第四話 飛び降り自殺を繰り返す理由
そんな穏やかな三人の生活は、美沢さんの卒業と就職に伴う引越しで、また二人だけの生活に戻った。
「なんで抜けるのが美沢ちゃんなんだよ!」
「おい待て、それは俺のセリフだ。お前はいい加減に成仏しろ」
「町田をひとりにしてはおけない!」
「遠距離恋愛になっただけで、別れてないからな!」
美沢さんも泣きながら、俺でなく佐野との別れを惜しんで引越していった。
なんで彼氏の方はおざなりなのか。
聞いてみたら、「連絡が取れない佐野くんの方が、離れると寂しい」と即答された。
泣いていいかな、俺。
飛び降り自殺をした佐野が俺の部屋に現れてから、二回目の春。
いつも通りに窓の外を通り過ぎ、俺にだけ見える遺体を晒した後、ひょっこりと部屋に現れる。
何も変わらない佐野を見て、俺がこの部屋に住み続ける限り、佐野も飛び降り自殺を繰り返すのだろうなと、根拠もなく思った。
「そういえば、美沢さんが就職活動で死にそうな時、佐野の飛び降り自殺の回数が増えたよな」
「そうかなぁ?よくわからないんだよ。どういうタイミングで繰り返しているのか」
「俺が就職活動で死にそうになったら、佐野は飛び降り自殺の回数を増やすのかな」
なんとなくの思いつきで口に出したけれど、案外そういう仕組みなのかなと思った。
美沢さんのところでバイトを始めてから、同じ学部の人たちとも話せるようになった。少人数のゼミ室に入ったせいもあるけれど。
それでも佐野のことは、誰にも教えていない。話したところで信じてもらえないし、美沢さんとも他の人には絶対に言わないようにしようと決めていたから。
なんとなくだけど佐野の存在は、"自殺しようとした"、"自殺したい気持ち"を持つ俺と美沢さんの二人にだけ与えられた、特別な存在に思えたから。
それに、いつも弱っている時に佐野と会うと、自殺したい気持ちを正直に口に出せた。
他の人には絶対に言えないのに、実際に飛び降り自殺をした佐野にだけは、言ってしまっても大丈夫という安心感があった。
だからだろうか。
佐野に会う前なら、もう嫌だと自分の殻に閉じこもってすべてをシャットアウトしていた俺が、怯えながらも外の世界へと行動することができている。
失敗して、恥をかいて、死にたくなってもいい。佐野が代わりに見せてくれるから。
飛び降りる姿を。
決してこの気持ちは、俺だけしか持っていない、ひとりだけの気持ちじゃないと分かるから。
死にたい。
死にたい。
その苦しみを抱えながら外を見ると、もうひとりの俺が、上から下へと落ちていく。
それを見た時の気持ちをどう言い表せばいいのだろうか。
誰にも言えないまま溜まっていく死んでしまいたい気持ちは、否定されることなく、体すべてでもって佐野が肯定してくれる。
すぐに心が折れて、死んでしまいたいと思ってしまう弱い俺のままでもいい。
死にたいと思ってもいい。そう思うことは、それはそれでいい。
佐野がすべてを受け止めてくれるから。
俺は、飛び降り自殺をする佐野に、何度も何度も救われていたのだ。
つらい。
苦しい。
死にたい。
その度に、佐野が飛び降り自殺をする。
そして、俺の前にふざけた調子で現れる。
死にたい気持ちは分かると体で示してくれる。
それがどれほどすごいことなのか、どれほど感謝していることか、佐野には絶対に教えたりしないけれど。
だって、感謝してると言ってしまったら、そのまま佐野が消えてしまいそうだから。
成仏しろと言いながら、誰よりも佐野にいて欲しいと思っている俺は、死んだら地獄行きになるんじゃないだろうか。
それでも佐野も道連れにしていっていいなら、地獄でもいいかなと思う。
もっとも、そんなことを俺が言えば、佐野はきっと「行くなら町田ひとりでいけよ!」と、口ではいいながら、最終的には地獄までついてきてくれるんじゃないだろうか。
佐野はそういう奴だから。
そんな夢想をしながらも、就職活動の荒波を乗り越え、無事に内定が決まった。そして、新規採用者の研修に参加し、帰ってきた大学四年の二月下旬。
佐野が消えた。
*****
自殺した理由は、覚えていない。
ただ死ぬことを決めただけ。
働いていた時期もあった。
その頃の同僚が住んでいたのが、町田の住む部屋だった。
「タバコ吸うなら、屋上に行こう」
だらだらと一階分の階段を登ると、小さな数字鍵のついた扉があり、同僚はくるくると数字を合わせると、あっさり鍵を開けた。
「ナイトウさんが管理してるんだ?」
「そ。7110って安直でしょ?」
くすくすと笑いながら、屋上に出た記憶を頼りに、俺はあの日死ぬ場所を決めた。
一緒にタバコを吸った彼女は、結婚をしてどこかへ行ってしまっている。
淡い恋心があったと気づいたのは、結婚すると知った時だった。
住む家が失くなってから、どれくらい経っていたのかもう覚えていない。なけなしの財産一式は、よれよれになったナイロン製のバッグに詰めて、古いコインロッカーに入れてきた。
