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蝶々ロング!  作者: 春野きいろ
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結果が出るのは当日とは限りません 1

 一月の朝六時は、暗い。時間を聞いた父親が、朝早くに自転車はあまりに寒いと出勤に車を出してくれた。全店を上げての売り出しで、本日は正社員アルバイト共にオープンからクローズまでの勤務だ。何かの基準に引っ掛りそうな勤務時間だが、メーカーや他店舗からのヘルプがあっても、主体は二号店なのだからやむを得ないと説明は受けている。どんな状態なのだか、美優には想像がつかない。車の助手席で間に合わせのパンなど齧って、きっついなあと呟くのが関の山だ。


「おい、停められないぞ」

 伊佐治の店舗に曲がる角を見て、父親は道をひとつ外した。驚いて振り向いた美優は、警備員が持つ『臨時駐車場』のプラカードを確認する。曲がり角までいっぱいの車を、警備員が近所の倉庫会社の駐車場に誘導している。

「何、これ。何かやってるの?」

 美優の頓狂な疑問に、父親が苦笑する。

「美優のところの開店待ちだろう。電動工具とか刃物が安くなるんなら、職人は並んでも欲しがるんじゃないか? 消耗品の商売道具なら、数が必要だろうし」

「そういうのって、会社の経費で買うんじゃないの?」

 父親は呆れたように笑った。

「職人ってのは基本、道具まで一式で働きに行くんだよ。自分で確定申告する人も多いし、会社で揃えるとしたって経費節減で代表者たちはやっぱり金額を見るだろ。そんなことも知らないで働いてて大丈夫なのか、美優は」

「だって、私は作業着担当だもん!」

「自分が働いてる会社の客を知らないのは、アルバイトだとしても情けないぞ。よし、しっかり働いて来い」

 行ってきますと車を降り、職場へ向かう。


 店舗前の駐車場には車は入れず、テントが並べられている。その下の長机には、もう各種メーカーが商品を並べてPOPを貼り、まだ閉じている入り口フェンスの向こうからそれを覗きこんでいる人もいる。限定何台と書かれている目玉商品が目当てなのかも知れない。もうフェンス越しに、メーカーの営業に対して予約だと叫んでいる声が聞こえる。

 え、やだ、こんなに客数があるの。作業服売場、そんなに大層な準備してない。私ひとりで大丈夫なのかな。


 タイムカードを打刻してすぐに、朝礼がはじまる。駐車場の真ん中、客がフェンス越しに見ている前で店長が大声で檄を飛ばし、それぞれが売り場に入っていく。開店三十分前には慣れた常連客が搬入口から入って来はじめ、なし崩しに正面入り口を開いて売出しがはじまった。

 階下の店員たちの威勢の良い声が聞こえて、三十万入りまーすなんてレジ係が活気づく。それがどんなにお得な工具かは知らないが、諭吉さんが走り回っているらしい。予想外な混みっぷりに、美優は呆気にとられるのみだ。

 つまり美優には、呆気にとられる時間があるのである。階下は歩くのが困難なほどの混雑なのに、作業服売場は数人のみ。しかも美優が前の晩まで一生懸命揃えた防寒インナーや、お買い得商品になんて目もくれない。普段の手袋や靴下を持って階段を降りていく。


 なんでぇ? 階段を上がったらすぐに、お買い得商品が見えるでしょう? 注目コーナーなんて派手なPOPのインナーだって、見えないわけないじゃないの。なんで誰も見て行かないの?

 ウロウロしていた客が興味なさそうに割引した商品を触り、階段の下をひょいっと覗いたなと思ったら、降りて行った。どうも混雑を一時的に避けていただけらしい。階下ではひっきりなしにレジ係の声が聞こえるのに、作業服売場だけ取り残されたみたい。

 せっかく売出し準備したって、誰も来なかったら意味がないじゃないかと、美優はぶすったれてカウンターに寄りかかった。ひとりで仕度して、朝早くから眠いのに出勤して、バカみたい。


 ぼつぼつとしか来ない客に挨拶しながら、二時間過ぎた。不機嫌絶好調なとき、階下から華やかな声が聞こえた。

「作業服売場にも、お買い得商品を揃えてまーす! この機会にご利用くださーい!」

 一際高い女の声は、どうも一号店の熱田のものらしい。手伝いが来るとは聞いていなかったが、話し相手ができるのは有難い。

「いらっしゃいませーっ! 本日はすべての売り場にお買い得商品がございます。合わせてご覧くださいませーっ!」

 階段の下で賑やかな声を出す熱田につられたのか、客が何人か上がってくる。そして階段上のPOPを、やっと見てくれる人が出た。

「お、三割引きだって。辰喜知も朱雀もある」

「サイズが合えばとか書いてあるぞ。とんでもないヤツしかないんじゃないか?」

「あるよ、俺のサイズ。よし、これ買ってこ」

 偶然その客のサイズで上下揃ったのが幸いしたのか、そのやりとりを聞いていたらしい客がサイズを探しはじめる。客が数人作業服や靴を抱えて降りたときに、やっと熱田が顔を見せた。

「美優ちゃん、がんばってる?」


 おはようございますと頭を下げ、声を出してくれたことに礼を言う。

「午前中だけ行ってくれって社長が言うから。美優ちゃんははじめてだもの、大きい声なんて出ないよねえ」

「呼び込むなんて、考えてませんでした……」

「伊佐治は工具店なんだから、基本的にお客さんは工具を買いに来てるの。ついで買いを狙うんだから、積極的にありますよって言わないと」

 そうか、ここはたくさんの商品を扱う店舗の一角でしかない。スペースは小さくないが、見過ごしてしまえる商品と言えばその通り。気がついてもらうために、アピールしなくちゃならない。



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