第04話 トリスメギストスの几上迷宮
『トリスメギストスの几上迷宮』基部から発せられた光は部屋中に広がり、立体積層魔法陣を描き出す。
その中心に位置するのは雅臣本人だ。
「さすがにそれはない」と雅臣が何度も自分の期待、ほんの少しの恐れを否定していたことが今実際に起ころうとしている。
『転移門を開きます』
という言葉の意味を取り違える雅臣ではない。
実際に「……マジか」としか口にできない雅臣の体に、描き出された立体積層魔法陣が重なり、まるで全身に刺青を入れたような状況になっている。
魔法少女でもあるまいが、着ていたはずのランニング・ウェアは光に溶かされでもしたかのように消え去り、雅臣は今全裸である。
強い光ではっきり見えず、生々しくないのが救いといえば救いか。
まあ自分自身の裸体に照れることもないので、雅臣は起こっている事態の異常さにも関わらず割とのんきなことを考えている。
――絵になると言えばなるけど、対象が僕だとまるで需要はない演出だな。……いやまて、これ対象が可愛い女の子だったら各話必須のシーンになるか……
それなりに勉強ができようが、これが本当の意味での「ゲーム脳」というものかもしれない。
ゲームをはじめとした「お約束」に触れすぎているがため、心臓が飛び出そうなくらい驚いていると同時に、何が起こっているのかの理解ははやい。
そして先のスキル構築などから、「なんとかなるんじゃないかな?」と心のどこかで思ってしまっているのだ。
さすがにそののんきな妄想が実際、けっこう近い別の場所で、そっちでは本人の意思とはまるで関係なく発生しているとは想像の斜め上を行き過ぎているので理解できるはずもないのだが。
とはいえ恐ろしいことに実際、今雅臣の感情は驚愕3割恐怖2割、残りはまさに冒険の始まりに臨む、名も無き冒険者のような期待とわくわくであったりする。
雅臣には読めない、光の文字と文様で描き出された『魔法陣』がすべて雅臣の体に重なり、ゆっくりと螺旋状に動く。
それと同時に雅臣の体そのものが光にとかされるように消えて行き、雅臣の視界もただ光だけで埋め尽くされてゆく。
最後に雅臣の目が捉えたものは、枕もとのお気に入りのデジタル電波時計が示す、『6:01:07』という表示だった。
一瞬の意識の途絶、後に覚醒。
視界は未だ光で覆われているが、その光が徐々に弱くなっていっている事が雅臣にはわかる。
視界を取り戻すのも時間の問題だろう。
――これで何もなかったように元の僕の部屋だったら笑うな。
それはそれで笑い事ではないような気もするが、その雅臣の危惧が現実となることはなかった。
視界を取り戻した雅臣の目が捉えたものは、石造りの如何にも『迷宮』といわんばかりの光景だった。
現在手にはいるどんなVRグラスでも再現不可能なくらいの映像――本物としか思えない風景だけではなく、足から伝わる感触や肌に触れる空気感もすべてが「ここは現実だ」としか思えない。
「だからってこれはないだろ……」
レベル1での開始とはいえ、普通は最低限の装備くらいは身につけているものだ。
『布の服』とか、『ひのきの棒』とか。ジョブが『勇者』であれば『どうのつるぎ』くらいは装備させてもらっていても罰は当たるまい。
だが今の雅臣の格好は、転移前にそうなったままの全裸である。
それは足元の感覚も、肌に触れる空気感も敏感にわかろうというものだ。
幸い重なった魔法陣は消えていて、光の刺青が全身に刻まれているような状態にはなっていない。
今は光っていないだけかもしれないが。
「せめてもともと着ていた服くらい持ち込ませてくれよ……」
全裸で冒険開始とはなかなかにしまらない。
「あらゆるものは己が力で手に入れる。それがこの世界のルールなのだ」、といえば格好良く聞こえなくもないが、実際は全裸の高校生がぽつんと立っている絵面である。
仮に雅臣がそうとう「イケメン」の部類だったとしても、とても格好は付かないだろう。
そうではないのだからなおの事だ。
「まあ誰に見られてるというわけでもないからな……」
さすがに全裸で開始されるゲームは記憶にないなと思いながら回りを確認する雅臣。
ただ違和感は感じている。
確かに自分はゲームオタクで、このような展開がいわゆる「テンプレ」の一種であることを知識としては知っている。
だが知っているという事と、それでここまで動じないという事はまるで別の問題だという事くらいは理解できる。
自分が同級生達の中では実はけっこう図太い性格なのだろうという事は理解しているが、だからといって常軌を逸したレベルで勇敢、というか考えなしであるわけでもない。
ここまで非現実的なことが我が身に降りかかれば、普通に動揺してしかるべきただの高校生なのだ。
雅臣の感じている違和感は、つまり己のあまりといえばあまりな落ち着きようである。
そもそもそういう事を冷静に考えられていることが、我ながら自分だとは思えない。
