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鉄血女帝アナスタシア 第四十五話

 1913年8月16日午前3時


 クーデター発生から16時間


「皇帝陛下、プレスリリース用の写真は以上になります。あとは明日、王宮の庭園にて国民に向けての演説予定です。もうすぐ夜が明けますが、少しお休みになられてはいかがでしょうか?」


 大広間で新聞記者を集めての記者会見を実施し、新聞配布用の写真撮影がやっと終わった。ずっとアドレナリンが出っぱなしだったから眠たくは無かったのだけれど、一段落ついたと思うとどうしても肉体的な疲れが出てしまう。サンクトペテルブルクの夏の夜は短くて、日没は21時頃で日の出は5時頃だ。その分、様々な処理が出来たのだけれど、ちょっと限界だわ。急に眠たくなってきた。私の化粧係の侍女達はなんとか起きているようだけど、明らかに魂が遊離しているわね。


「そうね、ルスラン。今日は終わりにしましょう。あ、そういえば、大けがをした人たちの治療に当たってくれたお医者様が居たんですって?道ばたで重傷者の緊急手術までしてくれたって」


「はい、皇帝陛下。手当に当たっていたシスター達に止血方法の指導もしたそうです。手術の手際の良さから露日戦争の従軍医師ではないかと言われているようです。今もけが人が運び込まれている修道院で治療に当たっているはずです」


「ありがたいことだわ。落ち着いたらそのお医者様を呼んでもらえるかしら?是非とも勲章を授与したいわ」


「はい、皇帝陛下」


 ドーーーン!


「爆発?」


「衛兵!何が起こった!?」


 しばらくすると親衛隊から新たに任命した衛兵たちが血相を変えて駆け込んできた。


「南東の倉庫区画で爆発です!火が出ているので消火指示を出しています!」


「なんだと!?」


 ルスランはとても驚いた表情をして私を振り返った。私は疲れでちょっと脳みそが働いていないのか、そのいかにも慌てたようなルスランの表情に吹き出しそうになってしまった。


「皇帝陛下、テロリストかもしれません。今は皇帝陛下の警護を最優先します!衛兵!警備をこの大広間に集結させろ!怪しい者を誰一人近づけるな!」


 ルスランは衛兵の小隊長達を呼んで、警護を出来るだけ私の周りと南東区画に配置するように指示を出した。これで今夜はベッドに入ることは無理そうね。


 私はソファに座ってクッションにもたれかかった。ちょっと限界だわ。


「ルスラン、ごめんなさい。少しだけ眠るわ。何かあったら起こしてね」


 ◇


「皇帝陛下!お眠りの所申し訳ありません!」


 ルスランの声?体が揺さぶられる。それに皇帝陛下って?


 ゆっくりとまぶたを上げると目の前には必死の形相のルスランの顔があるわ。ああ、良かった。


「ルスラン!生きていたのね!良かった・・・本当に良かった・・・ここは?ルバノフは?」


 私はルスランを強く抱きしめた。そして涙があふれ出してくる。


「皇帝陛下!何を寝ぼけているんですか?しっかりして下さい!」


 ルスランは抱きついた私の腕を無理矢理引きはがしてしまった。それはちょっとショックだったのだけれど、だんだんと頭がはっきりとしてきたわ。本当に寝ぼけてたみたい。


「皇帝陛下!テロリストによってニコライ容疑者とその家族が掠われてしまいました!」


「え・・・・・?な、なんだって~~~~~~~~!!!」


 ◇


 クロンシュタット軍港


 イギリス帝国海軍訓練艦 インダス二世号


「足下にご注意下さい、ロマノフ卿」


 クロンシュタット軍港の片隅に停泊しているのは、イギリス帝国海軍の訓練艦インダス二世号だ。1877年竣工の古い装甲戦艦で、現在は練習艦としてロシアを訪問していた。120人のオズボーン海軍幼年学校の生徒とその指導者達を乗せている。


 接舷されたカッターボートに縄梯子を下ろし8人の客人を乗船させていく。ロマノフ一家の6人と侍従のルバノフ、そして侍医のボトキンだ。


「さあ、みなさん、こちらに温かい紅茶をご用意しています。世界最高の飲み物でまずは体を温めて下さい」


 艦長のパーシヴァルはロマノフ一家にコートを渡し、艦尾にあるグレート・キャビンに案内する。8月とは言え高緯度にあるサンクトペテルブルクの朝はかなり冷える。皆寒さと恐怖によって顔はこわばっていてブルブルと震えていた。


「ありがとう、パーシヴァル艦長。私だけでなく家族も全員助けてくれて感謝に堪えない。私がロシアを奪還した暁には、卿に白鷲勲章を授与しよう」


 ニコライの傍らには、少しだけ生気の戻ってきたマリア達三人の姉妹と末っ子のアレクセイ、そして未だに真っ青な顔で生気の戻っていないアレクサンドラが座っている。王宮の地下室に閉じ込められていたロマノフ一家は侍従ルバノフの手引きによって連れ出されて、港で屈強な男達の漕ぐカッターボートに乗せられたのだ。王宮のどこかで爆発があり、警備がそちらに集中した隙を狙って実行された。全員同じ部屋に入れられていたので、迅速に脱出することが可能となった。最初は連れ出されて秘密裏に殺害されるのかとも思ったのだが、思いの外丁重に扱われて軍艦に乗せられた。それがイギリスの軍艦である事が解って、やっと命が繋がったことを知る。そしてニコライはルバノフを疑ってしまっていたことを強く恥じた。


