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攻防の行方

「つまり……ただの詐欺ではないということですね」

「私たち王太子派と対立している王弟殿下派が、こちらの勢力を削ごうと謀ったに違いないと判断した。ゴードンは協力者だろう」


 平たく言って派閥争いだと、ジャイルズはあっさり肯定する。

 騒ぎ立てて大っぴらに集まれば、企みに気付いたことを向こうに知られてしまう。今日、急に夜会やクラブに複数出向いたのは、あの文書についてそれとなく協議を交わすためだった、とも打ち明ける。


 王位継承について言及したあの文書を見た時に、政争の可能性を僅かでも考えなかったかといえば嘘になる。

 しかし、フィオナの父は派閥に属しておらず、そもそも議会の対立や策略などに縁がない。実感が薄かったと言わざるを得ない。


(王都の貴族に派閥があるのは知っているけれど、こんなことまでするの……?)


 派閥争いとはいっても王太子殿下の名前が出ている以上、軽々しく口にしていいことではないということはフィオナにも分かる。


「そのお話は、私が聞いていいものですか?」

「本来なら良くはない。だが、君は外で不用意に話題にするような人ではないだろう」

「あ、ありがとうございます」


 信用しているとなんの疑いもなく言い切られて、一瞬返事に詰まる。

 なにも知らせずにいることも可能だったはずだ。

 そうせずに説明してくれるほうを選んでくれたジャイルズに、フィオナは居住まいを正した。


「文書は『王太子廃嫡』を謳うだけで実効性には欠ける。だが内容はどうあれ、あの文書が王太子派の家から見つかる、ということ自体が問題視されただろう」

「はい、それは分かります」

「君が贋作を見破ったことで、策略を未然に防ぐことができる。助かったよ」

「え、あれは偶然で」


 ジャイルズが本心から言っているのは間違いないが、自分は特別なにかしたわけではない。

 フィオナが膝の上に置いた手に、ジャイルズの大きなそれが被さって、否定の言葉を遮った。


「向こうは面白くないだろう。特にゴードンは、君のことを恨んでいる可能性が高い。奴の行方が分からない今、安全のためにも当面の間ここにいてほしい」

「あ、あの、侯爵夫人からも、しばらく泊まるようにとは言われましたけれど……」

「大叔母も侯爵も君が気に入ったようだな。失礼だが、クレイバーン家の防犯は無いに等しい。かといって私の家は両親含め留守にしがちで、どうしても隙ができる」


 なにせ相手は詐欺師と貴族だ。使用人では身分差や詭弁で押し切られてしまう可能性が高く、限界がある。

 いっそ無法者だったら簡単なのだが、とジャイルズは口惜しそうにする。


 その点、ヘイワード侯爵家は侯爵夫妻とその息子夫婦、それに小さい子どももいて、なにかと目が多い。

 侯爵夫人は社交から引いており、付添人(コンパニオン)として若い令嬢が側にいても不自然はなく、目隠しにちょうどいいと説く。


「でもあの、ご迷惑では」

「侯爵は既にそのつもりだ。ヘイワード家はフィオナのおかげで事前に難を逃れた。恩を覚えこそすれ、迷惑などと感じるわけがない」

「恩だなんて……」


 鑑定の手順をふんで、ごく当たり前に提案しただけだ。

 むしろ、最初にヘイワード侯に贋作の話題を持ち出したジャイルズのほうが、功労者であろう。

 そんなフィオナの反論は間違っていないはずなのに、ジャイルズは頷かない。


「君がいなければ、あのレイモンドの絵を姉は喜んで手に入れただろう。そうなっていれば、コレット侯爵家も危なかった」


(あれにも手紙が? ……ああ、でも、そうよね)


 今となっては確認などできないが、そう考えるのが自然に思えた。

 あの時を思い出して、フィオナはポツリと疑問を口にする。


「……それにしても、堂々と顔を出してあちこちに自分で絵を売るなんて。大胆な人です」


 同じ人物から買った絵に文書が仕込まれているのだ。調べられれば、すぐ犯人と目されてしまうだろう。

 詐欺師とはそういうものかもしれないが、よく理解できない。自分だけは捕まらないとでも信じるに足るなにかがあるのだろうか。


「そう。奴が自分の存在をまったく隠していないということも、警戒が拭えない一因だ。それも含めて説明したら、ハンスも『フィオナ様はぜひ安全なところにおいでください』と」

