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蝶々ロング!  作者: 春野きいろ
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卸し店と小売店の休みは、同じじゃありません その3

 結局二十三日に集まるってことで話を決め、(決めなくたって、なんだかんだと集まってるのだ)それぞれに自転車やら歩きやらと帰る途中に、後ろから来た車がすっとスピードを緩めた。慌てて脇に小さく纏まった美優たちの横で、助手席の窓が開いてオレンジ色の髪が見えた。

「気をつけて帰れよ!」

 掛けられた言葉に胸が高鳴っちゃうくらい、実に良い笑顔だったわけだ。冬の夜だっていうのに、真夏の空みたいにスコーンと抜けた色に見えた。こういう顔するから、認めちゃいたくなるんだ。

 そう見えたのは美優だけだったのは、当然である。何の予備知識もない友人たちには、ただ人懐こいヤンチャな兄ちゃんが面白がって声を掛けただけに見える。贔屓目だっていうのは、美優もまだ気がつかない。


「バイト、変えようかな。ショップ店員とかやってみたい」

 そう言う友達に作業服も面白いと言うと、結構否定的な意見が戻ってくる。

「お客、おじさんかガラ悪いかじゃない? もっと仕事にトキメキが欲しいよ」

 美優だって叔父に呼ばれて始めるまでは、そう思っていた。どうせツナギだし楽そうだし、適当に良い勤め先を見つけたら辞めちゃおう、なんて。

 客はおじさんばっかりじゃないし、一見ヤンチャで言葉の悪いお兄ちゃんたちも、喋ってみれば気持ち良く楽しい人が多い。イヤな奴もいるがイイ奴もいるのは、どこに行っても同じだ。

「面白いって。作業服って、業種によって着てるものが違うんだよ」

「興味なーい」

 話を切られて、またねと別れる。説明したって、体感しなくちゃ面白さは伝わらないのだ。華やかな職場にも裏方仕事はあるし、地味な職場でも飛び上がって喜ぶような出来事がある。オシャレな職場でオシャレな人間関係だけを築けるはずもなく、覚えが悪いと叱られればへこむし褒められれば高揚するのも同じ。まあ、若い女が憧れる職場でないのは確実だろう。


 玄関の鍵を開けると、身体の冷えを自覚した。改めて年末が近いのだと思い直し、ちらっと今年のことを振り返る。

 四月に伊佐治に入って、入った翌日にてっちゃんに会った。ちょっと待て、それが一番重要なとこ? 違うでしょ、じゃなくって覚えたこと多いでしょ。

 てっちゃんのお母さんは亡くなってて、エプロン大好き。鳶さんの会社の跡継ぎで、町内会の青年部で結構なカオらしい。スポーツは万能だって聞いた気がする。御神輿のときの先頭、カッコ良かった……違うってば! 私が四月からで覚えたのって、それだけじゃないでしょう?

 払えば払うほど、鉄の情報だけが頭の中で反芻されてしまう。部屋着に着替える最中に手が止まってしまい、美優はぶるっと肩を震わせた。

 最近、こんなことばっかり考えてる。



 自転車を漕ぐ美優の息は、白い。ニットの手袋では風が通ってしまうから、サンプルで貰った内綿入りの革手袋を使ってみた。暖かく軽いので自転車には助かるが、色気はまったくない。装飾より実用を選んでしまった敗け感はあって、これではいけないと少しだけ思う。友達が言ったトキメキのない仕事ってやつに一直線だ。

 連絡用の書類ケースの引出しを確認する。自分が帰宅したあとの客注のメモや、業者からの連絡が入っているはずだ。

「ああ、美優ちゃん。手袋の客注ね。ニトリルのゴム手で、薄手のだって」

 朝の挨拶のあと、レジの宍倉が注文伝票を片手に言った。

「メーカーは?」

「どこでもいいらしいよ。二階うえにあるのだと、厚すぎるって」

「薄手って、炊事用みたいな?」

「いや、あんなに薄いやつじゃなくて、車洗ったりするみたい」

 どこのメーカーの何番なんて指定は、期待するだけ無駄だ。客のイメージと自分のイメージが合えばラッキー、程度の考え方で揃えなくてはならない。サンプルを取り寄せて検討しなくてはとカレンダーを何気なく見て、ぎょっとする。

 十二月も十日を過ぎている。これからサンプルを取り寄せて検討して、改めて発注するとすれば、少なくとも一週間程度かかる。普段ならばまったく気にならない期間で、お待ちくださいと平気で言うだろう。けれど今現在、手袋業界は繁忙期なのだ。そして年末に向けての掃除のために必要なのだとしたら、そんなに待たせることはできない。必要な期間は決まっているのだ。


 手袋のカタログなんて捲ったって、質感や手入れの感覚なんてわからない。カタログを睨んで考え、仕方なく松浦に相談に行くと、単純な答えが戻ってきた。

「評判良さそうなのを、二つ三つ入れてもらってよ」

「え、どこのメーカーのですか?」

「そういうのは業者のほうが知ってるから、手広く扱ってる問屋さんに電話して、適当に入れてもらっちゃったほうがいい。どうせ暮れだから、ゴム手なんて下げておけば売れちゃうから」

 そんなテキトーな発注で受けてもらえるだろうかとビクビクしながら、話し易い担当のいる卸し会社に電話する。薄手のゴム手袋が欲しいと告げると、軽い用途と価格帯を確認されて気軽に受けてもらえたことに驚く。今まできっちり品番を書いて発注書を作っていたのだ。

『じゃ、伊佐治さんのフックにないモデルで、スーパーマーケットくらいの価格のやつ、三種類見繕って送ります。サンプルつけますんで、動きが良いようでしたら継続して入れてくださいね』

 内容をファックスしますとか見積って決定なんて話にならないのは、繁忙期だからなのだろうか。何が来るのだろうと思いながら、プロフェッショナルにまかせてしまう外ない。どうせ説明されたって、美優にも理解できない。あ、納期確認してなかった!


 納期確認の電話を入れて、年末だから普段より少し遅くなると返事をもらう。年末なんて半月も先なのにな、まだ流通は混雑してないし、なんていうのは事情を知らない者の言い分だ。お歳暮の配送だけで、流通業のてんやわんやは始まっている。伊佐治の年末も、じわりじわりとやって来る。

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