第28話 あらゆる力
赤と黒の雷光を纏った雅臣がもう一度立ち上がる。
失意体前屈状態で、今度こそとどめを刺されたとあっては立つ瀬がない。
幸いにして凜子と花鹿には先のメッセージは見られていないだろうから、何もなかったようにスっと立つ。
「社君、大丈夫?」
「……素敵」
雅臣が変化に耐えきれず再び膝をついたのかと心配する凜子。
花鹿も心配はしているのだろうが、変化した雅臣の姿に心を奪われているようだ。
意外と厨二の心を持っているのかもしれない、春日 花鹿18歳は。
「先に言われた!」という顔をしている凜子もそれは同じか。
確かに今の雅臣の容貌は、いかにも闇へ落ちた主人公といっても過言ではないだろう。
またしても全裸状態なのではあるが、首から下は漆黒でボディペイントされたようになっており、紅い光が脈動に合わせて各所を走る。
それをベースにして全身を赤黒いノイズが覆い、まるでマントを覆っているようにも見える。
固定されておらずうねるようなノイズは、背に羽根のような、頭に一本角のような形を噴き上がる紅炎の如く形作っている。
その状態で周囲に黒紅の雷光を走らせており、瞳は真紅に染まっている。
今雅臣が倒すべき敵、『悪魔』よりもよほど悪魔らしい容貌と化しているのだ。
凜子も花鹿も、そうなるまでは真剣な表情であったとはいえ、雅臣がフ○チンファイターであったことを忘れているのではなかろうか。
それはそれでありだというなら、もはや何も言うことはあるまい。
『社 雅臣・七罪憤怒状態』
というのが雅臣が一瞬で今の俺の状態に自ら付けた名ではあるが、さすがに恥ずかしくて凜子と花鹿に公開するつもりはない。
知られたら軽く死ねる。
高校二先生にもなって、黒歴史ノートのリアルタイム公開など処刑と同義だ。
『スミニオケヌナ』
美女二人に心配されるばかりか、見蕩れられていることを揶揄してきた。
己を叩き起こした雅臣の『怒り』の原因ともなれば興味深いのかもしれない。
さっきの雅臣の全裸モードに対する言及もそうだが、わりと俗な突っ込みを入れてくる『偉大なる錬金術師?』である。
どうも、とでも返せばいいのだろうか? などと悩む雅臣。
「……平気なの?」
「さっきのは忘れて」
『悪魔』と対峙したまま未だ動かぬ雅臣に、重ねて凜子と花鹿が声を掛けてくる。
心配もさることながら、この状況で自分たちがしてしまった反応が恥ずかしいのか二人とも赤面している。
まさか雅臣が己の視界のなかで妙なやり取りをしているとは思いもしないだろう。
もはやつい先刻までの殺伐とした空気は完全に払拭されてしまっている。
「私に任せておけ。……二人はそこで、黙って見ていろ」
その二人の声に対して雅臣ではないものが、雅臣の声で答える。
二人にとっては確かに聞きなれた雅臣の声ではあるのだが、それもどこかノイズが乗ったような響きと化している。
「は……い」
「――はい」
僕と私。
言葉遣いの違い。
違和感を感じていないわけもないのだろうが、凜子も花鹿も振り返って放たれた雅臣? の一言に何の反駁もせずに従っている。
それどころか赤面に止まらず、どこか陶然としたような表情さえ浮かべている始末である。
その声と同時に雅臣から迸る黒紅の雷光が、凜子と花鹿の『鳥かご』をまるで紙細工のように引き裂いて二人を解放する。
二人を安全に地上まで下す際に二人の躰に巻きついた黒紅の雷光は、もちろん危害を加えるわけではないがどこか背徳的な光景ではある。
雅臣の意志ではないとはいえ、まるで触手の様にうごめく黒紅の雷光を全身に巻きつけられた凜子と花鹿が、何かをこらえるような表情をしていたことは確かだ。
扱いとしては優しく地上に降ろされて、黒紅の雷光が二人の躰から離れた後は、何やら耐え切れぬように地面にへたり込んでいる。
――勝手に僕の声で話さないでよ! それに僕は煎餅屋じゃないし、月も恥じらう美貌も持ち合わせちゃいない!
『シットカ?』
別に自分の意志で声を出せないようになっているわけでもないのに、雅臣は内心で力を貸してくれた錬金術師にクレームを入れる。
それに帰ってきたのは、わりと容赦ない一言である。
――そうなのかな? ……いや違うでしょ! 勝手に僕のように振る舞われたらそりゃ普通は怒るよ!!
『キニスルナ、ワタシモオンなだ』
――え?
