それぞれのタイムピース【ノベル②配信記念SS】
(時系列は89話「幼なじみの恋事情(下)」と同時期)
ルドルフがメインのエピソードです。
交通の要所でも観光地でもないクレイバーン領は、一年を通して外からの訪問者が少ない。なので宿屋は一軒だけで、しかも食事処としての業務が主体である。
昼食をとる常連客で賑わうその店内に、デニスとルドルフの姿があった。
「それでデニス。メシを奢ってくれんのはいいけど、今日は何しに来たんだ?」
「おいおい、ご挨拶だな?」
二人のテーブルには羊肉のパイやスープが並んでいる。
熱々のパイを豪快に頬張りつつ、しれっと憎まれ口をたたくルドルフにデニスは苦笑した。
「だってこの前来たばっかりじゃん」
「この前って、二か月も前だろ」
「そうだけどさ。あんまりしょっちゅう休んでると、オーナーに仕事クビにされるぞ」
「うわ、痛いところを突かれた……」
王都からクレイバーンの領地までは馬車で二日。それだけの時間をかけて来るからには、とんぼ返りするのも忍びなく数日は滞在する。
そのため、ギャラリーの仕事は一週間程度休むことになる。
事情をよく知るオーナーのロッシュは気前よく送り出してくれるが、あまり頻繁だとさすがにこちらが恐縮する。
それに休暇中、デニスが担当している業務は急を要するもの以外そのまま残されている。積み上がっていく書類の山を思うと、そうそう休んでいられないのも事実であった。
「オレ、すっかりここに慣れて仕事もちゃんとしてるぞ」
「分かってる。クレイバーン男爵からも聞いているし、お前のことはそんなに心配してない。今回は不可抗力だから。まさか王弟殿下に誘われたら断れないだろ」
「あー、よく来るよなあ、あのおっさんも」
「お、おっさんってお前ー!」
さらりと不敬をなことを言うルドルフの口を、腕を伸ばして押さえる。
モゴモゴとまだなにか言おうとしていて冷や汗が流れるが、騒がしい店内は聞き咎める人もいないようだ。
「心配しなくても、本人や領主サマの前では言わないって」
「誰の前でも言うなよ」
悪びれないルドルフにデニスの力が抜けた。
王弟殿下は『おっさん』で、クレイバーン男爵のことは『領主様』。ルドルフにとっては王弟よりも、男爵のほうが敬う対象らしい。
ルドルフがクレイバーン領に来て約一年。それだけここの暮らしに満足していることの表れであり喜ばしいことなのだが、どうにもヒヤヒヤしてしまう。
「でも、本当にしょっちゅう来るぜ。もうここに住んだらいいんじゃないか、あのおっさ――」
「王弟殿下」
「お、おう。殿下、な」
低い声で窘めると、気まずそうにルドルフも言い直した。
そうはいえ実際のところ、ルドルフが言うように、王弟グレンヴィル公はお忍びと称してクレイバーン領をよく訪れている。
初めのうちは領民に驚かれ畏まられたのに、今では王弟が持ち込んだバラと同じくらいこの地に馴染んでいるとか。
植物の育種に熱を注いでいる王弟は基本的に温室にばかり籠っているが、意外にもフットワークは軽い。
今回も、先触れもなく城下のギャラリーを訪れてロッシュたちを慌てさせ、クレイバーン領に行くから付いてきてくれとデニスを連れ出した。
王宮の従者を伴うことに乗り気でない王弟に、苦肉の策としてリチャードが提案したそうなのだが、そういうことは事前に教えてほしいと切実に思う。
突然すぎるが相手は王族。生家のグリーン家はフィオナと同じ男爵位のデニスにとって、雲上人の依頼を断る術はない。
それに、更生保護中のルドルフに会える機会と思えば悪くない。
決められた期日毎に届く手紙で、暮らしぶりに心配のないことは伝わってくる。
それでも、会うたびに成長の様子が窺えて、顔を見ないと分からないこともあると実感している最中だ。
「でもさあ、もう一人来てるだろ? デニスがお供をしなくてもよかったんじゃないか」
「ローウェル卿は、お前の師匠に時計を見てもらいに来ただけだから」
「ああ、お嬢サマが見つけて師匠が直したっていう、アレ」
「そう。だから殿下が滞在なさる間、ずっといるわけじゃない」
「へえ、そうなんだ」
ルドルフが言うように、今回の訪領は王弟とデニス、そしてジャイルズの三人でやってきた。
ジャイルズが持っている時計はもとはフィオナのもので、動かなかったそれを最初に修理したのが、ルドルフの現師匠である時計師のスタンリーである。
