5 僕らが望んだモノ……
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夜会を終えた帰り道、興奮冷めやらぬ声に包まれながら、僕はお母さんの手を握ったまま、ジッと足元を見ていた。
「今日はすごい演奏が聞けたよ! また明日ね、レイン」
ティーダはそう言って、紅潮した頬を僕に向ける。首を振った僕は、活気の無い声を彼へと投じた。
「ダメだよティーダ。言っただろう、今夜はうちで一緒に眠るんだ。出ないとキミは、また今日のことを忘れて――」
愛くるしそうにティーダの頭を撫でた彼の母親が、僕に困ったような表情を見せる。
「ごめんねレイン。もっと遊びたいのはわかるのだけれど、今夜だけは、それぞれの家庭で過ごすべきだわ」
「でも……」
「また明日。明日を迎えられたら、またティーダと遊んで頂戴」
そう告げて、ティーダは母親に手を引かれて夜闇に消えていった。結局ティーダも僕らのごっこ遊びに付き合っていただけなのだと、その時悟る。
――やっぱり僕らが何をしたって、訪れる結果は変えられないんだ。
僕は俯きながら帰路に着く……
*
お母さんとの長い抱擁を終えた僕らは、抱き寄せるままに告げられる。
「おやすみレイン、それにスノウ。明日もきっと同じ一日が来る。頭の中でスノウのピアノを繰り返すの。そしたらすぐに眠りにつくわ……心配しないで」
昨日聞いた台詞を繰り返すお母さんに、僕は強張った笑みを返すと、スノウと一緒に二階の寝室へと向かっていった。
扉を開けるや否や、着替えることもせずにベッドにうつ伏せになった僕にスノウは何も言わない。ただ僕の頭の側に腰掛けると、梳かすように僕の髪を何度か撫でる。
「着替えないの?」
「……明日になったら、服も全部着替え終わってるんだろ」
依然顔を上げていないので、スノウの表情は窺い知れないけれど、いつものように平静としている確信があった。
僕の思惑を全て悟ったらしいスノウは、部屋に灯したランタンを消して、床頭台の蝋燭の火だけを残した。彼は寄り添うように僕の側に寝転んでシーツをたくし寄せる。
「ここで眠るんだね。いいよ、キミがそう決めたなら」
スノウはそう言った。そこに感情がないかのように淡白に。
「怒ってない、スノウ?」
僕の背後でスノウは「レインが決めたことに、僕は従うよ」と囁いた。
やがて消灯の鐘が鳴ると、スノウの指先が蝋燭の火を消した。寝室は闇一色に染まり、静まり返った僕らの耳には、窓に打ち付ける雨音だけが続く。僕はスノウに向けて自暴自棄になったこの心情を吐露する。
「変わらないことを、僕らは望んでいるんだ。悲惨な結末を見るくらいなら、この繰り返しの中で、何も気付かないでいる方が幸せじゃないか」
「…………そう」
「この呪いを暴くことが、破滅に繋がっているんなら」
「……」
窓を打ち、大地に水滴が垂れ落ちる音が、世界を支配する。
スノウは月明かりの下で、開いた掌を眼前に突き出して、灯った灰の眼差しをぼんやりとそこに注ぎ続けていた。彼の考えている事はわかっている。悲しいだとか、悔しいだとか言って抗議すれば良いのに、彼は黙って、自分の夢を心の奥底に仕舞い込んだんだ。いつだってそうなんだ。彼は決して僕を否定しない。僕の背後にピタリと付いてくるだけ。
スノウの夢は、あの楽想を奏でる事だ。譜面はもう頭に入っているらしい。眠りに就く前に、もう何年も、ああして夢想しているのがそれだ。
……だけどあの曲を奏でるには、スノウの手は余りにも小さ過ぎるんだ。
譜面に求められている鍵盤に指が届かない。
だから彼は成長を望んでいるんだ……明日の来ない、この繰り返しの中で。
もう誰も声を上げない微睡の中で、僕は今日の出来事を振り返る。
何故だろう。悲しみに暮れるみんなの様子ばかりが思い起こされる。
そのせいか、いつまでも深淵に辿り着けなくなった僕は、記憶の中にある、今日限りで消えるメモリーを再生した。
――こんな毎日が、いつまでも続いたらいいね。
――僕らはずっと二人で一人だ。
――置いていかないで、スノウ……。
――また、思い出したんだね……レイン。
――でも、明日になったらみんな忘れるんだよ。
――今日という一日を、みんな生きているんだ。
――心が、保たないよ……。
――いってらっしゃい。
――忘れていても、深い悲しみや恐怖の感情はきっと、僕らの胸の何処かに蓄積されている。
――明日もきっと同じ一日が来る。頭の中でスノウのピアノを繰り返すの。
瞬間、ショパンの綴った「革命」のメロディが、僕の脳細胞を掻き鳴らしていた――
突如――
頬を引っ叩かれるような衝撃に襲われた僕は、シーツを蹴り上げ、飛び起きていた。
驚いた様子のスノウを揺すり、再び灯した蝋燭の火で、彼の生白い顔を照らす。
「やっぱりダメだ。僕らが望んだのは変わらない今日じゃない。変わらない明日なんだ」
――僕の仮説が確定した訳じゃない。たとえこの先に、さらなる暗黒が待っているのかも知れなくても、僕らは不安に押し潰されそうな、こんな毎日を望んでるんじゃない。
寝ぼけ眼で僕を見上げたスノウは、一度瞼を瞬き、細い目のまま歯を見せて笑った。
屋根裏に移った僕らは、今日までにあった出来事をメモに記してから、疲れに任せて眠りについた。




