予測と正反対の結果と答え合わせするように本隊といえる数の敵の動きが守備隊の目に飛び込んだ。
我先と大地を蹴り、風を切る。守備隊を突破した勢いのまま突進する様子と防具の青色が相まってまさに決壊したダムの濁流が如く。その進路にいる負傷者と訓練生を飲み込みながら目標であろう城門に一直線に突き進む。
城壁で戦況を見ていた将官は急いで門を閉じるように命令を飛ばしたけど、命令の伝達の時間、命令を受け取っても負傷者と訓練生がまだ退避中のをみて躊躇った時間、それなりに大きい門ゆえの開閉時間など、それらの理由ですぐ門を閉じることはできない。
その間にも敵は足を止めることなく突進し続ける、弓の射程に入って留守番の弓兵たちが矢を放っても人数が少ないので弾幕が薄く、敵の進軍速度を僅かしか遅らせることができない。
門が半分まで閉じたところに敵も物を投げって届けられる距離まで詰めてきた、それ実感させるように実際敵は投石紐などを使って門に石や火炎瓶を投げつけた。
無論そんな攻撃で門の後ろに閉門作業をしている隊員に当てるわけがないが、門に直撃するたびに生じた衝撃が妨害となって門が閉まる時間を遅らせた。
敵に邪魔されても歯を食いしばりながら門を閉じることに専念する隊員たちはふっと敵の妨害が止まったことに気づいた、味方が敵を止めてくれたと希望的観測で軽くなった心で門を閉めて閂をかけようと持ち上がったところに強い衝撃に襲われて門を抑える隊員の何人は尻もちをつく羽目になった。
衝撃で押し開けられた隙間からさっきの衝撃の正体が見えた、隙間の視界を覆い尽くす青過ぎた防具のそれらはいうまでもない敵だ。
門が閉じるのを阻止することに成功した敵は栓が抜かれた風呂の水のように絶え間なく次々と門を潜って城壁内に侵入する。
作業していた守備隊員たちがものの数秒しかこの攻勢を止めることができなかった、すぐに濁流に飲まれた仲間たちと同じ結末を迎えることとなった。
ほんの数分の掃討の後。
「よし、作戦通りに牽制部隊がここを守れ、それ以外は中央の城に向かえ!」
敵の司令官が命令を宣告するように下すが早いか、「俺に続けえぇ」と叫んで飛び出した中隊長らしき人物に他の敵兵も追随して走り去った。
侵入のあとすぐ国の中枢に進軍する様子から見てどうやら敵は国家元首に当たる人物を捕らえて短期決戦にするつもりのようだ。
まだ使える医薬品や装備品などをかき集めてすぐに後続の部隊も進軍を始めた。
敵は使わないあるいは使えないと判断された物を元の持ち主の亡骸と同様に進軍の邪魔にならない場所に無造作に捨てられてちょっとした小山のように積もった。
それを構成する成分にツワトとシハトの同期や先輩が含まれているけど、ツワトとシハトはその中にいなかった。
客を呼び込む声、楽しくおしゃべりする声、少しでも安くしてもらうための値段交渉。などなどが盛んに行われた大通りに今は人ひとりも見当たらない廃れた街に見える。
外出禁止令でこんなありさまになった大通りの石畳を二人分の足音が反響とともに鳴り響く。
一人は守備隊の制服を身に纏っている、階級を示すものがなく所属を表す文字と番号の刺繍しか施されていない。医療職の制服を着ているもう一人は困惑した表情で守備隊の男に手を引かれて走っている。
「お兄ちゃん、一体どこに行くの? そろそろ教えてよ」
「…………」
弟であるシハトの質問に沈黙で返すツワト。
「お兄ちゃんってば!」
怪我人に応急処置を施す最中にいきなり連れ出されて目的もわからないまま走らされるシハトにとって、その僅かな沈黙も最早耐え難いものとなってツワトの手を振り解いて答えを催促する。
「とりあえず…中央に」
「なんで中央? なんで今なの? 他の人がまだ戦っているよ」
ツワトは思い返す、負傷者を後退させて前線に戻ろうとした時、敵が守備隊の防衛線を貫いたのを目の当たりにした。次の瞬間、気がついた時にはもうシハトの手を引いてここを走っている。
なんて答えられるわけもなくツワトはまた沈黙でしか回答できなかった。
「まさかお兄ちゃん…敵前逃亡なの?」
その沈黙が不安や憶測を生み、シハトは大好きな兄を見ているとは思えない冷たい目つきでツワトを見つめる。