熟知している彼に任せたいと、ジャイルズは多忙の隙を縫ってここに来たのだった。
「時計、壊れたのか?」
「いいや、壊れないようにってことらしい。あの人、ここ最近めちゃくちゃ忙しいから、今しか時間がとれなくて」
ジャイルズはこの後しばらく仕事で国を離れる予定である。
そのため、故障予防とメンテナンスをかねて、一度スタンリーに具合を見てもらうとのことだった。
クレイバーン領に着き王弟が領主館に落ち着くと、デニスとジャイルズは時計工房を訪ねた。
件の懐中時計について話を始めた二人をその場に残して、デニスはルドルフを昼食に連れ出したのだった。
「修理じゃないから時間もかからないだろ。ローウェル卿は、今夜か明日の朝には王都へ戻るだろうな。それで、ルドルフのほうは最近どうなんだ?」
ジャイルズの慌ただしいスケジュールを聞かされて驚いた顔をするルドルフに、デニスは話を振った。
「オレ? オレは……あー、ようやく部品を触らせてもらえるようになった」
「そうなのか? すごいじゃないか!」
少し照れくさそうにしながら、誇らしげに言うルドルフに、デニスの表情も明るくなる。
「そのこと、手紙には書いてなかったよな」
「先月からだし、その……デニスが来たときに驚かそうと思って。それに、まだ下っ端仕事ばっかだし」
絵画修復師見習いから時計師の弟子になったルドルフだが、新しい師匠であるスタンリーはこれまた頑固で職人気質な人物であった。
まだ三十代半ばなのにかなりの厭世家なのは、かつて有名時計工房で働いていたときに泥沼化した後継者争いに巻き込まれた影響だという。
人嫌いともいえるほどの素っ気なさでも、ルドルフは「前の師匠もそんなもんだった」とケロリとしていて、相性は悪くないようだ。
寡黙すぎる師匠は、時計に関することだけは饒舌らしい。蓄えた知識を惜しみなく与えてくれること、それに評判や噂を鵜呑みにしない融通の利かなさもルドルフにとっては吉と出た。
見込みがあると判断され、雑用係から順調に昇格中である。
「客から預かった時計本体は、まだいじらせてもらえないけど。パーツの洗浄は任せてもらってる。あとは簡単な部品のベースを作ったりとか」
「いや、十分だろ。普通、そこまでに何年もかかるって聞くぞ」
「へへっ、まあな」
夢にまでピニオンやテンプが出てきた、などと言う時計用語は分からないが、充実した日々を送っているということはルドルフの表情から十分に伝わってくる。
珍しく年齢相応なはにかみを浮かべて、ルドルフは「それと」と言葉を繋いだ。
「ちょっとだけど、絵も描いてる。この前、領主サマが山のほうに連れていってくれてさ」
「ああ、それは手紙にも書いていたな。珍しい鳥がいたとか」
「花もいっぱい咲いてた。それで、下のお嬢サマがスケッチを始めて、オレにも一緒に描こうって」
下のお嬢様とは、フィオナの妹セシリアのことだ。
クレイバーンの次期領主となるノーマンも一緒に、しばし並んでスケッチをしたのだという。
「へえ。楽しかったか?」
「……うん」
「そりゃよかった」
ルドルフをクレイバーンに連れて来ることはフィオナの発案だったが、領主一家はまるごとで彼を受け入れ、この地に馴染むよう自然体で気を配っている。
フィオナが頼んだというわけではないようだから、それが彼らの普通なのだろう。
そのとき描いた絵は、フィオナに送ると言うセシリアに渡したそうだ。残念そうにするデニスにルドルフは首を傾げる。
「見たかったのか? 色も塗ってない、ただのスケッチだぞ」
「お前の絵、僕は好きだからなあ」
「っ、そ、そうかよ。じゃあ、今度な」
「ああ。楽しみにしてる」
照れ隠しのようにパイを口に詰め込むルドルフに、デニスも満足そうに笑って、二人は食事を続けた。
§ §
「帰りましたー……師匠。それ、さっき預かったヤツ?」
「ああ」
「うっわ、なんだこれ……!」
ひょい、と師匠の手元を覗き込んだルドルフは、息を殺して驚愕を露わにする。
繊細な部品を組み上げる作業場で大声を出さない程度にはこの職場にも慣れたルドルフだが、スタンリーが点検していた懐中時計は滅多にないほど複雑なムーブメントが組まれていたのだ。
「骨董品って聞いたけど」
「そうだ」
蓋を開けて中をルーペで覗き込んでいるスタンリーの表情は厳しい。
彼のしかめ面は常態ではあるのだが、よくないなにかを発見したのかとルドルフは気になった。
「もしかして、どっか壊れてた?」
