11.知っていても知らなくても同じ
シクバイ先生は何事も全力で取り組んで、未熟な部分があれば上達になるまで何度も練習するような生真面目な人だった。
まだ監視の部門の学生だった頃も変装を自主研究のためよく服飾関連の店に足を運んでいろいろ聞いたり買ったりしていた。
そしてある日、簪を買って店を出たところある男に呼び止められた。何でもその簪は男初めて師匠認められた作品らしく、買ってくれたシクバイに感動のあまり声を掛けたようだ。
この出合いをきっかけにシクバイは男とよく会話するようになり、回数が重なるにつれてその内容も装飾品関連から誰にも言ったことのないような心の内まで発展していった。
シクバイは生真面目な性格のせいでよく周りに嫌われて友達ができなかった。その反動なのか、男に友情以上の感情を抱くようになったのも時間がかからなかった。
そして月日が経ち、やがて2人は結婚して子供が生まれた。夫婦2人は新しい家族とともに幸せな時間を過ごし、将来もそうであると信じて疑わなかった。
しかしそれも思い込みにすぎなかった。ちょっと出かけた隙に子供が勝手に自分の簪で遊んでいる時に転んだ。そしてどういうわけか簪がよくないところ刺さってしまい死んだ。
更にこの事故は倒された最初のドミノの如し次々に問題が起こった。
シクバイは生真面目に先生としての責務を果たしていることが前々から一部の保護者によく思われていなかった。この事故に乗じてその一部の人は憐れむどころか、シクバイ先生は自分の子供も守れない三流以下のダメ教師など誹謗中傷を流し出した。
シクバイはそれらのこと気にしないように努めたが、そんな根も葉もない中傷を信じてしまった隣人、保護者、終いには学生からも毎日のように蔑んだような目で見られ続けたら、傷心したばかりの心はもとより健全な心の持ち主も病んでしまうのだろう。
そんなボロボロな心を支えているのはシクバイの夫だが、周囲の陰口や良からぬ視線で日に日に憔悴していくシクバイをそばで見ていた夫は周囲の人を無差別に憎んで怨み始めた。
「お前らにも我が子を失った痛みを味あわせてやる」と逆恨みが我慢の限界を超えて、簪を武器に溢れ出てきた感情が行動と化して子供を襲い始めた。
そして昨日の夜、自分の心の支えが罪を犯したことともうこの世を立ったことを知ったシクバイはとうとう絶望して子と夫を追うように自害した。
それらの事情を知る術も、知るはずもないツワトはただ作業的に火葬の準備を進めるだけだが、シハトは昨日知ったばかりの人間が今日でもう亡くなっていることにかなりのショックを受けたのか、それとも昨日の惨状を思い出したのか、また呼吸が上がって手も震え出した、この様子だと多分今夜でも悪夢をみるのだろう。
授業が終わりこの仕事の待遇などの宣伝も終わった時、もう昼食の時間になった。都市から2人組が木箱や樽の積んだ荷車を引いて火葬場にやってきた。
2人組が引いてきたそれらの蓋を開けるといい匂いが周辺に拡散していき、それを嗅いだ学生たちは空腹になった体を満たすべく自然と2人組の方へ集まっていった。
2人組に話を聞いてみるとこの食事は授業を参加した学生のために用意されたもののようだ。その証明に作業員たちはみんな弁当を持参している。
家畜は絶滅し、野生動物もネズミぐらいしかいない今では肉料理などはないが、精神に大きな負担がかかる作業の直後からか、何人かは給食のスープとパンを受け取ったもののあまり食べなかった。
これに比較して作業員は作業中の無表情と打って変わって食事を摂りながら談笑している。多分彼らはこうやって僅かな休憩時間でできる限りのリラックスをして心のバランスを保っているかもしれない。
昼食後、生徒たちは都市に戻ったが、別棟に入る時期などの理由で授業に参加した全員が同じ学習所ではないため、各々の学習所に帰ろうと散らばりだした。ツワトたちと同じ方向に進む生徒もいるが、いくつかの交差点や分かれ道を通過するにつれてその数も減っていき、やがてツワトたち兄弟2人になった。
都市に入る前、横でいっしょに歩いたシハトは都市に入ってからすれ違った本館の同世代の子どもが遊んでいるのを見て徐々に速度を落とした。そして、今はツワトが繋いだ手を引っ張らないと前に進まなくなった。
そんなシハトにツワトはこのままじゃ時間が無駄にされると思い、途中からシハトを背負った。
「お兄ちゃん」
「何だ?」
「もうみんなでいっしょに遊べないの?」
「休日みんなで集まればできるじゃない」
どこか寂しそうに呟くシハトに対しツワトは淡々と返事した。
「でも今日デツィちゃんともジェンちゃんとも会ってない、休日の時本当に会えるの」
「ならお前だけ授業をサボって会いに行けば?」
「何で僕だけ? お兄ちゃんいっしょに行かないの?」
「授業をサボってはいけないからだ」
「もう! そこは嘘でもいっしょに行くと言ってよ」
ツワトは頬をふくらませるシハトに特に返事などの反応を示さずに道を進んだ。この対応にシハトの不満が怒りに変わり、心の中で(僕を無視なら、僕もお兄ちゃんを無視するもん)と決めたその直後だった。
「あっ! お兄ちゃん見てジェンちゃんだ!」
シハトは橋を渡ろうとしたツワトの肩を叩いて川の方に指差した。
そこには服を着たまま川の中で何かを確認するように潜っては上がる、そして一定の距離を移動したらまた潜っては上がるのを繰り返しているジェンの姿があった。
「ジェンちゃん何やってるかな」
「わからない、聞いてみればいいじゃない? ちょうどこっちに気づいたようだ」
こちらに手を振りながら近づくジェンを見てシハトも手を挙げて振り返した。
ジェンが橋の下に来てツワトたちを見上がりながら話しかけた。
「ツワトさん、シハト君こんにちは。ツワトさんたちが別棟の生徒になったと聞いて驚きましたよ、何がありましたか?」
「すまない、規則で何も言えない。それよりジェンはここで何をやっている?」
「やはり教えてもらえないですか……私は今チェックしているんです」
自分の知的欲求がまた規則に妨げられて満たすことができなかったジェンはがっかりして頭を垂れるかと思いきや、もう輝くかのような両目をして生き生きとツワトたちに自分がさっきまでやっていることを言った。
「何を?」
「井戸に流れる支流の入口を」
教会の鐘が水を湧き出るようになってから人々は都市中央にため池を掘り、そこに鐘を移した。そして水路を整えて各地の現有の井戸に水道を引くと同時に井戸がないあるいは少ないところに同じ構造の井戸を設けた。
ジェンはそういう井戸に通じる水路の入り口をチェックしまわったと言った。
「こんなに興奮してなんか発見でもあった?」
「そうです、ありましたよ! そこを見てください! 未だない大成果です」
ジェンの指差した方をみるとそこにはガラクタとしか思えないものが何個も置いてあった。
「それはなんだ?」
「わからりません」
ツワトの質問にジェンはきっぱりと答えた。
「えぇ! ジェンちゃんはわからないのに拾ったの?」
「わからないこそ拾ったんですよ」
「なんのために?」
「研究のためです、こういうよくわからないものを研究して理解することが面白く感じませんか」
「わるい、これから授業にいくところなんだ。失礼する」
これからジェンが長時間熱弁しそうな予感をしたツワトはそそくさとこの場をあとにした。




