第282話 賢者は配下に振り回される
自由なやり取りをしていると、そこにまた一つの反応が接近してくる。
のっそりと近くの階段を下ってきたのは、狼頭のドルダであった。
彼はこちらを見ると、斧を肩に担ぎながら話しかけてくる。
「戦争をするのか。まさか、儂の除け者にする気じゃあないな?」
ドルダは少し圧力を込めて尋ねてくる。
肌を刺す戦気は、彼の全身から発せられるものだった。
遠くを歩く無関係な文官が、小さく悲鳴を上げる。
二次被害を横目に、ローガンは首を振ってドルダに説明をした。
「戦争ではない。ただの身内の争いだ。そもそも森はお前の戦場ではないだろう」
「確かにそうじゃな……残念だのう」
ドルダは悲しそうにぼやいた。
毛に覆われた首を掻きながら、狼の耳を垂らす。
よほど戦いたかったのだろう。
気分の落ち込み方が顕著だった。
この五百年の間に、ドルダは理性を完全に取り戻した。
普段の喋りも流暢となり、私やグロムのように安定した自我を確立している。
今では海の魔王の異名を持つほどだ。
魔王となったドルダは、陸地の存在しない世界を舞台に戦争を展開している。
「のう、大魔王や」
「何だ」
「海の神を名乗る輩が現れたのだが、儂が倒してしまってもよいか? 新作の戦艦を試すのにちょうどよさそうなんじゃよ」
ドルダは期待に溢れた声音で語る。
大規模な戦いをする際は、予め報告をするように言っていた。
彼はその約束をしっかりと守っている。
たまに戦闘衝動を抑えられずに飛び出してしまうことがあるも、許容範囲だろう。
「討伐したら報告してくれ。死骸は私が回収する」
「うむ! お前さんは話が早くて助かるのう。儂の部下は説教ばかりで大変じゃ……」
ドルダはため息と共に愚痴を洩らす。
彼は基本的に大雑把な性格で、直感に基づいて行動しがちだった。
必然的に部下は振り回されることになる。
苦情未満の報告が、それなりの頻度で私のもとまで届いていた。
しかし部下達は、決してドルダを見限ることはない。
それどころか絶大な信頼を寄せていた。
問題行動の目立つドルダだが、それを補って余りあるほどの人格者なのだ。
部下からの評判は上々である。
さすがは大海賊といったところだろう。
魔王になっても、その気質は健在らしい。
そこで私は、ドルダに伝えるべきを思い出した。
さっそく内容を彼に話す。
「ケニーとラナが稽古の相手を探していた。よかったら相手をしてやってほしい」
「おお、あの双子も来ておるのか! よしよし、久々に腕を確かめてやるわい」
ドルダは嬉しそうに言うと、肩を斧で叩きながら歩き去った。
二人を稽古に誘うつもりだろう。
その背中を見届けたグロムは、苦笑気味に呟く。
「まるきり好々爺ですな」
「そうだな」
ドルダが理性を取り戻したのは、ヘンリーの子孫と接するようになってからだった。
戦いとは別に、世話好きな性格なのだろう。
孫の子守りでもしているような気分なのかもしれない。
ドルダの一面を考察していると、唐突にユゥラが挙手をした。
彼女は静かな熱意を以て発言する。
「マスターに確認――私も個体名ドルダと同じ任務を実行します。よろしいですか」
「ああ、頼んだ」
私が頷くと、ユゥラは浮遊した。
そのまま飛び去るかと思いきや、ローガンを凝視し始めた。
ローガンは怪訝そうに尋ねる。
「……何だ?」
「個体名ローガンを勧誘――あなたも一緒に行きましょう。稽古相手は多いに越したことはありません」
意外な行動だった。
普段、ユゥラはこういった誘いはあまりしない。
同じ精霊となったローガンに親しみを覚えているのかもしれない。
誘いを受けたローガンは思案する。
少しの逡巡を経て、彼は微笑した。
「用事を済ませたら向かおう」
「個体名ローガンの回答を受諾――先に稽古をして待っています」
ユゥラはその場で宙返りすると、高速で廊下を飛行する。
私達に猛風を浴びせながら、彼女の姿は彼方に見えなくなった。




