第閑話 とある少女の日常とその崩壊
磐坐 凜子。
17歳。
有名な進学校である『私立登美ヶ丘学園』の二年生。
磐坐家は『名家』と自称しても笑われることなどない家である。
凜子の父親は先々代が立ち上げた『Seed's Device』――世界的にも有名なエレクトロニクス系企業――の会長。
その家の長女。
現在大学生である兄が一人。
経済的にはもちろん容姿にも恵まれ、成績も進学校のなかでも上位に位置するという、いわゆる絵にかいたような『お嬢様』である。
迷宮で雅臣と出逢ったときとは違い、サラサラのロングストレートの黒髪と黒瞳。
日本人であるからには当然ではあるが、「射干玉の」だとか「緑の」だとかを頭につけても異論を差し挟まれることなどないような美しい髪である。
整った容貌であることは間違いなく、本人の所作も楚々として清楚なため目立つことはないが、わりと派手よりな顔であり凜子は地味に気にしている。
そのアンバランスでありながらも整っている容姿が雅臣のストライクゾーンであり、妄想で勝手に金髪碧眼されたりしていたのだ。
幼稚舎から大学まで一貫である女子校――世間では『お嬢様学校』と称される『藤ヶ崎女子中学』からの編入生であり、入学時にはそのことで話題にもなった。
地元ではとくに有名な企業である『Seed's Device』のお嬢様であること自体もさりながら、いかに進学校とはいえわざわざ『名門』といわれる『藤女』から編入してきた理由を知りたがる生徒は多かったのだ。
分け隔てなく誰とでも一定までは親しくなる凜子が、問われれば「ナイショです」などと答えるので二年生になった今でも話題にする生徒はまだかなりいる。
先輩、同級生、二年生に進級したこの一ヶ月では後輩も含め、告白された数は相当な人数にのぼる。
誰も凜子を射止めることに成功していないためそれだけの数になっていて、今なお更新中である。
最近では告白に踏み切る男子生徒は他校生も含めて『勇者』と目されている。
内心で振られているルビは『ミノホドシラズ』かもしれないが。
鉄壁を誇る『お嬢様』に挑む『庶民』はそう称されても仕方がないのかもしれない。
つまり恋愛経験はなし。
これまで凜子の『彼氏』になれた存在は一人もいない。
――ただし目下のところ気になる男性が若干一名存在する。
これはかなり、凜子本人の見解に立った表現である。
じつは中学生の頃から数年にわたって気にしており、可能な限りの合法的手段を通じてあらゆる情報を入手している状況を指して、「気になる」程度の表現は少々控えめに過ぎるだろう。
いまだ直接的な接点はないとはいえ、なにかと相手の目につくところでうろうろしているなどと知ったら、男共のみならず女子生徒連中もかなり驚愕するはずだ。
数少ないその事実を知る兄などからは「さっさと告白すればいいのに」と思われていることを当の凜子は知らない。
渋る両親を、それでも娘への甘さと一応『藤女』以上の進学校であることをフル活用して『登美高』への進学を認めさせた原因。
それが『彼』であることを知っている兄がそう思うのも当然だといえる。
凜子に言わせれば「そういう感情ではありません! 少なくとも今のところは!」とのことらしいが、兄にしてみれば何をもたもたやっているのだろうというのが正直なところである。
兄の贔屓目を差し引いても、凜子が本気モードで告白すれば大概は何とかなるんじゃなかろうかと思うのだ。
よって兄の中での『彼』とやらはかなりの難物と想定されている。
だがその相手は別に『大企業の御曹司』でも、芸能界がスカウトに来るような『絶世の美男子』でもない。
普通の、というのは少々無理があるとはいえ言ってみれば所詮は高校生である。
普通ではないのは『成績』くらいであり、それは現役学生たちの中では一目置かれる要素でこそあれ、異性に対して絶対的な効力を発揮する項目ではない。
容姿であるとか、とても成績優秀とは思えない性格であるとかと組み合わされば相乗効果でかなりの破壊力を誇ることもあるだろう。
だが、いかにもそれらしい地味な存在であってはそんなものだ。
『成績のいい子』
その程度の認識が普通である。
