第10話 日常への帰還
「開きます」
「……は、はい」
第一階層では唯一扉が存在する場所。
雅臣のみ操作可能なステータス画面に記録される地図では、ほぼ真四角のかなり広大な空間が確認できる。
周囲がマッピング完了しているので、黒塗りで表示されている部分がいわゆる『ボス部屋』だろう。
扉を開いたら普通に迷宮が続いている場合もあるにはあるが。
はたして今回はそんなことはなく、雅臣の手によって重々しい音と共に巨大な扉が開く。
――ボスも再湧出するのかな?
などといかにも「ゲーマー」なことを考えている雅臣とは違い、凜子は震える体を悟られないようにするのに必死である。
我知らず雅臣の服の裾を掴んでいるのが可愛らしいが、雅臣が気付いていないのであまり意味はない。
だが雅臣がボスの再湧出を気にするのはある意味当然だ。
ボスが再湧出するのであればレべリング的にはかなり楽になる。
今雅臣が想定しているこの迷宮のルールの一つ。
その階層に一度足を踏み入れれば、その階層を攻略完了するまで現実世界へ帰還不可能ではないか? というもの。
その想定が正しいのであれば、ひとつ前の階層で可能な限りレベルを上げ、集められるアイテムは所持枠いっぱいまで集めておくべきだからだ。
その際「ボス」はもっとも経験値効率がよく、特定のドロップを狙うのでなければドロップ品も一番いいものである場合が多い。
もしも装備品に+1や+2などの揺らぎがあるのであれば、「プラス付」を求めてハムスターが滑車を回すがごとく、ぐるぐると同一階層を彷徨う必要がある場合もある。
ボスドロップ品にもそれが適用されていれば、モノによってはそれこそ親の仇なのかというほど繰り返し狩られるボスもいたりする。
そういうのがまるで苦にならないどころか、快楽ですらあるのが雅臣ではあるのだが。
ともかく。
薄暗い広場のようになっている奥に、今入ってきたものと同じような巨大な扉が存在するのが確認できる。
その扉をくぐれば「第一階層クリア」となるのだろう。
その前に巨大な体躯を誇る魔物が、静かにうずくまっている。
――第一階層の魔物たちと同じく、ボスも獣型だな。
雅臣の体など一噛みで砕けそうな巨大な顎門を持った、漆黒の豹。
艶やかな毛皮や黄金の瞳。
本物を見た記憶など残っていない雅臣だが、その巨躯を除けばそのまんま豹だな、という感想を持った。
背後の扉がゆっくりと閉じてゆく。
凜子はびっくりして飛び上がったが、雅臣には想定内である。
ボスを倒すまで脱出不能な迷宮において、「ボスからは逃げられない」のはお約束である。
そんなことを言われても凜子にはピンとこないだろうけども。
勝ってクリアするか、負けて「GAME OVER」、セーブ箇所からコンティニュー。
ゲームであればそれだけのことだが、今回は「GAME OVER」=死の可能性がかなり高い。
――扉の前からやり直しとかになってくれればいいけど、試すわけにもいかないし。
もしかしたらそういう仕組みなのかもしれないが、それを試すことが論外なのは言うまでもない。
表現不能の妙な声――それすらも雅臣は可愛いと感じたが――を上げて飛び上がった凜子はそれが恥ずかしいのか、再び真っ赤になっている。
――無事に返さないと。
その様子を見て、決意を新たにする雅臣である。
なにやらものすごいことを「考えておいてね?」と言われたことだし、此処で負けて死んでいる場合ではない。凜子だけ戻しても続きはない。
――ただからかっているだけなのか、勝利への執着を持たせるためのご褒美設定なのか、あるいは本気なのか。
それを確かめるためにも、此処で終わるわけにはいかない。
何が何でも「日常」に帰還することは必要だ。
もっとも今までの暮らしを「日常」とするのであれば、雅臣のそれはすでに失われてしまっているともいえるのだが。
迷宮も現実も、雅臣にとってはすでに『非日常』だ。
楽しい予感を感じさせてくれてはいるが。
入ってきた扉が重々しい音とともに締まりきると同時。
静かにうずくまっていた黒豹が、その巨躯を起き上がらせて咆哮を上げる。
――文字通り豹変……本来の意味からすれば誤用だけど。
雅臣の視界には『夜色豹』と表示されている。
レベルは不明。
「行きます!」
「が、頑張って!」
応援してもらえるというのはいいものだ、と雅臣は思う。
女の子を背中に庇って戦うというのも、実際にやってみるとものすごくやる気を与えてくれる。
緊張もするので疲れもするのだが。
戦闘態勢に入ったボスに対して、雅臣も『魔力付与』を発動して自分から間合いを詰める。
――まずは初撃に『寸勁』を打ち込んで、攻撃の通りを確認する!