『じかんが無い。黙って聞け』
表示される文字が慣れてきたものか、カタカナからひらがな、そこから漢字交じりのものへと変化してゆく。
雅臣はそう言われて、自分がまだ第二階層のボス――今は己の方がそう呼ぶにふさわしい姿になってしまっている『悪魔』――と対峙していることを想い出した。
さっきまでまるで歯が立たなかった敵を放置して、馬鹿な会話をしている場合ではない。
『――それはもう終わっている』
は? と思う雅臣だが、言われてみればおかしな話だ。
高速思考をしているわけでもなし、『悪魔』がやや間抜けなこの一連のやり取りをじっと見守ってくれている状況は異常と言っていい。
――つまり?
『アレはもう倒している』
その文字が表示されると同時に、あれだけどうしようもなかった『悪魔』が全身から黒紅の雷光を吹き出しながら、その巨躯を地に倒れ伏させる。
メ○タァ! の接触ですでに倒していたということらしい。
確かに雅臣は錬金術をよこせとは言ったが、これはいくらなんでも行き過ぎである。
ここまで圧倒的であれば、もはや迷宮探索の必要性すら感じない。
その割には赤と黒に侵食されて、バグっているような雅臣の『ステータス画面』には、第二階層のボスから得られた経験値やドロップアイテムが表示されているようだ。
文字化け? していて今は読むことができないが。
今後も迷宮の法則に従った、いわゆるレベル上げもまだ必要だということだろうか?
――じゃあ、時間がないって?
『私はお前の怒りに引っ張られて一時的に目覚めただけだ。――じきにまた寝る』
もはや流暢な日本語として表示される錬金術師の言葉に、雅臣はふと声を聞きたいなと思ってしまった。
理由はわからない。
女だと言われれば、そう思ってしまうのが男の性なのだろうか。
はるか昔から存在するのだろうから、女とは言ってもおばあちゃんだろうに。
だがまた寝る――そうなると今雅臣に貸してくれている力は失われるということだ。
『それまでにこの『トリスメギストスの几上迷宮』の本来の権限をすべてお前に移しておく。此処の迷宮は地下に広く広がっている。そこでお前も、お前の大切な者たちも力を付けろ』
だが雅臣は先刻、与えられた力を拒絶した。
それに応えてくれた存在が、そんなことを言うのが意外だった。
『お前は私を叩き起こす際に嫌ったが、使えるものは何でも使え。身に付けられる力は何でもくらえ。そうせねば――ありとあらゆる力を得なければ――勝てん。』
――何に?
反射的に雅臣が思考で尋ねるが、それに対する答えはくれない。
ひと言で説明できるものではないのだろうし、時間がないというのも本当なのだろう。
今己が覚醒している時間でできること、伝えるべきことを最優先している。
わかっていない者は、その判断に従うべきだと雅臣も思う。
『今の力程度は、お前の『憤怒』で使えるようにはしておいてやる。ただ濫用は控えろ』
濫用しようにも、さっきほどの怒りを常に持てるほど自分は怒りんぼではない、と雅臣はやや苦笑する。
だがそういう状況になった時、今のような力が使えるというのはありがたい。
だが雅臣はもう、『トリスメギストスの几上迷宮』には二度と来るつもりはなかった。
たかが『ゲームやそういった創作物に慣れている』程度の自分の知識で、『攻略を進めた方がいい』という判断を下した。
その結果、自分ばかりか凜子と花鹿の命も危険に晒してしまった。
今話している相手が応えてくれなければ――言葉を借りるのであれば『叩き起こされて』くれなければ、自分たちも先代までの『有資格者』たちと同じく、未帰還者になっていたのだ。
それこそよほど追い詰められた状況にならなければ、進んで再び『トリスメギストスの几上迷宮』の攻略をしようとは思えない。
可能であればもう二度と来なくて済めばありがたい。
『そこらは好きにしろ。おそらくそんな悠長なことは言っておれんだろうが、この『トリスメギストスの几上迷宮』がお前たちに理不尽を強いることは今後ないことだけは保証してやる』
――この?
他にも同じような『トリスメギストスの几上迷宮』が存在するということか?
