卸し店と小売店の休みは、同じじゃありません その7
送らなくていいと振り切ったはずの鉄が、何故横を歩いているのだろう。ひとりで乗った電車の別の車両から移動してきた鉄は、酔っぱらいの笑いだ。
「誘った女くらい、送んないと」
とても紳士的な言い分だとは思うが、送られる方が危険な気がする。もちろん鉄に下心があるとは思っていないけれども、酔っているうえに暗い道だ。
「ってか、逆に心配なんですけど」
「なーにーがー。俺は襲われねえから。ケツ、死守」
「何それ下品っ!」
「俺がおじょーひんなわけ、ねえだろ」
へらへらと笑い、一緒に電車を降りる。酔っぱらい相手に何を言っても無駄である。
駅前のコンビニエンスストアで暖かい缶コーヒーを買い、飲みながら歩く。十分程度の道のりで、別に大した話題があるわけでもない。
「おうちの仕事継ぐのって、どんな感じ?」
美優も親戚の会社が勤め先ではあるが、普段は顔を見合わせるわけでなく、現場には自分しかいない。階下の他の従業員だって、大抵の場合は美優が社長の身内だと忘れているだろう。
「あの親父が、息子だからって楽させると思う? 却って俺が一番きつく当たられてると思うよ。まあ、ガキの頃から知ってる社員さんも多いから、馴染むのは早かったけど」
前を向いたまま、鉄が言う。
「この業界は、結構入れ替わりが激しいんだ。身体壊して辞めるのも多いし、覚えたころに他の仕事に行っちゃうやつも多い。そのたびに親父がガッカリしてる顔、見てるからな」
酔っているからか、やけに素直な言葉だ。
「てっちゃん、お父さんのこと好きだよねえ」
からかったわけじゃなく、本当にそう思う。仲の良い親子だなと、微笑ましい。これには即座に否定が入った。
「いや、俺はあれより上だから。俺が世界で一番かっこいい男になる」
世界で一番かっこいいと、鉄の父親を表現したのは誰だ。結局のところ、鉄の根源はそこなのだ。
「一番かっこいいって、誰が認めるわけ?」
「俺がそう思って欲しいと思うヤツが」
鉄が言いかけたところで、乱暴な車が狭い路地に入ってきた。反射的に美優の肩を抱いた形になった鉄が、道の端に寄る。
うわ、てっちゃんの肩だよ肩。何この接近、どうしたらいいんでしょう。そう思ったのはどうも美優だけだったらしく、車が行き過ぎると鉄の手は離れた。ドキドキして損した気分だ。
「てっちゃん、これから二次会に戻るの?」
「ああ、どうしようかな。一応出席して義理は果たしたから、帰るかな」
そちらこちらで活動しているのは、本人が騒ぎ好きだとは限らない。義理を果たしたって言葉を額面通りに受け取れば、少なくとも前の晩から楽しみにしていた類のものではないだろう。
少し歩けばマンションの前まで到着してしまって、外には何もない。自分だけが別れ難い気になっているみたいで、美優は少しだけ悲しい。
「やっぱりちょっとカラオケに顔出して来る。またな」
そう言う鉄に送ってもらった礼を言えば、酔いの残った顔が正面から美優を見ていた。
「みー、俺ってかっこいい?」
頭の中を感嘆符が舞う。この質問に、どう答えろと言うのだ。真面目に答えるには照れくさくて笑ってしまいそうだし、否定するには顔が真面目だ。曖昧に笑うしかない。
「ま、いいや。おやすみ」
エントランスの中から、後ろ向きに歩いていく長身を見ていた。
翌週、美優のカウンターは大変なことになった。
「どれくらいかかる?」
年末が目の前だというのに、防寒着十着。普段ならば一週間あれば出来上がっているが、刺繍店は普通の家で営業している。少々お待ちくださいと言いながら、電話で確認する。
「申し訳ありません、年明けすぐくらいなら」
「そんなにかかるの? 急がせてよ、伊佐治さんなら余裕でしょ」
「刺繍屋さんが混んでいるみたいなんです。小さい店なので」
少し考えるなんて言って階段を下りた客は、考えもせずに店長に話をぶつけたらしい。
「美優ちゃん、時間がかかりすぎるってお客さん怒ってるけど」
「ネーム刺繍ですよね? 年末なので、刺繍屋さんが混んでるんですけど」
「十枚なら相応の金額動くんだからさ、頼んで年内に納めてもらってよ」
「頼んでみますけど……」
「頼んでみるじゃなくて、やらせてよ。そういうのも仕事のうちでしょ」
客のために無理を通すのも仕事のうちだと言われれば、半泣きで頼み込むしかない。電話でしぶしぶ引き受けてもらったもののダメ押しで、客注で入荷したものを持ち込むときに一緒に頭を下げに行くしかない。
「この靴、サイズは出てるだけ?」
「はい、申し訳ありませんがお取り寄せになります」
「年内に入る? 俺、二十七日には実家帰っちゃうからさ、その前に」
「今ならまだ間に合うと思うんですけど」
翌々日に入る計算で答えて、メーカー在庫が切れていたりする。そうして、もういいやと切り捨てられる。
「ビニ手、いつ入る?」
月末に在庫を入れろとか言うな。メーカーは月末には休みに入ってしまうのに、来勘が効くタイミングは平常月と同じだ。つまり、日数が短くなっちゃうのだ。当月の予算は残り僅か。
「掃除に使うから、使い捨てる安い軍手ちょうだい」
「はいっ! 申し訳ありません、明日入荷予定です!」




