第34話 嵐到来2
「えっと、何だろう?」
裕幸は恐々と声に出す。
両隣に挟まれて裕幸は身動きが取れない。逃げるにも逃げられない。それでもいい口実を探す。
「ほら、今から練習だし……」
「練習よりも大事な用事ですから」
佐々のにっこりと微笑む顔がコワい。
「行きましょうか」
藤の爽やかな声がコワい。
裕幸は抵抗できなかった。
後ろを振り向いて助けを呼ぼうと思ったら、頑張れよ的に手を振る奴等ばかり。頼みの綱の龍生さえも同じだった。誰も助けてくれる気はないらしい。
藤と佐々は裕幸の腕をがっちりと掴むと、体育館の玄関へと連れてきた。扉をしっかりと閉める。
それから、玄関の壁に押し付けるようにして、逃げられないように両脇を固めた。
「さて、質問です。先輩は緋色に何を言ったんでしょうか?」
佐々の言葉は優しいが、裕幸を見る目は蒼い炎を灯したように冷たい。怒りが仄見える。
「いや……別に……何にも……」
裕幸はしどろもどろに答えるが、答えになっていない。彼自身も訳が分からなかった。
「別にって、ふざけんな、ちゃんと答えろよ」
佐々はTシャツの胸元をグッと掴み、さらに壁へと押し付けた。
「ふざけてないし、ホント」
不快な思いをさせたつもりはなかった。緋色は怒っていたが、同時に泣きそうな顔もしていた。だからといって、なんでこいつらに責められなくてはならないんだろう?
「質問の答えがまだですけど?」
藤から険しい表情で詰問されて、
「俺が言ったのは、真紅のウェアのことで……」
後はしりすぼみに声が小さくなった。
「真紅のウェアって?」
「ちょっと、見たから……もう一度……見たいかなって」
「はあ? 何だよ、それ?」
要領が掴めず、藤はイライラと聞き返す。
「それだけ……なんだけど……」
自分の言った言葉のどこに、緋色を怒らせる要因があったのか分からない。どんなに考えても分からない。
「おい、賢哉。ちょっと」
藤に声をかけると、佐々は館内の扉の方を顎でしゃくった。その光景に思わず目を瞑る。
いらだちを鎮めるように、天井を仰いで一つ息を吐く。
扉にへばりつくように、こちらの様子を窺う男子部員達の姿。好奇心丸出しで、ガラス窓から覗いていた。
(こいつら!)
藤は歩み寄るとバンと扉を叩く。その音に部員達が驚いて離れた隙に、ガッと扉を開け放った。
「何、やってるんですか?」
「いやさ、先輩として、何があったのか、心配で……」
他の部員達もうんうんと頷く。白々しい。面白がっているのは一目瞭然だ。
「そうですか。その割には……顔、にやついてますよ」
シラリとした藤の声に「えっ! ウソ」と数人の男子部員達が顔に手をやった。
(やっぱりな)
「拓弥、どう?」
藤が振り向き佐々を見たが、頭を左右に小さく振っただけだった。
「しょうがない、練習に戻ろうか?」
「うん。こいつ使えねえし」
藤の言葉を受けて、佐々がぞんざいな口をきく。
「その前に、一言、言っとかなきゃな」
藤はつかつかと歩み寄り、
「緋色には二度と近づくな」
鬼気迫る目つきで、真っ直ぐに視線をつきつけて言い放った。
「じゃ、行こうか」
藤は一番言いたかったことを言うとスッキリしたのか、佐々の肩をぽんと叩いた。この時にはこれまでの激昂はすっかり消えていた。
佐々もTシャツを掴んでいた手を離すと、藤のあとに続く。
扉まで来ると二人を通すように、男子部員達は左右に道を開けた。
「何、やってるんですか? 練習始まりますよ」
男子部員達の前を何事もなかったように通り過ぎていく。
二人の後ろ姿を見ながら誰かが言った。
「あいつら、怖えー。なに、あの豹変ぶり」
「爽やか系が怒ると、めっちゃ迫力あんじゃん。しかも何? 今の。何もありませんでした的な、にこやかスマイル」
「まじ。あいつら、一体なんなの?」
「てか、何が原因なわけ?」
「そりゃ、緋色ちゃんじゃないの?」
「やっぱり?」
「それしかないっしょ?」
「ユッキーのやつ、何やったんだよ」
その場にいる男子部員達が、一斉に裕幸を見た。
「ユッキー、お前さ、何、やってんの?」
呆れを通り越した諦観の表情の龍生が目の前にいた。
「何って、言われても」
裕幸はへなへなとその場に座り込む。一気に力が抜けた。
「彼女に何をしたわけ?」
「何をって、俺にも分からない」
「分からないって……」
緋色が嫌がっていたのは遠目でも気づいた。すぐに駆けつけていればと思った時には後の祭り。彼女に話しかけるのはいつものことで、今日も始まったくらいの調子で、気安く見ていたのが仇になった。
藤と佐々も彼女の様子を見て、腹に据えかねたんだろうが、それにしても。
(あいつらもオーバーなんだよ。冷静に対処しろよな)
元々、裕幸にいい印象を持っていないことは知っていた。それが今回、顕著な結果で現れたってことだろうが、大事な大会前に部内でごたごたするのは勘弁してもらいたい。
「ほら、練習するぞ。インターハイも控えているし、しっかりしてくれよ」
しゃがみ込んだままの裕幸の目の前に手を差し出した。
「ん」
裕幸は龍生の手を取り立ち上がると、お尻の埃を払った。
「緋色ちゃん、なんで怒っちゃったんだろう?」
どんなに考えても、答えは出ない。
龍生は緊張感のない、どこかのほほんとした裕幸に溜息をついた。




