鉄血女帝アナスタシア 第三十八話
サンクトペテルブルクに到着した私を待っていたのは国民の熱狂的な歓迎だった。
「「「聖女レーニナ!聖女レーニナ!聖女レーニナ!聖女レーニナ!」」」
モスクワでの国民の熱狂もすごかったけど、サンクトペテルブルクの熱狂はその比じゃないわね。雑踏事故が起きなければいいんだけど。
「姫様、国民の笑顔を見るのは嬉しいことですね。これで皇室への好感度も向上したことでしょう」
「そうね。でも気を抜いちゃダメよ。共産主義者は必ず反撃をしてくるわ。人の心は移ろい易いものよ。今は私たちに笑顔を向けてくれてるけど、政府が失政を繰り返しているとすぐに民心は離れて行ってしまうの。出来るだけ早く私たちが権力を奪取しなければ取り返しのつかないことになるわ」
「はい、姫様」
王宮に到着した私たちはお父様にこっぴどく叱られてしまった。お爺さまの夢見だからといってやり過ぎだって。しかも私の行動を止めなかったって理由でルスランを処分するって言ったときには本気で殺意が湧いてしまったわ。でもお爺さまが夢で告げられた虐殺事件を防ぐことが出来たし日本の皇室とも友誼を結ぶことが出来て、これでロマノフ朝の命運が繋がれたって説明したら渋々許してくれた。まあ、もしお父様がルスランの処分を撤回してくれなかったら、それはそれでお父様の命運がその瞬間に潰えていたんだけどね。命拾いしたわね、お父様。
お母様は私を見たとたん泣きながら抱きついてきた。そして額の傷を見て「こんなに醜い傷が出来ては結婚も出来ないわ。これが先生の言っていた“悪いこと”だったのね。これならいっそ修道女に・・」なんて言うからマジでブチ切れそうになった。
私を狙撃した犯人はレーニンの指示を受けた共産主義者ってことになったので、憲兵部隊への処分はとりあえず保留になっている。事情を確認するために隊長と副官が少し遅れてサンクトペテルブルクに来るそうだ。そしてこの事件に関して嬉しいことが一つあった。ロシア政府として正式にレーニンへの逮捕状を発出したことだ。罪状は私への殺人未遂容疑。レーニンは亡命先のスイスとフランスを行ったり来たりしているんだけど、フランスとスイス政府に対してレーニンの引き渡しを非常に強く要求したのよね。この時代には犯罪者引渡条約なんてないからロシアに引き渡されるようなことはないんだけど、ロシアとの関係悪化を危惧したフランス政府はレーニンを国外追放処分にした。永世中立を宣言してるスイスはなんの反応も無かったんだけど、これでレーニンの活動はスイスと反ロシア的ないくつかの小国だけに制限できるわね。レーニンは機関紙プラウダ上で「レナ事件はロシアの自作自演だ」って主張しているけど誰も信じていないわ。プラウダにしては珍しく“真実”を書いてるのに残念ね。あいつら、しょっちゅう要人暗殺や資金調達目的の銀行強盗をやってるんだもの。
※プラウダ ロシア語で“真実”という意味
サンクトペテルブルクではルスランの家の新聞が既に発行されていて、駅売りも合わせると15万部も印刷しているらしい。新聞の名前は「ミール」。ロシア語で「平和」という意味だ。これも蒼龍の提案よ。良い名前だわ。
蒼龍の書いた“聖女レーニナ伝説”っていう特集記事を二週間ほど前から掲載しているので、みんな鉱山での出来事を知ってるのよね。蒼龍が“情報は鮮度が重要です”なんて言って、ボダイボの鉱山事務所からヤンコフスキー家に電信で記事を送ったの。通信費はレンゾロト社に全部払わせたわ。文字数がすごいことになってたからびっくりするような金額よね、きっと。それでサンクトペテルブルクに到着するまでのあいだに“聖女レーニナ”の大ブームが起きていたと言うわけよ。
さらに、私が血まみれで右手を挙げている写真も掲載されることになった。写真はどうしてもフィルムが必要だから私たちが到着するまで掲載できないのよね。ルスランはそのフィルムを持って印刷所に急いで行ってしまったわ。いつの間にか蒼龍が撮影していたの。カメラは映画用35mmフィルムを使った蒼龍の自作だそうだ。小学校の夏休みの工作で作ったことがあるって自慢されたわ。スリングで私を撃ったあとすぐにカメラを構えたみたい。誰にも気付かれずにするなんて器用なヤツだわ。
そして私の額についた傷もアップで新聞に載った。ケガをして一ヶ月くらい経ってるから傷は完全にふさがっているんだけど、髪を上げるとかなり目立ってしまう。労働者を救う為に傷を負ったことは名誉の負傷なので後悔していないってインタビュー記事を掲載したところ、その写真を“聖痕”の写真として市民が取り合いになったって。なので、急遽私の写真集を販売することになったの。宮廷ドレスや軍服・乗馬姿に修道女姿とか。前世のコスプレーヤーを彷彿とさせる撮影になったわ。メイド服も着てみたかったんだけど、それは全力で阻止されちゃった。写真集は印刷では無くて実際の銀塩写真を綴じた冊子だから本当に綺麗にできあがってる。一般的な労働者の半月分の収入ほどもしたんだけど飛ぶように売れたわ。写真集のページを撮影した海賊版とかも出回ってきたから取り締まったところ、共産党右派の下部組織が資金集めのためにやってたって。何やってるの?あなたたち。
そして私たちは頻繁に勉強会を開催するようになった。貴族の子弟達を呼んでロシアをよりよくするための意見を出し合ったり、過去の歴史を検証して専制主義がうまく機能するための条件を議論した。今のままではロシアは危ないと思っている人たちもかなりいて、優秀な人材が多く集まってきたわ。そしてその中から「帝国の加護・アナスタシア親衛隊」を組織した。毎日サンクトペテルブルクで炊き出しや掃除などの奉仕活動をするので、市民からの評判はすこぶる良い。そして国防の為と言って武器の使い方や戦い方も訓練している。一年ほど経過すると貴族の子弟500人、その他平民7000人が参加する大所帯となった。親衛隊メンバーは自分の仕事をしながらローテーションで参加するので、一日当たりの参加人数は概ね1000人くらいだ。運営資金はヤンコフスキー家と一般からの寄付によって成り立っていて、パトロンになりたいという大企業や貴族からの申し出は後を絶たない。もちろん申し出はありがたく頂くわ。でも、貰えるものは貰って口は一切出させないわよ。
ルスランの家で発行している新聞「ミール」の発行部数も順調に拡大して、大都市だけでなくロシア西部のほとんどの都市で購入できるようになってきた。そしてその紙面において、人民に課されている人頭税や日用品に課される税金の不合理性を強く訴えた。また、貴族や寺院に認められている税制や司法制度の優遇が堕落と不公平感を生んでいることも指摘した。そして政府や貴族は身を切る改革が必要だと訴えたのよ。そうしたら内務省から検閲の指示が来てしまったわ。まあ、レーニンの言ってることとほとんど同じだから政府からすれば放ってはおけないわよね。私が関与しているからお父様も政府もしばらくは検閲で問題のありそうな記事だけを差し止めにするようだ。でも、そろそろ時が満ちてきたようね。




