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6 クロウド・ドビュッシーより――「夢想」


 お母さんの手を引きながら、僕らは夜会に出向く。向こうに見える石の壁、空に覗く闇の無限が、昨日よりも恐ろしいものに思えるのは気のせいなんかじゃない。


「ごめんねレイン。今日はなんだか目が見えづらいの。アナタがエスコートしてくれるお陰で、私は無様にドレスを汚さないですむわ」

「少し疲れてるだけだよ。沢山食べてぐっすり眠ったら、きっと良くなる」


 酒場に辿り着いた僕らは、レインコートを壁に掛けてから席に着いた。


「なぁレイン、村長を知らないかい?」


 昨日も一昨日も、恐らくはそれよりもずっと前から続けていたやりとりを終えた僕は、立ち上がったフェリスが夜会の開催を宣言するのを横目に見る。


「それでは皆さん、終戦のお祝いと、夜を乗り越えるための宴を始めましょう」


 打ち合わされたグラスに、始まった喧騒。みんなが昨日と同じ表情で、同じ話しをして、見たことのある笑みを貼り付けている。みんなが誰かの手の上で踊り続ける光景が、何故だか妙に恐ろしくて堪らない。

 嘘臭いまでに思える騒ぎはやがてなりをひそめ、陰鬱なる気配が場を満たし始める。もうすぐ誰かが皿を落とす……僕がそう思った刹那――


「見ていられないや」


 悲しみが会場を満たし切るその前に、スノウは席を立っていた。注目を集めたままピアノの前に座り、鍵盤を撫でたスノウ。村のみんなの意識が悲しみに向かい切る前に、月光に照らされた天使がそこに降臨したみたいだった。


 息を呑んだみんなの耳に、首をよじったスノウの旋律が――――


 クロウド・ドビュッシーより――「夢想」


 幻想的なる旋律が、

 静かに……僕らを包み始める。

 例えるならばそう――これは夢。

 昼とも夜とも知れない幻想の世界で、穏やかになびく草花と清流。

 遥かなる夢幻の彼方に送り込まれ、羨望の深みへと沈まされていく、

 美しく、儚げな、誰かの夢は、疑いようも無い現実へとすり替わり、

 僕らを魅了する――


 呆けた口を開けながら、みんながスノウの奏でる旋律の海に浸かっていくのが見てわかる。

 ――僕はピアノを弾くスノウが好きでは無い。

 ずっと一緒に居るべき僕らが、切り離されていく様な感覚に襲われるから……

 だけど僕は何故だかスノウのピアノを聴いている時、彼の魂がこもったメロディを受け入れているこの時、頭に掛かっていた霧が澄み渡るんだ――

 揺れる蝋燭の火、軋む木の床、震えるカップの中の水面……自らを俯瞰している位の集中力の中で、僕は夢の世界で思考する。

 

 ――僕らの残したメモの内容は、ほとんど全てが真実だったと判明した。

 実証された死の霧の存在。リセットと共に肉体までが時を巻き戻すというその真実。 

 ……残されたのは、これらが魔女の呪いなのかという点だが、今それが判明した所で状況に変化は無い。


『こんな平地に霧隠れする、スノードームの村が……』


 イルベルトの言った不可解な言葉。スノードームとは? 死の霧が無いとは? 

 どうして彼の言う言葉の数々が、僕らの認識とことごとくズレている? 

 そもそも彼は一体誰なんだ。いつこの村に現れたんだ。僕らの残した屋根裏のメモには、イルベルトの存在は記されていなかった。あれ程奇怪な存在が居たとすれば、必ずどこかに書き記す筈なのに。

 つまりそれは――


「イルベルトが現れたのは、僕らの前回の忘却から、今に至るまでのその間なんだ」


 つまり彼は、これまでの僕らに無かった要素。過去の僕らでは持ち得なかった情報の一つなんだ。

 彼という存在が無ければ僕は今日、自暴自棄になって危険な賭けに転じていたかも知れない。


 ――メモに死の霧の検証方法が記されていなかったのはもしかすると、過去の僕らが無法な壁越えをして、記憶を途切れさせていたからなのかも知れない。


 だけど彼の話しを何処まで信じるべきなのか、まるで信頼に足る証拠が無い以上、根底を揺るがす荒唐無稽な虚言をどうしたって信じてやる訳にはいかない。

 今そこの椅子に座って、圧巻とスノウを見上げているティーダが話した言葉……


『仮面の商人の言う“今日”と、僕らの“今日”がズレているってこと……かな?』


 ――ズレている……まるで絵空事のような妄言を吐きながら、イルベルトの話しをどうにも笑い飛ばしきれないのは、彼の言葉とその様相に、得も言えぬ説得力と現実味を感じるからなんだ。例えるならば、彼もまた嘘をついているつもりなどがなく、ただ彼の知る現実と、僕らの現実が()()()()()といった様な……


 メロディがそこで転調し、時を刻みつけるかの如く一定の和音が繰り返され始めた時、

 はたと僕は気付く――イルベルトと僕らでズレているのが、“今日”では無く、()()なのだとしたら。

 僕の全身が戦慄き始め、肩を抱いて身悶えする。

 ……だとすれば、一筋の希望を掴む代償に、僕らはさらなる脅威にさらされる事になるだろう、その事がわかって、この体は震えているのだ。


「なにを考えてるんだ僕は……馬鹿げてる、そんなことある訳ない、アルスーン王国が滅びたなんて、そんなこと……」 


 明日、あの道化師の話しに耳を傾けてみよう。信じた訳じゃない。ただ、彼の口から漏れ出す言葉を、この仮説に照らし合わせてみようと思うだけだ。それにあの魔道具というのも気になる。魔力を介した忌み嫌うべき敵国の技術だけれど、もしかすれば、この難攻不落の呪いに風穴を開ける何かに役立つかも知れない。


 幻想的に奏でられる楽想が、徐々にとテンポを緩やかに変えて、やがて僕らは夢から醒める。

 鍵盤から離された指先、月明かりに立ち上がった白銀。

 悲惨なる現実を甘い夢でコーティングして、スノウは今宵も僕らに夢を見せる。

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