第27話 錬金術
攻撃を加えたわけでもないのに、『悪魔』が雅臣の声に歩みを止めている。
視線は射抜くように『悪魔』を捉えていても、雅臣の意志は今そっちへ向いていない。
この『トリスメギストスの几上迷宮』を確かに支配する一方の力。
その象徴は今雅臣が見据えている『悪魔』――この迷宮を支配する、まるでゲームのようなシステムだ。
今はもう、雅臣の明確な『敵』である。
どれだけ規格外の『力』を与えてくれようが、その『力』であれば現実へ帰還すれば無双を誇れようが、あるいはその『力』をもって世界を救うことができようが。
そのために雅臣の譲れぬものを差し出せと強いる相手は、雅臣にとってはただの『敵』だ。
――『敵』は叩いて潰す。
できる、できないではない。
必ずそうする。
そういう意志を自分は絶対に曲げないと、雅臣は決めたのだ。
凜子と花鹿、そのどちらかは救える可能性さえ己の怒りに叩き込み、己の我を通すことを最優先とした。
あるいは鬼畜で無責任な決定だろう。
凜子と花鹿、どちらかだけでも救うべきだったと、もしもことの顛末を知る者がいれば尤もらしく口にするのは間違いない。
そうすれば雅臣自身も生き残れ、一人だけの犠牲で済んだのに、と。
そうして得た強大な力で自由に生きる、もしくは世界を救う救世主たれたのに、馬鹿なことをしたものだと。
選ぶ強さも、犠牲を無駄にしないという覚悟も足りない、さんすうさえできない愚か者よと、嘲笑されるのかもしれない。
――上等。
三人とも死ぬより、二人生き残った方が正しい。
本当にそうか?
死ぬってなんだ。生き残るってなんだ。
どうでもいい、いやなものはいやだ。
いやなことをいやだと言えるのは『力』を持つ者だけだ。
ずっとそう思っていたし、それが真理だと思っていた。
やりたいようにするには、やりたいようにさせてもらえる実績を見せるしかないと。
でもそうじゃないかもしれない。
いやなら、ただいやだと言ってもいいのかもしれない。
文字通り「死んでも嫌なもの」というのはあって、そこに理屈なんていらない。
そういうものにそって振るわれなければ、『力』に意味なんてないのかもしれない。
絶望も恐怖も諦観も、凜子と花鹿の命を強制的に己の決定につき合わせてしまう後ろめたさも。
すべて己の意志――怒りに焼べて『力』に変える。
――選ぶ強さも、犠牲を活かす覚悟もくそっくらえだ。
ただ雅臣は一つだけ覚悟を決めている。
一方的で迷惑な話ではあろうが、自分がまきこんだ『パーティーメンバー』たちには、自分ができることであれば何でもすると。
磐座 凜子と春日 花鹿。
二人の女の子の命を、勝手に賭ける。
負けたらそれまで、勝てば生涯を捧げよう。
――返品されるのがオチだろうけど。
おもわず笑う雅臣。
自分の身勝手さも理解した上で、笑った。
凜子と花鹿にしてみればたまったものではないだろう。
雅臣を異性として意識していた原因が『CHR』――システムに与えられた『力』が原因なのであれば尚のことだ。
だが今、何かを決めた雅臣に、なおも凜子と花鹿は見惚れてしまっている。
己の命がかかった、絶望的と言っていい状況であるにもかかわらず。
どちらかを選ぶのではなく、どちらも救う。
その雅臣の意思決定に自分の命が勝手に委ねられていることにすら、怒りや嫌悪感ではなく陶酔を覚えてしまう。
戦場での惚れたはれたは、時に己の生き死にをも凌駕するのかもしれない。
そして雅臣は言うべきことも言っておく。
一方的に巻き込んでおきながら、こんな状況を静観しているであろうもう一方の『力』に、きっちり己の意を通す。
「答えろ! ヘルメス・トリスメギストス!!」
その声とともに、『悪魔』に向かって距離を詰める。
さっきまでの『魔力付与』と『空中機動』による、閃光のような動きではない。
ただの素手の高校生が、走って距離を詰めているだけだ。
第一階層の魔物であっても、今の雅臣が屠ることは難しいだろうし、攻撃を躱すこともままなるまい。
第二階層のボスである『悪魔』を相手に、当然瞬時に距離を詰めることもできるはずもなく、ちっぽけな拳を撃ちつける前に弾き飛ばされる。
大振りな攻撃とはいえ、自在に躱せていたのは『スキル』を使用していたからこそだ。
減少するHP。
相変わらず痛みはなく、血を吐くわけでもない。
だが今雅臣の視界に表示される、そんな数値には何の意味もない。
