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3 不可解なる道化の言葉


 ――外にはもう既に死の霧が充満していた。どうしようもない脅威が僕らを包み込んでいたのだ。過去の僕らもきっと、この絶望を目の当たりにして(さじ)を投げたのかも知れないと思った。死の霧が既に村を包囲しているという真実は、僕らの未来に完全に蓋をされてしまったのと同じなのだから。

 沈んだ顔付きで酒場へ卵を持っていくと、茫然自失としたその帰り道にティーダと出会う。


「ようレイン! じゃあ夜会でな」


 昨日の事が、まるで何事も無かった事のように――いや、彼にとっては本当に何事もなかったのと同じなんだ。何も覚えてはいないんだから。


「ちょっと待ってティーダ」


 僕は活気の無い声のまま腕を水平に伸ばしてティーダを止めた。驚いた顔で立ち止まった彼の、昨日擦りむいた筈の右膝を凝視する。


「無い……傷も、なにも」


 昨日彼の体に刻まれた筈の()()は、そこからは完全に消え去っていた。本当に、昨日なんてものが無かったとでも言うかのように。


・〈リセットによって村に残した痕跡は消え去り、全てが“今日”の始まりに戻る〉


「な、なんだよレイン……」

「……いやなにも、ごめんねティーダ。足を止めさせて」


 浮かない顔の僕を不思議がりながらも、彼はミルクタンクを頭に乗せて走っていった。トボトボ歩く僕の背中に、グルタに貰ったリンゴをかじりながらスノウはついて来る。


「……ダメだ。この呪いは完璧だ。肉体の変化でさえも巻き戻し、完全に僕らを包囲している。もうどうする事だって出来やしない」


 すっかり落胆した様子の僕へと、スノウは何を言うでもない。残されたメモの内容は、この呪いが魔女によるものなのかどうかという事。それが判明したところで、今直面していえる状況が好転する訳じゃない。……つまり、僕らの残したメモの内容は、ほぼ全て検証を終えたと言っても過言では無かった。

 だがその時、一つの現象が脳裏を掠めて僕は足を止めていた。


「肉体の変化さえも……巻き戻し……」


 それはまるで悪魔の囁きだった――そうして僕は正気ではないモノに取り憑かれながら、一つの思惑に支配される。


「……明日になったら肉体も全部元通りになる。だったらいっそ、一か八か――っ」


 だがそこで、狂気に呑まれ掛けた僕の肩を後ろから掴む者が居た。振り返ると、スノウが顎でこの道の先を示しているのに気付く。


「ヤケになる前に、話しを聞いてみても、いいんじゃないかな」

「……?」


 スノウの視線を追っていくと、井戸の側の大木に人だかりが出来ている。確認するまでも無く、あの仮面の商人が現れる時間である事は理解していた。あまり気乗りしないままスノウに手を引かれた僕は、今度は人混みに入らずに、井戸のヘリに腰掛けながら彼の話しに耳を傾けた。仮面の商人は腕を組み、大木にもたれ掛かったまま、なにやら品位のある言葉使いで村の女たちの声に答えていた。


「今日ここに来たってあんた、村を囲んだ石の壁はどうやって越えたんだい、十メートルはあるんだよ? 全然役目を果たしてないじゃないか」

「石の壁……それが今見えているアレの事であるならば、私自身も誰かに問い質したくて堪らなかった。あれはなんだ? 巨大な風穴があったから中を覗いてみれば、次の瞬間には穴は立ち所に消え去り、私の退路は閉ざされ、見える世界が変わっていた」

「今晩にはここいらにも死の霧が立ち込めるってのに、外を出歩くなんてとんだ命知らずね」

「死の霧……? そんなものは何処にも無かった」

「あなたは誰で、何処から来たのよ? 誰か知ってる人はいる?」


 仮面の男は長細い四肢をしなやかに動かして、焦げ茶のハットを外して華麗なお辞儀をして見せた。


「私は馬に乗って東の国から来た。流浪の魔導商人イルベルトだ」やや歳を食ったような、落ち着いた声音だった。


 ひとしきり彼の話しを聞くと、僕はどん詰まりの未来に僅かな希望が射した事に気が付く。瞳に光を灯らせながら、思わず立ち上がっていた。


「スノウ聞いた!? 死の霧なんて無いって言ったよ!」

「そうだね……けれど、他の話しもまるでちんぷんかんぷんみたいだけれどね」


 ……確かに、まるで道化師の様な出で立ちの彼――魔導商人などと名乗るイルベルトの口から溢れ出す言葉は、全くのデタラメの様にも思える。いつ何処から湧いたやもわからぬ彼は、余りにも怪しく、不気味な存在だった。村の女たちの問答は続く。


「ちょっとちょっと、なーにを訳のわかんない事言って遊んでるんだい」

「訳が分からないのはこちらの方だ。こんな土地に生者が居るはずもないのだ。ここから見える緑や山々もだ、全てが妙だ。誠に妙なのだ。まるで誰かの夢想に彷徨い込んだかの様だ」

「こんの〜、ちょっとあんたこっち来なさい!」

「お、ぉ……おおお……っ、余り手荒な真似は……やめろ、首根っこを掴むな」


 村一番の腕っぷしに引きずられていったイルベルト……彼の腰には曲刀も下がっているというのに、良くやるなぁと思う。

 まとまって移動していった彼女たちの後を追う事も出来たけれど、僕はそれよりも気になる事があったから、そうはしなかった。そんな僕が意外だったのか、スノウは不思議そうに眉を下げていた。


「ついていけば、もっと色んな事を聞けるんじゃないの?」

「うん……でも、今じゃないと出来ない事があるんだ」

 降り始めた雨を鼻先に感じて、スノウの瞳は天上へと向かった。

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