「じ、じいやってば」


 過保護で心配性の爺は、侯爵家(ここ)にいればこれ以上やらかさないと思っているに違いない。

 フィオナ自身、違うと言い切れないところがなんとも弱い。


「クレイバーンの父君には、明日私が説明しに行く」

「父に!? て、手紙を書きましたけどっ?」

「クレイバーン男爵は、手紙一枚で安心して娘を他家に預けるような方ではないだろう。ハンスにも言づけたが、直接話さないと筋を通したとは言えない」

「それはそうかもしれませんが……」


 ジャイルズが迎えに来るたびに今も律義に挙動不審になる父親を思い浮かべて、今度は倒れないように、と祈ってしまう。

 譲らなそうな声音にフィオナの胸中は複雑だ。


「では、私も一緒に」

「いや。すまないがしばらく外出は控えてほしい。ロッシュ氏も賛成したから、ギャラリーの仕事はここでやればいい」

「オーナーもですか」


 外堀は埋まっていたらしい。そこまでされて、むしろ苦笑してしまった。


「父を通して王太子殿下にも報告が上がっただろうが、表沙汰にはしないとの返答がくると予想している。ゴードンの身柄が確保できていないし、彼らの仕業だと決定づけられるような有力な証拠も証人も現時点ではない」


 口惜しそうに、ジャイルズはフィオナに説明する。

 王弟派が噛んでいるというのは、あくまで状況証拠からの推論だ。

 ルドルフはいるが、未成年の孤児の証言に高い信憑性は認められない。しかも彼は絵を描いただけで、額装を誰がどうしたかなどは知らないという。


「それに、内政が荒れるのは本意ではないからな」

「ええ、そうでしょうね」


 現在、この国は大きな紛争を抱えていないが、フィオナが生まれる少し前までは周辺国との争いがあった。

 今も、国際的な軋轢が全て解消されたわけではない。

 王位継承に関わるような内紛――しかも未遂で済むものを、わざわざ表で断罪して他国に隙を見せるような真似はしないだろう。


 今後証拠が集まれば首謀者を内々に処罰はするだろうが、フィオナのような一見無関係な者を王宮が保護する名目が現時点ではない。

 自衛するしかない、とジャイルズは説くが、どこかピンとこなくてフィオナは首を傾げる。


「確かにゴードンには嫌われていると思います。でも私、狙われるような重要人物ではないですよ?」

「……君の自己認識については、今は置いておこう」


 陰謀計画の歯車を狂わせた発端が自分にあるという自覚のないフィオナに、ジャイルズは軽くため息を吐く。

 納得はしないものの、相変わらず真剣な表情を見せられて「大げさだ」とは言えず、フィオナは質問を変えた。


「……それで、しばらくとはどのくらいでしょう?」

「来週の総議会までに、文書に関しては片付くだろう。その後は外出もできるように手配する。だが、ゴードンのほうは……手を尽くすが、向こうの出方次第でもある。期限について確約はできない」


 申し訳なさそうに、だがきっぱりと「未定だ」とジャイルズは言い切る。

 適当な日にちを言ってごまかさないところに、嘘はつかないとの約束を思い出した。


「自宅とは勝手が違うだろうから、多少窮屈だとは思うが」

「窮屈だなんて! むしろ、お屋敷もお部屋も豪華で広すぎて、その……」


 せっかくの好意を足蹴にするようで分不相応だとは言えなかったが、正直、身の置き場がない。

 それとなく訴えるフィオナに、ジャイルズはふむ、と考えこむ。


「そういえば馬車も最初そう言っていたな……狭いほうが落ち着くというなら、私が個人で所有している小さめの家があるが」

「そ、それはさすがによろしくないかと!?」

「そうだな。使用人も置いていないし、安全面も脆弱だ」


(いや、そうじゃなくて!)


 ジャイルズ個人の家ということが問題なのだ。

 慌てるフィオナになにを思ったのか、重ねた手に力が込められて真っすぐな視線に射抜かれた。


「やはり、ここにいてくれないか。……フィオナ」


 ただの名前だというのに、恐ろしいほどに気持ちが伝わってくる。

 命令だってできるのに、こうしてフィオナに頼むのだ。この人は。


(こんなの、断れるわけないじゃない……!)


「……はい」


 視線を外して頷くと、ようやくホッとした表情になったジャイルズの手から力が抜けた。


「……だいぶ遅くなったな。ほかにも話したいことはあるが、またにしよう」


 これ以上はさすがに長居しすぎだと、席を立ったジャイルズにつられてフィオナも立ち上がる。

 借りていた上着を脱ぐと、先に扉前まで進んだ彼に小走りで追いついた。


「あの、これ、ありがとうございました」

「ああ。ところで、フィオナ」

「はい」

「……寝室に男性を入れてはいけないと、習わなかったか?」


 差し出した上着ではなく手首を取られ、拝絹が付いたジャケットがパサリと落ちる。

 そのままくるりと体の位置を入れ替えられてフィオナの背がトン、と扉脇の壁に当たり、掴まれた手首は顔の高さで壁に縫い付けられた。


「え……っ?」

「しかも夜中に」


(な、ななななに!?)