自分の命が今の一撃で限りなく0に近づいたことに慌てて『回復』を使うこともなければ、残りのMPと各種スキルの消費量を前提に戦闘を組み立てることもしない。
ただ愚直に、雅臣は自分の足で、再び立ち上がる。
「貴方が錬金術なんていう、世界の理に抗い、書き換える術を追い求めたのはなぜだ!?」
そして再び『悪魔』へと距離を詰めつつ、言葉を続ける。
「回りくどいこんな方法で、その力を他人に与えようとしたのはなぜだ?!」
次の攻撃は何とか避けた。
そうして潜り込んだ『悪魔』の足元に、己の素手を撃ちつける。
当然『寸勁』は発動させない。
殴り合いなどしたこともない雅臣が、ただただ振りかぶって拳を叩き付けるだけの『攻撃』とはとても呼べない稚拙な打撃。
ぺちん。
耳をつんざくような打撃音も、強烈な手ごたえもありはしない。
情けない音と、殴った方が腕を痛める結果があるだけ。
「今僕が強いられているような、それでもそれが当たり前のように世界に溢れている理不尽ってやつを、殴りつけて叩き伏せるためなんじゃなかったのか!?」
それでも雅臣は言葉を止めない。
通らないからと、攻撃の手を止めることもない。
ただぶん殴ってやりたいから、雅臣なりの全力でぶん殴っている。
もはや悲鳴も出ない凜子と花鹿の見守る中、かろうじて『悪魔』の一撃を躱し続けている。
さっきの一撃で、雅臣の視界に映るHPはもうほとんど残っていない。
次同じ一撃を喰らえばHPが0となるのは自明の理だ。
――知ったことか!
だが雅臣は『回復』を使わない。
閃光のような動きを可能にする、『魔力付与』と『空中機動』も起動しない。
殴りつける際に、『寸勁』も発動させない。
絶対の意志で、すべての使用を拒否している。
「袋小路に追い込んでおいて詰みだと嗤う、縋るような祈りを聴く気なんてはじめからありはしない、神が定めた運命とやらを人の身でありながら覆すためじゃないのかよ!!?」
少々動きがいい程度の普通の人間に、いつまでも躱し続けていられる攻撃ではない。
それでも雅臣は声を上げることを止めず、与えられた力を使うこともしない。
「こんな選択を強いて悦にいるなら此処まで大げさな仕掛けなんて必要ない! そんなのはいくらでも現実に溢れかえってる!」
躱しきれなくて、『悪魔』の巨大な腕が、雅臣の左側にかする。
相変わらず痛みはないが、そのダメージで表示されるHPはあっさり一桁となり、視界いっぱいに赤い文字で『警告』が表示されている。
「そんなのはもう、お腹いっぱいなんだよ!」
だが怯まない。
この状況でもなにも使わず、それどころか雅臣は『装備』している装備全てと、選択していたスキルの一切を解除する。
視界に映る表示も、消し方がわかっていれば消していることだろう。
こんな極限の状態でストリーキングに目覚めたわけではもちろんない。
与えられた力の一切を拒否したのだ。
羞恥がないわけではないのだが、それどころでもない。
凜子と花鹿にとってはセクハラなのかラッキーなのかは不明だが、この状況下ではそんなことも言っていられまい。
のはずなのだが「きゃ」とか言いつつ目を逸らしたり手で覆ったりはしているが。
本当に見ていないのかどうかは本人のみぞ知るだ。
凜子も花鹿も、自分たちも脱いだ方がいいのかと二人とも思ったが、それが可能なのは雅臣しかいない。
少なくとも雅臣は、二人の装備を脱がそうとは考えていないようだ。
自分のただの意地、コダワリで女の子を裸にする気はない。
命を勝手に賭けさせておいてよくわからない理屈ではある。
その雅臣の視界に一瞬、赤黒い映像の乱れが走る。
ステータスとして与えられた数値以外では、わかりやすく『与えられた力』である、視界に表示される各種数値たち。
その視界が、まるでウィルスに侵食されるように、邪悪としか思えない赤黒い色に染まってゆく。
だがそんなことも、雅臣は一切合財無視する。
「こんな時に下を向いて、現実なんてこんなもんだと嘯くのなら力なんていらない! 大事なものを犠牲にして得られる力に何の意味があるっていうんだ!! 大事なものを護るためにこそ力が要るんだろう!!!」
そう言ってもう、躱すことさえやめて雅臣にとっての『力』とは何かを宣言する。
そして正確に己を叩き潰そうと迫る『悪魔』の拳を見据え、問いかける。
「違うかよ!? 錬金術を極めた者!!!」
答えはない。
凜子と花鹿の悲鳴が重なる中、『悪魔』の巨大な拳が真上から雅臣に直撃し、叩き潰す。
――メメ○ァ!
