24.搬送
デツィの出現に本来ならジェンは喜ぶはずだったが、それは直後に守備隊員が現れなければの話だった。
自分を中心に半円を描く隊員の半分は手に松明を持っている。そのおかげで、暗かった河辺は石畳の表面の凹凸もはっきり見えるほど明るくなった。その確保された視界でジェンを逃さまいともう半分の隊員は槍を構えている。
「っーー……」
ジェンは何か言いたそうに微かに口を開いたが、すぐ歯を食いしばって何も言わなかった。その姿は何を言えばいいのかわからないようにも、無表情のデツィに怯んでいるようにも見えた。
「…………」
デツィは無言でナイフをおもむろに抜き出した。
松明の光が反射されて輝く刃渡り12センチの刀身が目に入るや否やジェンは河に飛び込もうと、踵を返して駆け足になった。
しかし、人の走り出す初速が投げ飛ばされたナイフより早いわけもなく、背中に深く刺さったナイフとともにジェンはドボンと河に落ちた。
ジェンの生死を確認すべく、あたりを捜索したが、何も見つけられなくてそのまま撤収することになった。
ジェンがどこに消えたかというと、都市の特色である隠し通路だった。
実は河の両側の壁に一定の間隔に洪水対策のための水路があって、普段は人が入らないように石格子に遮られている。
しかし、その内のいくつかは密かに地下施設への隠し通路が作られ、使われている。
それを使って守備隊にジェンは河に流されたと思い込ませた。ところが、重傷で動けなくなったジェンはどうやってそこに入ったといえば、事前に待機していたシハトがジェンを引き揚げて地下施設に搬送した。
何時間後、デツィが到着した時に目にしたのはベッドサイドで跪坐して、ジェンの手を祈るように両手で握って自分の額を当てているシハトの姿。
「ジェンは大丈夫か?」
「わからない、でも僕にできることはすべてしたよ。あとはジェン次第」
「そうか……」
「「…………」」
シハトがかつて見たことのない真剣な顔でジェンの無事を祈っているせいか、デツィは言葉に詰まって沈黙が流れる。
デツィが居た堪れなくなってここを離れる言い訳を探し始めた頃、それを無駄にした事が起こった。
シハトがうとうとし始めた。
この早寝早起きが当たり前の国ではデツィや守備隊など特殊な事情がある人以外は普通もう就寝している。本来ならシハトもそうしていたが、ジェンの治療で夜更しすることになった。
それが終わった今、寝たくなっても仕方ない。
「もうかなり遅いし、一緒に帰ろう?」
「帰るならデツィちゃん1人で帰って、僕はここに残る」
「心配するのはわかるが、徹夜はよくないよ。シハトはやれること全部やったでしょう、それにあとはジェン次第って言ったじゃないか。だからジェンを信じて一緒に帰ろう」
「…………」
デツィがシハトの肩を触れて諭すように語りかけたが、ジェンは振り向かず、言葉も返さず、デツィを無視して祈り続ける。
「わかった、好きにして」
デツィはシハトたちを放って他の部屋に行った。
バタン。
ドアの閉まる音が消え、部屋が静かになってシハトは独り言をするように呟く。
「治療が終わったから、僕は祈ることしかできない」
デツィが再び部屋に戻ると案の定、シハトの祈る体勢が解け、うつ伏せになってすやすやと寝息を立てている。
「だから帰れと言ったのに」
デツィはやれやれとばかりに頭を振り、シハトをおんぶして帰宅する。
昼間、デツィとシハトは普段どおりの生活を送る合間にジェンの様子を見に行ったり、薬品や包帯など医療品を集めたりした。
夜になりジェンのところまで行こうとしたが、ツワトに尾行されて撒いて無事辿り着くことができた。
「指定された場所に着いたら、誰も居なかったとわかった時本当に焦りました。私が遅刻したせいじゃないかと疑いましたよ」
身を起こすことはできず、横たわるジェンは何もなかったようにヘラヘラ笑った。
「実際のところ、確かにジェンが早く来なかったせいもあるけど、いろいろアクシデントがあってこんな作戦を実行する羽目になった。ごめんなさい、私の考えが甘かった」
「いいよ、刺されたけど助かったから別に気にしていません。刺されたけども…」
「そんな恨めしく2回も言わなくても……、本当に申し訳ないと思っているよ。でも他に思い付く策がないから、仕方なく賭けたんだ」
「別に気にしてませんって言ったじゃないんですか、死にかけたけど」
慌てて弁解するデツィを眺めてジェンは実に愉快そうに笑いながらからかった。その結果は当然デツィさらに慌てた。それを見たジェンは大笑いして傷に障って痛みが駆け巡る。
「うぅ、痛いです…」
「ジェンちゃんは笑いすぎ、傷が開いてしまうよ」
「すみません…しかし何ですか? その顔は」
「えっ?」
突然の指摘にシハトは顔に何が付いているのかと自分の顔を触って確かめる。
「何もないよ?」
「違います、顔色のことです。どうしたんですか? そんな暗い顔して、私が生き延びて嬉しくないんですか」
「そんなわけない! ただ……」
「ただ?」
「ただ、ジェンちゃんがデツィちゃんにあんな目に遭わされて何で何もなかったように笑えるのか。理解できないだけ」
ジェンはアイコンタクトを図ろうとデツィのほうに見やったが、それを察知したデツィは逃げるように目線を明後日の方向に向けた。
ジェンはため息をついて、視線をシハトに戻してその目を凝視する。
「なぜと言われても、答えはさっきもう言ったじゃないんですか」
「え?」
「助かったから気にしないって言いましたよ」
「ちょっとふざけないでよ! だから何でこんなにあっさりと許したのかがわからないって言っているの!」
「…………」
ジェンは何も言わず、身動き一つせず、ただただ凝視し続けている。
「っ!」シハトはジェンが放つ雰囲気に気圧されて、唖然とした。
「その『助かった』というのは他の意味も含んでいますよ、一つは知っての通り、致命傷から一命を取り留めたこと。もう一つは守備隊の追跡に怯えなくても済むこと」
「それは知っている、でも……」
「でもわからないでしょう、見ず知らずの人に殺意を向けられた恐怖、どこに逃げ隠れてもいつバレるかの不安、殺されかけることが気にしなくなるぐらいそれらから開放される喜びを」
「…………」
お前にはわからないと指摘されたシハトは何も言い返せないまま時間だけ進んで沈黙が生じた。
「別に私の気持ちをわかってくれとは言いませんが、私は気にしないと言っているからそれでいいじゃないですか」
この話題を終わらせようと諭すジェンだったが……
「ジェンちゃんのバカ! 僕がどれほど心配したのも知らないくせに!」
シハトが捨て言葉だけ残して逃げ去ったことにより話題が強制に終わった。
ジェンはため息をついて、「なぜ説明しなかったんですか」
「したよ。でも全然納得してくれなくて…」
目が泳いでいるデツィをジト目で見てジェンはまたため息をこぼした。
「体ばかり成長して、心は成長しませんね」
「ん? よく聞き取れなかった。何を言った?」
「休むから出てってくださいと言いました」