――僕はそんな胆力の持ち主じゃない。どこぞの武将じゃあるまいし。
その違和感はお約束の魔物との接敵で、決定的なものとなる。
唐突に現れたのは、角を生やした犬のような魔物。
鑑定スキルはデフォルトなのか、それとも低レベルの敵だからなのか『角狗・level3』の表示と共に、恐らくは体力値を示すのであろう赤いバーが表示されている。
――「ちょうどいい相手です」とか表示されてくれないかな……「とてとて」とかだったら泣くけど。
それ以外にも視界の左には己のステータスと状況が表示されている。
いかにも仮想現実ファーストパーソン|ロールプレイングゲーム《R.P.G》の画面そのものだ。
さすがにそのステータス画面に表示されている『HP 52/52 MP 88/88』が、『HP 0/52』となったら死ぬと思うと肝が冷えるが、我を失ったり震えだしたりすることはない。
低いうなり声を上げる角狗は大型のドーベルマンなど一噛みで殺せそうな体躯と牙、角をしている。
もしも現実で相対したら、とても逃げ切れないという事実も忘れてとりあえずすっ飛んで逃げるだろう。
ただの高校生が戦って勝てる要素などどこにも見出すことなどできない。
意味不明の叫び声をあげて逃げ出すことでもできればたいしたものだろう。
だが雅臣は敵を視界に捉えた瞬間、自分でも驚くくらいに自動的に戦闘態勢に入った。
セットされた『寸勁』のスキルのせいなのか、やった事もないのになかなか様になっている「構え」を取る。
フル○ンだが。
――これは精神状態もステータス補正を受けているか、チュートリアル的にパニックにならないように固定されているっぽいな。
そんな冷静な思考の最奥で、本来の自分がびびり上がっていることも雅臣はどこか理解できている。というよりそっちのほうが自分らしい。
だが迷宮で敵と戦わねばならないという場面では、今の状況は何の問題もないどころかありがたいとさえ言える。
違和感は払拭できないが、戦える力を持ちながらもそれを制御する精神が「普通の高校生」のためにパニックを起こして負ける――殺されるというのはいかにも拙い。
――どうあれ今の状況を可能な限り活用して、さっさと『戦闘』というものに慣れてしまうべきだな。
落ち着いた思考で、雅臣はそう判断する。
初接敵の魔物に斃される事はまずないとは思うものの、ここは慎重に行くべきだ。
――彼の戦力が不明である以上、我の全力を投入する必要を認ム
そう意識した時点で『魔力付与』のスキルが即時発動し、雅臣の全身が魔力の光に包まれる。
フルチ(以下略
同時に視界には『魔力付与』状況であるメッセージが表示され、60秒のカウントダウンが開始される。
スキルレベル1の『魔力付与』は60秒間有効という事だろう。
同時にMPが83/88となっている。
意外とMP消費は少ないようである。
スキル発動に反応して、角狗が先制攻撃を仕掛けてきた。
獣どころか魔物である。その突進スピードは相当なものだ。
だが雅臣はそれをしっかりと目で捉え、直撃を避けることができた。
だが完全に躱すことはできず、左脚に鋭い爪がかすり、僅かなダメージを受ける。
HP 50/52
――うわ、こっわ。
さすがに落ち着いてはいても、自分の命が約3.8%削られたのだという事実には冷や汗が流れる。
――だがダメージを受けたという感覚――痛みに近いものはあるけど、通常の痛覚じゃあないな。
ゲームで言うなら総HPの約3.8%などたいしたダメージではない。
だが現実で考えれば悶絶級のダメージのはずである。
爪が掠った己の左脚からはきちんと――というのも妙な表現だが血が流れ、何針も縫わねばならないような大きな切傷ができている。
普通だったら絶叫と共に転げ周り、めそめそと泣いていてしかるべきだ。
というか傷口を見ただけで気が遠くなるかもしれない。
だが今の雅臣はそうあわてることもなく、その傷は傷として認識しつつ、交差し、反転しようとしている角狗を仕留めるべく己の身体を十全に制御し、使役する。
勢い余って反転が後れている角狗に、まだ30秒以上発動時間が残っている『魔力付与』に重ねて、『寸勁』を発動する。
普通に利き腕である右拳に魔力が渦巻くようなエフェクトが発生する。
武術どころか、「殴る」という行為すらまともにやったことがないにも拘わらず、腰の入った踏み込みと共に流れるような打撃が、吸い込まれるように角狗に撃ち込まれる。
その一撃で一気に角狗のHPバーは減少し、消滅する。
それと同時に見た目からは考えられないわりと可愛い鳴き声をあげて角狗が絶命する。
さすがにゲームのようにポリゴンが砕けるように散り消えたり、半透明になって消えていくというようなことはなく、石床にその巨躯を倒れ伏させる。
だが「敵を倒した」ことにより、雅臣の視界に『next level 35/300』と表示される。