その判断で打ち込んだのだが、あろうことか躱される。
『通常攻撃』であればまだしも、『スキル技』を躱されたのは初めてである。
『再使用時間』完了まで『寸勁』は撃てない。
――必中ってわけじゃないのか。
だが雅臣は落ち着いたものである。
息があがって苦しくなるわけでもないので、冷静な思考を維持することができる。
自身の体を使っての戦闘にも、レべリングの過程で慣れてきていることもある。
――通常攻撃から繋げないと、今のレベルでは躱される可能性があるんだな。
スキル硬直の間に、『夜色豹』の攻撃を喰らう。
単発の通常攻撃。
それでもHPは3減少し、HP98/101 MP 115/125となる。
流石にボスだけあって、フロアの魔物の攻撃が通らなくあっている雅臣にも、3とはいえ攻撃を通してくる。
少なく感じるが、これを34回喰らえば雅臣のHPはゼロになる。
為すがままにされるつもりはないとはいえ、たとえ1でも攻撃が通る以上、この戦闘は命のかかったものだ。
全力を尽くすのは、死にたくなければ当然のこととなる。
戦闘継続中にMPは回復しない。
フロアの魔物にも『技』が存在した以上、ボスにそれがないことは考えられない。
雅臣は戦闘を脳内で組み立ててゆく。
通常攻撃でのダメージを7~10、技でのダメージを50と想定。
躱せる可能性は考慮しない。
『寸勁』の消費MPは5、『再使用時間』は30カウント。
『魔力付与』は常時展開する前提。
『治癒』は消費MP10で、HPの回復量は70。
HPが60になった時点で即時『治癒』使用。
――情報不足。
無理な姿勢から通常攻撃を数発あてる。
大きくは減らないが、HPバーの減少は目で見てわかる程度は確認できる。
とはいえ数パーセント程度のもの。
――まずは『寸勁』を当てる必要がある。
『寸勁』がボスのHPを削りきる骨子になるのは間違いない。
それがどれだけ通るのかを把握しないと、戦闘を組み立てることができない。
通常攻撃の連打から、今度は『寸勁』を確実に当てる。
『夜色豹』の苦鳴とともにそのHPが20%ほど減少する。
この時点で『魔力付与』が切れた。
現状 HP98/101 MP110/125
『寸勁』をあと4撃。予備2撃でMP30必要。
即発動前提で6撃にはカウント180必要。
『魔力付与』維持前提でMP15必要。
『治癒』の使用可能回数6回。
速攻で『魔力付与』を再発動。
その瞬間に『夜色豹』の『技』であろう、咆哮の遠当てのような攻撃を喰らう。
――被ダメージは……36。
――『夜色豹』の技の『再使用時間』次第だけど、勝った。
現状 HP62/101 MP105/125
念のためこの時点で『治癒』を発動、HPをフルに戻しておく。
プレイヤースキルにも左右される部分はあるのであろうが、現状雅臣は攻撃をほぼ確実に当てることができ、すべてではないものの『夜色豹』の攻撃を躱すこともできている。
こうなればどれだけ『激戦』に見えても、実はもう詰んでいる。
プレイヤーの組み立てを御破算にするような理不尽が仕込まれていない限り、レベル制RPGの戦闘とは基本的にこういうものだ。
雄叫びを上げようが、決死の覚悟を持とうが、そんなものはまるで関係ない。
適正レベルで正しい戦闘をすれば勝てる。
そうでなければ負ける。
それがゲームというものだ。
今はもちろんゲームではないが、冷静を極め、余計な要素をすべてそぎ落とすことが可能なのであれば、現実でもそうなのかもしれない。
揺蕩う勝負に「想い」が影響を与えうるのは、均衡した実力同士の組み立て不可能な戦闘においてであって、明確な格差がある勝負ではほとんど意味をなさない。
「想い」は勝負の下準備に手を抜かない事につぎ込むべきで、運否天賦の結果を「想い」だとか「意志」だとかで何とかしようとするべきではないのだろう。
もっとも現実では如何に想いがあろうとも、その準備をろくにさせてもらえない事の方が多いことを雅臣は知っている。
だからこそ雅臣は、勉強やゲームをこよなく愛するのだ。
だがそれがわからないものにとって、雅臣と『夜色豹』の戦闘はまさにギリギリの死闘にしか見えないのは確かだ。
フロアでの戦闘はこんなに長引くことはなかったので、凜子は真っ青になってみまもっている。
雅臣が攻撃を喰らうたびに、短い悲鳴が漏れることを止められない。
雅臣が攻撃を「喰らう」度に血を流し、明らかにダメージを受けているのがわかるのだから見ている者にとっては仕方のないことだろう。
「大丈夫です。勝てます」
安心させるために雅臣は声をかける。
無理をしたものではない、根拠のもとに確信を持って言っている。
その言葉に一瞬でいろんな言葉が浮かんだのだろう、凜子が複雑な表情をする。
顔の美醜などではなく、かっこいいというのはこういうことなのだろう、と凜子は思う。
――自信があって……ううん、もしかしたら自信なんてなくても、怯える私を安心させるために、安心できる言葉をくれる。
それを素直に嬉しいと思った。
だから言いたい言葉はたくさんあったけど、一言だけを大きな声で伝える。
「信じます! 勝って!」
我ながら、胸の前で両手を合わせて目を潤ませてそんな台詞を言うなんて、どこの英雄譚のヒロインなのかと思わなくもない。
だけどそれが今の本当の気持ちだ。
「勝ちます」
凜子の言葉を受けた雅臣が、一瞬だけ嬉しそうに笑ってすぐに元の冷静な表情に戻る。
そして自分の言葉の通り、最後の『寸勁』を叩き込む。
それで終。もとい決着。
『夜色豹』の巨躯が、地に倒れ伏す。
凜子の方を振り返って右手を少しだけ上げ、てれくさそうに笑う雅臣。
それを見て反射的に抱きつきたくなる自分を、理性を総動員して凜子は堪える。
――つ、吊り橋効果ってやつよね?
