第40話 一人で泣かないで
緋色はウェアを眺めていた。
学校は晃希に強制的に休まされていた。昨日の状態を考えると無理はない。
真紅のウェア。
これは、亮から誕生日にプレゼントされたものだ。包みを開けると、鮮やかな紅い色が目に飛び込んできた。
『緋色』 名前と同じ色だから選んだといわれた。でもサイズをみると、L。
当時の緋色には大きくて、着ることが出来なかった。
お兄ちゃん、がっかりしていたなぁ。
まさかサイズ違いを選んだとは思わなかったらしくて、たぶん、自分と同じような感覚だったのかもしれない。
でも、それでもいいと思ったのだ。これが似合う頃には、少しはお兄ちゃんにふさわしい女の子になれているかもしれない。身長だって伸びて、大人っぽくなって、だから『待っててね』そういった。
お兄ちゃんは、そのままの緋色でいいんだよ。どんな緋色でも、おれにはかわいいんだから。わたしの頭をなでながら、やさしく言ってくれた。
突然の別れだった。
言葉をかわすこともなく、お兄ちゃんは逝ってしまった。
こんなことなら……
別れがあると知っていたなら……
この真紅のウェアを着て、一緒に練習すればよかった。
サイズを交換してもらえばよかった。お兄ちゃんは着てもらいたそうだったのに。
ずっと……いつまでも……
一緒にいられると思っていたから。
その楽しみを先延ばしにしてしまった。
「お兄ちゃん。ごめんなさい。お兄ちゃん」
思い出すと、涙があふれてきた。緋色はウェアを抱きしめて泣いた。
******
コンコン。
「はい」
声が聞こえてドアを開けると、緋色はベッドの中にいた。
「おっ!ちゃんと寝てるな」
翔は少しおどけた口調で話しかける。
「ホントはねぇ。翔くんが来るのが見えたから、急いで布団の中に入ったの」
緋色は、ペロッと舌を出す。
(笑っている。よかった)
「ばか」
翔は苦笑ぎみに笑うとひたいにそっと手をあてる。顔を覗き込むと、目が赤い。
(泣いていたのか……)
一瞬、翔の顔が曇った。
(泣いていたの、気付かれた?)
「昨日はごめんなさい」
「気にするな」
(翔くんは口下手なところもあるけれど、いつでもなんでもない事のように気遣ってくれる)
翔は心配そうにひたいにおいていた手で頬を包む。緋色はその手にそっと、自分の手を重ねた。
(温かい……)
人の温もり。
ふいに涙が流れた。いろんな思いがあふれてきたような気がした。
緋色はとっさに布団をかぶって涙を隠した。精いっぱい我慢しているんだろう。けれど嗚咽がもれている。
そうやって、泣かれると、つらい。
「緋色。お願いだから、ひとりで泣かないでくれ」
懇願するような声。布団をはぐと泣き顔が現れた。ベッドの上に座ると、大きく手を広げる。
「お願いだから」
緋色は翔の困ったような悲しげな顔を見ると、体を起こし、その大きく広げられた腕の中にとびこんだ。翔は宝物のようにやさしく抱きしめ、頭をなでる。
緋色の悲しみはおれがひとつ残らず吸い取ってあげたい。緋色には笑顔が似合う。ずっと、笑顔しか知らなかったから。兄貴のとなりで幸せそうに笑う緋色の姿しか……
「もう、大丈夫。ありがとう」
翔は抱きしめていた腕を解くと緋色の顔を見た。
(落ちついたみたいだな)
「翔くんには、いつも泣き顔ばかり見られているみたい」
恥ずかしそうに、視線を落とした。
今までは兄貴がいたからこんなにそばにいることはなかった。兄貴が亡くなって、緋色が泣いて悲しむたびに、抱きしめてなぐさめるのはおれで……
晃希も藤も佐々もこれだけはおれの役目だと思ってくれているみたいだから、泣き顔を一番見ているのはおれだと思う。翔は何も言えず黙っている。
本当は泣き顔なんて見たくはないのに。複雑な気持ちだ。
「翔くんって、やさしいね。わたし、ずっと翔くんに嫌われていると思っていたの」
「なんで?」
「だって、中学に入った頃から、急によそよそしくなったし、あまり口もきいてくれなくなったし。だから、そう思ってた」
(中学生になった緋色は、ますます可愛くなっていくし、いつの間にか藤や佐々と仲よくなっているし、それに兄貴といる姿を見るのがつらくなってきて……好きなのに、どうしたらいいのかわからなくなっていた。でも、嫌われていると思っていたのか)
「違う。嫌ってないから」
緋色の腕をつかんで、顔を見るとめいっぱい否定した。
「うん。よかった。勘違いだったんだね。ごめんなさい」
かわいい。素直で純粋で。それが心の中にまっすぐに入ってくるから、いつも心を揺さぶられる。
「もう少し、休んだ方がいい」
緋色をベッドに寝かせ、帰ろうとした時だった。
「翔くん。わたし、翔くんのこと好きだよ」
緋色の思いがけない告白に、翔は目を丸くする。
(初めてだ。こんなことを言われたのは)
「うん」
『おれもだよ』とは言えなかった。翔の好きと緋色の好きとは違うと思ったからだ。ただの幼なじみに対する好きなのだ。恋愛感情があるわけではない。それがわかったから、言えなかった。言いたくなかった。
部屋を出ていく時、ハンガーラックを見たが、真紅のウェアはそこにはなかった。
ドアが閉まり階段を下りる音が聞こえる。その音を微かに聞きながら、緋色は眠りに落ちていった。