俺が死んだ後に見つけてもらえるように、鍵とコインロッカー近くのコンビニのレシートをポケットにまとめて入れておいた。
バッグの中には、督促状ともう使えない国民健康保険証が入っているから、俺の身元も分かるだろう。
飛び降りる前に、鍵の入ったポケットを押さえたことは覚えている。その時に中身のことを考えたから、死んだ後も覚えているんだろう。
青い空はきれいで、死ぬならこんな日がいいと思った。誰にも惜しまれない命なら、せめて死ぬ日を選ばせてもらってもいいだろう。
眼下には桜の木があるけれど、まだ三分咲きくらいだろうか。
満開の時の方がいいとも思えなかったので、そのまま飛び降りることにした。
一瞬の恐怖感ともう取り戻しのきかない浮遊感。
頭から落ちていく。
まだ落ちたばかりの時に、彼女が住んでいた部屋の窓が見えた。
ぼんやりと死にそうな顔をした若い男が、身を乗り出そうとしていた。
学生だろうか。
もやしのように白くてひょろっとしている。
目が合った。
「え」
声が聞こえたような気がした。
それから地面に衝突するまでは本当にすぐで、脳内の電気信号は意味することを理解する前に途絶えた。
最期に見えたのは、あの男の部屋より下にある窓から見えた家族写真だった。
穏やかに笑う両親に挟まれて、笑いかける小さな男の子と女の子。
何かが心に芽生えた。
すぐに死んだけど。
俺も写真の子どもたちのように愛されたいと切望した感覚が死ぬ寸前に芽生えたのだと、ようやく理解したのは飛び降り自殺を繰り返して何回目のことだろうか。
あの日、屋上から飛び降りて、町田と目が合い、下に叩きつけられるまでの数秒間の記憶を、死んでから何度も何度も繰り返し見ている。
町田は窓を通るたびに目が合うと言っているが、俺に見えているのは死んだ日の落ちる記憶だけだ。何年経っても、落ちる時だけはあの日の町田しか俺には見えていない。
何度も何度も。
気がつけば屋上にいて、そこから飛び降り自殺をする。
町田と目が合う。
写真を目にする。
死ぬ。
その繰り返し。
そして積み重なるのは、町田と過ごした記憶。
初めて飛び降り自殺をして死んだ後。
窓を開けたまま、電灯も点けずに真っ暗な部屋にうずくまったまま動かない町田を見ていた。
死んだのは俺で、お前は生きているのに、なんでそんなに死にそうな顔をしているんだ?
落ちる瞬間に初めて会った相手なのに、腹の底から湧き上がる感覚があった。
『死ぬな』
『死なないでくれ』
もやしみたいな奴なのに、俺はこいつに死んで欲しくないと思った。
どうしてか分からない。
ただ、そう強く思った。
この感情は、落ちる瞬間に目が合った時に生まれたものだと、何十回目かの飛び降りで分かった。
屋上にいる。
飛び降りる。
死ぬ。
町田のところへ、行く。
その繰り返しで、何度も見る。
死にそうな顔をした町田の顔。
仲の良い親子四人の写真。
ぐしゃり。
死ぬたびに、町田に会えるから、俺は怖くなかった。
町田が死にたいと思ったのなら、俺が代わりに何度でも死ぬから。
おまえは死ぬな。
町田の前に出れば、一番楽しかった頃の俺に戻る。
ふざけて、笑って。
悩みは天然パーマの髪しかなかったあの頃。
どんな奴らとつるんでいたのか、覚えていない。
ただ楽しかった時が、俺にもあった。
その楽しかった頃の記憶が、写真を見た時に、真っ白い紙にインクを落としたように、心に引っかかった。
その写真に写っていた女の子が、ある冬の日、屋上に立っていた。
俺は気がついたら、その子の横を通り抜け、屋上から飛び降りていた。
あの写真に写っていた女の子は、大きくなってわずかな面影しか残っていないのに。
風で乱れた髪から見えた顔が、俺には同じ人に見えたから。
ためらいなく、飛び降りた。
死なないで。
俺の憧れなんだ。
親に愛された子ども。
俺もそんな子どもに生まれたかった。
ぐしゃり。
頭が割れる音は、何度聞いても嫌なものだ。
女の子は、美沢と名乗った。
俺は町田と美沢が好きだと思った。
何百回も飛び降りて、これは町田と美沢の為だと思い始めていた。
死にそうな顔で大学へ行く町田が、飛び降り自殺をして再会をするたびに、表情が明るくなっていった。
美沢も死にたいと思う事があれば、俺が代わると言ったら、笑っていた。
おまえらのためなら、俺は何度でも飛び降り自殺をするから。
あの時の嫌な気持ちを何度でもあじわうから、町田と美沢には、俺と同じことをしないで欲しい。
生きてくれ。
自殺した俺が言うことではないけれど、死なないで欲しい。
おまえらが生きて笑ってくれるなら、何度死んでもいいんだ。
もう会えなくなっても。
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最終話、12:00投稿予定です。




