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運命の恋人は期限付き  作者: 小鳩子鈴
カーテンコール
83/96

バラと苺とチョコレート(上)

遅ればせながら、糖度高めの後日談です。楽しんでいただけますように……。


 個人的に大事件だった、レセプションパーティーの翌日午後。フィオナは家を訪ねてきたジャイルズと対面していた。


 彼がこちらにいられるのは、約半月の間だけ。

 滞在中は件の美術展関係を始めとした各種パーティーや会合、本業である外交関連のあれこれもあり、相変わらず多忙である。

 だから、会うにしてもフィオナがジャイルズの元へ出向いたほうがスケジュール的に都合がいいはずなのだが、レジナルドはそれをよしとしなかった。


『クレイバーンの領地に帰るまで、二人っきりはダーメ』


 美術展や芝居を観るのは、二人でも構わない。

 だが、その道中は同行者が必須。そして、ジャイルズが滞在しているホテルへフィオナが行くのは厳禁だと言い張ったのだ。


(叔父様の基準がよく分からない……)


 微妙に中途半端な制限に首を傾げたものの、異国の地でレジナルドの保護下にて暮らしているフィオナである。父代わりの立場でもある叔父の言には従わざるを得ない。


 無遠慮とも言える叔父の一方的な宣言だったが、ジャイルズはあっさりと受け入れた。

 双方が不敵な笑みを浮かべつつ合意の握手を交わしたあの時の雰囲気は、一種独特だったと思う。


 ジャイルズはブーケと小さな菓子の包みを渡しながら、フィオナ一人しかいない居間を見回す。


「叔父上はどちらに?」

「それが、急に絵を描き始めてしまって」


 実は、レジナルドは今朝起きるなり「降りてきた!」と叫んで、アトリエにしている部屋に籠ってしまったのだ。


 レジナルドは食事も睡眠も忘れて創作に没頭するタイプである。

 邪魔をするつもりは毛頭ないが、そもそも先程ジャイルズが鳴らした呼び鈴の音も、今こうして隣室で話している声も全く耳に届いていないに違いない。


 扉がぴったり閉まった奥の部屋を示しつつ、フィオナはそんな叔父の創作事情を説明する。


「はは、叔父上らしいな」

「すみません、お呼びしたのはこちらなのに」


「まず一度、家においでよ。食事でもしよう」と呼び立てておいて、顔を出すことすらしない叔父に代わって謝ると、ジャイルズは怒るどころか逆に納得してしまった。


(もう、叔父様……っていうか、それより問題は私よね!)


 結局あの後、パーティーの会場には戻らなかった。

 昂ぶっていた気持ちがようやく落ち着いたのは、浅い眠りを繰り返してすっかり夜も明けてから。

 爽やかな朝日の下でフィオナは頭を抱えた――どう考えても、自分の行動は酷かった、と。


 リアムの強引な誘いから助けてくれたのに、いくら驚いたからといって走って逃げ出すなんて。

 二年経ち、少しは大人になったのだからもう少しやりようがあったはずだ。


 左手に戻った指輪が目に入る度に、昨晩のあれこれを思い出しては律儀に頬が熱を持つ。

 合わせる顔がないと深く反省しているが、会えて嬉しいのもどうしようもなく本当で……ぐるぐる渦巻くなんとも言えない気持ちを、今も思いきり持て余している。


 だから、昨日の今日でジャイルズと会うのは困ってしまうのだ。

 なのに叔父は小部屋に籠ってしまうし、当のジャイルズは顔にも態度にも不満ひとつ見えず、むしろ眼差しが温かい。そう、フィオナが気恥ずかしくなるほどに。

 おかげで、玄関の扉を開けたときからずっと目が合わせられないでいる。


 視線を手元の花と菓子――最近評判のチョコレート専門店のものだった――に落としたまま、フィオナはジャイルズに椅子を勧めた。


「お好きなところに掛けてください。今、お茶をお持ちしますね」

「使用人はいないのか?」

「通いで来てもらっていますが、今日は休みなのです」


 ベネット夫人に紹介してもらったこのアパルトマンには、管理人やポーターが常駐しており、日々の取り回しにさほどの労力は使わない。

 細かい家事は自分たちで十分に手が回るし、レジナルドが他人との接触を嫌うため使用人は最低限だ。


 というわけで、今のこの家にはフィオナとジャイルズの実質二人きりである。

 その事実が判明して、初めてジャイルズは困惑した表情を浮かべた。


「偶然なのか、試されているのか……」

「ジル様?」

「いや、なにも」


 貴族専用の住まいではないため部屋数も少なく、居間とキッチンは隣接している。最近の暮らしぶりなどについて聞かれるまま話しながら、フィオナは手早く紅茶や菓子を用意した。

 勝手にいなくなったこと、一方的に連絡を絶ったことについて、少なくとも説明を求められると思っていたのに、全くそんな気配がない……詫びようとする度に、察し良く話を逸らされているような気もする。

