第八十四話 ユーリアの故郷(1)
「ねえ、カズミ!私の村に行かない?明日は非番でしょ!」
リットン卿たちが帰った後、昼食をとっているとユーリアが話しかけてきた。パイロットはローテーションで休みが入る。その間も、別のパイロットが飛行艇を飛ばしている。
「あなたの村って、救援対象地域よね。一五式水上偵察機で行ける距離?あれ、航続距離800kmくらいしか無いわよ」
「マリウポリのちょっと向こうだから大丈夫よ!8mm(撮影機)を持って行って、スターリンに苦しめられてる人を取材するの。それを全世界に発信してソ連包囲網を作るわ!」
「バカね。そんなことをしたら、取材に協力してくれた人たちは収容所送りよ」
「そ、そうね。じゃ、顔を隠して撮影しましょう!」
二人はセルゲエンコヴァ少佐に偵察任務の許可を取り、マリウポリの北にある、ユーリアの生まれ故郷に行くことにした。
翌早朝。二人は、村娘のような服装をし、持てるだけの食料と水を搭載して、まだ日が昇る前に一五式水上偵察機で出発する。薄暗い内にできるだけ目的地に近づきたかった。
「私ね、14歳までウクライナに住んでたの。でも、お父さんのお兄さんが政治犯で逮捕されて、次はお父さんが逮捕されるかもって時に、脱ソ機関に手引きしてもらってサハリンに逃げることができたのよ」
後部銃座のユーリアは、有線マイクで安馬野に話しかける。
「仲良しだった子も何人も居たわ。あれから5年経ったけど、みんな無事かしら」
安馬野は黙って聞いていた。彼女は命の危険を感じながら逃げてきたのだ。辛い日々だったろう。でも、両親から愛されているだけ、私より幸せだ。
――――
「見えてきたわ。あそこの池に着水しましょう」
着水した後に、機体にカモフラージュネットをかぶせる。時間は朝6時過ぎだ。そろそろ起き出してくる人もいるだろう。手早く作業をしなければならない。
辺りには全く人影はない。手入れのされていない畑が永遠と続いているようだった。
「ここから1kmくらい東に行ったところが私の村よ」
二人は食料を背嚢に入れて歩き出す。この道は、しばらく誰も通っていないようだった。雑草が道の真ん中にも生えている。とても誰かが生活している様には思えない。
しばらく歩くと、道の右側に墓地が見えてきた。何百年も使われている、村の墓地だ。ユーリアの祖父母もここに埋葬されている。
と、ユーリアが足を止めた。なにかおかしい。ユーリアは墓地を凝視する。墓地であるなら、あり得ない光景。そして、自分の足がガクガクと震えだしたのがわかった。
「掘り返されているわね」
安馬野がつぶやく。そして安馬野は墓地へと入っていった。ユーリアはその場から動くことはできない。
安馬野は、ポケットからMINOXタイプの小型カメラを取り出し撮影する。MINOXのスパイカメラはこの当時、まだ発売されていない。宇宙軍にて作られた小型カメラだ。
ほとんどの墓が掘り起こされていた。そして、あたりには人骨が散らばっている。
「ど、どういうこと?ねえ、和美、これはいったい・・・・」
「どうやら死体を掘り起こして食べたようね。状態が良ければ、腐らずにミイラになっていたのかも」
「嘘でしょ・・・。そんな、いったい何が起こってるの・・・・」
ユーリアの顔は真っ青になっている。その体はガクガクと震えていた。
「行くわよ、ユーリア。あなたは現実を世界に伝えるんでしょ。立ち止まっていてはだめよ」
そう言って、安馬野は持っている九十一式自動拳銃を確認する。襲われないことを祈るが、飢餓に瀕した人間は何をするかわからない。万が一襲われたときは、村人を射殺してでも逃げないといけない。
しばらくして、ユーリアはなんとか足を動かす。だが、体は村に向かうことを拒否しているようだった。その足取りは重たい。
