開業
そんな、ドキドキした様子の私の肩を叩いて、フランシーヌは事も無げに言う。
「さて、開業にあたって、最終的なチェックも終わりましたし、わたくしたちは、これで帰るといたしましょう」
「えっ!? 帰るの!? 今から開業なのに!?」
「もう、大きな声を出さないでくださいまし」
「あっ、ごめん。でも、今まさに開業ってところで、経営者が帰るなんて……」
「お気持ちはわかりますが、心配はいりませんわ。現場の責任者は、我がクレメンザ商会の中でも、特に優秀な人間を選定していますから。それに……」
「それに?」
聞き返した私の目をじっくり見て、フランシーヌは、静かに口を開く。
「少々申し上げにくいのですが、お姉様が現場にいない方が、この職業安定所、上手くいくんですよ。……と言うより、お姉様がいつまでもここにいたら、上手くいくものもいかなくなる、と述べた方が適切かもしれません」
「えっ……」
「今さら言うまでもありませんが、非道なる公爵令嬢『ミリアム・ローゼン』の悪名は町中に轟き渡っています。この職業安定所の運営を、あなたが主導しておこなっていると知ったら、人々は訝しみ、積極的に足を運びはしないでしょう」
「…………」
「そしてこれは、最近評判の悪い、我がクレメンザ家も同じこと。だから私は、職業安定所の看板に『クレメンザ』という字を刻印せず、『ローゼン』とだけ記載したのです。職業安定所のような、人々のためになる事業に『ローゼン』の名がついていれば、民衆は自然と聖女『クリステル・ローゼン』を思い浮かべ、『じゃあ行ってみるか』という気になるでしょうからね」
「な、なるほど……」
「すべての虚飾を剥ぎ取って言えば、あなたのお母様――聖女クリステルの名前を利用した、ということになりますけど、怒らないでくださいね。どのような素晴らしい事業も、まずは足を運んでもらわなければ、何もやってないのと同じですから」
私は、頷いた。
悪い事業にお母様の名前を使うならともかく、皆のためになる事業ならば、問題ないだろう。……まあ、そもそも、表の看板には『ローゼン職業安定所』と書かれているだけで、聖女クリステルの『ク』の字もないのだから、厳密な意味ではお母様の名前を使っているわけではない。
職業安定所の持つ公共事業的な性質と、聖女クリステルに対する民衆の信頼をうまく利用して、あたかもお母様が職業安定所の運営をしているように人々のイメージを誘導するフランシーヌの手腕はさすがである。
「でも、これじゃ、クレメンザ家がかかわってるって町の人々には分からないから、『平民たちのクレメンザ家に対する評判を高める』っていうフランの目的は、達成できないんじゃない?」
「心配無用ですわ。一ヶ月、二ヶ月と経過し、この職業安定所が、都の人々にとってなくてはならない施設と認識されてから、少しずつ、そしてさりげなく、我がクレメンザ家が運営に大きくかかわっていることを表に出していきますから」
「ふうん、そんな、悠長で、地味な方法でいいの?」
「悠長で、地味だからいいんですのよ。功を焦って手柄を主張しすぎると、たとえそれが事実であっても、人々は反感を持つものですからね」
「そうなんだ。あなた、しっかりしてるわねぇ」
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