 困惑しつつも支度を終えると、ジャイルズは嬉しそうにカップを受け取った。


「フィオナ、こっちに」

「は、はい」


 さりげなく一人掛けのソファーに腰を下ろそうとしたが、あっさりとジャイルズの隣にされてしまう。

 正面に座ったところで視線のやり場に困ったはずだから同じと言えば同じなのだが、やはり気まずい。広くないソファーで、触れてしまう肩が揺れないようにするので精一杯だ。


 そんなフィオナとは反対に、リラックスした様子のジャイルズはやけに満足そうに紅茶を味わっている。

 ごく普通の茶葉で普通に淹れただけなのに、と不思議に思っていると、楽しげに理由を口にする。


「叔父上に、『フィオナが淹れたお茶を飲んだことがないだろう』と自慢されたことがあった」

「叔父様が?」


(なにを言っているの!?)


 思わず背後の扉を振り返るが、当然のように返事はない。


「これで引き分けだな」

「そこは、勝負するところではないです……」


 ジャイルズは上機嫌だが、そういう問題ではないだろう。

 子どもじみた叔父の言動に内心で額を押さえていると、一度カップを戻したジャイルズがジャケットから手紙を取り出した。


「これを預かってきた」


 必要な連絡は実家やギャラリー経由で受け取っている。心当たりのないまま立派な封筒をくるりと裏に返して、施された封蝋に目を丸くする。

 そこに押された王家由来の紋章を見間違うはずがない。臣籍降下した王弟殿下――グレンヴィル公のものだった。


「ど、どうして?」

「読めば分かる」


 うろたえるフィオナを安心させるように、ジャイルズが開封を勧める。

 中身について承知しているその口調に押されて恐る恐る開くと、箔押しの便せんから流麗な筆跡が現れた。

 あの事件のことは文字に残せない。だが、贖罪の気持ちが滲む文章でフィオナを気遣う挨拶と、自分も元気でやっていることが書かれている。

 そして――


「……バラ?」

「王宮でフィオナに下さったバラがあっただろう」

「はい、覚えています」


 忘れるわけはない。褒賞を下賜された日に、回廊の庭園で一輪のバラを渡された。

 柔らかなクリームイエローのバラは花持ちもよく、あの後しばらくフィオナの目を楽しませてくれた。

 ポアレの絵に描かれたものによく似たそれは、王弟が幾年もかけて交配を繰り返し、生み出したのだという。


『――安定して株を生育できるようになったことから、新品種として登録をした。ジュスティーヌと名付けたこのバラの育種と販売の権利を、ミス・フィオナ・クレイバーンに譲渡する――』


 便せんを持ったまま目を丸くして固まるフィオナに、ジャイルズがにこやかに声を掛ける。


「王宮からの補償だけでは気が済まなかったようだ。だが閣下は最初、バラの名前を『フィオナ』にすると仰って」

「そんな、困ります!」


 さすがにそれは諦めてもらったと聞いて、ほっと胸をなで下ろす。

 表向きは、幻と言われたポアレの絵が見つかったことの記念と、探し出したフィオナへの褒美と言う名目になっているそうだ。


「ポアレの絵と一緒に、美術展で初披露目をすることが決まっている。話題作りの一つだな」


 気にせず受け取れと軽く言われても、畏れ多すぎる。

 そもそも、ヘイワード侯爵家で療養中に非公式にだが謝罪を受け、治療費と慰謝料まで貰っている。

 離宮での件はそれですっかり済んだはずだった。

 うろたえるフィオナを覗き込むジャイルズの瞳が、いたずらっぽくきらめいた。


「どうやらそのバラは、クレイバーン領の気候が合うらしい」

「え、そ、」

「グレンヴィル公と義父上は、すっかり意気投合されているし」

「待って、いろいろ待って」


(今、さらっと()()()って言った? ううん、それよりっ)


 たしかに庭仕事は父の趣味の一つである。フィオナがいなくなってからますます精を出すようになったとセシリアも手紙に書いていて、こちらからは珍しいガーデニングの本を見つけて送ったりもしていた。


 だが「時々会う、腕のいい園芸仲間」と気楽に書かれたその人が、お忍びで訪れる王弟殿下のことだったなんて。

 聞いていないと慌てるフィオナに、ジャイルズは落ち着いたものだ。


「話そうにも、いなかったからな」

「……!」


 晴れ晴れとしたその声があまりに嬉しそうで――このサプライズが、音信不通だったフィオナへのジャイルズなりの仕返しなのだと気が付いた。


(この人は……)


 なんて優しい報復だろう。

 申し訳なさよりも切なさが甘くフィオナの胸に広がって、なにも言えなくなってしまった。

 熱くなる目頭を瞬きでごまかして視線を合わせれば、確かめるように指が頬に触れる。


「……分かりました。ありがたくお受け致します」

「それがいい」


 そう言って、眩しそうに灰碧の瞳が細められた。




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