「いや。問題ない」
「それにしちゃあ、難しい顔してるじゃん」
「……大昔に作られた時計に、今の技術が勝てないのが悔しくてな」
つまり、現代一般に流通しているものより丁寧、かつ複雑に作られた古い時計に敬意を表していたらしい。紛らわしい顔面だ。
急いで直すべきところもなく、動作も良好。
預ける時間の余裕がないということで、油ぎれを起こしそうな部位など最小限に手入れはとどめた。あとは外したパーツを戻して動作確認をしたら、メンテナンスは終了だという。
「部品の摩耗具合からいって、オーバーホールは来年あたりで大丈夫だろう。お前にこの時計の内部構造を説明するのはその時だ」
「へえ……って、師匠、そのネジ」
部品を元通りに収めていくスタンリーの手を、ルドルフは声で制する。
板と歯車を止める小さなネジ――鏡面仕上げされた、そのネジのひとつになにかが記されていた。
傷かと思ったがそうではなく、文字が薄く彫ってある。どうやらイニシャルだ。
そういうことをする時計技師の名を、ルドルフは知っている。スタンリーの蘊蓄に何度も出てきた、この世界では伝説級の職人だ。
「なあ、その時計を作ったのって、まさかあの――」
「本体にはナンバーも銘もない。素材から年代は推測できるが、製作者は不明だ」
だが、スタンリーはルドルフの予想をあっさりと否定した。こんな複雑な機構を組める職人は多くないというのに。
「でも師匠は『こんなことをするのはコイツくらい』って言った」
「……文字盤はひどく汚れていたから、俺が塗り直した。オリジナルじゃない」
「それでもお宝じゃん!」
師匠の口ぶりから、やはり間違っていないと判断したルドルフの前で、あっさりと蓋が閉められた。
ムーブメントが隠れてしまえば、ごく普通の懐中時計に見える。
仕上げに布で軽く拭き上げると、ケースの艶も蘇った。
耳を近づければカチカチと聞こえる音が軽やかで、アンティークとは思えないほど動きも快調だ。
「師匠。お嬢サマや今日の兄ちゃんは、このこと知ってるのか?」
「いや」
「じゃあ、教えないと」
「なんのために」
「え? だって貴重なヤツだろ、それ。売ったらいい値段になるだろうし、大事にすんじゃねえの」
ルドルフは当たり前だと思ったのだが、スタンリーには本気で分からないという顔をされてしまった。
気難しい時計技師は軽く肩をすくめて、ルドルフから移した視線を時計に落とす。
「値段ねえ……」
――最後にメンテナンスをした時期を考えると、もっと汚れていたり、不具合があってもおかしくなかった。毎日持ち歩いているのに、外装の傷も増えていない。
「今も十分、大事にしているだろ」
汚れて壊れていたこの時計を、それでも気に入ったからフィオナは手に入れた。
ジャイルズは、そのフィオナの時計だから大事に扱っている。二人を繋ぐものとして。
大切にするのは、付けられる値札が理由ではない。
「……そっか。そうだな」
ルドルフが王都で出会った二人は、いつだって仲のいい恋人同士だった。
フィオナがジャイルズにも告げずに国を出たのは意外だったが、不仲になったのではなく、そうせざるを得なかったのだと思っている。
貴族のしがらみや世間の評判など、ルドルフに理解できない障害がいくつもあるのだろう。
けれどジャイルズは諦めるつもりがないことは、この時計ひとつをとっても分かる。
「でもさ、ずっと内緒にするのか?」
「……あの二人が結婚するときにでも教えるか」
「ははっ、それいいかも!」
珍しく愉快そうな師匠に、このことはデニスにも内緒にしておこうとルドルフも決めたのだった。
お読みいただきありがとうございます。
ノベル第2巻『運命の恋人は期限付き 花の庭と天上の音楽の巻』
電子書籍配信を記念してSSをお届けしました。
2巻はWeb版の第2章にあたりますが、一部ウェブとは異なる展開を取り入れて改稿しました。また、1巻と同じく番外編を2本書き下ろしています。
イラストは引き続き篁ふみ先生にご担当いただきました。表紙だけでなく、カラーピンナップも挿絵も本当に素敵です!
多くの皆様に楽しんでいただけますように…!
著:小鳩子鈴 画:篁ふみ先生
キャラクター原案:紫藤むらさき先生
レーベル:メイプルノベルズ
一般配信:2024/05/19
※新しいコミカライズやWeb連載もしています。作者マイページから他の作品もどうぞ!




