第55話 始まりの日
次の日。
「待っていたよ」
男子の部室の前で藤と佐々が声をかける。
部活が終わったら、緋色を連れてくるように言われたのだ。里花は彼らからいくらか事情は聞いていた。
「どうぞ」
藤と佐々に促されて緋色と里花はそっと男子部室に入った。
部屋で待っていたのは春磨をはじめ三年生たちだった。
「こっちきて」
いわれて進むと、棚の上にはひまわりの花が花瓶に生けてあった。
上を見ると、一枚の写真が額に収められて飾られている。
「お兄ちゃん」
緋色はその写真から亮を見つけた。
監督の隣で笑っている。
「二人から、緋色ちゃんが亮先輩の幼なじみで仲が良かったって聞いたから、今日ここに来てもらったんだ」
昨日見つかってしまったから、里花と相談して春磨に事情を説明したら話があると呼び出すように言われたのだった。
春磨は写真を壁から外して、緋色に渡した。
「これは、インターハイ出場が決まった時のメンバーの写真なんだよ」
(お兄ちゃん)
遺影と同じ写真だった。
「もしかして、この人、長谷川コーチですか?」
亮の隣にいる男子を里花が指さした。
「そうだよ。優太先輩は亮先輩のダブルスのパートナーだったんだ」
「えっ?」
緋色は初めて知った。
もう一度写真を見る。
亮の隣に並んで笑顔でピースをしている。
他のメンバーも、希望に満ちた顔で誇らしげに笑っている。
「優太先輩は、個人戦は棄権、団体戦でもダブルスは出なかったんだ。きっと、亮先輩以外考えられなかったんだと思う。二人は親友だったしね」
(お兄ちゃんのパートナー。親友。それじゃあ、コーチも亡くしちゃったんだ。大会直前に、大事な人を。わたしは何も知らなかった。ごめんなさい)
緋色は写真を抱きしめて泣いた。
(今まで、自分だけが悲しいのだと思っていた。自分だけが不幸なのだと、ずっと思ってきた。なんて、愚かだったんだろう。悲しいのはわたしだけじゃなのに)
「ごめんね。泣かせるつもりじゃなかったんだよ」
春磨がおろおろしながら謝る。他の三年生たちも涙ぐんでいるように見えた。
ううん。
首を横に振った。決して悲しいばかりの涙じゃなかった。
そして涙をぬぐった。
緋色が落ち着くのを待って、春磨は表情をひきしめると、緋色の前に立った。彼の改まった態度に緋色も姿勢を正した。
「俺達は、亮先輩のことが大好きだった。憧れて尊敬もしていた。亮先輩と過ごした日々は絶対に忘れない。『インターハイ優勝』亮先輩はこれを目標にずっと頑張っていた。でも、できなかった。いまだに達成していない。だから今年は絶対に優勝する。それを緋色ちゃんに聞いてほしかったんだ」
春磨たちは自分達の決意を形にしたかったのかもしれない。亮のかわりに聞いてほしかったのかもしれない。
強い決意の中にも、穏やかでやさしい空気が流れる。
(この空気は亮さんだ。この空間の中で、亮さんは生きている)
里花は涙をこらえた。
『おれはインターハイ三冠。今年最後だから、これは絶対達成する』
緋色は亮の最後の言葉を思い出していた。
(お兄ちゃん)
「はい。インターハイ優勝、達成してくださいね。応援していますから」
目にはいっぱいの涙だったが、かみしめるように丁寧に、そしてはっきりと凛とした声で答えた。そのあとすぐに涙が頬をつたった。
けれどこの涙は、今までのようなつらく悲しい涙ではなく、温かくて、心に染み入るような涙だった。
扉が開いた。
暗闇から、やっと光を見出したのだ。
よかった。
これから、緋色は顔をあげて前に進んでいける。
そういう時が来たのだ。
里花の目からこらえきれずに、涙があふれだした。緋色の肩に顔を寄せて一緒に泣いた。
藤と佐々は二人をそっと包んでくれた。
*****
部室を出て藤と佐々が二人を見送った。
廊下の中ほどで里花が不意に立ち止まり、くるりと向きを変えると藤と佐々の所に戻ってきた。何事かと思っていると
「ありがとう。あんたたちがいてくれてよかったわ」
里花からのお礼の言葉が飛び出した。
青天の霹靂。
藤も佐々もすぐには口がきけない。
「「いや。そんなぁ」」
しばらくして少し照れながら、二人は頭をかいた。
「あんたたちを選んだかいがあったわ」
その言葉に二人の動きが止まる。
「はあ? おれたち、里花に選ばれたの?」
(うそっ!)
二人はあんぐりと口を開けたまま、次の言葉が見つからない。
「当たり前でしょ。わたし人を見る目あるのよ。それから送ってくれるでしょ? いつものところで、待ってて」
里花はいつもの調子で、言いたいことを言うと緋色のところへ戻っていった。
((うわぁ。里花のやつ、怖えぇ。始めから計画していたんだってこと? おれたち知らずにそれにのっていたってこと?))
……力が抜けてしまった。
二人はお互いの顔をみあわせると一つ大きく息を吐いた。
やっぱり、里花にはかなわない。
そうしてしばらくして気を取り直した藤と佐々はいつものところで彼女たちと落ち合った。四人はいつものように体育館前を歩いていく。今は夏休みなので、いつもに比べると生徒は少ない。
校門を出る直前で緋色は立ち止まり、感慨深げに校舎を見上げた。
「わたし、この学校に入ってよかった」
三人も校舎を見上げる。亮が通った高校。入学した頃はまだ緊張感の中にいた。みんなが不安でいっぱいだった。でも今は、緋色はこんなに穏やかな顔をしている。
緋色はくるりと向きを変えて三人を見た。
「里花ちゃん。藤くん。佐々くん。いつも、わたしのそばにいてくれてありがとう」
緋色は頭を下げた。
三人はじーんと胸が熱くなる。
緋色の肩がふるえていたので泣いているのかと思ったが、顔をあげた時、涙はなかった。そのかわり笑顔があった。この二年間の中で一番晴れやかで、花がほころぶような笑顔だった。
「よし。次はランキング戦、がんばるぞ」
藤が元気よくいった。
「そうだな。打倒ユッキーだ」
佐々も憎々しげに続ける。
インターハイが終わると三年生は引退するので、秋にもう一度、一、二年生でランキング戦をする。春の選抜のレギュラー選びがあるのだ。
「よっぽど、悔しかったのね」
里花は体育館での試合を思い出す。
「0―2。ストレート負けだからな」
佐々の悔しそうな顔。二人は勝つつもりでいたのだ。
「そうねぇ。あと1、2点取れていれば、流れは変わっていたかもしれないのにね。残念だったわ」
「だから今度はランキング戦でリベンジする。ユッキー。みてろよォ」
藤が天に向かって大きく吠えた。二人のテンションが上がっている。
あくまでも、敵はユッキーだけらしい。
里花は笑ってしまった。
「よし、勝とうぜ!」
「おう!」
藤と佐々は、元気よくこぶしを空につきあげた。




