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第百○九話 ロシアンスナイパー(1)

1935年1月


 ロシア 北樺太


 ジーナは白を基調とした迷彩防寒具に身を包み、雪の森の中に身を隠していた。雪に自分自身と同じ大きさのくぼみを掘り、そこにうつぶせに寝そべる。そして、自分の上にあらかじめ小枝をさしておいた厚めのカモフラージュクロスを掛けてモシン・ナガン(小銃/狙撃銃)を構えた。


 ジーナの持つモシン・ナガンは、500丁近い銃の中から最も精度の優れた物を選別し、狙撃専用銃として与えられている。スコープは純正品では無く宇宙軍製の対物レンズに反射を抑える特殊なコーティングが蒸着されたものにかえられている。


 ジーナはスコープを覗いたまま、身じろぎもしない。


 時刻は朝の8時半。気温はマイナス8℃だ。防寒着を着ているとはいえ、樺太の冬の寒さは人間には堪える。


 しかしジーナは、静かにゆっくりと呼吸をして辺りの景色に溶け込む。まるでただの倒木のように。


 13時


 ジーナは同じ場所でじっとしているが、指先だけ動かし、血液を循環させる。厚手の手袋をしていても、やはり指先は冷えてしまう。


 ジーナのモシン・ナガンは、厚手の手袋でも引き金が引けるように用心金トリガーガードが一回り大きいものに改造されている。


 14時


 スコープの先にトナカイの親子が現れた。距離は約400m先だ。


 スコープのレチクルにトナカイの子供を捉える。レチクルにはmilが刻まれていて、標的の大きさから距離を計測できるようになっている。旧ロシアやソ連では円周を6000等分した角度を1milと定義していたが、現在のロシアでは、日本と基準を合わせるために、円周を6400等分した角度を1milとしている。


 ジーナは、いろいろな動物の大きさ、森の木々の葉や枝の大きさを学んだ。スコープにそれらが収められていれば、milのメモリを使わなくても距離が解るようになった。それでも、精密狙撃をするためには、milのメモリで微調整をする。


 一発目で確実に仕留めなければ、二発目は無いのだ。


 ――――


 ジーナはウクライナの村でユーリアと安馬野によって救助された。


 その後、北樺太のロシア陸軍病院に搬送され入院した。心配された腎機能も問題なく、順調に体は回復し一ヶ月半ほどで退院することができた。


 入院している間、今までの事を否応なく思い出してしまう。


 お父さんとお母さんは毎日畑仕事に出ていた。私は、小さかった妹と弟の世話をする。お父さんは時々猟をして、兎や鳥を捕ってきてくれた。とても幸せな日々だった。


 でも、しばらくして共産党の人たちが来て、お父さんの猟は禁止されてしまった。猟銃も取り上げられてしまう。


 そして、お父さんとお母さんは、毎日コルホーズという所で働くようになった。村の周辺にあった家庭菜園は、野菜を作ることが禁止されてしまった。新鮮な野菜はもう手に入らず、配給されるカビの生えた小麦やパンだけになった。


 それでも、何年間かはなんとか生きることが出来た。


 しかし、その年は日差しがほとんど無い寒い夏だった。小麦の穂は中が空っぽでほとんど収穫が出来ず、配給もどんどん減らされてしまった。


 お父さんは、家にあった食器や服を街に持って行って小麦と替えてもらってきていた。でも、それもすぐに禁止されてしまう。


 村の人たちは、やせ細ってどんどん病気で死んでいった。


 ある日、小さい子供がコルホーズの倉庫から大豆を盗む事件が起きた。共産党の人に子供は捕まって、激しく殴られてもう意識がなかった。そして、母親がその子供をかばったら、その共産党の人は“子供の責任は親の責任だ”といって、街の教会の前でその母親を射殺した。


