第閑話 這い寄る終焉
空の彼方。
空と宇宙の境界線近く。
この位置は夜。
星が丸いことを一目で確認できる高高度に、アルが『転移』で現れる。
純白のスーツは変わらず。
ポケットに手を突っ込んで、こともなげに空中に浮遊している。
一点を見つめるその表情は、雅臣たちに見せていたものとは違い厳しいものだ。
「やっと来たか『万能』」
先にその位置にいたもう一人――真紅の髪と瞳を持つ幼女――が、こちらも当然のように空中に浮かびながらアルに声をかける。
その視線は己の見据えるモノから逸らさないままだ。
「遅れて済まない――『最強』」
「――いい。そっちの仕事が最優先事項だ」
アルに応える『最強』と呼ばれた幼女は、獰猛な表情でアルと同じ一点を見つめている。
その視線の先には、この世界に存在するはずのないもの――巨躯を誇る『黒竜』が咆哮を上げている。
その巨躯に絡みつき、自由を奪っている巨大な鎖を引き千切らんとしている。
「やかましい!」
『最強』の一喝と共に、不可視の力が巨竜を殴りつける。
苦悶の咆哮と共に、巨大な鎖が不快な金属音を軋り上げる。
だがさしたるダメージを受けているようには見えない。
「ふん、まるで堪えとらんな」
忌々しそうに『最強』が吐き捨てる。
「ただの『力』は通らない。――嫌になっちゃいますね」
アルなど一噛みで砕けそうな巨竜を前にしながら、やれやれと肩を竦めてみせる。
二人にとってはもう、見慣れた光景なのだろう。
睨み据えはしても、必要以上に緊張はしない。
「まあもうすぐ星が揃う。そうすれば儂の力でも何とか時間は稼げる……『鎖』ともども、そろそろ限界じゃがな」
あらゆる超能力を使いこなす『万能』。
攻撃力に特化した能力と、星の並びで次第で『終焉』にすら一定のダメージを与えることが可能な『最強』。
巨大な鎖を具現化し、『終焉』ですら縛ることが可能な『鎖』。
この3人がもとは13人存在した、『世界の天秤を保つ者』の生き残りたちである。
「……ところでなぜ日本語なんです? しかも何やらあざといような……」
目の前に確かに存在し、耳を劈くような咆哮を上げている竜をまるで無視した態で、アルが『最強』に尋ねる。
その表情は厳しさを残しながらも、何やら興味深げでもある。
確かに超能力者で幼女で儂とくれば、なかなかにあざとい。
「我らが救世主殿は日本人なのじゃろう? だったらそれに縋る我らはその言葉を話し、その好みに合うようにするのは当然じゃろうが? ん?」
どこでそういった知識を身に付けたものやら、どうやら『最強』の今の姿と言葉遣いは、彼らの言う救世主――雅臣の趣味にあわせたものらしい。
「それがその幼女の姿と言葉遣いですか……」
アルが呆れたようでありながら、感心もしている風に笑う。
確かに雅臣の好みを狙うのであれば、正解かもしれないと思ったのだ。
「そういうお主も珍しくずいぶん若作りではないか」
笑うアルに少し驚きながら、『最強』が突っ込みを入れる。
いつも穏やかな表情だが、アルが笑うことなどめったにない
もう長い付き合いの『最強』でも、前に見たのは何時だったのかを想い出すのに苦労するほどに。
「最優先事項のために、高校へ転入しなければならなかったのですよ」
肩を竦めてアルが答える。
「お主が今更高校生か。なかなかに笑えるな」
その答えに、『最強』がからからと笑う。
「意外と楽しくて、我ながら驚いています」
雅臣と凜子、花鹿の様子はまどろっこしいが、それだけ好ましくもある。
アルにとってはもう遠い記憶になってしまった『青春時代』を現在進行形で大驀進中の若者たちと一緒にいると、自分の立場も任務も一瞬忘れられそうになるのだ。
本当に忘れることなどできはしないが。
「その様子だと、我らが救世主殿との誼は上手く結べておるようだな」
どうなのじゃ? という表情で『最強』が確認する。
「そうならいいのですが……」
悪い関係になっていないことは確信できる。
だからと言って雅臣が自分たちの望むように動いてくれる保証など、まだどこにもありはしない。
雅臣が自分の大事な人だけを方舟に乗せて、この世界を見限る可能性はゼロではないのだ。
「で?」