頭に『ものすごく』が付いたところでさほど変わらない。
だが凜子にとって、学校の成績とはいえ『他と隔絶した存在』というものはものすごく心を揺さぶった。
凜子は自分が恵まれていることをきちんと自覚している。
生まれた家も、親から受け継いだ容貌も、真面目にやれば学校でトップクラスになることもそう難しくない頭も。
運動神経にしても、学校で上位数パーセントに入るくらいの能力を持っている。
だがそこ止まり。
中学生の頃、どうしても自分にも『他と隔絶したなにか』が欲しくて勉強や運動、芸術方面やお稽古ごとに全力で臨んだことがあった。
それこそ体調を崩すくらいに集中し、両親や兄をひどく心配させたものだ。
だがその結果、あらゆるジャンルで凜子は『他と隔絶した位置』にたどり着くことはできなかった。
誰に恥じることなく、本気で真摯に打ち込んでもたどり着けたのは地方の代表クラスであり、全国区となれば半ば程度ですべてとまり、上位陣には届かない。
それが芸術やスポーツであればまだしも納得できた。
だが確実に正解が存在し、誰もが同じ問題に望む勉強――全国テストでもその位置に至れないことが凜子はひどく悔しかった。
悔しさの分だけ、その位置にいる存在への憧れは強くなった。
自分ではどうしようもないセンスや肉体的な能力に左右されず、ただただ努力だけでその位置に至れる(と少なくとも凜子が思った)、勉強で全国区に立つ存在にひどく焦がれたのだ。
たまたまそういう努力をしていた時に通った塾に、『全国区』の存在がいたせいもあるだろう。
それなりに裕福な家の子らしいが、勉強以外は地味といっていい存在だった。
だがいかにもガリガリと勉強ばかりしている様子ではなく、淡々としたたたずまい。
兄にも協力してもらって調べれば、少ないとはいえ友達もおり、趣味はゲーム。
というかゲームのために勉強をやっているらしいという情報も得てびっくり仰天した。
だがそれが決定打でもあった。
凜子は恵まれているがゆえに、強烈に何がしたいとか、何が欲しいとか思ったことがあまりなかった。
小学校の頃から「告白」してくる男子には苦手意識が先行して、恋に夢中になることもなかった。
あげくわかりやすく中学二年生の頃に「特別な何か」になりたいと願って、それがそう簡単ではない現実を思い知った。
――私は変わっているのだろう。
多くの人たちから見ても恵まれているのに、ないものねだりをしているという自覚もきっちりとありはしたのだ。
だからこそ、『自分の欲しいもののために、誰にも文句を言わせない存在になりおおせる』ことは、容貌や性格、生まれた家などよりもよほどカッコよく凜子には映ったのだ。
うっかり『彼』が好きだというゲームにまで詳しくなってしまった。
そこからは自分でも信じられないが、『彼』が進学する高校を割り出し、そこへ編入することを両親に強引に納得させた。
同級生になって、仲良くなりたいと思ったのだ。
自惚れもあったのであろう、自分なら簡単に仲良くなる程度はできると思っていたのだ。
だが『彼』は、そういう世界にまるで興味のない存在であった。
まだしもクラスが同じになれば可能性もあったのであろうが、彼は一年の時から凜子では届かない少数精鋭の『特進クラス』、その中でも他の追随を許さない筆頭。
逆に学校で「勝ち組」などと称される集団とは距離を置く性格。
『彼』の視界に入る場所でうろうろしていても、たまに自分を見ているとは思えても話しかけてきたり、『彼』から仲良くなろうとはしてくれなかった。
そこで凜子はもう一つ自分の厄介さを知ったのだ。
大概は周りから距離を詰めようとしてくれるため、凜子は自分から距離を詰めることに慣れていなかったのだ。
自分から距離を詰めたいと思える相手など、これまではいなかったのだ。
聞く人によっては度し難いと言われもしようが、恥ずかしいものは恥ずかしいのだから仕方がない。
よって凜子はこの一年、無駄に『彼』の視界に入る場所でうろうろしつつ、『彼』の校内定期試験や全国模試の結果などに胸をときめかせていたのだ。
本人に言えば真っ赤になって否定するのであろうが。
それがここしばらくの彼女の日常。