 共産党の人は、“こいつらは人民の食料を奪った反革命勢力だ。こんな奴らがいるから食料の生産と配給ができなくなる。村で反革命勢力を見つけたら、必ず報告するように!”と言った。


 それから、時々共産党の人がどこかの家に押しかけて、村人を連れて行くようになった。誰かが連れて行かれた日には、誰かの所に小麦とパンが届けられた。たぶん、密告をしたご褒美なのだろう。


 春になると、共産党の人も来なくなった。村の男達が別の村に行こうとすると、検問所で追い返されたという。


 そして、お墓を掘り返して死体を食べるようになった。死んだ人も食べた。


 お父さんたちと逃げ出したときは、昼の間は林に隠れて、日が沈んでから数時間歩き、深夜になったらどこかに寝床を作って寝ていた。


 動物の糞を見つけたら、みんなでそれを食べた。使われなくなった納屋があれば、その壁を削って食べた。壁土と一緒に、牛糞が練り込まれていることがあるのだ。


 その間、共産党の人に見つからなかったのは奇跡だったのかも知れない。


 そして、私だけ、生き残って救出されてしまった。


 ジーナは清潔なベッドの上で涙を流す。


 “ああ、私はまだ涙を流せるんだ・・・”


 病院では、快適な部屋にふかふかのベッド、そして、おいしく十分な量の食事が提供される。


 “どうして、ウクライナは地獄で、このロシアは天国なの?”


 ソ連にいたころ、少しだけ通った学校ではロシアは悪の帝国で、民衆は虐げられて飢えにいつも苦しんでいる。だから、ソ連が力をつけて、そういった不幸な民衆を解放しなければならないと教えてもらった。でも、それは嘘だ。


 民衆を飢えさせて、不幸にしているのはソ連だ。今ならそれが解る。


 私は、ソ連と共産主義者どもに地獄を見せてやることを誓った。必ず、復讐を果たすと。


 ――――


 退院の日、秋にさしかかっていた日差しはジーナにとって眩しく、生きていることがどことなく現実感のない事象のように感じられた。


「ジーナ!退院できて良かったわ!さ!タクシーを呼んでるから、一緒に乗っていきましょ!」


 退院した後、ユーリアの一家が身元引受人になってくれて、家族として迎えてくれた。いつも明るく話しかけてくれるユーリア。おいしい食事を作ってくれるユーリアのお母さん。ロシア陸軍の軍人をしている厳しそうだけど優しいお父さん。みんないい人だ。


 でも、私は笑顔になれなかった。どこか、感情のかけらが無くなってしまっているのだと思った。


 私が、もう一度笑うことが出来るのは、共産主義者どもに復讐を果たした後なのかもしれない。


 そして、ジーナは17歳の誕生日に、陸軍に志願した。



第百○九話を読んで頂いてありがとうございます。

ジーナの心の傷は・・・・


完結に向けて頑張って執筆していきますので、「面白い!」「続きを読みたい!」と思って頂けたら、ブックマークや評価をして頂けるとうれしいです!


また、ご感想を頂けると、執筆の参考になります!


「テンポが遅い」「意味がよくわからない」「二番煎じ」とかの批判も大歓迎です!

歴史に詳しくない方でも、楽しんでいただけているのかちょっと不安です。その辺りの感想もいただけるとうれしいです!


モチベーションががあがると、寝る間も惜しんで執筆してしまいます。


これからも、よろしくお願いします!

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― 新着の感想 ―
[一言] スナイパーの思い出は新月の12月、氷点下の某山頂の公園でサバゲーの夜戦した際、自分はスナイパーとして芝生の上に伏せていると地熱と日中の仕事の疲れで寝落ちしてました・・・(笑)。
[良い点] ジーナ頑張れ! と応援したい。
[良い点] 気になっていた、ウクライナのホロドモールから救出された少女のその後が描かれて良かった。 この世界線のアンネ・フランクではなく、リュドミラ・パヴリチェンコになるわけですね。
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