「間違いなく『適格者』ですね。次も帰還できれば、長い付き合いのコイツも屠ってくれそうですよ」
最優先任務として、救世主たれる可能性がある存在――『トリスメギストスの几上迷宮』の所有者、『有資格者』に直接接触したアルの見解を『最強』が求める。
その答えはアルと『最強』が望んだものそのものであった。
「それほどか」
『最強』の能力ですら時間稼ぎしかできないこの黒竜を、倒せる可能性があるという。
楽観など決してしないアルが言うからには信憑性はあるのだろう。
「今でももう、僕はもとより貴女でも勝てないでしょう」
「……可能性が出てきたな」
アルの言葉に怒るどころか、嬉しそうな表情を浮かべる『最強』
この事態を何とかしてくれるのであれば、己が『最強』などでなくともいい。
救世主が望むすべてに応えてでも、『最強』は世界を救ってほしい。
「僅かですが。『天秤を乗せた天秤』を日本に集結させます。彼――社君を明確な味方にすることが、もはやこの世界が生き残るために残されたたった一つの手段ですからね」
アルとてもそれは同じことなのだ。
故にこそ何の躊躇もなく『天秤を乗せた天秤』を日本へ――雅臣のいる場所へ集結させることを決めている。
だがこの世界ではすでに『最強』と『万能』をもってしても勝てぬ力を持ちえた雅臣でも、次も『トリスメギストスの几上迷宮』から還ってこられるという保証はどこにもない。
故に可能性はまだ「僅か」なのだ。
「お主の世界は『鎖』じゃろ」
「否定はしません」
からかうような『最強』の言葉に、アルは再び肩を竦めて苦笑い。
こんな掛け合いに付き合ってくれるほど、今のアルは丸い。
――あのアルをたったひと月足らずでこうするか。
救世主に対して、救世主としての力以外でも興味を持った『最強』である。
「ふん……星が揃うた」
一瞬だけ視線を宇宙へと向け、『最強』が呟く。
その瞬間。
天空より巨大な剣が顕現し、一瞬の間もおかず黒竜の巨躯を刺し貫く。
周囲を震わせる咆哮をひしりあげる黒竜を無視して、その頭から巨大な尾までを完全に貫通して固定する。
いっそ死ねぬ竜が哀れに思えるほどの状況だ。
「これでしばらくは『鎖』に負担はかかるまい」
「いつ見ても圧巻ですね」
「これしか能がないからの。さて次はどこじゃ。お主が居らねば移動が面倒くさくてたまらぬ。此処など、ロケットで打ち上げよったのだぞ、あの合衆国のボンクラ共が!」
どうやら『最強』は『転移』が使えないらしい。
宙に浮かぶことはできるようだが。
なかなかにとんでもない方法で、この位置に送り込まれたようである。
「はいはい、お連れさせて頂きますよ。『鎖』が引き千切られないように、定期的に『終焉』にぶちかますことが可能なのは貴女だけですからね」
常はアルが足代わりということなのだろう。
それが雅臣の件で離れていたために、今回はこういう仕儀となった。
「今のところはの。救世主殿が、お主の『世界』を救ってくれるといいが」
「貴女の『世界』もね」
「……相変わらず食えぬやつめ」
そんな会話を交わしながら、『最強』と『万能』は巨大な剣に刺し貫かれてさすがにぐったりとしている黒竜をおいて『転移』を行う。
『最強』が次というようにここのような場所は、実は世界中にいくつも存在する。
普通の人間は知るはずもないが、宇宙から見た地球はもうかつてのように青く美しい惑星ではない。
浮腫のようにどす黒い空間がいくつも浮かび、その中心では世界を統べる立場の者たちから『終焉』と呼ばれる存在――『この世界にいるはずのない幻獣』たちが、『鎖』に縛られて咆哮を上げているのだ。
『最強』と『鎖』が持たなくなったとき、この世界は蹂躙される。
それを屠ることが可能なのは、『トリスメギストスの几上迷宮』の『適格者』とその『従者』たち――雅臣と凜子、花鹿なのだ。
もう一度、帰ってくることさえできれば。
次話 第閑話 胸vs脚
2/24投稿予定です。
読んで下さるとうれしいです。
その次から再び迷宮攻略編、第三章に入ります。
第三章でひとまずの着地点へたどり着きますので、おつき合い願えればありがたいです。
冗長で申し訳ありません!




