予算はがっちりと使いましょう 3
商品が全部揃ったと二階まで呼びに来た早坂興業の社長は、美優の顔を見てにっこり笑った。
「みー坊ちゃんがまだいるんなら、俺も頼んどこうかな。ちょっと羽織れるもん、欲しいんだよ」
「カタログ、家にあるだろうが」
「せっかくみー坊ちゃんがここにいるんだから、女の子に選んでもらった方がいいじゃん」
「やだやだ、おっさんは。自分のセンスってもんがねえ」
「社長に向かって何言いやがる。おまえ、来月から減俸な」
聞いている分には面白いが、美優の定時は過ぎている。ここで帰り損なうと、また客が続けて入ってきて帰れなくなってしまう。
数冊のカタログから軽い羽織物のページを開き、カウンターの上に並べた。
「社長、こんな感じです。お好みはどうでしょう」
「辰喜知がいいな。この色なら、誰も着てないよな」
鉄の父は美優と並んで立ち、一緒にカタログを眺める。背面の鉄は気になるが、とりあえず接客が優先だ。
「なあ、これだったらどっちの色がいいと思う?」
「ちょっと冒険して、黄緑とかでもステキだと思うんですけど……ねえ、てっちゃん、どう思う?」
振り向いたら、ぶすったれた顔の鉄と目が合った。
「時間かかるんなら、車に荷物積んでくるわ」
どのブルゾンが良いかという質問には答えず、鉄が階段を降りていく。何も買わなくとも、ありがとうございましたと声を張り上げるのは、店員としての礼儀だ。カタログに向き直ると、鉄の父は小さく笑った。
「しょうがねえガキだな。母親早くに亡くしたから、ばあちゃんが不憫だ不憫だって可愛がり過ぎちまってなあ。まして肩車してもらったような職人たちに囲まれて、自分が一番構ってもらえると思ってんだよなあ」
そして何故か一言。
「みー坊ちゃん、大変だなあ」
それはどういう意味だと聞き返すのもためらわれて、美優は曖昧に頷いた。
薄いブルゾンの注文を受けて、美優はカウンターの上を片付けはじめる。真冬でも薄手のブルゾンを着る人がいるって情報が本日の成果で、これから差し込んでいく在庫を考える上での必要事項だ。そう考えると、予算を全部次期の在庫に注ぎこんでしまうわけにいかない。売れるときに売れるものを置いておかなくては。
冬は、身に着けるものが多い。厚手の防寒服は、たとえば車を運転するときは邪魔になる。だから当然、薄い羽織物も需要があるのだ。衣服には、色と形の外にサイズがある。目を引く新商品を入れるとなれば、一枚ずつってわけにはいかない。幸いまだ、予算は潤沢にある。翌日にでも、少し振り分けよう。
私、また仕事のこと考えてる! そんなに仕事熱心じゃないってば。私の頭、今剥いたら作業服と安全靴が飛び出してくるに違いない。なんでここまでハマるかなあ……あーあ。
社畜なんて言葉がふっと浮かんだが、基本的には時給のアルバイトだ。辞めると言えば引き留められはするだろうが、誰もいなかった売り場に入っただけのことで、自分がいなくなっても元に戻るだけ。伊佐治の利益なんて自分には関係ないし、時給が少々アップするくらいのものだ。
でもね。私はどうも、この仕事が好きみたいだ。少なくとも前の仕事のとき、自分の仕事を他の人に渡すのが悔しいだなんて、思ってもいなかった。
家に到着したのを見ていたようなタイミングで友達からSNSで連絡があり、慌てて着替えて食事に出ることにする。ここを外してしまうと、女の子同士の情報交換ができなくなってしまう。華やかで今風な部分をどこかで補充しておかないと、自分がくすんでしまいそうな気がする。
シャワーを浴びて化粧をはじめたところで、自分のスマートフォンの着信ランプに気がついた。画面を開けば、見慣れたオレンジ頭のアイコンに吹き出しがついていた。
――よ、さっきはどーも。
雑談する気満々の言葉だが、美優の友人がそろそろ車で拾いに来てしまう。適当な言葉で返事をして化粧に戻ると、また着信音。
――今テレビでやってるお笑い、結構面白い。
いや、テレビ見てるヒマありませんから。爪は仕方ないけど、せめてマスカラくらい塗りたいですから。
――ごめん。今から出かけるから、ちょっと忙しいの。あと二十分くらいで、友達が来ちゃう。
家の中の女が祖母しかいない鉄が、女の仕度がどれくらい時間のかかるものなのか知らなくても無理はない。
――夜にオメカシして、合コン?
――違うよ、高校の同級生たち。
――共学なんだろ?
共学ではあったが、何故それを確認されなくてはならないのか。そう思っているうちに、家の前でクラクションが鳴った。
いいやもう、面倒だから放置!