 あまりにも予想外な状況に、仰ぎ見たままカチリと固まる。

 ジャイルズの表情は、淡い室内灯に背後から照らされてよくわからない。灰碧の瞳の奥にこれまでにない色が見えたのは、フィオナの動揺のせいだろう。


「ここが安全とはいえ、いつなにがあるか分からない。簡単に入室を許す君は……こんなにも無防備だ」


 ほら、と空いた手の甲が頬をなぞりながら伝い落ち、肩にかかるフィオナの髪を軽く払う。むき出しになった首に、大きな手がそっとかけられた。

 このまま力を入れれば、フィオナの細い首など簡単に絞まるだろう。


(ど、どうして……)


 使用人だと思って、疑いもせずに扉を開けた。

 警戒心が足りないと言われればその通りなのだが、家内で身の危険を感じて生きてきたことなど一度もなかったのだ。

 それに部屋に招いたのは、話を聞きたかったこともあるが――


「……っ、なっ、だ、だって、ジャイルズ様だったから……!」


 何度か口を開け閉めして、つかえながらようやくでた声は上ずっていた。

 ぎゅっと目を瞑り必死に息を吸い込み叫んでも、自分の発する声とは思えないほど遠くに聞こえる。

 こうなってようやく、軽率さがひしひしと身にしみた。


「ほ、ほかの人なら、部屋に入れるわけありませんっ!」


 首に当たる手がぴくりと震えて恐る恐る目を開けると、瞳を見開いたジャイルズが至近距離で動きを止めていた。


「あ……あの……?」


 そっと首から離れた手が顔の脇の壁に付かれると同時に、ジャイルズの頭がフィオナの首筋に埋まるように覆いかぶさる。


(ち、近いぃぃ……!)


 フィオナの肩にジャイルズの額が乗って、頬には髪があたっている。

 恋人のふりをしていてもさすがにここまで際どい密着は少なく、なにより今のフィオナは薄衣しか身につけていない。

 青くなればいいのか赤くなればいいのかわからないが、顔は熱いし心臓はうるさいし、きっと瞳は羞恥で涙目だろう。


「……フィオナ」


 果てしなく思える数秒の後に、名前とともに深く吐かれた長い溜め息が胸元を降りていった。


(あ、呆れられた……いやもう、ほんと気をつける! はい! 絶対!……って、あれ?)


 ゆるゆると顔を上げたジャイルズは戸惑ったような顔をしていて、フィオナは困惑する。


「ジャイルズ様……?」

「信頼してもらえるのは光栄だが……あまり信用はするな」


 そう言ってフィオナから離れつつ、ジャイルズはくしゃりと前髪をかき上げて決まり悪そうにした。

 どこか弱さを感じさせる初めて見る表情に、騒がしかった胸の波がすうと静かに引いていく。

 一歩戻って床に落ちた上着を拾うジャイルズの背中に、ぽつりと零した。


「……無理です。だって信用できなかったら私、ここにいません」


 安全圏で一人だけ守られて、大人しく待っているなんて。

 問題が贋作だけなら、自分が囮になってでもゴードンを見つけ出して潔く決着をつけたかもしれない。

 そうしないのは派閥の陰謀はむしろ自分は部外者で、他でもない当事者のジャイルズが頼むから。


(一介の男爵令嬢なんて、利用するだけで使い捨てにだってできるのに)


 名付け親のところに置いてまでフィオナを守る必要は、本来ないはずだ。それだけ真摯に扱われて、どうして信用できないなんて言えるだろう。

 ――恋人のふりを続けていられるのも結局、そんなジャイルズが相手だからだ。そうでなければ。


「きっと、とっくに裸足で逃げ出しています」

「裸足で?」

「はい、裸足で」


 田舎育ちですから、と言えば、ジャイルズもようやく笑って、二人の間にあった緊張感が消える。


「……驚かせたな」

「ええ、もう。予行演習には十分過ぎです」

「悪かった」

「私も軽率でした」

「しかし、本当に気をつけてくれ。それと、なにかあったら一人で判断せずに必ず相談してほしい」

「はい。……あ、ジャイルズ様」


 しっかりと反省はした。

 だがしかし、理不尽だと思う気持ちが無くもない。

 だからだろうか――今度こそ本当に扉を開けて出て行こうとしたジャイルズを呼び止めて、肘を掴んで引き寄せた。


「フィオナ? どうし……っ」


 虚をつかれたジャイルズの頬に、爪先立ちになったフィオナの唇が触れる。

 ちゅ、と音がしたのは、わざとではない。


「……おやすみなさいませ」


 指先でトンと押しただけで、細身ながら頑強なはずの体躯は部屋の外へと後ずさった。

 パタンと閉めた扉に背を預けて、フィオナはそのまま座り込む。


(す、少しはジャイルズ様もびっくりすればいいんだわ!)


 いつもいつも、自分ばかりがやられっぱなしはよろしくない。

 上げられない目でちらりと盗み見たジャイルズは、呆気にとられて……少なくとも、嫌そうな顔はしていなかった。

 多少は仕返しができたと思いたい。


「……今日、寝れるかな……」


 はあ、と火照った頬を押さえながら呟くフィオナの背後では、やはり扉に背を預けたジャイルズが紅潮した顔を片手で隠しきれずにいたのだった。



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