35.煽り演説
列をなして移動する守備隊員たちはさながら大移動するヌーかシマウマのようにぞろりと次から次へシハトたち医療人員のいる通りを通過する。
槍兵は槍を、弓兵は弓矢を皆役割に応じて完全武装している。列の先頭が通って数分後、シハトたちはすっかりその光景を見飽きた頃に今度は何も持たない部隊が通りかかる。
この部隊の面々は他のどの部隊よりも人員が若く垢抜けていない、この頼りになるとは思えない部隊は他でもない守備隊の訓練生をまとめた部隊でありツワトが所属する部隊でもある。
まだ自由時間なのにいきなりの集合号令に従ったら気がつけば担当区画から離れて近くにあるそこそこ開けた場所である城外と繋ぐ城門前の広場に足を踏み入れた。
そこにはすでに先客がいた、他の区画を担当する守備隊だ。
次々と入ってくる守備隊員により、本来開放感のある空間は今や狭苦しい場所となった。各々の部隊の上官が整列して後に総整列されてキレイに見えることで狭苦しさが幾分解消されるもやはり窮屈に感じずにはいられない。
総整列を行っている士官が回れ右をして城門の上にいる将官に何かを言うよりも早くが将官が話を始めた。
「時間がない、挨拶もその返事も省略する。諸君、敵が動き出した。そしてその目的はついさっき判明した」
その一言にすぐさま広場のあちこちにざわめきが聞こえて、コソコソと会話する者が続出。その光景を見た将官は思わず(まるで風に揺られる草木のようだな)と内心思った。
各部隊の下士官が一喝を喰らい、ほどなくして沈静化して将官にさらなる情報を求めるように注目する。
「知っている通り敵がこの国を包囲したものの何もできずに指をくわえて我々を睨むことしかできない、それほど我々の守りが強固であることを証明した。
しかしそれも昨日までだった。敵は卑劣にも我々の財産である農産物に手を出した。」
将官が自分の後方に指差して「善良の国民たちが汗水垂らして耕した田んぼを踏み荒らし、我が子のように大切に育てた作物を根こそぎ奪った」
さらなる熱弁で士気を高めるつもりの将官はふっと異変に気づく、自分に注がれるはずの観客の視線が別の何かに取られるような感じがしたと同時に何かが燃やされたような匂いがしてきた。
振り向いてみると城門の外から黒煙が立ち昇る、しかしその様子は敵が炊事などのために起こした焚き火のそれとはまったく違う。煙の量が異常に多ければ、勢いも激しすぎる。
士気を向上させる演説の途中のため将官は城内の広場をよく見渡せる位置に立っている。煙が見えても城外で何を燃やしているのかまで見えない。同様に異変を察知した将官直属の部下の1人が素早く城壁の外側まで走って確認する。
「敵が集めた食料を燃やし始めました」
「何だと! おのれ、よくもやってくれたな」
「親父が丹精込めて育てた野菜が…」
「閣下打って出ましょう、今すぐに」
直属の部下たちが騒ぎたてに目もくれずに物思いに耽る将官は指を伸ばし、手のひらを見せるように手を上げてそれを制止する。
何か命令を出してくれるのだろうと黙る部下たちの期待とは裏腹に将官は観客に目を向けて演説に戻る。
「諸君、この駆け登る黒煙をよく見よ、これの出どころはほかでもない我々の畑から来たものだ。そしてその発生源は我々の命を繋ぐ糧食だ。敵は陋劣なまでに我々の安寧を脅かすだけで飽き足らずに我々の生命をも侵害するつもりだ。
この国の包囲を許したばかりに敵がこんな下劣なことを仕掛けてきた、もしこのような蛮行も許したら次にどんな野蛮なことするか想像するだけで悔しくて腹ただしい!
もうこれ以上奴らに好き勝手させてたまるものか! 殺せ! 我々の安寧を犯す魔物を一匹たりとも逃すな!」
一頻りの扇動に煽られた観客は雄叫びを上げる者や「この剣のサビにしてやる」などと宣う者が続出して興奮状態になった。政府によく訓練された猟犬たちが戦意旺盛であると確認した将官は満足そうに頷いて攻撃命令を出す。
今も絶え間なく水が湧き出てる奇跡としか言えない教会の鐘は実は別バージョンが2つもあった。
1つは定期的に木材や金属を産出する鐘、もう1つは生きるための糧食を生み落とす鐘。
水の鐘で渇きを、糧食の鐘で栄養を、材料の鐘で建築や道具などを。この3つの鐘は生きるための最低限の問題を解決してくれいた。
そんな神の奇跡としか言えない3つの鐘はある出来事をきっかけに2つになった。
しかしまったく前触れはないのではなく明らかに前兆と捉えることができる異変はあった。結界の拡大がある程度に広がった頃から、糧食の鐘が産出する食糧のバリエーションは加工済みのものが徐々に減る代わりに調理する必要がある青果物が増えてきて、やがて青果物しか産出されなくなった。
野菜、穀物、果物。食料の鐘はいつも植物系の食べ物しか生み出さい事にここに来て人たちはようやくその理由に気づいた。遅かれ早かれ、どの都市もその理由に気づくと城壁の外に畑をつくり、食料から種をとって栽培を開始する。
そして収穫できるその日が近づくにつれて糧食の鐘はその種類に応じて産出が減っていく、それにしたがって毎日に教会にできていた糧食を受け取りに来た人の長蛇の列は規模が縮小し、消滅した。
人が自給自足することができると同時に糧食の鐘は二度と食料を生み出すことはなく普通の鐘に戻った。
「先生」
教会で大体こんな内容の授業を聞きながら実物を見学していた子供のうち1人が声を上げる。元から荘重な空間が声の反響により厳かな雰囲気が一層高まる。
「はい、何ですか?」
「なんか落ちているよ」
子供の指差す先には食料の鐘が何の変哲も無く美術品を展示するように低く吊るされている。先生がその真下の地面に目を凝らすと確かに何かが落ちている。
拾おうと思って近づいた矢先に何かが鐘の内部からその落とし物に落ちた。先生はちょっぴり驚いたもののすぐ冷静に状況分析し始めた。
「これは…」
落とし物も追加で落ちてきた物も同じ物であることに不思議に思ったところに異変を察知したのかシスターが「どうかなさいましたか」と声をかけながら近寄る。
「シスターさん小麦です」
一握りの小麦を手のひらに乗せて見せる先生の行動に理解できるわけもなく、シスターは「そう…ですね、小麦ですね」と口ごもる返事しかできずに対応に困っている。そんなシスターの心情など察することなく先生がすぐ続いて「食料の鐘から小麦が落ちてきたんです」と話すとシスターは遮られた視界にある食料の鐘をよく見ようと身をねじるように乗り出した。
目にしたのは鐘の空洞部分から滴る雫の如きにぽつりぽつりと小麦が落ちる光景、シスターは驚きのあまり目の前の先生を押しのけて助走の勢いに身を任せて跪く姿勢で滴り落ち場所まで滑り込んだ。
恐る恐る手を伸ばしてみたら急遽滴りの頻度が上がりやがて砂時計のように絶え間なく落ちてくるようになった。
「たた、た、大変だ!」
シスターは状況をよくわかない子供たちと尻もちをついた先生をこの場に残して振り返ることなくどこかへ走り去った。