アルはそんな話はしていなかったはずだが、歴代と見做されているのはみな違う『トリスメギストスの几上迷宮』だったのだろうか。
あり得ない話ではない。
『トリスメギストスの几上迷宮』の中がどうなっているのかを知り得る者は、『有資格者』とその『従者』たちだけだ。
もしくはこの『トリスメギストスの几上迷宮』は、この世界の迷宮であって、他の――
『いかん、ここまでだな……。またどうしようもない理不尽を強いられたら、お前の怒りで私を起こせ。目覚めることができれば、助けてやる。それまではお前自身の力を……』
そこまで表示されて、自らの文字も雅臣の視界に表示されているノイズに呑みこまれて消える。
再び眠りについたのか――と雅臣が思った瞬間、明確な文字で最後のメッセージが表示される。
『私の存在は隠せ』
なぜだかはよくわからないが、間違いなく借りのある相手からの指示である。
そしてこの『トリスメギストスの几上迷宮』を含め、雅臣よりもこの世界を統べる法則に間違いなく詳しい相手でもある。
雅臣が手も足も出なかった、この迷宮を統べる悪意に満ちたシステムを、起き抜けの寝ぼけ頭で書き換えてしまえるくらいの『錬金術』の使い手。
凜子と花鹿に、強制的にとはいえ共に死線を越えた仲間に隠し事をするのは気が引ける。
だが雅臣は従うことにした。
命を救ってもらった恩は、それに同等以上のもので応えるべき。
であればこの程度の意に沿わぬことには従うべきだと判断したのだ。
「あ、の……もう話してもいい、ですか?」
「……いい?」
最後のメッセージが消えてから黙って考え込んでいる雅臣に、凜子と花鹿が恐る恐るというように声を掛ける。
だがその様子は恐れているというよりは、主人に指示された「待て」を勝手に解除してしまう後ろめたさを伴った、許可を得るような甘えたニュアンスが含まれている。
「――ごめんなさい!」
声を掛けられてわりと勢いよく振り向いた雅臣と目があって、速攻で誤って再び口を噤む凜子と花鹿である。
――錬金術師様は、言霊すらも扱うのかな?
黙ってみておけと偉そうに言われ、凜子と花鹿ほどの美少女達が黙ってそれに従っているとなればそれくらいのことを想像もする。
凜子と花鹿にとって、そう指示したのは雅臣なのである。
勝手に自分たちの命を賭けておいて、その上偉そうにあんなことを言われれば怒って当然だと思うのだが、女の子の反応というものは雅臣にとっては未知の世界である。
「すいません。さっきは偉そうに言ってしまって。もういいですよ、というか何様だって話ですよねあの言いぐさ。ごめんなさい」
隠せと言われた以上、あの発言をした時の自分の状況を詳しく話すことはできない。
妙なテンションで暴言を吐いてしまったという体で話を進めるしかない。
「いつもの社君……だよね?」
「……ああいうのも、たまにはいいと思う」
姿こそ『社 雅臣・七(以下略』だが、雅臣はもう、いつも通りに戻っている。
それに対して、なぜか残念そうでもある凜子と花鹿の態度が解せぬ雅臣である。
自分が巻き込んでしまった、本来であれば自分とは妄想以外で関わりあいのあるはずもないとびっきりの女の子たち。
そんな二人が「たまにはご主人様に厳しく接されるのも悪くない、というか良い」などという想いを得ているなど想像の埒外である。
そこで雅臣は自分が自分の怒りに任せて、二人の命を勝手に賭けたことを想い出して血の気が引き、赦してもらえなくともきっちり謝らなければ、と思い至る。
だがすぐに、まったく別の意味で雅臣は謝らねばならくなる。
『偉大なる錬金術師?』は再び眠りについた。
となれば当然、一時的に貸してくれていた『力』も失われる。
そうなれば――
――?
謝ろうと二人の方へ歩を進める雅臣に対して、残念そうでありながらもいつもの雅臣であることにほっとした表情も見せてくれていた凜子と花鹿の表情が凍りつく。
近づこうとする雅臣から、後ずさるように距離をとろうとする。
その二人の顔が、あっという間にまっかに染まってゆく。
――あ。
この迷宮で出逢った時と同じように、女の子の悲鳴がこだまする。
フル○ンに始まり、フ○チンで終わる。
見苦しいと言っていた『偉大なる錬金術師?』にしてみれば、ずいぶんと不本意なことであろう。
だが馬鹿をやれるのも恥をかけるのも、生きていればこそだ。
そのことを心底感謝しながら、雅臣は得意になりつつある土下座姿勢に移行する。
大体なんで脱ぐんですか、とか、裸族なの? という質問に必死で答えを返しながら、雅臣はとりあえずの冒険が決着したことを感じている。
弾劾の態をとっている凜子と花鹿もそれは同じことだろう。
だが雅臣の『裸の方がクリティカル率が上昇するという云々』という言い訳はどうかと思われる。
己が忍者だというのであれば、今少し忍べきだろう。
次話 非日常への帰還
3/5投稿予定です。
できれば明日次々話の最終話を投稿し、余話いくつかを来週に投稿する予定です。
もう少しだけおつき合いいただければうれしいです。




