33.連動
「ふわは~~」
昼頃、遠方にふんわり浮かんでいる雲のように呑気な欠伸が戦場の最前線である城壁の上に響いた。
「誰だ! 今の腑抜けた欠伸を漏らしたのは」
隊長の問いかけに正直に名乗り出る人はおらず、進展のないままただ時間が進む。
「おいおいお前ら、しっかりしろ! 今は一応戦闘態勢だぞ」
両軍が膠着状態になった最初こそ緊張感があったけれど、連日何事もなくひたすら罰を受けた学生のように立たされる守備隊員たちはとっくに緊張感も警戒心も薄れている。
「そう言われても…もう何日もこうして相手と睨み合いするだけですよ」
それ故か、仕事している上官に対して仕事をサボりますと宣言するようなことも口に出してしまった。
「睨み合いするだけ? だから何だ! 命令が出ている以上それを忠実に果たさない理由にはならん!」
「しかし…それも限度というものがあるでしょう…」
「貴様! 何弛んだことを! さては、さっき欠伸したのはお前だな。後で守備隊の精神をみっちり再教育してやるから覚悟しろよ」
「えっ、そんな! 私じゃないです! さっき欠伸したのは…」
「くどい! どうやら返事の仕方も再教育しなければならんようだな、今すぐ私について来い」
弛みきった部下はここにきてようやく自分が怒られていることに気づいてだんまりになった。
「お前ら、こいつのように再教育を受けたくなけりゃちゃんと警戒しろ」
隊長が踵を返して立ち去ろうとしたところ「隊長!」誰かが焦った声で隊長を呼び止めた。
呼ばれて条件反射のように無意識に声がした方に振り返えて見ると、その声に焦りが含まれている理由がよくわかった。
ついさっきまでなんの動きもなく、いくつのも矩形に分けてスケルトンブラシのピンのように並んていた敵が、今は集団行動のイワシのように陣形崩さずに移動を開始した。
「隊長、敵が動き出しました。どうしますか」
「慌てるな、まず上に報告だ。誰か行ってきてくれ」
(今更なんのつもりだろう…)内心に浮かぶ雑多な憶測振り払いながら隊長は現場の指揮を取りつつ上の指示を待つことにした。
数分後、
「隊長」
「どうなんだ上は何か命令はないのか現状維持なのかそれとも打って出るのかそれと何か作戦があるのか貴様何ボケっとしている早く答えろ!」
「は、はい! た、待機せよ、あ違った。命令があるまで待機せよとのことです」
報告に行った隊員が戻るや否や隊長は矢継ぎ早に質問をぶつける。それに気圧されて隊員の返答もしどろまどろになった。
「はっきり言えんのか、もういいわかった配置に戻れ!」
「あの…隊長…」
「何だまだなにが」
今までにない現状に苛立ちを覚えているのか、隊長の口調は気持ちのいいものではなかった。
「我々の部隊への命令が下されるまで、他の部隊への命令をそこで聞いてたんです」
「よくあることじゃない、命令を出す口は一つだから。それがどうした」
「はい、実はその中に気になるものが…」
敵の姿が確認したその日、念のため住民の外出禁止令が出されていたが、睨み合いしかやることはないとわかれば禁止令も解除され城壁外での活動ができないこと以外、大部分の住民は普段とあんまり変わらない日常を送ることができた。
ツワトの弟であるシハトも今日は昨日と変わらない一日だろうと予定通りに医術の勉強しに出かけた。
目的地である医療施設の評価がこの前まではいいわけでも悪いわけでもなく「近くの病院はそこだ」という普通の知名度しかなかったが、最近ではシハトのおかげで「最年少の見習いがいる病院」として前よりも認識されるようになった。本人であるシハトももちろん近所でちょっとした有名人になった。
目的地に到着したシハトは手荷物を置いて着替え始めた頃、何やら誰かが路上で大声で叫んでいるようで騒がしい。氣にはなったもののシハトは氣にするなと自分に言い聞かせながら準備を済ませて今日の業務に取りかかるべく、所属部署に向かった。
普段どおりなら先輩や直属の先生の診査の手伝いとか、雑務とかやる予定だった。しかし部署に到着したら見慣れた服装を身に纏った部外者が持ってきた命令で今日の勤務内容が激変した。
「これで全員揃ったのか」
「はい、今日出勤する者ならこれで全員です」
「よし、付いて来い」
シハトの到着を確認した部外者は先生に確かめたら、全員をどこかに連れていこうと号令をかける。
突然のことで状況を飲み込めないシハトはとりあえず号令に従うことにした。
「先輩、何があったんですか? なんで守備隊がここに来たんですか?」
「詳しいことは私も知らないわ、出勤したらいきなり守備隊の隊長さんが来てなんちゃらの命令が発令されたからと言って先生に医療人員を集めろと命令したのよ」
「そうですか…一体何があったんでしょうか。どこかで大事故があって医療人員が必要になったとか?」
「それならここまで運んでくればいいのにこうして悠長に全員が集合してから現場に移動する必要はないわ」
「それもそうですね」
二人はしばし可能な原因を推察しながら守備隊の引率に付いていったが、いくら考えても思いつくどれもあくまで想像でしかなくお互いに納得できるものはなかった。
「うーんー、やはりどれも違う気がするわ」
「そうですね、守備隊に聞いて……みたところどうせ何も教えてくれないでしょう。あっ、先生に聞いたらどうですか? 先生なら何か知っているかもしれません」
思いつくが早いかシハトは先生の姿を探すべく前後左右を見回し始めた。
「先生ならここにいないわよ、守備隊の何かしらの会議に呼ばれたらしい」
「そうですか、あれ?」
周囲を見回したシハトは後方に中身が医療用の薬品や器材であると示すマークが書いてある箱を運ぶ守備隊員の姿が目に入った。
「どこかへ往診する割には持っていく物が多くありませんか」
シハトの疑問につられて先輩も振り返った。
「そうね変だわ。隊長さんが来て間もない頃から運んでいるのに」
まだ運んでいるなんてと不審に思い始めたところに
「着いた」
引率していた守備隊員が振り返って城壁の上へと登る階段の近くの民家を指差しながら「ここだ」と宣言するように言った。医療人員の誰もが自然にここに患者がいると予測するも隊員の次の言葉を聞くとすぐにその予測は思い違いであると知った。
「医療人員はこれから暫くここに駐留してもらう」