そして、村に到着した。しかし、人の気配は全くしない。家畜もいない。もう、何ヶ月も人が出入りした形跡が無いようだった。
「飢餓で、村を捨てたのかしら・・・」
ユーリアがつぶやく。それはユーリアの願いだった。飢餓のため、村を捨ててどこかに移住したのだろう。いや、移住していてほしい。もし、移住ができないままだったとしたら・・・。
友人だった、スサンナの家の前に立つ。この家も人の気配はしない。雨戸も閉まっていて、外からでは中の様子がわからない。
ユーリアが立ち止まったまま動かないので、安馬野がその家のドアをそっと少しだけ開けて中をのぞき見る。中は薄暗くてよく見えない。懐中電灯を取り出し、家の中を照らす。
そして、安馬野は一度ドアを閉めた。深く深呼吸をして外の空気を吸い込み、気持ちを落ち着かせる。
「ユーリア、これが、今のソ連の現実よ」
そう言って、安馬野は家のドアを開けた。
ドアを開けてすぐの部屋は、かまどとテーブルなどがある、中世ヨーロッパの貧農の家と変わらない作りだった。そして、その部屋からは、すさまじくおぞましい臭いが漏れ出してきた。
安馬野はその家に入り、写真を撮り始める。自分の動揺を押さえ込み、今の自分はただの機械なんだと言い聞かせる。機械のように写真を撮って持ち帰る。今、私がしていることは、相当に強靱な精神力でなければできる仕事ではない。
台所の周りやテーブルには、人骨だと判るものが散乱していた。死んだ人間が自然に腐敗したのではない。明らかに、人為的にバラバラにされている。そして、家の中はハエの飛び回る音だけがしていた。この家で何があったのか、嫌でも想像できてしまう。
ユーリアはしばらくドアの前に立っていたが、意を決して家の中に入った。
「スサンナ・・・・・う・・うう・・・うぉ・・おおぉぉ・・」
ユーリアはそこにうずくまり、嗚咽しながら今朝食べたものをすべて吐き出してしまった。
安馬野はユーリアの腕を優しく掴み、家の外に連れ出す。
「さあ、水よ。これで口をゆすぐと良いわ」
安馬野はユーリアに水筒とハンカチを出した。ユーリアはそれを受け取って、口をゆすぐ。
「ねえ、カズミ・・・どうして・・・何が・・何が起こったの?村の人たちはいったい・・・」
「食料が尽きて、最初は墓を掘り起こして、次は、餓死した人を、最後は殺し合って食べたのかもね・・・・」
「なんで!どうしてこんなことができるの?」
「村人のせいじゃないわ。全て共産党とスターリンが仕組んだことよ。この地域の人間を絶滅させるのが目的。何もしなければ、1,000万人以上の人が死ぬかも知れないって高城大尉が言っていたわ。私たちは、少しでも彼らを救わなければならないのよ」
「う・・うう・・・うわああぁぁーーーーん」
ユーリアは泣いた。誰にはばかることなく大声で泣いた。ひたすらに涙を流し、この乾燥した大地が、少しでも潤うことを願っているようだった。
※資料をもとに、実際に起こったと思われる飢餓の内容に近づけて描いています。
第八十四話を読んで頂いてありがとうございます。
腐乱死体の現場に立ち会ったことがあるんです。あれはひどい現場でした・・
完結に向けて頑張って執筆していきますので、「面白い!」「続きを読みたい!」と思って頂けたら、ブックマークや評価をして頂けるとうれしいです!
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「テンポが遅い」「意味がよくわからない」「二番煎じ」とかの批判も大歓迎です!
歴史に詳しくない方でも、楽しんでいただけているのかちょっと不安です。その辺りの感想もいただけるとうれしいです!
モチベーションががあがると、寝る間も惜しんで執筆してしまいます。
これからも、よろしくお願いします!