――GAME OVER
そうなってしかるべき状況。
「……違わないんだったら力を貸してくれ」
だが雅臣の言葉は止まっていない。
蛙のように潰されたはずの雅臣の声は止まらず、『悪魔』の拳が打ち据えられた床との間に、さっき雅臣の視界に映ったものと同じ、赤黒いノイズが漏れ出してきている。
「僕は悲劇を否定する!」
少しづつ巨大な拳を押し戻しながら、雅臣の声は続く。
「僕は犠牲を否定する!」
漏れ出ていた赤黒いノイズが、まるで稲妻の如く『悪魔』の拳を伝い、システムによってかけられていた『保護』――『破壊不能物体』を強制的に解除する。
「貴方が錬金術に『力』を求めた理由が、今の僕と同じなら!!!」
拳を押し返し、完全に立ち上がって叫ぶ雅臣の体は稲妻のごとき赤黒いノイズに薄く覆われており、その瞳は真紅に染まっている。
うねるように身に纏うノイズが、魔物の羽根の様にも角の様にも見える。
まるで黒と赤の、悪魔。
その神の敵が叫びをあげる。
「神の定めた理を自在に書き換え、己の意志を世界に強いる力! 錬金術――ただの石を金に替え、人の意志を神の規律に上書きする!! 神と世界を騙す術を僕によこせ!!!」
答えるように吹き上がる赤と黒のノイズと共に、いままでのきちんとしたフォントとは違う手書きのような紅い文字が、雅臣の視界に表示される。
――ヨカロウ。
何かに抗うためにこの『トリスメギストスの几上迷宮』を作り上げた意志が、雅臣の意志に呼応した瞬間である。
チェスをさしているつもりの相手を、拳で打ち据える。
ルール違反? 何をいまさら、チートとはそういうものだ。
気に食わない展開を、自分の好みの展開に書き換えられるのであれば、その手段はなんだっていい。
クソゲーを強いられたプレイヤーが、いつまでもお行儀よく創造主が悦に入って創り上げた、悲劇的展開とやらを受け入れていると思うな。
それが可能な手段があるのなら、神の創った高尚な『悲劇的な結末』を、人の手による陳腐な『幸福な結末』に書き換えてやる。
HPが0と表示され、『DEAD』の表示がされているが、その画面は赤黒いノイズで覆われ、まともに見ることもできなくなっている。
何よりもそうなってなお、雅臣は自分の足で立ち上がっている。
もう雅臣は、迷宮の法則に縛られている存在ではない。
まさにゲームの如くこの迷宮を支配していた法則を錬金術で書き換え、この迷宮に名づけられた本来の名――『トリスメギストスの几上迷宮』を取り戻そうとしているのだ。
歴代の『有資格者』たちの中で、初めて。
コツコツとレベルを積み上げていた迷宮側でも、雅臣の無双が始まろうとしている
――ダガフクハキタマエ。 ミグルシイ。
視界に表示されたその文字に、立ち上がった雅臣は再びがっくりと膝をついた。
次話 あらゆる力
3/4投稿予定です。
もう少しだけ、おつき合いいただければ嬉しいです。