確かにそれが増幅しているのは間違いない。
だが元々増幅すべきものがなければそうはならないということを、本当はわかっているけれど直視できない。
脳内では『まだ慌てる時間じゃない』と仙○が首を振っている。
「奥の扉が開きます」
ボスに勝利した結果をステータス画面で確認しつつ、雅臣が言う。
その言葉の通り、奥側の扉が自動手に開き始めている。
意外なことにその奥に見える階段は上方向へとのびており、そこからは明るい光が差し込んでいる。
――ぜんぶぜんぶ、まずは日常へ戻ってから!
ともすれば暴走しがちになる気持ちをなんとか抑えて、雅臣と共に階段を上がる。
雅臣と同じく、凜子も「日常」ってなんだっけ? という状況になっているのだが。
そこは――
広大な土地に巨大な城のような塔が立ち、湖と川の水が縁から天空へと流れ出す浮遊する大地。
高高度のため遮る雲一つなく陽光が降り注ぎ、逆に眼下には純白の雲海を見下ろせる。
雅臣が『立体映像』でみていた『浮遊上』の表層部であった。
「すごい……」
凜子が思わず口にしてしまうほどの絶景である。
「俯瞰で見るのとは迫力が違うな」
雅臣もそんなことを口にしている。
そんな雅臣の視界に、自分の意志によらずステータス画面が表示され、メッセージが流れる。
『第一階層クリア。それに伴いステータス機能の拡大、全開放を行います。第二階層は塔の一階。次攻略開始まで『トリスメギストスの几上迷宮』からの離脱が可能です。またクリア階層の再攻略も可能ですが、再クリアするまで再び離脱は不可能となります。――離脱しますか?(Yes/No)』
――そういうルールか。だが今はとりあえず……
「現実へ帰還できるみたいです。時間も気になりますし、まずは戻りましょう。僕の連絡先はxxxxxxxxxxです」
「お、覚えられないよ!」
なんでもない事のようにメモもないのにバーッという雅臣に、凜子が慌てる。
「そうですか?」
不思議そうな顔をする秀才にすこしだけ頬を膨らませて、お返しとばかりに凜子も早口で自分の携帯番号を告げる。
「私の連絡先はxxxxxxxxxxです。覚えられましたか?」
「はい」
「え?」
再びなんでもない事のように答えられ、肩透かしを食らう凜子。
だがなぜかその後挙動不審になる雅臣がよくわからない。
「……連絡しても?」
「――待ってます!」
この期に及んで連絡してもいいかなどという確認をとる雅臣がおかしくて、凜子は本気で笑った。
その笑顔と返答に「で、では帰還します」などと雅臣はしどろもどろだ。
ついさっき、自分の10倍はあろうかという巨躯の魔物を冷静に倒しきった存在と同一人物とは思えない。
だけど凜子にとって、颯爽と自分を護ってくれた雅臣と同じくらい、こんなふうに頼りない雅臣も今はちゃんと「男の子」だ。
現実への帰還。
だがそれは無事とはいかなかった。
交換し合った携帯番号は、とりあえず無意味になる。
なぜならパーティーを組んだまま帰還した二人は、雅臣の部屋へ一緒に戻ることになってしまったから。
取り込まれた時の雅臣の恰好はランニングウェア。
凜子がどんな格好の時に『トリスメギストスの几上迷宮』に取り込まれたのかは、数秒後に雅臣が確認することになる。
次話 閑話 とある少女の日常とその崩壊
2/11投稿予定です。
今話で一章完了です。
二章は現実世界が舞台となります。
お付き合いくださればうれしいです。




