19.奇妙な舞
夕日が地平線と重なり始める時間帯、この日の訓練を終えたツワトは帰宅した。
「ただいま」
「おかえりってどうした? 体調が悪いの?」
やはりタオルをマスク代わりに使っている母が待ち構えていたが、ツワトの元気のない顔を見るなり心配そうに近寄ろうとした、しかしやはり臭いに耐えられず踏み出した足を戻した。
「そうか? 別に、俺はいつも通りだ」
「そんなわけあるか! こんな一目見ればわかるほどの意気消沈の顔をして、何があったーーかは何となくわかったが、とりあえずさっさとお風呂に入ってきなさい」
何かを思い出したかのようにお母さんの言葉に長音が入った。
「うん、わかった」
ツワトは俯いたまま風呂に向かった。
体を洗って湯船に入ったツワトは訓練の間に挿む休憩時間で聞き耳を立てて聞いた噂話を思い返す。
「そういえば、あの魔物はどうやって退治された?」
「あっさりと監督官に殺されたじゃない」
「いや、違うよ」
「え? じゃ何だ?」
「聞くところによるけど、あいつは大人しくて従順に振る舞いで看守の警戒を緩ませたらしい。その上、友人である監督官を利用して差入れを要求したと聞いている」
「呑気なやつだな」
「いやいや、呑気に見えるのもそれは打算的にやったんだよ、なにせ差入れの品を改造して脱走の道具を作ったから」
「えっ、マジ? 脱走したのか?」
「本当よ。まあ、すぐ発覚して監督官に追い打ちされて殺されたけどね」
「なんだ、しょうもないな」
「そうだね。しかし惜しいよね」
「何が?」
「実はあいつって結構タイプなんだ。まさかこうもあっさり死んだなんてショックだよ、今頃はもう灰になって流されたよね」
「っえ…お前はそういうのが好みなの? 初耳だ。しかしあいつ灰にはならないじゃない?」
「何で?」
「俺の知る限りではあいつは傷だらけになるまで逃げ回っていたらしい、そして最後は川辺で監督官が投げたナイフで致命傷を負ったまま川に落ちた。夜だから捜索はしなかったが、その場で目撃した誰もが致命傷と断定するほどのものだったから退治成功と認められた。そのため遺体はないから焼却しようがない、だからそいつは灰にならない」
「お前どうやって知ったんだよ。待て、その顔…お前面白がってない?っていうか興奮してない?」
「だって…遺体はまだ見つかってないって面白いじゃない!」
「わかったわかったから、唾を飛ばすな! どうせお前はこう言いたいだろうーー」
「まだ生きているかもしれない」
片腕を湯船の縁に置いて頭をその上に寝かせるツワトはポツリと言った。
一人だけの空間だからか、その一言はやけに響いた。
「はあ」
気分転換でもしたいのか、ため息を吐くように肺の空気を吐き出し、気だるそうに湯船を出て家の裏門と物置しか見えないとわかりながらも換気用の窓から外を覗く。
「ん?」
なんの変哲もない景色だろうと踏んでいたツワトの目に入ったのは予想を裏切るものだった。
「シハト?」
弟であるシハトがキョロキョロ周囲を見回して物置の門をこっそりと開けて何かを探している。しかしちょうど夕日が沈み、夜の帳が降りたため暗闇の中で目当てのものを見つけることができなかったらしく、諦めて家に入ったかと思えばランタンを持ってまた出てきた。
ツワトはシハトと目を会わないように身を隠し、タイミングを図って頭だけ出して再び外を覗く。
シハトはランタンを壁掛けフックに引っ掛けてまた何かを探し始めた。しかし位置的、そして絶妙の光加減のせいでツワトが見えたのは暗闇の中、ランタンに照らされ強調された尻による奇妙な舞だった。
「何? 何だ? 何故? まさかさっきは捜し物を探しているんじゃなく、場を整えていたのか?」
自分の弟の奇行(誤解だけど)を目の当たりにしたらさすがのツワトも動揺して夕飯の時にシハトの顔をまともに見ることもできなかった。
食事後、シハトはまた昨日のようにリュックを背負って出かけようとした。
「今日も本を読みに行くのか?」
「そ、そうだよ。今回は夜通ししないから安心して」
「…………」
「どうした? 何で何も言わないで僕を見つめているの?」
「別に、気をつけて行ってきて」
「うーん、わかった」
裏門を出たシハトはリュックを下ろして中身を検める。
「よし、ちゃんとある」と呟いて再びリュックを背負って出発した。
それを見ていた誰かの視線に気づかないまま……。
「まだ安心できないけど、よく耐えたんだね。正直びっくりしたよ」
「私もヒヤヒヤした、でも大きな峠を超えたからこれからはきっと大丈夫だと思う」
「そうだと…いいえ、きっとそうね」
「……」
並んで歩くシハトとデツィはおしゃべりしている。そしてその後ろには2人の姿を見失わないように睨むと言えるほどの凝視をしながら後をつける誰か。
「…………」
「どうしたの?」
急に黙って何かを思案しているデツィに驚いたシハトは心配して声をかけたが、デツィは微笑みを作って「別に」と簡潔に答えた。
「手」
「え?」
「手を出して」
「え??」
突然のことにシハトは呆気にとられているのを見て、デツィは有無を言わせずシハトの手を引いて走り出した。
「なっ!」その変化を認めた誰かは慌てて2人を追いつこうと駆け足になった。
2人は直線に走り2、3個の角を曲がらずに通り過ぎてこのまま突き当りまで駆け抜けると思いきや、突然曲がって脇道に入った。その直前にデツィは後を追う誰かと目があった。そして呆れ顔になった。
数秒遅れで追う者は追われる者が曲がった角まできたが、すぐ歩を進めることをやめて、まるでエンジン停止した船のように慣性だけを進む力にしてやがて止まった。
「居ない…?」
角を曲がった先には3つの民家に囲まれた空き地があるだけだった。3つの家が共同に使うために掘ったのか、その静まり返る空き地の中央には井戸だけあるから正確には言うと空き地ではないが、それ以外何もなかった。
民家のどれも戸締まりがしっかりしていて誰がすぐに入れるところがなければ、この囲まれていかにも音が簡単に反響しそうな場所で急いでドアとか窓とかそれらしき閉めた音も響いてなかった。
「くっ、逃げられたか」
追う誰かは悔しがりながら井戸に近づく。
結果はわかりきったものだが一応その井戸を覗いてみた、そこにあるのは月明かりに照らさたツワトの横顔の鏡像だけだった。
なぜツワトがシハトを尾行したのかというと、理由は至って単純なものだった。自分の弟が変な踊り(誤解)するのを見た直事後、また夜に出かけるなんて普段しないことをすると知ったら、さすがのツワトも心配の1つや2つをした末に尾行に至るのだった。
「デツィ、目が合ったのに止まってくれなかった……はっ! まさかシハトが変になったのはデツィのせいだったのか!?」
2人を見失ったツワトはそのまま邪推しながら帰路に着くのだった