下手をすれば卒業式あたりまで拗らせてしまいかねない、やっかいな『初恋』。
だがその日常は今や完全に崩壊した。
なぜならその『彼』――社 雅臣が凜子の目の前で、おそらくは今の自分と同じ真っ赤な顔で絶句しているからだ。
それ以外にも、とても現実とは思えないような体験を雅臣とともにしたからだ。
――『彼』のこんな顔を見るのは二度目だわ。
迷宮での最初の出逢いでも、『彼』は最終的にはこんな顔をしていた。
――『彼』――社君でも、女の子の裸を見たらこんな顔をするのね。
そう思うと、全裸で男の子の部屋にいる状況だというのになぜか笑えてきた。
自分の裸を見られたことよりも、「社君が見たのが私の裸でよかった。社君のこんな顔を見るのが私以外の女の子じゃなくてよかった」と思ってしまったら負けである。
堪えるのは無理だと思ったので、慌てたせいかいささか乱暴に投げつけられた雅臣のシャツで体を隠しながら、そのまま笑った。
なぜこの部屋に凜子も一緒に戻ってくることになったのかの予測と説明。
それに基づき、そういった操作担当である自分の不注意であることの謝罪。
だがまさか凜子が迷宮へ引き込まれたときにシャワーを浴びていたことなど予測不能なこと。
慌てて自分の服を投げつけたことへの謝罪と、一応洗濯済みのものであることの説明。
それらをびっくりするくらい早口で、真っ赤な顔でまくし立てていた雅臣は、凜子の笑いでフリーズしている。
――さっきもこんな顔してかたまってたわ。なんなのかしら?
雅臣が自分の笑顔に見惚れているとは思い至れない凜子である。
そう思える性格なのであれば、一年以上も無駄にはしていないのではあろうが。
「あ、失礼」とか言いつつ雅臣が背中を向けるので、とりあえず雅臣のYシャツに袖を通す凜子。
ぱっと見は華奢に見えるのにそこは雅臣も男の子、凜子にはだぼだぼである。
袖のところが余って、手が完全に隠れてしまう。
――洗っているって言ってたけど、何度も社君が着ているシャツだよね?
それが嬉しと思ってしまった。
ちょっと変態さんっぽくて、また笑ってしまう。
だけど凜子はやっと素直に自分の気持ちを認めることができた。
自分の身に起こったことは今でも理解なんてできない。
魔物が徘徊する迷宮に、もしかしたらまた行かなければならないのかと思うと足が震える。
だけど。
自分を護って闘う雅臣を見てしまった。
とんでもない事態が起こっているのは雅臣も同じなのに、自分を気遣いつつ冷静に状況を分析して進むべき方向を明示してくれる雅臣を知ってしまった。
それに何よりも。
さっきのボス戦で、あれだけの激戦の中で怯える自分に向かって「大丈夫です。勝てます」と言ってくれた。
自分の無責任な、頼りっきりの言葉に「勝ちます」と応えてくれた。
そのうえで本当に勝ってくれたから、わけが分からないままでも現実に返ってくることができたのだ。
そんなことをされてはもう認めるしかない。
前段がなくても、惚れてしまっても仕方がない『雄姿』だったと凜子は思う。
怖いけれど。
逃げ出したいくらい怖いことも本当だけれど。
それ以上に。
今の自分のいる場所に、他の女の子がいるのは嫌だなと思ってしまったから。
遠かった『彼』の、知らなかったいろんな表情を一番最初に、一番近くで見るのは自分でありたいと思ってしまったから。
長いこと拗らせていた『初恋』を、凜子はやっと認めることができたのだ。
そうなると問題は、凜子の提案に対する雅臣の答えであるのだが……
凜子と同じくらい、もしくはそれ以上にめんどくさい雅臣が出す答えはいまだ不明である。
裸Yシャツなどという男共の憧れを、学校一の美少女にさせておいていまさら何を言っているんだという話ではあるのだが。
――まあ男の浪漫である裸Yシャツはいいとして。
どうやってこの状況から、いろんな意味で無事に凜子を磐坐家まで送り届けるのか。
それには全く思考が至っていない雅臣と凜子である。
次話 閑話 観察者
2/12投稿予定です。
物語の根幹に関わる部分をある程度提示できると思います。
月曜日からは第二章、現代編を開始予定です。
読んでくださったらうれしいです。




