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蝶々ロング!  作者: 春野きいろ
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お客様にも、いろいろいます その2

 何かクレームになるようなことをしたろうかと、ぽかんと男の顔を見たことが却って火に油だったらしい。

「いいか?テメエが気に食わねえって言ったんだよ。だから買わねえ」

 手袋の棚の前にいるはずの、鉄とリョウは気配を潜めている。

「手袋のサンプルも出してねえ癖に、何がご遠慮くださいだ」

「サンプル、ありましたよね?」

「ありゃMサイズじゃねえか。俺はLなんだよ!」

 そんなことは美優の知ったことじゃない。手袋の質感をチェックするためにのみ、出しているのだ。ただ、フィット感を確認したいのだとすれば不足なのは否めないので、それに対しては詫びようと思う。

「それに靴探しても、客に手数かけてすみませんの一言もねえ。高価いって言ってんのに、詫びもしねえで階下したに訊けだあ?」

 確かに接客はフランク過ぎるかも知れないが、ここまで言われる筋合いはない。美優は困ったまま小首を傾げる。

「ほら、その面。テメエが気に食わねえから買わねえって客が怒ってんのに、反省してねえだろ」

 巻き舌である。


 視界の隅に、鉄の肩がちらりと見えた。客に怒鳴られっぱなしの自分を見たら、鉄は何と思うだろう。言い返したい気分と泣き出したい気分が相半ばである。

「謝れよっ!」

 どん、と男が一歩踏み出した。明らかに威圧する形だ。何を謝ればいいやら、ただ怯えるばかりの気分になる。

「客の気分悪くしたんだから、謝るのが筋だろうが。謝れっ!」

 瞬間的に、殴りかかられるかと思った。その怯えだけで、美優は頭を下げる。

「申し訳ありませんでした」

 通路にリョウが姿を見せた。こちらを気にしている。他の客がいるのに、こんな男を長居させてはならない。

「足んねえなっ、カス女が!謝れ、誠心誠意!」

 土下座でもしろと言うのか。そんなことはできない。その時、男の視線が美優を通り越した。


「不愉快な思いをさせて、大変申し訳ございません」

 美優がもう一度頭を下げると、男はフンと鼻を鳴らした。

「こんなクソが店員の店、二度と来るか。店もクソで店員もカスで、気分サイテーだぜ」

「申し訳ありません」

 本当にこんなことを言われる筋合いはまったくない。早く帰って欲しい一心で、美優は頭を下げるのみである。男がぐるりと踵を返して階段に向かうのを、頭を下げたまま送った。


 鼓動がうるさい。自分が興奮してしまっているのがわかる。客がいるのに、顔が作れない。売り場にいるのが鉄とリョウであることが救いで、カウンターにフラフラと戻る。

「行け、リョウ!」

 鉄の言葉に、リョウが階段を駆け下りるのが見えた。


「どうした?因縁つけられたか?」

 カウンターに寄りかかって、鉄が薄笑いする。まだ興奮状態の美優は、いらっしゃいませと言うことすらできない。

「接客が悪いって……多分、当たられたんだと思う。でも、別に殴られたわけじゃないし」

 でも、怖かった。多分誰もいなければ、ここで泣いていた。

「ああ、胸倉でも掴んだら助っ人してやろうかと思ってた。男がいる場所で女を殴るほど、バカじゃなかったな」

 男の視線が美優を通り越したときに見たのは、通路を後ろから回った鉄だったらしい。

「よく言い返さないで我慢したな。ああいうのは、言い返すと大喜びで絡んで来るからタチ悪い」

 まだドキドキする心臓の上を抑え、美優はこくんと頷いた。


「クロガネさーん。投げ返されたよぉ」

 リョウが帽子をパタパタしながら戻ってきたのは、その直後だ。和柄刺繍のワッチキャップは、売り場のもの。

「やっぱりレジ素通りしやがったからさ、金払ってないよねって言ったの。そしたら俺に投げつけて、すっげー勢いでバイク発進させた。クロガネさんが言った通り……みーさん、大丈夫?」

 リョウからキャップを受け取り、美優は慌てて売り場をチェックした。ちぎり捨てられたらしいタグが落ちている。

 あの男は来たとき、帽子を被っていたろうか?被っていなかったと思う。帰るときは?頭の中を探れば、手に帽子を持った男の姿が見える。帽子を展示した棚の前で、美優はへたりこんだ。

「なんなのよ、もう」

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