「ん?ロマノフ卿、何を言っておられる?詳しい経緯は知らないのですが、貴殿の申し出によって家族でイギリスに亡命し、イギリスで名誉貴族に叙されると聞いておりますぞ。その為に練習航海を装ってここまで来ているのです」


「えっ?私の申し出によって?」


 ◇


「皇帝陛下、ご家族は無事にイギリス軍に引き渡しました。そろそろ港に着いている頃でしょう」


 爆発騒動の後、安全を確認して自分の執務室にルスランと戻った私は温かいココアを飲んで報告を聞いている。報告をしているのは警備局局長のゲンリフ・ランゲだ。中年太りで頭の真ん中がはげているこの男はどうにも生理的に受け付け難いのだけれど、その手腕は確かで信頼に値するのよね。お母様の不貞の証拠を集めたのもこの男だし。この男には今後秘密警察を率いてもらって、極左極右過激派の摘発をしてもらう予定だ。間違ってもラヴレンチー・ベリヤのようになってもらっちゃ困るから、この男の監視も怠らないようにしないとね。


 ※ラヴレンチー・ベリヤ ソ連秘密警察のトップ。その権力で、数百人の女性や少女をレイプして殺害したとされる。


「ありがとうランゲ」


 お父様の名前を騙ってイギリス政府に亡命の手配をしたのもこの男だ。クーデターの機運があるので、万が一の時には亡命を受け入れて欲しいって。報酬はロマノフ家の個人資産から200万ポンド(21世紀前半の価値換算で700億円くらい)。ロマノフ家は海外資産の多くをイギリスの銀行に現金と金塊で預けていたから、万が一の時にはその90%をイギリスに渡すという手続きを事前に済ませてあるわ。残りはお姉様方の嫁入りの支度金かしら。ルバノフにはお姉様達が結婚するまでちゃんとお金の管理をするようにお願いしてるから大丈夫よね。イギリスは200万ポンドの報酬でお父様にイギリスの名誉貴族の爵位を与えて不自由の無い程度の生活費を支給する事になっている。お母様はイギリスのビクトリア女王の孫だから無碍に扱われるようなことは無いと思うけど、ちゃんと約束は守ってよね。


「それと、大司教への根回しもお願いね」


 お父様達が逃げたことは数日間秘密にしておく。そして逃亡の発表と同時に大司教に声明を出してもらう手はずになっている。“聖女でもある新皇帝が実父を死刑台に送ることを、慈悲深い神はお許しにならなかった。前皇帝の罪は重たいが、それ以上に神は聖女レーニナを祝福するために前皇帝家族に赦しをお与えになったのだ。神は神が人を赦すように、人と人も赦し合えることを望んでおられる”と。


 この時代のロシア国民は信心深い。大司教がそういえばその通りだと思うだろう。クーデターで犠牲になった人たちにも手厚い補償をして、正教会からは“亜使徒”の称号を授与してもらう。亜使徒とはロシア正教において聖人や使徒に準じる働きをした人に贈られる名誉称号だ。これで私のしたことが赦されるとは思わないけれど、何もしないよりは良いだろう。


 お父様達に対しては一応欠席裁判をするけど、お父様に死刑判決を出した後大司教の嘆願によって恩赦を与え減刑する予定だ。奉仕活動1年の刑とかね。私を殴ったマリアお姉様も私が赦しを与えて奉仕活動一ヶ月の判決予定くらいかしら。ロンドンで奉仕活動をしてもらおう。イギリス政府に要請しなきゃね。ロシア正教では尊属殺人は神に対する裏切りであり重罪なので、お父様を処刑してしまっては教会や一定数の国民の反発を招く可能性があったからこれは政治的な判断もあるわ。決して私の個人的な甘さだけじゃ無いのよ。何にしてもこれで万事丸く収まるはずね。お父様とお母様の仲が丸く収まるかどうかは知らないけど。


 あ、そうだ。しばらくして落ち着いたら、イギリスのあの男にも釘を刺しておかなきゃ。浮気性の侯爵令息。マリアお姉様を泣かせたらイギリスと全面戦争よ。


 ◇


 インダス二世号


「マリア!マリア!会いたかった!こんなところで会えるなんて奇跡だよ!運命だよ!愛してる!マリア!」


 水兵服を着た一人の少年が、ロマノフ一家を見て突然大声を上げた。そして持っていたモップを放り捨てて駆けよってくる。


 マリアは背筋にゾワッっと言いようのない悪寒を感じてしまった。そして固く拳を握ってその少年に躊躇無く突き出す。


 ゴッ!!


 少年は後ろに吹っ飛び、派手に鼻血をまき散らした。まるで血の水芸のようだ。


「マリア・・・何てことをするんだ・・・僕だよ、ルイスだよ、ルイス・バッテンベルクだよ」


 その言葉にマリアはキョトンとしてしまう。自分の中の記憶と目の前の少年とを付き合わせて、そして該当者を一人思い出した。


「ルイス?あのルイスなの?」


「そうだよ、去年舞踏会で君に会ってから恋い焦がれていたんだ!愛してるんだ!君のことしか考えられない!結婚しよう!」


 後年、マリアは鉄血女帝アナスタシアに対して鉄拳皇女マリアと呼ばれるようになった。


 ※ルイス・バッテンベルク(1900年~1979年) 1917年からはマウントバッテンに改姓。イギリスの侯爵(この時は侯爵令息)。マリアの従兄弟。生涯マリアに恋をしていて、マリアの写真を死ぬまで持っていたと言われる。


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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 倉庫爆破のくだりでは、さっそくテロかと冷っとさせられ、ニコライ元皇帝一家がルバノフとともにイギリスの船に逃げ込んだというくだりでは、イギリス政府が裏で暗躍していたのかと憤りを感じ…
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