『入手アイテム:ぬののふく 革のグローブ』と表示されたことには膝から下の力が抜けたが。
『操作画面』が空中にタッチパネルの立体映像のように表示され、『装備』が可能となった。
いつまでも裸でいたい訳ではないので、「ぬののふく」と「革のグローブ」を装備すると、思っていたよりもずっとしっかりした、いかにもな駆け出し冒険者のような服と、格闘家がつけているようなグローブが一瞬で装着される。
「エクストリーム着衣と脱衣が可能なのか」
馬鹿なことを口走る雅臣である。
いや実際そうなのではあるが。
まあフル○ン冒険者でなくなったのはいいことである。
常に視界に表示されている各種情報といい、必要なときに空中に浮かび上がるタッチパネルのような操作画面といい、いわゆる『フルダイブ型VRRPG』ほぼまんまといっていい仕様の様だ、この世界は。
傷口は見えなくなったが放置しておく気はないので、雅臣は『治癒』をかけておく。
『状況』表示は通常のままなので、『解毒』は必要ないと判断した。
MPが68/88となり、HPが52/52に回復する。
『魔力付与』消費MP5 効果継続時間60カウント 『再使用時間』30カウント
『寸勁』消費MP5 即時発動 『再使用時間』30カウント
『治癒』消費MP10 即時発動 『再使用時間』45カウント
今の戦闘で判明した情報を、雅臣は頭に叩き込む。
これらの情報は長期戦になった場合、戦闘を組み立てるためには必須だからだ。
スキルは使用したものすべての右隣にHPのような空欄バーが現れ、ほんの少しだけ朱に染まっている。
これがスキルの使用回数に応じてすべて染まれば、スキルレベルが上がると見ていいだろう。
60秒が経過し、『魔力付与』の効果が切れる。
だが傷の痛みが発生するわけでもなく、痛覚遮断、ないしは鈍化が『魔力付与』の効果ではなかったことに雅臣は胸をなでおろした。
もしそうだったとすれば、『魔力付与』を常にかけておかねばならなくなるところだ。
温い設定といっていいのか、MPは時間経過でゆっくりと回復するようである。
さっき68/88となっていた数値は、今は70/88となっている。
じっとしていればHPもそうなのか、戦闘中にも回復するのか、試しておくべきだと雅臣は判断する。
――片膝立ててしゃがむべきだろうか?
「さて、どうするか」
いつでも自分の意思で表示可能な操作パネルには、きちんと『EXIT』の項目もある。
だがそれは今灰色反転しており、指で押そうがダブルクリックしようが、フリックしようが反応することはない。
だが別にデスゲームのように、いわゆるログアウト不可能と決まったわけではないだろう。
『第一層の攻略を開始』の言葉から察するに、階層ごとに攻略完了するまで戻ることができないか、あるポイントでしか戻る事ができないかのどちらかであろうと雅臣は当たりをつけている。
デスゲームをやりたがる開発者が存在するわけでもなさそうだし、ただ引きずり込んで命を奪うことが目的であればここまで手の込んだこともしないはずだ。
最初の敵の強さは、「さあさあたくさん倒してさっさと強くなってください」といわんばかりのものであったし、この仕組みには何か目的があると見るのが順当だろう。
それが雅臣の判断の根拠である。
だが気になるのは時間の経過だ。
転移の際に偶然見た時間はまだはやいものであったし、今日はゴールデンウィークの初日である。
すぐに騒ぎになることはないだろうが、半日以上戻れなければ失踪事件として扱われかねない状況でもある。
さっさとレベルを上げて、第一階層とやらを攻略完了してしまうのが手っ取り早い。
そう考えた雅臣の視界に、『緊急任務』の表示が赤字で浮かぶと同時に、そう遠くはないであろう位置から間違いなく女性の悲鳴が響いてくる。
「救助ミッションか……いよいよお約束展開だな。NPCとかいるんなら、キャラメイク好きにさせてくれないかなあ……」
相変わらずのんきなことをいいつつも、全速力で声のする方向へ雅臣は駆け出す。
その声の主がNPCなどではなく、雅臣がよく知る人物のものであることなど、さすがに悲鳴だけであてることなどできはしない。
ただ「どこかで聞いた事があるような?」と思った程度である。
だがそれが、本能的に雅臣を全速力で声のほうへ走らせていることに本人もまだ気付いてはいない。
冒険の幕は切って落とされた。
――全裸で開始という、少々しまらない形ではあったが。
では次は?
そう、冒険にはヒロインが必須だとは思わないだろうか?
少なくとも雅臣はそう思っている。
だからこそ今、こうなっているのだ。
次話 よくあるボーイミーツガール ただし迷宮にて
2/5投稿予定です。
やっとヒロイン登場です。
会話が増えるので地の文さんの出番は減ります。
読んでいただけると嬉しいです。




