第218話 賢者は傍観に徹する
亜竜が咆哮を轟かせる。
落下する雨粒が跳ね返されるほどの衝撃だった。
私達を獲物として認識しているようだ。
さらにその背後から、別の亜竜が姿を現した。
計五体となった亜竜達は、どうやら群れで行動しているらしい。
竜種にしては珍しい生態だった。
「へぇ……」
亜竜の群れを前にしたヘンリーは口角を吊り上げる。
彼は獰猛な笑みを剥き出しにして身構えた。
左右の手は既に弓と矢を手に取っている。
「はは、さっそく歓迎してくれるのか」
ヘンリーは殺気を発散する。
亜竜達は僅かに怯んだ。
本能的に恐怖を感じているのだ。
しかし、種族的な誇りが逃走を許さない。
彼らはここで私達を食らうつもりだろう。
「なあ、大将」
「何だ」
「殺っちまってもいいか?」
ヘンリーは今にも飛び出しそうだった。
全身が小刻みに震えている。
なけなしの理性により、衝動を必死に抑え込んでいるのだ。
それを目にした私は頷く。
「問題ない」
「よぉし! 楽しませてもらおうか!」
歓喜するヘンリーは腕を持ち上げる。
彼は冗談のような早業で射撃を行った。
ほぼ同時に放たれた二本の矢は、最前にいた亜竜の両目に炸裂する。
視力を奪われた亜竜は悲鳴を上げた。
首を振りながらこちらに突進してくる。
「おおっと!」
ヘンリーはぬかるみをものともせずに真横へ疾走し、突進を回避した。
彼は転がりながら矢を撃ち放つ。
亜竜は後脚を射抜かれて体勢を崩した。
さらに額を突き破るようにして鏃が顔を出す。
ヘンリーの射撃が頭部を穿ったのだ。
亜竜が転倒してきたので、私は防御魔術を張る。
寸前のところで激突を免れた。
ヘンリーは私の安全を考慮していない。
気にしなくてもいいと思われているのだろう。
ある種の信頼だろうが、もう少し気遣ってほしいものである。
「さあ、次はどいつが相手だ? さっさとかかってこいよ!」
ヘンリーは高々と挑発する。
泥塗れの彼は、この上なく生き生きとしていた。
亜竜の群れと対峙するなど、常人からすれば絶望そのものだ。
死を覚悟する状況だが、ヘンリーには至福のひと時らしい。
亜竜は悔しげに唸る。
なかなか攻撃しようとしない。
仲間の死に動揺し、さらにはヘンリーを警戒しているのだ。
その時、高魔力反応が接近してきた。
追加の亜竜や別の野生の魔物などではない。
亜竜の横合いから姿を現したのは、斧を振りかぶったドルダだった。
「首ヲ、寄越セェ……ッ!」
ドルダは紫電を瞬かせながら高速移動し、亜竜の首を刎ね飛ばした。
木を蹴って方向転換すると、さらに別の亜流の首を切断する。
凄まじい速度と威力だった。
亜竜は、まったく反応できていなかった。
二つの首はぬかるみに落下する。
その姿を目にしたヘンリーは苦笑した。
彼は少し不満そうに肩をすくめる。
「おいおい、横取りとは感心しねぇな。じゃあ、こっちは俺が貰うぜ」
ヘンリーが気楽に放った矢は、弧を描くように飛ぶ。
矢は残る亜竜のうち、一体の首を捉えた。
その際、軌道がずれる。
急角度で曲がった矢は、もう一体の瞳から後頭部へと突き抜けていった。
二体の亜竜は共に致命傷を受けた。
命中による軌道のずれも計算して矢を撃ったのだろう。
到底、真似できない技量である。
もはや常識など置き去りにしていた。
崩れ落ちて息絶える亜竜を見て、私は気の毒に思った。
「マダ、足リヌ……」
ドルダは斧を下ろして辺りを彷徨う。
追加の獲物を探しているようだが、付近の魔物は大急ぎで離れている最中だ。
亜竜の死を嗅ぎ付けて、危険を察知したらしい。
彼の斬首衝動が満たされることはないだろう。
顔の泥を拭いながら、ヘンリーがこちらまで戻ってくる。
彼は亜竜の死骸を眺めて思案する。
「うーん、俺達の地域よりも少し強かったか?」
「ここは魔力濃度が高めだ。生態系にも影響しているのだろう」
戦いぶりを見るに、強さが微塵も分からなかった。
ただ、魔力的な観点で分析すると、この地の魔物の水準は高めだ。
他の地域では災害に匹敵するような個体が跋扈している。
人間が簡単に出入りできない地域であった。
「こんな魔物と戦っているということは、兵士の質には期待できそうだな」
「大陸全土で紛争や戦争が絶えないと聞いている。その辺りは裏切られないはずだ」
「そいつはいい! 十分に楽しめそうだ」
「儂モ、参戦スル。首、ヲ斬ル……」
ヘンリーとドルダはそれぞれ反応を見せる。
二人とも魔王軍でも屈指の戦闘狂だ。
仲間としてはこの上なく心強い。
今後もその力を振るってもらおうと思う。




